特別講演
パスカル・ズィビィー
これから救出カウンセリングと不適切な介入(デプログラミング)について話をします。私たちは、カルトに入った人を救出するための正しいカウンセリングを考えています。それとは別に、不適切な介入(デプログラミング)によって心がおかしくなったり、傷つけられたり、ふつうの生活に戻れなくなるとか、立ち直れなくなるといった問題があります。救出カウンセラーは多いし、一方、デプログラミングをする人もいます。そうした人はこのような勉強会には出ません。家族やカウンセラーは彼らのために迷惑を受けています。なぜならカルトは批判するために批判記事を書いています。方法を見極めないでカウンセラーを批判するために記事を書いています。日本全国で大きな問題を起こしています。カウンセラーが悪者になってしまいます。
家族はカルトから救い出すためにはどうしたらいいかを考えているでしょう。当然です。家族は簡単に救出カウンセリングをできるものではありません。ステップを踏んでいきます。家族にとって時間を犠牲にする必要があります。正しい準備をしても簡単に救出カウンセリングが成功しない場合があります。家族はまず、破壊的カルトを理解する必要があります。マインドコントロールも理解しなければなりません。でなければなぜ本人が変わったかを理解できません。救出カウンセリングがどういうものか、理解しないと、本人と一緒にカウンセリングができません。また、本人が何を信じているかを知らないといけません。多くの家族は信じているものをわからないで批判する。それはおかしいのです。それが分かればコミニュケーションができるのです。エホバの証人の場合には聖書をすべて理解しなければいけないのというのは無理です。最低でも何を信じているか、エホバの証人としてどんな人間かが分かるかようになりなさい。そのカルトの中では本人が何を考えているか分からないと、「あなたが悪い」というとただの批判になります。救出カウンセリングの中ではそれを知らないといけません。家族が牧師になる必要はありませんし、カウンセラーになる必要もありません。ある程度、本人の信じているものや相手の心を知ると、どういう事だったら言えるか、どう批判したら止めた方がいいか、分かります。カウンセリングは立てやすいのです。相手の心が分からないときには責めることになります。救出カウンセリングの中で学ぶ必要があります。なぜグループの中に入ることになったか、家族と本人で話す必要があります。みなさんに覚えてほしいのは、本人はいい宗教団体だと思って入るのです。カルトに入ったとは思っていないのです。カルトには人生の答えがある、心の支えがあると思ったのです。求める答えがある、心を慰める、役に立つ、人間関係がよくなると思ったのです。本人を批判する前になぜ入ったか家族と本人と話します。それが救出カウンセリングの目的です。家族の問題があったなら、そこからカウンセリングを始めます。例を上げますと、ある若い男性は親が嫌いになり、関係をよくなるためにカルトに入りました。どうすればよくなるか考えていました。そこである団体に入りました。人が会っても、怒鳴ると本人はこころを閉じます。救出カウンセリングの中では、なぜそこに入ったかを勉強しなければなりません。家族は準備をしないで本人を連れてくることはできません。入ったカルトにはどんな問題があるか、家族は知る必要があります。それには時間がかかります。
反対する理由を聞かれると、家族は牧師やカウンセラーの話を持ち出します。すると本人はカウンセラーから洗脳されたと思います。それを経験した家族もいるでしょう。統一教会に関わった家族は、アメリカや韓国に行って確認してきました。「その場所に行った、あなたも知る必要もある」と言うと全く違う反応があります。人の情報だけ聞いて話をする、それはよくありません。情報を集めるのは悪くはありません。しかし自分で探して調べると違ってきます。統一教会を批判すると、娘は反論できませんでした。娘は否定できないのです。自分の目で確かめればなぜおかしいか、賛成できないと言えます。それは時間がかかります。救出カウンセリングは時間がかかるのです。
