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差別撤廃にむけたこれからの人権教育・啓発に関する施策の基本的方向について
-人権フォーラム21からの提言-
1998年10月23日
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(1) 日本における人権教育・啓発の現状についての意見
1 総論
政府の「人権教育のための国連10年国内行動計画」は、人権教育は生涯学習の観点からあらゆる年齢層、あらゆる社会層を対象にあらゆる場で進めることとしている。特にその推進にあたっては社会的に弱い立場におかれている集団に焦点をあてる姿勢から「重要課題への対応」を定めている。。したがってあらゆる場で推進される人権教育・啓発の内容には、当然のことながら「重要課題」で明記された被差別者のかかえる具体的問題を通じて人権教育・啓発が語られなければならない。
私たち人権フォーラム21は、日本における人権教育・啓発の現状については、政府レベル、自治体レベル、企業・団体レベル、市民レベルに分けて分析が必要と考える。そして私たちは、次の理由で、政府レベル、自治体レベル、企業・団体レベル、市民レベルのいずれにおいても人権教育・啓発のとりくみは質、量とも不充分であり、「人権が尊重された社会」とはまだまだいえない状況にあると考える。
先ず第1に、学校や地域社会など社会生活上のさまざまな場面で被差別部落をはじめ、アイヌ民族、在日韓国・朝鮮人、身体及び精神障害者、女性、らい(ハンセン病)患者、高齢者、HIV感染者、同性愛者、子ども、在日外国人、寄せ場労働者など、さまざまな被差別者たちへの人権侵害の事件が相次いでいる実態が厳存し、これら差別事件の多発化が、人権政策の不充分さ、とりわけ人権教育・啓発の現状の不充分さを実証している。日本では、残念ながら政府が『人権白書』を刊行していないため全体状況が把握できていないが、当事者団体が明らかにした事例や法務省人権擁護局人権実務研究会監修『人権侵犯事件例集(改訂版)』(平成10年3月)にも、その一端が明らかとなっている。
第2に、人権教育・啓発の現状の不充分さは、政府自身のおこなったいくつかの人権意識調査等でも明らかになっている。たとえば総理府の「人権擁護に関する意識調査(97年7月実施)」、総務庁「全国同和地区実態把握等調査(95年10月実施)」、さらには地域改善対策協議会「意見具申(96年5月)」および、「人権教育のための国連10年国内行動計画の推進状況(98年7月22日;以下、『推進状況』)」においても、人権教育・啓発の不充分さが明確に指摘されている。なお98年7月22日に公表された『推進状況』は、その元となる国の「行動計画」自体の不充分さとともに、内容においても政府の取り組みを正当化する傾向が強く、自治体や民間企業・団体、市民レベルのとりくみの実態把握がきわめて不十分で、具体性と信憑性に欠けるという弱点を持つものである。第1に、国内行動計画に関する国連事務総長報告に比べ欠落部分が多いこと、第2に、従来の一般研修を名目のみ人権研修にすりかえて報告しているものが多いこと、第3に、数字の羅列(予算額や回数)に終始していて研修テーマ、テキスト内容、カリキュラムなど質的な総括にかけていること、などの問題点があることをふまえておく必要がある。しかしながら、これらの不充分さがあるものの、政府自身による初の実態把握のとりくみとして一定の意義を有するものであると考えるものである。
また98年6月、国連子どもの権利委員会における「日本政府の締約国報告書第1回審査に対する総括所見」の中にも、子どもの人権に対する政府の認識や、人権擁護施策の不十分さも指摘されていることにも留意すべきである。
以上に述べた人権侵害の事件が相次いでいる実態および政府や自治体、民間団体等の実施した各種の人権意識調査等の分析結果や国連子どもの権利委員会での審議をふまえて、今日の人権教育・啓発の現状とこれからのあり方を審議すべきであると考える。
次にこの『推進状況』を中心に、政府レベル、自治体レベル、企業・団体レベル、市民レベルそれぞれの現状について、私たち人権フォーラム21の現状分析を示す。
@ 政府レベルの取り組みの現状分析
政府全体では、多額の広報予算を有し各種の広報・宣伝活動が展開されているが、人権教育・啓発に関する予算措置は極めて不十分である。『推進状況』によって明らかとなった政府レベルの取り組みの現状分析として、第1に、「人権教育のための国連10年国内行動計画」は策定されたものの、あらゆる場で人権教育・啓発を推進するための各省庁別の推進方針・計画が明示されていないこと、および人権教育・啓発を推進する推進体制が不充分なことが指摘できる。これらの点は、国連の提起する「人権教育のための国連10年」の中で事務総長報告として明らかにされた「国の責務」とされた重要点である。
まず「啓発関係三省庁」といわれる文部省、法務省、総務庁でも、簡単な啓発冊子の発行にとどまる傾向があり、新たな研修教材の作成や総合的体系的な推進プランの提示は十分とはいえない。文部省は『人権教育資料』を2点(概括編と同和教育編)発行し都道府県・市に配布しているが、概括編では人権に関する資料を羅列したに過ぎないもので、とても指導書(実践のための手引書)と呼べるものではない。次に法務省では何種類かの教育・啓発冊子を発行しているが、「国内行動計画」が重要課題とする在日韓国朝鮮人、在日外国人、女性、高齢者、障害者、HIV感染者、らい(ハンセン病)者、刑を終えた人々などを取り上げたものは存在しない。また総務庁では、かつては部落問題に関する冊子を発行していたが、その後は(財)地域改善対策啓発センター(98年4月より人権教育啓発推進センターへ名称変更)へ委託して『参加型人権教育・啓発ガイドブック・「気づき」から「行動」へ』(97年1月)を発行したのみで、現在は当事者に視点を当てた教育・啓発冊子の発行をおこなっていない。人権教育は生涯学習の観点からあらゆる年齢層、あらゆる社会層を対象にあらゆる場で進めることとされているが、その内容としては、当然のことながら「重要課題」で明記された子どもおよびすべての被差別者のかかえる具体的問題等を通じて、人権教育・啓発が語られなければならない。
これら三省庁以外の省庁も政府の「人権教育のための国連10年推進本部」の構成員であるが、いまだにそれぞれの省庁での人権教育・啓発担当部局すらあいまいなままで、また先の『推進状況』によっても人権教育・啓発や研修の実施内容が不充分にしか公表されておらず、被差別の当事者の立場を尊重した人権教育・啓発冊子が用意されているとは判断できない。
