2011年総会
2011年12月17日
JCA-NET会員組織の今後についての基本的方向性

JCA-NETは、APCのメンバーとして、インターネットが未だ一般に普及していない初期の頃から、インターネットへのアクセスの権利を促進することを通じて、コミュニケーションの権利を獲得する活動の一翼をになってきた。

インターネットの商用利用が普及し、多くの人々が民間プロバイダーと契約することが比較的容易になってくる中で、ネットワークのユーザが独自の情報発信をする力をつけてきた。市民運動、社会運動、労働運動なども、ウェッブ、ストリーミング、 twitter、facebookなどを駆使した情報発信が活発に行われるようになってきた。他方で、日本は高齢化と格差拡大の中でアクセスの権利についてもその課題の重要性は、以前よりも高まっているという認識をもつべきであるが、同時に、コンテンツへの政府などの規制、捜査機関のネットワークやユーザーの個人情報などへのアクセスと捜査が拡大し、政府の電子政府化に伴う監視社会化、国際的な捜査協力、 WTOや WIPOなどによる著作権強化など、新たな問題が浮上してもいる。

こうした変化について JCA-NETはかならずしも十分に取り組むことができていない。活動の不十分性が会員の JCA-NETの評価にも反映し、会費納入率の低下の一因となっていることを率直に認めなければならない。現在の理事は、それぞれ様々な社会活動を担うかたわら、 JCA-NETの活動にも関わってきた。このことは、 JCA-NETの活動の幅を広げうるものである反面、 JCA-NETに精力を傾注する人材の不十分性をもたらしてもきた。

JCA-NETが抱えてきた会員組織としての独自の活動の弱さは、JCA-NETが時代状況の変化の中でその使命を終えたということを意味しているのだろうか。私たちは、理事会としての活動の不十分さを自覚しつつ、未だJCA-NETはコミュニケーションの権利運動の分野において、他の様々な運動体では果たし得ない固有の活動を担う使命が残されていると考える。

コンピュータ・ネットワークは私たちのコミュニケーション環境の重要な一部をなすが、コミュニケーションは、よりおおきな空間的な広がりと人々の人間関係、社会関係に関わっている。インターネットは、その創始者たちの夢であった国境を超え、政府の規制や検閲を排し、企業の利益に従属するようなことのない自由なコミュニケーション空間にはならず、むしろ伝統的な印刷メディアに比べても監視と規制の厳しい環境におかれ、インターネットが国境を超えるのに合わせて、政府間の国際的な監視網や取り締まりの強化が現実のものとなっている。同時に、デモや集会の規制とネットの規制が相互に不可分の関係をとり相乗効果的に表現の自由を奪ってきていることも最近の中東やアジア諸国の民衆運動への政府の規制の中ではっきりしてきている。日本でも、ネットの規制と住基ネットなどの政府による一元的な個人情報管理から警備公安警察によるネットの監視、盗聴法によるメール監視など、危惧すべき問題が山積している。さらに、経済の新自由主義的グローバル化のなかで、著作権、知的財産権への規制が強化され、人々が共有すべき知と情報が一部の資本や先進国によって囲い込まれるという所得に基づくアクセスの権利の深刻な格差も生じている。

こうした諸々の問題群をコミュニケーションの権利のための運動という観点から取り組む団体として JCA-NETは日本における稀有な存在でありつづけている。この点でJCA-NETには未だに存在理由があると考える。

とはいえ、私たちの力量は極めて限られている。限られた中でできうる限りの挑戦を試みたい。私たちの運動の活性化のための特効薬があるわけではない。ネットワークの運動体として、ウェッブなどでの情報発信を強化し、他の諸団体との連携強化をするなど、特に目新しいことではないが、地道に、しかし確実に私たちでしか果たし得ない活動を微力ながら継続させたい。その中で会員の皆さんの認知を獲得し、新たな会員とのつながりも獲得し、コミュニケーションの権利の闘いを半歩でも前進させたいと考えます。