エホバの証人の場合も、エホバの証人の中での本人の心理状態、考え方を理解しないといけません。統一教会も、エホバの証人も、オウム真理教も、一つのミニ文化、ミニ社会です。その社会の中ではすべてが正しいのです。中の考え方、生き方を理解する必要があります。そのグループの考え方で話をします。そのカルトの文化を理解しないといけません。無視すると通じません。カルト独自の言葉があります。同じ言葉で話をしないといけないのです。
初めて私に会う人の中には次の日には本人を連れてくればいいと思う人もいます。救出カウンセリングのためには、カウンセラーの役割や家族の役割、元メンバーの役割がそれぞれあります。家族の役割はカウンセラーの役割よりも大きいのです。私、パスカルが引いたらどうなりますか。とにかく顔は寂しくなります。気持ちは分かりますがそれでは救出カウンセリングはできません。カウンセリングのためには、カウンセラーの役割と家族の役割、元信者の役割がそれぞれあります。家族がいなければ私の役割は果たせません。家族の役割は80%、カウンセラーの役割は20%です。一番言えることは家族の役割がカウンセラーよりも大きいのです。こんな例があります。お母さんは本当に本人に泣いて怒ったんですね。それが子どもの心に響きます。話を聞こうとしないから。たとえ私が泣いても怒っても「なんだこの外人は」と本人が思うかもしれません。お母さんも同じ事をする。良いタイミングで話すと全く違います。ある経験を話しますと本人はまったく話を聞かない。研究会に帰りたい一心でした。怖かったからです。お母さんは話を聞きたいと言いました。本人は「親が心配します。でも、今変わらなければならない」と言いますと、お父さんは、「あなたは親が心配しているというのに帰りたいと言っている。私はその気持ちが分からない。なぜだか説明しなさい」と真剣に怒りました。「あなたは心配すると言いながらカルトに帰りたいと言う。その気持ちを許せない」と言いますと本人は「分かった」と言いました。私も同じことを言っているんです。しかし家族ほどには本人の心に届きません。家族の役割は80%。本当に大切です。ゆっくり勉強してゆっくり理解する必要があります。
もう一つ。救出カウンセリングの時、リハビリも理解する必要があります。脱会してから勉強するのではなく、救出カウンセリングの時に勉強しなければなりません。しかし100%理解はできません。しかし、いろんな場面で本人と正しいコミュニケーションができます。これは一つ一つ手順を踏んで分かってからカウンセリングでは一体になって信頼して救出カウンセリングに入ることができます。救出カウンセリングは無理矢理だまして連れてくるのではなくいろんな話をしてカウンセラーに会わせます。そこでは家族の役割が大きいのです。準備の段階で理解すればそれが可能になります。本人に話をした上で「私も会いたい」と言うときに会わせます。もう一度言いますと、救出カウンセリングとは本人に無理矢理カウンセラに会わせたり、本人の意志に反して会わせるのでははありません。長い間にコミュニケーションを取っている間に会わせるのです。それも救出カウンセリングに大事なのです。カウンセラーはいろんな情報を与えます。本人がもう一度別ないろんな観点から考え、入ったグループが良いか、悪いかを自分で少しずる考えて、自分でコントロールされていたと分かった上で脱会します。
もう一つ言いますと、私はクリスチャンです。わたしのカウンセリングの目的は、クリスチャンにさせるためではありません。相手は脱会して宗教についてどうするか自由を与えます。カウンセリングのとき間違いを教えます。まず目的はクリスチャンにさせることではありません。本人が脱会してから神を信じたい、教会に行きたいと言えば牧師を紹介します。救出カウンセリングがうまくできたら、脱会者はとても喜んで全く心の問題がなくなって脱会するのでしょうか……。そうではありません。そこではいくら良い救出カウンセリングであっても、本人は自分が信じたものを失うときにとても辛い思いをします。救出カウンセリングでそうなったのではありません。残念ながら、どんなに優しい、丁寧なカウンセリングであっても、命をかけてやったものを失ったときに喜びはなく、苦しみがたくさんあります。