なお、1998年4月より、それまでの(財)地域改善対策啓発センターは、文部省、法務省、総務庁の共管による(財)人権教育啓発推進センターとして改組された。同センターは、政府の出資による(実質的な)国の機関であるといえるが、名称は変更されても、職員等の拡充はなく、関係者が期待するようなナショナル・センターとしての機能を果たしうるか懸念されている。
A 自治体レベルの取り組みの現状分析
次に、自治体レベルの取り組みでは、一部に同和教育など部落差別の撤廃を中心課題に据えた先進的な営みも存在する。ここでは、早くから同和教育基本方針や推進計画(プラン)を策定し、また新たに人権条例等を制定して、定期的な人権意識調査の実施と取り組み分析を試みる自治体もいくつか存在する。しかしながら全国的に見れば、総じて政府の取り組みの不充分さの反映から、人権教育・啓発の取り組みの前進にはなお大きな課題が山積している。自治体は、国の人権教育・啓発の取り組みを地域で支えるとともに、独自の人権教育・啓発も推進しており、この分野で果たす役割は大きいものがある。
まず政府の『推進状況』によれば、いち早く国内行動計画を策定したのは神奈川県、滋賀県、大阪府、奈良県、福岡県、大分県の6府県で、これらの府県では人権が守られ、差別がない豊かでやさしい町づくりを市民とともに推進するための条例や推進プランを策定して、自治体としての人権政策を推進している。また市町村レベルでも長野県下9市町村、三重県下3市町村、大阪府下28市町村、福岡県下6市町村、大分県下4市町村、熊本市、宮崎県日向市、などで人権教育・啓発を推進するための横断的組織を設置したり、行動計画を策定するなどの積極的な動きが紹介されている。これらの自治体は、いずれも長年の同和行政、とりわけ部落差別の撤廃を中心に据えた同和教育施策の推進の経験を有するところであり、同和教育を人権教育へと発展させるべく新たな取り組みを推進している。しかしながら、東日本の多くの自治体では、政府と同様、人権教育・啓発に関する基本方針や推進体制が不充分な現状がある。
以上のように、先の『推進状況』が明らかにしたところでも、人権教育のための国連10年国内行動計画を都道府県レベルで策定したところは、わずか6府県のみで、推進本部などの体制整備も20府県に止まっていることが端的に証明している。
地域で人権が守られるようになるには、結局は一人ひとりの市民の人権に対する理解がかぎであり、そのためにも自治体による粘り強い教育・啓発活動が重要である。これら自治体の人権教育・啓発活動への支援策が国に対して強く求められているところである。
なお、現在、各地に府県や市レベルの人権教育・啓発センター的機能を持つ機関が行政の直営または第3セクター方式で設立され、調査・研究や研修、教材開発等に実績を示しているが、全国的に見るとその数はまだまだ少ない状況にある。
B 企業・団体レベル、市民レベルの取り組みの現状分析
民間企業・団体レベルや市民レベルの取り組みの現状では、総じて差別を受けている当事者団体とそれに連帯する人権教育団体・市民は熱心な取り組みを進めているが、全国的に見れば、まだまだ人権教育・啓発活動は弱い状況にあると言える。先の政府の『推進状況』は、これらの民間企業・団体や市民レベルの取り組みの現状を把握していないが、国連の提起にも、人権教育・啓発の推進にはNGO(民間組織)との連携が必要不可欠であることが繰り返されており、民間企業・団体や市民レベルの取り組み状況を把握し、それを支援する新たな方策が政府に求められている。
まず差別を受けている当事者団体とそれに連帯する人権教育団体の主催する全国レベルの教育研究集会のうち参加人員が1万を超えるものをふくめて主なものとしては、全国同和教育研究大会(全国同和教育研究協議会主催)をはじめ、全国在日朝鮮人教育研究集会(全国朝鮮人教育研究協議会主催)、教育研究全国集会(日本教職員組合主催)、全国保育研究集会(自治労等主催)などが毎年開催され、着実な成果を収めている。さらには近年、環境や開発や平和と国際理解やジェンダーなどの地球的な課題から一人ひとりの生き方を探る人権教育の取り組みも、一定の広がりを見せてきている。(開発教育協議会主催の全国集会など)。しかしながら、これらのとりくみは、地域的に限定されていたり、それぞれの課題に関心のある層のみが参加している状況で、周辺への広がりがまだまだ少なく、今後の課題となっている。
次に政府・法務省が人権教育・啓発の主力として位置付けている人権擁護委員による活動の現状は、極めて不十分なものであるといわざるを得ない。全国に14,000人が市町村を単位として配置されている人権擁護委員は、市町村長の推薦にもとづいて任命され、しばしば民生委員も兼任するなど地域との関わりが深い存在だが、一部に積極的に市民組織との連携を図って人権運動を助長・促進する委員も見られるものの、全体から見れば極めて稀な存在で、現実には大半の委員が名誉職化しており、市民から期待される存在になっていない。現状では、自治体の人権教育・啓発の取り組みの講師やリーダーとして活躍するものも皆無に等しい状況で、委員の再研修とともに抜本的な制度改革が求められている。
また教育団体以外では、日本のさまざまな宗教者たちで構成する「同和問題」にとりくむ宗教教団連帯会議をはじめ、同和問題を中心に人権問題に取り組む企業連合組織(人権企業連や同和問題企業連など)や世界人権宣言中央および各府県実行委員会、全国隣保館連絡協議会、全国解放保育連絡会、ヒューライツ大阪(アジア太平洋人権情報センター)、アムネスティ・インターナショナル、部落解放・人権研究所や解放教育研究所などの研究組織、リバティーおおさか(大阪人権博物館)などの人権博物館ネットワーク群、各地の農協同和問題推進連絡会、地球市民教育センターなどの人権教育NPO(非営利民間団体)などが、自治体などとも連携して各地で独自の人権教育・啓発活動を進めている。
これらの民間企業・団体や市民レベルの自主的な取り組みの成果を収集し、全国的な人権教育・啓発の経験の情報交換とネットワーク化が今後の課題となっている。この面での国の新たな支援策が求められている。
2 「あらゆる場を通じた人権教育の推進」の課題
次に、先の『推進状況』を手がかりに、「人権教育のための国連10年国内行動計画」がいう「あらゆる場を通じた人権教育の推進」の現状についての意見を述べたい。この点については、先の「総論」の項での分析と重複するものもあるが、前者が実施主体を中心とした取り組み分析であるのに対し、後者は取り組み分野を中心にした分析であるため、以下に分析を述べる。
まず、『推進状況』では、「あらゆる場を通じた人権教育の推進」として、(1)学校教育における人権教育の推進、(2)社会教育における人権教育の推進、(3)企業その他一般社会における人権教育等の推進、としている。しかし本来は、社会的責任のより重い「企業における人権教育の推進」と、「家庭・地域など一般社会における人権教育の推進」の課題とは区別して論じるべきであると考える。以下にそれぞれの取組み状況の分析についての意見を述べたい。
