二世の体験談
私は二ヶ月前まで神戸に住んで、神戸の教会で十年間、副牧師をしていました。一年前から髪が薄くなりました。以前はエホバの証人二世でした。神の恵みで救出されて、クリスチャンになり、牧師をし、一ヶ月前から北海道苫小牧で開拓伝道をしています。私は1967年12月の生まれで、私の母親は20歳で結婚しました。子どもの育て方で悩んでいました。ちょうどそのとき、エホバの証人が訪問してきました。聖書が子育てに役立ちますと言われ、週一回のペースで聖書研究が始まりました。母は結婚前は教会に行っていたそうで、聖書には関心がありました。その時に証人が訪ねてきたのです。私は4人兄弟、上に姉、下に二人の弟がいます。集会に出席し、伝道に出かけていく生活でした。場所と時代に違いがありますが、小さい頃は母はとても恐ろしい存在でした。母の前ではよい子、いないときには悪い子でした。二重人格的な歩みをしました。父は公務員で、母の信仰には反対しました。暴力もふるっていました。反対されればされるほど、母は熱心になりました。父はあきらめました。
子どもの頃は、母には反発していました。小学校高学年、中学生の頃は自立する時です。エホバの証人の前ではよい子でも、家の中では母に暴言をはいたりしました。もっと自由にいたいと思いながら中学生のころを送りましたが、二年生の後半、エホバの証人の組織に惹かれました。組織が近くなりました。組織の終末論、即ち悪が一掃され、楽園が来るという教えにひかれました。毎日のように戦争があるのを目にして本当にそう思いました。二歳年上の男性と親しく交わり、惹かれていきました。中学3年の時、自らの意志でエホバの証人になりました。エホバの証人の組織は神の組織、終わりが近い、人々を救わなければと思い、熱心に伝道しました。聖書は神の言葉と信じていました。聖書を組織の考えに合わせて家から家へと伝道していきました。知らずの打ちに組織の奴隷となりました。キリスト教の教会員に会えば、教会はサタンの支配下にある、聖書から離れていると何も知らずに伝道していました。聖書に書かれているパウロは元は熱心なユダヤ教徒で、それも私と同じ立場です。高校二年から6年間、エホバの証人の正規開拓者でした。一ヶ月90時間伝道していました。夏は田舎に派遣されていました。会衆では奉仕の僕もやっていました。組織にすべてを捧げていました。
間違いに気がついたのは88年5月頃で、一人の兄弟との交わりの中で間違いを知らされました。その兄弟は会衆の長老でした。カソリック教徒の三代目でした。私にエホバの証人の間違いを知らせてくれました。自宅で英語の教師をしていました。机の上に聖書を置いて、それを開き、クリスチャンが尋ねてきたらどのようにして反論できるか教えてほしいと言われました。組織のどこが間違っているか一切言わないのです。そのやり方で半年間、学んできました。初めは訓練だと思いました。聖書の使徒の箇所を開きました。キリスト教の誕生の頃のクリスチャンの活動の箇所です。当時のクリスチャンは熱心な布教活動してましたがその内容は何だったでしょうか。イエス・キリストの名を熱心に人々に伝えました。命がけでキリストの名によって集まりました。迫害を受けました。つまり、聖書の中心はイエス・キリストと言うことです。エホバの証人はキリストよりもエホバを強調していました。聖書の中心はキリストだとパウロは私に教えていたのです。学んでいるとき、私に、エホバの証人は聖書を語っているが本当のキリスト教ではないと告げたのです。驚きましたが、その長老に会っていなければ気がつかなかったのです。そうしたことがあればほかの長老に言わなければなりませんでした。しかしその長老は聖書から言っているのですから、それもできませんでした。聖書は神の言葉と固く信じていましたから、組織の中では賢い人はサタンにやられやすいといわれていましたから内心、その長老はサタンにやられたと思っていました。聖書から語っていたから惹かれていきましたし、当時私はそれが半年間続きました。88年9月、和歌山の小さな集まりに派遣されることが決まっていました。その長老から離れるのですから、内心はそのまま組織と一緒に歩もうとしました。そのときに聖書から知った言葉は残っていました。組織は完全に聖書から離れていた、間違っていたとは知識的には分かっていました。心情的に離れられませんでした。母も、二人の弟もエホバの証人でした。そうした中で悩みながら引っ越しをしましたが、そこで力を入れて伝道できなくなりました。本当に信じていた聖書と組織の教えが違うというのは理解していました。しかし心情的には別でした。二ヶ月以後、我慢できなくなって神に祈りました。「神様。本当のことを教えてください」と祈りました。長老は間違いを確信していましたが、隠していたのです。長老からの手紙では、聖句を引用しながら真理に従っていくことが本当にすばらしい生き方だという言葉が書かれていました。それが心に触れました。人の言うこと、組織の言うことではなく、聖書に従って生きたいという思いを強く持ちました。1988年10月、断絶届けを書きました。パートナーも一緒に届けを出して神戸に戻りました。その長老は神戸で上手に間違いを知らせていたのです。70人から80人が間違いに気がつき、30人ほどが組織から出ました。
教会の中には聖書を持っていて聖書を信じていない教会がありますが、聖書を信じて正しく教えている教会も多いと聞きました。エホバの証人をどう辞めるかによってその後が変わります。辞めて二日後、牧師たちは長老のところに来て、教会はこういうところですと話して勧めていました。教会は悪魔の手先と教えられていたので、教会に行こうとは思いませんでしたが、集まった人たちは喜んで賛美をしていましたし、牧師は聖書を開いて話をしていました。それに感動しました。組織にだまされたと知りました。そのときすぐにはクリスチャンにはなりませんでした。一週間後にクリスチャンとなり、半年後にバプテスマを受けました。教会では毎週、定期的にエホバの証人と教会の違いを教えてくれましたので頭の中を整理できました。その一年後、神学校に言って聖書を学びました。その中では二世の課題、苦しみがあります。そういう形で出てきて苦労しましたけど、教会では10年間働きをできました。過去にはいろんなエホバの証人の経験をしてきました。それも神に導かれ、聖書を通して守られてきたと言えます。