カウンセリングの準備をする中で勉強するから、脱会の時どんな心理状態になるか分かれば家族は本人の支えになれます。残念ながら脱会することは良いカウンセリングであっても苦しいのです。自尊心を失います。自分を信じられません。人を信じられません。宗教に長く時間をかけましたから親もなくなる場合もあります。大学に行ってたのが退学する、そうすると脱会したら何も残りません。失った時間、可能性は考えるだけでも苦しいのです。しかも信じたものが信じられない。その心を説明できない。本人は脱会して、リハビリして、ふつうの生活に戻りますが、元気になるまでには時間がかかります。やむを得ない苦しみです。家族が支えて苦しみを一つ一つ乗り越えます。本人が脱会するときは何の苦しみがないようにと願ってもそれは全くあり得ません。やりたくてもあり得ません。そこでは家族の理解が大切です。本人の話を聞いたり一緒に泣いたりしてもかまいません。カルトの中ではマインドコントロールされていますから自分で考えていません。脱会してからは考える苦しみがあります。カルトに入ると家族にとっては地獄でした。終わってからは本人の立場に立って心配しないでいいよ、一緒にがんばろうと支えるのが大切です。少しずつ、新しい目的や希望を見つけてふつうの生活に戻れるでしょう。それが救出カウンセリングの目的です。すばらしいカウンセリングであっても苦しい時期があります。
救出カウンセリングをまじめに考えている先生もいますし、元メンバーもいます。しかし、どんな方法をとっても脱会できればいいと考える人もいます。何も理解しないで止めさせると、その結果、その人の心はどうなりますか。私は何人にも会いましたら、とても立ち上がれない人もいます。デプログラミングを受けた人の心の傷が深いのです。カルトには入って傷を受けたのではなく乱暴な方法で脱会させたから心がおかしくなったのです。ほとんどの場合、三つの心があります。脱会してないが、グループに行かない。それでカルトの考えでふつうの生活をします。エホバの証人の考え方で生活はできます。苦しいから人間関係はできません。自分の生活していません。心の中に本人と、残ったカルトという二つがあります。もう一つの世界があります。その中に閉じこもろうとします。さもないと対立します。カルトの考えで生活していることに気がつきません。
救出カウンセリングを受けた人は心の整理ができますが、そうでない人は心の整理ができません。二元論、すなわち、サタンと神。本人に人間関係ができないのは、無意識のうちに世界をサタンの世だと見ているから。世にいると呪われると思ってコミュニケーションができません。無意識のうちに――この世はサタンってなります。けがれていると言いながら、グループの考えに気がつきません。家族や組織を辞めさせる人と一緒になり、本人は何ヶ月か閉じこめられて辛くなって組織から離れる。家族は辞めたと思いこんでいるし、から本人は誰かに相談しない。
私は書いた本の中で正しいカウンセリングについて書いています。なぜ私は正しいカウンセリングをされてなかったかについては憎しみ、怒りを持っている人がいます。本人であるときに何でも話をしますが、一年経つと自分を閉じこめ、話ができません。本人はほとんどフラッシュバックの中で生活してます。不適切な介入を受けた人たち何人にも会ってますが、彼らはフラッシュバックになっています。それが分かります。話をしても本人は聞いてません。家族が準備をしないで閉じこめて本人が苦しくなって辞めた、そうしてカルトから戻った人がいます。その人は夜遅く外を一人で歩けません。恐怖を覚えます。もう一つ例を上げます。家族が保護して脱会させたことで家族に感謝しなければとトラウマとなっています。本人は家族から助けられたのだと言われ、自分は悪い、家族に感謝しなければと思い、それが苦しみとなっています。