@ 学校教育における人権教育の課題
『推進状況』では、「あらゆる場を通じた人権教育の推進」を掲げながら、乳幼児期からの人権教育の重要な担い手である保育所での人権教育(所管は厚生省)について、まったく触れていないし、また幼稚園での人権教育についても軽視されている。「教育総合推進地域」事業や「研究指定校」事業や資料作成も小学校・中学校・高校偏重の現状にあり、「幼児期の教育においては幼児の発達の特性を踏まえ人権尊重の精神の芽生えを育むことに努める」としながら、指導書(手引書)作成すらなされていない状況にある。
次に重視されている小学校・中学校・高校での人権教育の推進の現状では、「教育総合推進地域」事業や「研究指定校」事業や資料作成が掲げられているが、事業実施は西日本中心で地域的偏りが激しい。また、かつて文部省は『学校における同和教育指導資料』(1994年)を作成し、「同和教育は同和地区を有すると有しないに係わらずすべての地域・学校で取り組むべきこと」として、学校現場での差別事件を取り上げたはじめての指導事例集を関係者に配布したが、その後は何らの指導書発行もなされていない。1996年5月の地域改善対策協議会「意見具申」を受け、かつての同和教育関係施策を土台にして人権教育施策への衣替えはなされたが、都道府県や市町村教育委員会、学校関係者への十分な指導・助言がないため、いまだに多くの教育現場が「人権教育とは何か」「幼稚園・小学校・中学校・高校で人権教育をどのように進めたらよいか」について悩んでいる状況にあり、この点に応える的確な取り組みこそ今、文部省に期待されている。また専修学校での人権教育のついては、全く触れられていない。さらに子どもの人権を保障する立場から、子どもの権利条約の内容を児童・生徒にわかりやすく伝えるための教材開発や、教職員など学校関係者への条約内容への理解を深める教育・啓発の施策は、ほとんど実施されていない。
次に、大学や専門機関の人権教育のとりくみについて、『推進状況』は「各大学における人権に関する教育・啓発活動について、いっそうの取り組みに配慮する」(概要の項)とのみ記述し、具体的内容は一切触れていない。また「教養教育等として人権教育に関する科目を開設している大学も相当数ある」としながらも、具体的数字や取り組み内容は明らかにしていない。この面での日本の大学・専門機関における人権教育の立ち遅れは、すでに地域改善対策協議会「意見具申」でも指摘された重要課題であるが、いっこうに前進が見られず、国の指導・助言をふくむ早急な是正措置が求められている。
なお、体罰、いじめ、キャンパス・セクハラ等、学校内における人権侵害についての学習(教育・啓発)活動が、学校現場において、子ども、教職員、保護者等を対象として強力に推進されるべきである。
A 社会教育における人権教育の課題
『推進状況』では、「社会教育における人権教育の推進」として公民館など社会教育施設等での人権に関する学習機会の充実と指導者養成策をはかるとして、「人権教育総合推進事業」「生涯学習ボランティア活動総合推進事業等」「教室開放促進事業」のとりくみを挙げているが、その実態把握が立ち遅れている。まず「人権教育総合推進事業」は、人権擁護施策推進法の施行を受け、従来、同和対策として進められてきた施策をベースに拡充されたもので、同和地区の隣保館や教育集会所、公民館やその他の生涯学習施設などで、市町村教育委員会が主催する人権教育・啓発事業に広く活用されている。一般対策への移行により、名目上の予算規模は拡大したが、対象となる人権問題が「国内行動計画」で重要課題として列記されたため、深刻な財源不足におちいっている。結果として従来進めてきた同和問題研修を減らして他の人権問題研修を増やすというケースもしばしば見られる。公民館などの拡充や人的整備も含めて大幅な予算増額が不可欠である。なお『社会教育における人権学習指導事例集』(国立社会教育研修所編)や『参加型人権教育・啓発ガイドブック・ワークショップ「気づき」から「行動」へ』(財・人権教育啓発推進センター編)等は関係者に好評であり、さらに充実したものの提供が期待されている。
なお人権教育という場合、人権についての教育だけでなく、人権としての教育の保障および学習権の視点が重要である。被差別部落での識字学習運動をはじめ、とくに社会的に不利益な立場におかれた人々が日本社会で自立するための学習機会の保障として、夜間中学運動や外国人の日本語学習への支援が各地で取り組まれている。この点で、1980年代以来、日本で暮らす外国人の日本語学習支援や情報提供活動が、社会教育の場で広く取り組まれてきたことが注目される。この活動は、従来、同和地区の識字学習運動や夜間中学などの成人基礎教育の伝統を引き継いでおこなわれてきたが、いまだ制度化されていない。今後、法制化をふくめて広く国や自治体が関与する必要がある。なお、このような取り組みは、文部省所管の社会教育においてだけでなく、学校や地域社会、職場をふくめて、積極的に取り組まれなければならない。このことは、国や自治体だけでなく企業をも含めて積極的対応・調整が求められている。
B 企業における人権教育の課題
企業における人権教育の推進に関して『推進状況』は、「雇用主に対する指導・啓発」として業界団体への文書による要請、職業安定所(ハローワーク)単位の公正採用選考人権啓発推進研修会の開催、企業トップクラス研修会の開催をあげているが、大半の企業の実態は、行政(国または自治体)主催の研修会に企業関係者が参加しているのみで、企業や企業団体による自主的取り組みはまだまだ弱い。
企業における人権教育の推進を考える際には、1975年に部落地名総鑑購入事件が発覚し、差別撤廃にむけた企業の社会的責任が大きく問われた経過を踏まえる必要がある。この事件の発覚を受け労働省は、業界団体や主要企業宛に大臣親書を送付し差別撤廃に向けた努力を求めるとともに、「企業内同和問題研修推進員」の設置を呼びかけ(78年12月)、企業における同和問題研修の取り組みが本格化した。一方、企業の側からも、地名総鑑購入企業を中心に自主的研修活動が始まり、1985年以後、各地で人権企業連絡会や同和問題企業連絡会の結成をみたわけである。その後、人権擁護施策推進法施行にあわせて企業内同和問題研修推進員が公正採用選考人権啓発推進員に名称変更されたわけであるが、本年、労働省がおこなった調査結果からも、企業における公正採用選考人権啓発推進員設置が名目的なもので十分に機能していない実態が明らかとなっている。また日本の主要な業界団体である経団連や経済同友会、日本商工会議所などが主催する形での人権教育・啓発セミナーは未だに実現していない状況にある。企業における人権教育の推進のためには、職場の安全管理者が労働安全法によって「雇用主の責務」として設置が義務付けられているように、公正採用選考人権啓発推進員の設置を義務付ける法的整備が必要である。
