第九期は、〇四年一〇月一六日の「米軍の再配置と自衛隊の派兵に反対する10・16シンポジウム――韓国・沖縄・神奈川」を機に、「イラクからの自衛隊の撤退と沖縄の米軍基地撤去を求める実行委員会」として正式スタート。期を改める度に行動目標として掲げてきた長い長い名称は、九期で終了となるか? ニュースは『反安保実NEWS』と名称変更し、増ページの充実した内容で六号発行。そして、最終号発行の二〇〇五年一二月一五日でこの期もクローズ。ちなみに、この「クロニクル」のスタートはこの期からだ。一〇年を意識する期でもあったのだ。ついでにいえば、『全国ファックス通信』なきあと、全国各地からの状況・行動報告を発信し続けるぞという意気込みを感じさせる「定点観測」もこの期からだ。ホームページが立ち上がったのも第九期。一〇年目を迎えても運動現場ではいろいろ始まるから面白い。
しかし、状況的には面白い話は一つもない。第八期を閉じる直前か直後の八月一三日、沖縄普天間基地の米軍ヘリ墜落事故。実は九期の実質スタートは、「米軍ヘリ墜落事故を糾弾し、普天間基地の即時使用中止、辺野古の海上基地建設白紙撤回、イラクからの米軍撤退を要請する!」抗議・要請書をひっさげた、アメリカ大使館への抗議行動からであった。「辺野古への海上基地建設・ボーリング調査を許さない実行委」メンバーとともに九期準備会として取り組んでいる。また、九期スタート直後の一〇月二七日、イラクで香田証生さんが拘束され、小泉政権は見殺し方針を出した。沢山のものがねじ曲げられる決定的瞬間だった。ひとの命よりも「国益」優先を露骨に掲げる政府と、それを支持する言論づくりのマスコミ。世論はそちらに大きく流れるか無関心を装うかのどちらかで、香田さんは殺された。実行委は即日「見殺し政策をやめ、イラクからの自衛隊即時撤退を!」の緊急声明を出したが、実際のところ力はなかった。九期スタート時の状況とはこのように酷く、また、自衛隊の第四次派兵の直前でもあった。
発足一ヶ月後の一一月一二日には、「自衛隊はイラクへ行くな!すぐかえれ! 第四次派兵を許さない!」防衛庁抗議行動。「イラクへの第四次派兵を中止し、即時撤退を求める申入書」を提出した。防衛庁抗議行動は、全国の反基地運動に呼びかけながら延々反安保実が取り組んできた行動であるが、この期も派兵の度に行った。派兵はこの期に八次まで進み、また、「テロ特措法」延長により、米軍の侵略・占領政策への支援として自衛隊の海外活動が延長された。この一年間は、さらなる派兵の恒常化と世論的な無関心との闘いの時期でもあり、何ともつらい時間帯であったように記憶する。だからこそ、防衛庁と政府への行動をやめるわけにはいかないという思いが、ニュース紙面からは読みとれる。
第九期実行委が取り組んだ行動は、第四次〜八次派兵に対する防衛庁行動(五回)と、自衛隊法改悪に反対の声を上げるための防衛庁行動。防衛庁等に提出した抗議・申入書は一六文書。そして声明六文書。よく出しているなあ、と感心。シンポジウムも三回開催。
この期は天皇制再編の大がかりな始まりの時と重なり、私自身は圧倒的にそちらに時間とエネルギーをとられた。また、憲法改悪のための国民投票法、そして国民保護法、共謀罪、教育基本法改「正」法案等々の悪法制定策動にも、私たちは悩まされていた。どれもこれも無関係なはずがなく、深刻な状況であるにもかかわらず、どの運動もお互いに運動としてまともにコミットメントできない状況を強いられていた。今こそ反安保だろうが、といえるその時期に問題の核心はなかなか伝わらず、反安保実は歯ぎしりの日々ではなかったか。この状況は、今はさらに極まっている。気分はドンドン暗くなるばかりだ。
しかし、ニュース最終号の「第9期の総括と第10期へ向けての『往復書簡』」(天野恵一+国富建治)では、こんな状況の酷さに気分の暗さあまり感じさせない。むしろオヤジたちは妙に明るい。そしてニュースに現れる基地を抱える現地は、とにかく頑張っている。活動のただ中で、暗くなっている暇などないのだった。活動と具体的な交流を通して明かりも方法も見つかるのだ。そのための実行委でありニュースである。かくして反安保実は現在の第10期へと進んだのだった。クロニクルづくりで暗くなっている場合ではなかった。おしまい。
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