暴力を使って子どもを脱会させる家族が多くいます。ですから新聞記者は救出カウンセラに批判的な文章を書きます。救出カウンセラと不適切な介入をする人とを見分けていません。記者は脱会したときの苦しみだけを書きます。もちろん脱会後の苦しみはあります。だから救出カウンセリングを受けて苦労したと聞いて批判します。統一教会などではその批判記事を利用します。そして救出カウンセラを批判します。不適切な介入をする人たちもいますからもっと記者に説明していただきたい。デプログラミングを受けた人たちの心の中はひどい状態です。これは何年か前から話しているのですが、それは被害妄想がありますし、パラノイアもあります。トラウマがあまりにも深いのです。心理臨床のカウンセラも紹介しますが彼らにも限界があります。助けるためにどういう方法を使うか注意してください、もっとよく理解すべきです。脱会したときの傷はやむを得ません。しかし必要のない傷は与えない。記者は救出カウンセリングとそうでない人とを分けてほしいと思います。救出カウンセリングはどんなものか説明していただきたい。不適切な介入があるとどうなるか、説明してほしい。元カルトにいた人たちでしたらできます。いろんな記者が何回も訪ねてきますが、ゆっくり丁寧に説明して理解してもらってます。不適切な介入を考え、利用している家族がいるので私たちの働きが難しくなるのです。家族、元メンバーやカウンセラはその迷惑を受けています。あんなやり方はどうしておかしいのか、はっきり話してます。
(一世の場合と二世の場合とで心の傷の問題にどのような違いがあるかという質問に答えて)
二世の場合、家族はまだ組織の中にいます。両親と会えません。挨拶もしません。二世は脱会するときは大変だと思います。一世は元に戻ればいい。二世は零から一歩、一歩、苦しみながら立ち上がります。これはすごいなと思います。だから一世の苦しみはたいしたものではないとは言おうとしているのではありません。カウンセリングでは二世をどう支えるか、どう考えさせるかを考慮します。一世には以前でしたらどう考えていましたかを尋ねられる。二世にはそれができないから難しいのです。私は一人にならないで、できるだけ、同じ立場の友だちを探すようにと、言います。一人でがんばるのは辛いのです。周囲に友だちがいれば簡単に事が進むと言うことはないのですけど、出きるだけ同じ立場の人を見つけられるならやっていいいんではないでしょうか。
わたしは5年間、不適切な介入を受けた人たちと会ってきました。不適切な介入を受けた人に会ってカウンセリングをしたことがあります。それは私のホームページに載せたアドレスに宛てた電子メールがきっかけで会えました。これからもあると思います。
私が会った人の中には家族とコミュニューケーションがないためにホームページを見てから私と電子メールのやりとりをしている人がいます。家族は子どもにカウンセリングを受けさせると思っているなら、正しい方法をとってほしいと思います。脱会しても苦しみます。
(この働きを始めたきっかけ)
私は柔道家として日本に来てクリスチャンになりました。ある教会に行きますと子どもが統一教会に入ったために牧師に相談している家族がいました。そのとき家族が子どもにカウンセリングをする手伝いをしませんでした。本人が変わった様子を目にして、驚きました。それから興味を持って勉強するようになりました。
(信仰の自由とカルトについて)
信仰があるところには自由があります。心がコントロールされるかどうかではありません。信仰とは何かと言いますと、「私は神様を信じます」、「毎日の生活の中に神様がいます」です。人の考え方を受け入れ、自分の考えを捨てる……それは信仰ではありません。信仰には自由があります。カルトはすべての人格を無視してコントロールします。組織の活動、経済的な拡大のためにその人を使います。自分では考えられない状態です。ふつうの信仰は生活の中に神様がいると思ってふつうの生活ができます。信仰ある人だと教会で牧師に従い神様を信じます。カルトは神様を信じるよりもリーダーにすべてを与えます。神様を信じるのには自由があります。マインドコントロールは人格を無視します。カルトの中では「わたし」がいません。「わたしたち」=グループだけがあります。教会の中では「わたし」はいます。「わたし」も「わたしたち」も大事にします。カルトはそれをカットします。代わりに教祖がいます。教会でマインドコントロールがあると信仰という名の虐待が始まります。ここが大切です。人格がなくなれば信仰ではありません。カルトは人格をコントロールします。