C家庭・地域における人権教育の課題
少子・高齢化が進む中で、家庭・地域における人々の関わりが重要になってきている。家庭・地域において、子どもや高齢者、障害を持つ人に対する人権侵害の事実は、後を絶たない。家庭においては、子どもへの過干渉や放任、性的なものをふくめた虐待などの現状が見られる。また夜遅くまで小学生や幼児だけで家庭にいるような状態がある。これには大人の人権意識の高揚が必要であると同時に、保育所や児童相談所をはじめとする社会や地域社会の支援システムや制度の充実が不可欠である。家庭における高齢者の介護、障害を持つ人たちへの偏見の存在や支援システムが不十分であることも大きな課題である。さらに、家庭においては、従来の性別役割分業の意識が強く、女性の自立に対する支援システムが確立されていない。
地域における人権の問題は、女性をはじめ、子ども、高齢者、障害を持つ人たち、アイヌや在日韓国・朝鮮人の人たちなどの少数民族(民族的マイノリティ)、同性愛者、増大する外国人労働者(ニューカマー)、そして部落問題などが大きな課題として存在している。子どもたちが地域の中で自由に遊べる施設や空間がないこと、また、高齢者や障害を持つ人たちが安心して交流できるような場が少ないことなど、行政としての条件整備についても考えていく必要がある。さらに、多くの子どもたちや大人たちに影響を与えているマスメディアの報道のあり方にも目を向ける必要がある。人権侵害を認めたり、笑いのネタにするような報道のあり方や、番組の姿勢を問い直すことも大切である。また「援助交際」といわれる少女売買春の問題、アジア地域の「子ども買春」には日本人も大きくかかわるなど、大人社会全体の人権意識の啓発が性的虐待防止の観点からも大きな課題といえる。なお、これらの課題は、加害の点でも被害の点でも日本一国にとどまらず、広く東アジア、さらにはアジア太平洋地域、そして世界にまたがることがらである。したがって、恒常的な情報交換や国際シンポジウム開催等の協力関係が、さまざまな地域的レベルで強化されることが求められている。
今日、校内暴力、いじめ、不登校(登校拒否)など、学校教育の病理的現象が深刻化する中で、これら人権問題に対する学校・家庭・地域の緊密な連携の必要性が叫ばれ、とくに生涯学習の観点からのコミュニティ・スクール(地域社会学校)の理念が注目されている。コミュニティ・スクールとは、学校と地域社会との壁を取り外し、学校の教育に地域のさまざまな教育資源(人や教材、学習の場)を取り入れ活用するとともに、地域社会に学校のもつ教育機能を積極的に提供しようとする、また子どもも大人もともに学校を基盤とした地域の社会活動に参加するという一連の教育運動の総称であるが、今まさに人権教育の視点からこの理念の実現を図るべきものと考える。
D 特定職業従事者への人権教育の課題
国連は「社会的に弱い立場の集団に特に焦点を当てる」こととともに、「人権の実現に影響力を持つ特別な立場にある人々に対する研修に特別な注意を向ける」ことを求めている。これを受け日本政府は「国内行動計画」において「特定職業従事者への人権教育の推進」を掲げたが、先の『推進状況』では、医療や福祉分野、法務分野(入管事務所ふくむ)、労働分野(職安職員ふくむ)、公安分野(警察・自衛隊ふくむ)、海上保安官など運輸分野、学校教育および社会教育関係者などの専門職員への人権教育を実施しているとするが、従来の研修をそのまま継続しているところがほとんどで、「国内行動計画」策定にもとづいて新たに内容を充実したところは見当たらない。マスメディア分野の人権教育についても『推進状況』では、「放送事業者の自主的取組」を紹介するとしているが具体的内容は不明であり、実態把握がほとんどなされていない。日本においては、「人権教育を促進するためのマスメディアの役割と力量を強化すること」(国連事務総長報告)という国際社会の期待には全く応えられていない状況にあり、マスメディア関係者のいっそうの奮起が求められている。
国家公務員上級職や警察職員、医療関係者、教育関係者、マスコミ関係者などの特定職業従事者が当事者となる人権侵犯事件もあとを絶たない状況にあり、すべての特定職業従事者への人権教育の推進のためには、国や自治体の責務として人権研修を義務付ける新たな法的措置が求められている。
(2)人権教育・啓発をさらに発展させるための5つの原則と7つの提言
1 求められる人権教育発展の5つの原則
@ 人権教育の定義と人権学習、学習権および人権文化の創造
1993年6月の世界人権会議(ウィーン)で宣言とともに出された行動計画においては「D.人権教育」で、「国家は非識字者をなくすために努力し、人間性を十分に発達させ、並びに人権及び基本的自由の尊重を強化する方向で教育を推進しなければならない」(ハ゜ラ79)とし、「人権分野における教育活動を促進し、奨励かつ、およびこれに焦点を当てるために、人権教育のための国連10年の宣言が検討されなければならない」(ハ゜ラ82)と結んでいる。
1994年12月23日、国連は第49回本会議において「人権教育のための国連10年」の総会決議をおこなった。そして、この決議文の中で、前年の総会の要請に従って提出された事務総長の「行動計画」に関する報告を受け、「すべての加盟国政府に対して、行動計画の遂行に貢献するとともに、非識字克服のための諸活動をさらに高め、教育が人格の完成ならびに人権及び基本的自由の尊重を指向するよう努めることを呼びかける」と記述している。
以上のことを勘案すると、人権教育のための国連10年における「人権教育」とは、「人権のための教育」を意味するものであり、それには非識字克服に象徴される「人権としての教育」(教育を受けることが人権、人権が守られた状態での教育過程の展開)と、「人権についての教育」(人権とは何かの学習、人権を守り育てていく人間の育成)の両側面があるものと解釈できる。
また、人権教育のための国連10年の成立には、上記の世界人権会議(ウィーン)の勧告とともにユネスコの永年にわたる取り組みと国連への働きかけがある。そしてこれまでのユネスコの関係文書を集約すると、次の2つの視点が見られる。
a) 人権教育が国際理解、協力、平和、基本的自由と民主主義のための一環であること
b) 人権教育(人権の教授)が正しいとされる結論の注入にならずに、学習者の生活、知識、自由で創造的な行動への参加と結びつくこと
特にb)の視点から人々の主体的な行為として、かつ学習する権利(学習権宣言)としての「人権についての教育」については、むしろここで「人権学習」という言葉を用いるのが適切であると考える。そして人権学習は、人権としての学習=学習権の承認が不可欠の前提になることが、明確にされるべきである。
また、国連事務総長の行動計画には、人権教育(学習)の定義(目的)として、「人権という普遍的文化を構築するために行う.....」とある。この「人権という普遍的文化」について、行動計画のなかの課題や、1993年のユネスコ「人権と民主主義教育のための教育に関する世界行動計画」を参照すると、「人権侵害を廃絶し、民主主義、開発、寛容および相互尊重に基づく」その人類共通の理念が、それぞれの民族の文化(生活形成の様式)となっている地球社会の構築、言い換えると普遍的な人権の理念が地球上の各地で地域社会の人々の間に定着し、お互いの人権を尊重し、実現を助けあうことが日常生活のなかの習慣(文化)になっているような世界を作ろうということと解される。この意味において、人権学習者をも主体とした人権文化の創造が、人権学習にとっての不可欠な構成要素となる。
A 生涯教育(学習)としての人権学習
1994年12月23日の「人権教育のための国連10年」に関する国連総会決議は、「人権教育とは、あらゆる発達段階の人々、あらゆる社会層の人々が、他の人々の尊厳について学び、その尊厳をあらゆる社会で確立するための方法と手段について学ぶための生涯にわたる総合的な過程である」とも記している。またこの総会に提出され確認された国連事務総長の「人権教育のための国連10年(1995―2004年)行動計画」には、「人権教育―生涯学習」という副題がつけられている。
以上のことから、「人権教育のための国連10年」の「人権教育」〈人権学習〉は、「生涯学習」であり、これはユネスコの生涯教育政策と深い関連性を持つものと解される。
人権教育という言葉が公的に国際会議で用いられたのは、1978年9月12〜16日にウィーンで開かれたユネスコ主催の「人権の教授に関する国際会議」であると考えられるが、その最終文書には、「人権の教授と教育は、学校教育、学校外教育のあらゆる段階で展開されることによって、本当の意味での生涯教育に組み込まれることになる。また、それによって、あらゆる国のすべての男女が、その法的、社会的および政治的地位にかかわりなく、人権の教授と教育に参加できるようになるべきである」とある。
そして、この生涯教育とは、ユネスコ総会及び国連総会で採択された「人の一生という時系列に沿った垂直的次元と、個人及び社会生活全般にわたる水平的次元との双方において必要な統合を果たそうとする教育の基本原理」を意味するものであり、それは21世紀に向けての学校教育と学校外教育の統合・再編成、今日の教育の構造自体の抜本的改革を目指す理念とそれにもとづく政策であると解される。
国連およびユネスコは、教育を基本的人権として捉え、この生涯教育政策もまた人権保障の理念と深く結びつけて展開されてきたが、人権教育のための国連10年にあたり、人権教育(人権学習)を生涯教育・生涯学習として位置づけ、その視点を重視していることが分かる。したがって人権学習の推進にあたっては、乳幼児期から高齢者までの人権学習、学校および学校外教育における人権学習、および市民や民間団体・人権学習NPO等と公教育における人権学習との協力、統合が求められている。
なお、ユネスコは、この理念及び施策を生涯教育と呼んでいるが、わが国やアメリカを含むいくつかの国では、人々が自らおこなう活動の側から「生涯学習」という言葉を用いている。また、この文脈でユネスコの人権教育関連文書を見ると、「人権教育(人権学習)とは、……一人ひとりが、人と人、人と自然との関係を育て、自分を発見し、文化を創造する主体的行為を享受する営みであって、外から結論を強制されるべきものではない」という論旨を読み取ることができる。
B 「自分さがし」としての人権学習
日本においては、第二次世界大戦後、人権意識発展の客観的基盤である商品生産社会、個人契約社会が高度に発展してきた。同時に、地域、企業、イエなどの伝統的共同体の規制や「横並び」「世間体」などの規制意識が存続しており、個人の自由と自立を妨げる状態が、依然として一掃しきれてはいない。そこで、現代日本社会において人々は、個人の自由を妨げる古いタイプの共同体規制等と葛藤しつつ、自己責任にもとづく自己決定によって自分の人生を選択する事が避けられない。そして、新たな人と人、人と自然とのつながりという意味での新しい共同体創造をめざすという、歴史的社会的状態に置かれている。
一人ひとりの生活者・学習者にとってみれば、この過程は、さまざまな希望や夢、疑問、不安をもち、成功や失敗を体験しながら、人々、社会、自然と出会い、自然や人々の歴史の中で自分自身をさがし、自己実現をとげ、ネットワ-クを広げてゆく「自分さがし」の旅である。この「自分さがし=アイデンティティ確立」の旅の過程で、人々は自分自身の人としての尊厳や権利、人間が自然の生命体の一部であるという生態系の意味や自然との共存の大切さを自覚する。それが、自由と権利についてのさまざまな知識の吸収、他の人々との経験の交流、自然との対話等を促進する。そして、かけがいのない個人として、自立しつつ人々や自然とともに生き、死んでゆく楽しみや苦しみを味わいながら、自分自身に即した人権の感覚と認識とその表現の展開・修正作業をおこなっていく。
この過程においては、一人ひとりが、自分自身の生い立ちや生活や文化への関心の特殊性・個別性を自覚し、かつ地域や日本、アジアや世界、地球や宇宙につながる、人としてまた生命体としての普遍性を探求し、個性的な視野と人格とを培ってゆく。そしてそれがすべての人にとって可能となるように、互いに尊重しあい、互いの違いと共通点を認めあい、確かめあっていく。したがって、この「自分さがし」の旅は、きわめて個性的主体的である。それは、自分とは違った他者の中に共通点と違いを見つけそれを味わっていく「自分たちさがし」の旅でもある。それはまた、自立した個人の協力過程によって不断に再創造される成熟した市民社会、自然と人間との共生という人類共通の課題に沿いそれを推進するものでもある。したがって「自分さがし」「自分たちさがし」としての人権学習は、他者理解および「相手の立場に立ってものを考える」人権学習と本質的に不可分である。
この意味で、人権学習は、主体的な「自分さがし」、個性的な教育と人格の発展・成熟、市民社会の成熟と自然と人間との共生など、現代日本社会が避けて通れない諸課題にとって、不可欠な生涯学習の重要な柱でもある。
C 人権の普遍性と東アジア的特殊性への留意
人権の普遍性の基礎は、市民社会の成立すなわち商品生産社会の発達による共同体規制からの自由と利害調整システムの必要性の自覚にある。歴史的に見れば、市民社会はヨ−ロッパにおいて他の地域よりも早く発達し、その後、アメリカ、東アジアにも広がってきた。それは、自由を求めるものから生活・文化の充実を求めるものへと発展してきた。そして、差別の撤廃や戦争廃絶を求めるものから人と人の自主的なコミュニケーションを実現するものへ、快適な環境を求めるものから自然と人間との共生を求め、それらすべてを通じて「自分さがし=自己実現」を求めるものへと今日もなお発展している。そしてこのような人権の普遍的発展に対して、日本の人権運動や人権教育もまた積極的に貢献してきたといえる。
しかし歴史を振り返ってみるとき、日本をふくむ東アジアにおいても、人としての自覚や人の平等性に関する観念は早くからあったが、人としての普遍的な権利、人権にもとづく法の観念には結晶しにくい要素が存在したことも事実である。たしかに、稲作共同体と国家の伝統が長い日本をふくむ東北アジアのいわゆる「中国文化圏」「儒教文化圏」では、人として互いに尊重しあう「仁」の思想、相互扶助、自然との共生の文化的伝統が強いという積極面がある。しかし、共同体規制と「タテ社会」から個人が自由になりにくく、権威主義、血統主義や男尊女卑などの観念が長く温存されやすい、という消極面が現在あることも否定できない。
また、学習に関して考える際に、東アジアでは「学」あるいは「学習」という行為が、権威あるテキストを記憶し、権威ある先生の話を聞くこととされる伝統が強いことに留意する必要がある。そこには、識字率の高さによって、文字を媒体とした学習が比較的容易に広がるという積極面がある。しかし、「学習」が権威主義的な詰め込み、文字・言葉中心主義になりやすく、多面的で創造的なものになりにくい弱点がある。人権学習についてもこの長所と短所と無縁ではないので、各種メディアの積極的活用と権威主義の克服、疑問をもち自ら創造的な答えを生み出す自発性の奨励が求められる。
以上、日本において人権学習をすすめるときには、日本の人権運動や人権教育も貢献してきた地球市民社会に必要な人権の普遍性の発展的な姿に留意すべきことはいうまでもない。同時に、東アジア的な歴史と文化の特殊性にも留意することもまた大切である。人権の普遍性を十分考慮しない東アジア的なものの強調は、結果として人権抑圧の正当化につながりかねない。同時に、東アジア的土壌と伝統を無視した直輸入的な人権教育は、現実に突き刺さらないタテマエに終わりがちだからである。
D普遍性をふまえた日本的人権・人権教育探求の必要性
歴史をふりかえってみると、欧米に比べて急速に近代化を押し進めざるを得なかった日本や東アジア諸国・諸地域では、市民社会に通じる普遍的な人権をめざす運動が強力に展開されてきた。しかし同時に、人々の自由を規制したり、差別的な階層秩序を維持強化する権威主義的、血統主義的、国家主義的、神秘主義的、男尊女卑的、文字中心主義的な文化・社会意識が、権力によって意識的に使われてきた。また日本においては、神道などにおいて「ケガレ」意識が温存されてきた。戦後そのことは社会的に批判を受け改善されてきたが、現在でもその傾向が残っていることは否定できない。こうした否定的な歴史の残滓を、今後とも注意深く取り除く努力が、日本の人権教育においては依然として重要な課題であるといえる。その観点から、日本の人権問題の独自性、その問題解決のための運動や施策、それを支える教育の歴史を見るとき、部落差別の存在、そして部落解放運動と同和対策、同和教育と人権啓発活動の蓄積等を抜きに考えられないことはいうまでもない。
否定的な歴史の残滓を取り除く上では、対案の提示を含めた適切かつ十分な批判が重要である。この点で、国家神道と結びついた特殊な形の「道徳」がとくに戦争中に死を強制したことに対する批判が十分適切でなかったことには、注意が必要である。戦後の教育において学校をふくめた公的な教育現場で生きることの価値を強調した点はきわめて重要である。その反面、「人間は生まれて死ぬという存在である」という絶対的な真実や、高齢者や病気、事故などで人々が死ぬことに対する受け止め方などについての学習機会を、人権学習の視点から十分適切に創造してきたとはいえない。近年の高齢化社会の進展、介護や尊厳死、いじめや自殺、犯罪の凶悪化や低年齢化、地球規模での環境破壊、生命科学と倫理との関係についての議論の進展などによって、日本でも死の実相と意味を知り考える学習が、デス・エデュケーション(死生教育)等を含めて徐々に活発になりつつある。また、自分史を書いて生と死の意味を生活の中で具体的に考え世代間のコミュニケーションを促す学習にも一定の蓄積がある。特定の宗教を信仰として教えることは、とくに国公立学校では厳しく制限され抑制されるべきであることは言うまでもない。しかし、この世に生まれまたその時点から、生きるためには死と向かい合わざるをえない人間の現実と宗教の存在があることに人権学習は留意しなければならない。死の意味を深くとらえることによって、生の価値や環境との調和の大切さが、より深くとらえられるからである。
また、人権教育の歴史を振り返るとき、マイノリティ(少数者)の人権とマジョリティ(多数者)の人権、マイノリティ同士の人権の調整がきわめて重要だといえる。時に個人や集団、地域、国家等のレベルで摩擦が起こることはある意味では避けられないことである。その調整の作業をていねいにおこなう知恵とワザを身につけることが、人権学習・教育全体の発展にとって欠かせない。この点で、近年の部落解放運動の経験をふまえた幅広い反差別の国内的・国際的連帯の動きは注目に値する。
共同体規制からの個人の自立、人の尊厳と権利、新しいネットワークと市民社会の成熟過程、生と死、人間と自然の関係、宗教や心の問題、マイノリティの人権やマジョリティの人権、マイノリティ同士の人権の調整などもふくんで、現代社会に必要な人権学習を進めること。これらのことは、かつての「修身」教育、あるいはそれを引きずったものとしての特殊な「道徳教育」を積極的に批判することでもある。世界全体、東アジア諸国と地域との交流を積極的に進め、日本の歴史と現実の特殊性を具体的に直視し、かつ普遍性に根ざした「人権文化」を創造することが求められている。
人権学習の視野を広げ、歴史的に課題として残されてきたことに積極的に取り組むことは、平坦には進まないであろう。しかし、現代の日本とアジア・世界・地球の現実のなかで生きる私たちにとって必要な人権学習には、このような深さと広がりが求められている。
2 あらゆる場で人権教育を発展させるための7つの提言
人権擁護施策推進法の目的のひとつは、わが国における人権意識の高揚と人権確立をはかる行動力を強化しようとするものであり、まさに憲法の理念に合致するものである。そのためにも、これまでの人権教育・啓発活動の捉えなおしをもとに、学校教育(幼児教育から大学まで)や社会教育をはじめ、職場や家庭・地域などすべての場において人権意識向上にむけた教育・啓発の着実な取り組みの積み重ねと「共生共育」をめざし、住みよい地域社会づくり(人権のまちづくり)とも結合させた新たな推進方策が求められている。以下に「あらゆる場で人権教育を発展させるための7つの提言」を提示したい。
@ すべての分野の教育・啓発・研修活動に人権教育を位置づけ総合行政として推進を
人権擁護推進審議会の現状としては、審議会に「これからの人権教育・啓発のあり方」に関する諮問をおこなったのは文部省、法務省、総務庁の三大臣のみであるが、今求められているのは、すべての省庁のあらゆる教育・啓発・研修・宣伝・情報提供の分野で人権教育をどのように推進すべきかである。「人権教育のための国連10年」に関する国連の行動計画(事務総長報告)が明示したように、文部省、法務省、総務庁以外のすべての省庁が速やかに審議会に追加諮問をおこなうとともに、すべての分野の教育・啓発・研修活動に人権教育を位置づけ、人権教育・啓発のこれからの方策を討議すべきである。それは、国会などの立法府や裁判所などの司法関係機関における人権教育・啓発の推進も視野に入れたものでなければならない。
まず政府としてすべての分野の教育・啓発・研修活動に人権教育を位置づけ総合行政として推進するための体制を整備し、あらゆる階層の、あらゆる人びとを対象に、被差別者の思いに結びついた人権教育への内容創造の努力が必要である。そのためには、すべての省庁がそれぞれの所管事項の中で必要な事項を検討するとともに、政府全体として新たな法的措置や行財政措置を含めた人権教育推進方策確立への総合調整がまず第1に求められているところである。
A すべての分野で人権教育を推進するための人権学習推進基本法の制定を
すべての省庁のすべての分野で人権学習(教育)を推進するためには、総理府内政審議室(行革後は内閣府)が担当する「人権教育のための国連10年国内行動計画」推進本部の機能を高めるとともに、この国内行動計画の推進を国や自治体に義務付ける人権学習推進基本法(仮称)などの法的整備が不可欠である。
まず総理府内政審議室の体制や役割を強化し、各省庁のおこなう人権教育・啓発関連施策の総合調整ができる権能を付加し、各省庁は、分野別・テ-マ別に人権教育・啓発の実施計画を策定し、省庁間での関連施策の連絡調整の任務を全うしなければならない。これらの課題については、2000年に予定される「国内行動計画」の中間見直しまでに必要な改善をおこなうことが国際的にも求められている。
その際、同和教育運動をはじめとして環境教育や開発教育、国際理解教育、多文化教育、ジェンダー教育など、さまざまな面で人権運動・人権学習(教育)に取り組んでいる民間団体・市民運動(NPO)の成果を大切にするとともに、人権学習NPOがその学習(教育)プログラム開発能力を高められるように積極的に支援すること、公的機関と人権学習NPOとの協力関係を教育基本法の精神にのっとって進めることが大切である。
なお、マスコミにおける人権教育・啓発の取り組みの現状は、あまり情報公開されていない。すべてのマスコミで人権教育・啓発の取り組みをよりいっそう発展させる必要があり、メディアを活用した新たな人権教育・啓発の教材や手法の開発など、その社会的役割の発揮が期待される。
B 人権学習スタイルを転換し、一人ひとりを主人公に「知識伝達型」から「参加体験型」への転換を
国家公務員上級職や医療関係者など特定職業従事者への人権教育・啓発は、先に見たとおり質、量ともに不十分な現状にあり、この分野では普遍的人権思想と具体的人権問題を知識伝達型でみっちりと学習することはますます重要である。
一方、市民を対象とするこれからの人権教育では、正しいとされる結論の注入にならずに、学習者の生活、知識、自由で創造的な行動への参加と結びつくことが大切であり、人々の主体的な行為として、かつ学習する権利(学習権宣言)として「人権学習」として展開されなければならない。そのためにもこれからの人権学習は、ひとりひとりの学びの過程(プロセス)を重視し、「人権を抽象的な規範の表明としてではなく、自分たちの社会的・経済的・文化的・政治的な生活現実の問題としてとらえるような対話に学習者を導くための手段や方法をさぐる」(国連事務総長報告)ために、新しいタイプの教材の開発や、人権を守る行動への参加を促進する参加体験型学習手法を積極的に活用することが大切である。なおこのことは、普遍的人権思想などの知識伝達型学習をすべて否定するものではないことは言うまでもない。この点で、すべての学校教科書、副読本等において人権(国際協力・平和・環境・開発)学習の視点から、叙述の抜本的充実が求められている。
ところで人権学習は、自然や社会、他者との関係における主体的な「自分さがし」であり「自分たち探し」でもある。したがって、子どももふくめてすべての学習者が、自分自身が自分の主人公であり権利行使の主体であるという意識のもとに互いの人権を認め合う学習を進めていくことが必要である。そしてそれは、人権侵害された当事者を対象とする場合は当事者のエンパワメントが重点となるが、それ以外の多くの市民を対象とする場合はそれぞれの持つ偏見やステレオタイプ、差別意識に自ら気づくと同時に、「自分の場合」に現れた人権侵害にも気づくことが大切である。そして、そのような偏見や差別意識、自らの人権への無関心を変革することに主眼が置かれるべきである。その際、学習当事者がその加害性と被害性との複雑な関係への自覚を高めるには、人権侵害の被害者が人権学習にかかわり、当事者の口から事態の深刻さと学習当事者の問題点を語ることが効果的である。これらも、人権侵犯事件の解決の中で、参加体験型の人権学習を進めるひとつの手法である。
さらには近年、リバティおおさか(大阪人権博物館)など人権問題を主要テーマにした博物館・資料館が続々と開館し、「人権資料・展示全国ネットワーク」を形成し経験の蓄積を進めている。ここでは、展示手法などを視聴者参加型に改善して、新しい人権学習の場として大きな効果を発揮している。これらの博物館・資料館などの施設活用も有効な参加体験型学習手法のひとつである。
以上のような、一人ひとりを主人公にした「参加体験型」学習手法やカリキュラム開発を促進することこそ、国や自治体の責務である。
C 教育や労働や医療・福祉、まちづくりなどの個別分野別の法的措置・行財政的措置、税制措置の新設を
今日の人権行政はある種の行革を必要としている。人権行政を法務省の人権擁護局の所管事項に限定するのではなく、より広範囲の行政の課題として再編成することが必要である。とりわけ教育や労働や医療・福祉、まちづくりなどの分野別で具体的に人権行政を推進するための法的措置・行財政的措置、税制措置が求められている。
教育分野の人権行政は、主として文部省の所管であるが、ここではすべての学校教育と社会教育で人権教育を推進するための基本方針を都道府県・市町村教育委員会が策定することの義務付け、すべての学校と社会教育機関に人権教育推進担当者の設置と研修の実施及び人的配置の義務付け、などを推進するための法的措置・行財政的措置が必要である。
労働分野の人権行政は、主として労働省の所管であるが、労働関係職員への人権教育の実施の義務付けとともに、すべての企業に公正採用選考人権啓発推進員の設置と人権教育の実施を義務付ける法的整備が必要である。
医療・福祉分野の人権行政は、主として厚生省の所管であるが、ここではすべての医療・福祉関係職員への人権教育の実施の義務付けとともに、医療患者、高齢者、精神及び身体障害者、子ども、HIV感染者、同性愛者、らい(ハンセン病)患者、アイヌ、中国帰国者、などへの施策の中に人権教育を位置付ける新たな法的整備が必要である。
人権のまちづくりの推進は、主として建設省と自治省の所管事項であるが、厚生省、農水省をはじめ多くの省庁がかかわる課題でもある。国連人間環境居住会議(ハビタットII)は「居住は人権である」と宣言し、すべての人々への住宅の保障を国の責務とした。各地で相次ぐ高齢者や障害者、単身女性、外国人、難病患者、同性愛者などへの入居差別を撤廃するためにも、新たな法的整備が必要である。また人権が豊かに保障されたまち(地域)づくりは自治体の固有の責務であり、それを支援するのが自治省の果たすべき役割である。「人権のまちづくり」を進める自治体の人権政策を積極的に支援するための新たな法的整備と行財政的支援が強く求められるところである。
D 国・都道府県レベルでの人権(国際協力・平和・環境・開発)教育教材支援センタ−の充実・設置を
国連は「すべての国に、市民が利用できる人権情報センターを設置すること。すでにこのようなセンターが存在する場合は、国レベル、地方レベルでの人権教育を支援する力量を強化するための具体的手段をとること」(国連事務総長報告)を求めている。
文部省所管の国立教育研究所や社会教育研修所など国レベルの既存の研究機関が人権教育・啓発の課題に取り組むよう充実・改善するとともに、(財)人権教育啓発推進センタ−に対する公的支援を強化し、人権(国際協力・平和・開発・環境)教育の教材開発等に関するナショナルセンタ−として抜本的に充実させる必要がある。
また、都道府県レベルでも、既存の教育研究所や教育センター、文化情報センターなどを充実・改善するとともに、国と同様の人権教育情報センタ−を充実・設置する必要がある。この人権教育情報センタ−の充実・設置に際しては、従来からよく見られがちな退職者の天下りをおこなわず、実力のある若手の研究員を積極的に配置することが不可欠である。以上のことを推進するための法的措置、行財政的措置、税制措置を、国及び自治体は積極的に講じるべきである。
E 人権教育を担いうる人材養成システムの改善を
国際社会は「人権の実現に影響力を持つ特別な立場にある人々に対する研修に特別な注意を向ける」ことを求めている(事務総長報告)。21世紀の人権教育・啓発を担いうる人材の養成を国として最大限重視するため、当面以下の課題について積極的に推進すべきである。
ア) まず法務省所管の人権擁護委員について、今後5年間に少なくとも毎年1,000人ずつ人権教育・啓発指導者研修を実施し、修了者に資格を付与して、研修講師などに積極的に採用する(認定講習制度の新設)。
イ) 高等教育機関における人権教育を重視し、とくに教員養成、医療、福祉関係職員養成の学部学科などにおいては、人権(国際協力・平和・環境・開発)教育科目の履修を必修とすること。この面のとりくみには、国の指導助言とともに、人権(国際協力・平和・環境・開発)教育講座・科目の開設等をふくめて国立大学や私立大学の自主的・積極的な取り組みが重要である。
ウ) 国家公務員、地方公務員に対する研修を強化し、とくに自立した教育研修が可能になるよう、本格的な指導者研修を充実させること。また管理職登用試験などでも、この研修の履修を条件とすること。
エ) 司法関係者の人権研修を強化し、司法研修所の講義科目に「国際・国内人権法」を設置すること。
オ) 法執行機関職員(検察事務官、矯正施設・更正保護官、入国管理関係職員、海上保安官、消防職員、警察官など)に対する新規の人権研修プログラムをおこなうこと。
カ) 自衛官への人権研修を充実強化すること。とくにその研修科目に「国際・国内人権法」を設置すること。
キ) 遺伝子を取り扱うなどの先端生命科学研究者への人権教育・啓発を開始し、遺伝子治療に名を借りた新たな人権侵害や差別の発生を防止するためのガイドラインづくりを進めること。
以上の研修にあたっては、上からの一方的な教育・啓発をさけ、自己の体験を交流しあったり、問題解決のためワ−クショップを導入するなど、当事者参加型のものとすること。公的機関で行う研修には、積極的に市民を講師などに登用すること。また、異業種間の交流を促進するために、企業、地方自治体などの職員研修との合同研修、研修派遣を推進すること。
ク) 立法府(国会議員、地方自治体議員ふくむ)や政党においても人権教育・啓発の取組みを実施するとともに、これからの人権教育・啓発を進めるための諸課題について調査・研究活動をよりいっそう推進すること。
F 市民やNPO活動支援のための人権(国際協力・平和・環境・開発)教育基金の創設およびアジア太平洋地域における人権(国際協力・平和・環境・開発)学習センタ−の設立を
1992年の地球環境サミットの国際合意を踏まえ環境庁は、「地球環境基金」を創設して地球環境を守る市民活動への助成制度を開始した。この地球環境基金を活用した市民やNPO(非営利民間団体)の多彩な自主的活動が発展し、環境を守るための着実な前進を見せている。市民が主人公となった人権教育・啓発活動を発展させるためにも、人権学習や識字・成人基礎教育を推進している市民や民間団体、人権学習NPO(非営利民間団体)の自主的活動を支援するための「人権(国際協力・平和・環境・開発)教育基金」を創設すべきである。
また国連の行動計画(事務総長報告)は、地域的な協力体制の前進についても提起していることをふまえ、アジア太平洋地域の人権教育の発展にむけ、政府、地方自治体、民間の寄付によって、「アジア太平洋地域人権(国際協力・平和・環境・開発)学習センタ−」を設立し、実態調査、教材開発、シンポジウムの開催、出版などの活動を推進することが必要である。調査員、研究員には広くアジア太平洋地域から人材をあつめ、アジア太平洋地域での人権学習を推進することこそ、人権教育の分野で日本が果たすべき国際貢献である。
(了)
<人権フォーラム21教育・啓発部会起草委員>(○は責任者)
○元木 健(川村学園女子大副学長) | 笹川孝一(法政大学教授) |
桂 正孝(大阪市立大学教授) | 川向秀武(福岡教育大学教授) |
石井宣明(日本教職員組合中央執行委員) | 柏木康夫(全国同和教育研究協議会事務局長) |
前川 実(人権フォーラム21事務局) | |
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