反安保実 NEWS 第6号
第9期の総括と第10期へ向けての「往復書簡」
      ●天野恵一+国富建治(事務局)
 

 国富さん。
 「新しい反安保実」の九期を閉め、一〇期をスタートさせるための事務局内部の討論を紹介するために、私とあなたの往復書簡風なものをこのニュースに、というはめになりました。しかし、なにせ経験のないことゆえ、なにを、どんなふうに書いていいのかとまどっていたら、時間がたってしまい、第一便が遅れてしまいました。あいスミマセン。とにかく書きます。
 私たちの「実行委」は派兵国家化へ向かう日本の中で、反戦・反派兵の運動を、それを加速している元凶、日米安保体制への批判を忘れずに、持続することと、高揚しだしていた沖縄の反基地闘争への連帯をめざすことを二本の軸として結成されました。この間、私たちは何度も沖縄現地の闘いと合流する運動をもつみあげ、今期は「沖縄・一坪反戦地主会関東ブロック」の呼びかけでつくられた「辺野古への海上基地建設・ボーリング調査を許さない実行委員会」に積極的に参加し、辺野古の人々の本当に体をはった海上のボーリング阻止行動を「支援」する運動をになってきました。
 また、反戦・反派兵という課題については、派兵現地と交流しつつ、全国の反派兵の声を連絡しまとめて防衛庁にぶつける行動を、第八次(熊本)派兵まで持続し、今第九次(東部方面隊)派兵に対する抗議の闘いに突入しているわけです。
 この大衆運動が大後退期においこまれる状況のなかで、お互い老骨にむち打って、よく闘ってきたわけですが、事態はヒドくなる一方であることについては、ここであなたに説明など不要でしょう。
 ついに、「自衛軍」保持を明記し、海外派兵を当然とする「自民党新憲法案」が示され(一〇月二八日)、その直後に攻撃(侵略)をくりかえしている米軍とともに日本軍が戦闘できるシステムへ日本の基地・軍隊を再編するプラン(2+2の「中間報告」)も公然と示されました(一〇月二九日)。
 この二つを重ねることで見えてくる日本の未来は、死傷者の山をつくりだす国家・社会です。
 かつて、戦中派の方々が反戦集会などで、「大きな石が坂道をころがり出したら、もう押しもどし止めることはできない。だからそうなる前に止めなければならない」とよく発言していたことを思い出します。しかし、私たちの必死の努力にもかかわらず、どうやら石は坂道をころがり出してしまったようです。ただ、まだフルに加速されてはいません。おそらく「改憲」が加速のステップでしょう。まだ石に押し殺されないで闘う条件は広くあります。とにかく、やれることはなんでもやってみるしかないと決意しています。オット、私の個人的な決意など書いても意味がありません。まず、沖縄の闘いとの「連帯」をめぐって気になっている事からはじめます。
 スタートの時点でその「連帯」はすでにあるものではなく、へたをすれば沖縄の人々のエネルギーを「本土(ヤマト)」の私たちが政治主義的に利用するものになってしまうという危険もあることに、それなりに私たちは自覚的でありました。米軍基地を沖縄に集中させている、沖縄を構造的に差別している「本土(ヤマト)」の人間(運動)という事に無自覚でまともな「連帯」はありえない。こうした点をめぐっては、よく討論してきたと思います。
 しかし、海上基地づくりのためのボーリング調査の阻止は実現しても、沖縄の人々の頭ごしに、さらに基地・軍隊を押しつける日米両政府に対する沖縄の人々の、あたりまえの怒り、それは「反ヤマト」感情として深化・拡大している事を、この間、さらに実感せざるをえません。
 ヤマトに米軍基地を持っていく運動をしないヤマトの反戦運動などは、植民地主義の意識そのものだという非難が満載された本も出版され、それが沖縄の反基地闘争の渦中にいる人々にも好評であるという現実を忘れて、今私たちは、沖縄の反基地闘争との「連帯」を語ることはできないでしょう。由井晶子さんも「『負担軽減』よりも『抑止力』」(『季刊ピープルズ・プラン』32号)で沖縄の中での論議を紹介しています。
 沖縄の人々がここから基地を持ってけと要求するのは当然の権利であるが、私(たち)は基地の誘致運動をすることだけはできない、そうしたら反戦運動でも平和運動でもなくなってしまう、そういう原則で考えてきましたね。
 それを前提にして、今の状況で、あなたがこの問題をどんなふうに考えているのか、あらためて質問してみたいと思います。
 国富さん、もしかしたら、答えにくい嫌な質問だったかもしれません。そんなつもりはなかったのですが、書き出したら、やはり気になっている問題がストレートに出てしまいました。お許しください。
天野恵一
*   *   *
 天野さん。
 原稿はほぼ毎日書いているのに、手紙となると急におっくうになり、ほとんど書かない私が、こともあろうに天野さんへの返事を書くことになるとはね。
 送られてきたばかりの『ピープルズ・プラン』32号の由井さんの文章を慌てて読みました。天野さんから、新たな形でじわじわと拡大している激しい反「ヤマト」意識について幾度か聞いていましたが、由井さんの文章を読んで、それが沖縄の活動家にも深い分断を持ち込んでいることを実感しました。私たちがつきあっている沖縄の人びとの「ヤマト」活動家への気遣いに甘えていてはいけませんね。
 ほぼ同時代を歩んできた私と天野さんですが、自分の活動と沖縄とのかかわりで言えば、大体三つの転機がありました。第一は、一九六〇年代から七〇年代初期にかけた全共闘運動と沖縄の基地撤去・「本土復帰」闘争の高揚期です。私はその頃に初めて、戦前・戦後を貫いた「ヤマト」と沖縄の植民地的関係を知り、沖縄の闘いが決して日米安保問題に解消されないことを知りました。
 第二の転機は、天野さんたちと一緒に共同行動を担うようになった一九八七年の裕仁訪沖問題の頃です。その時私は、「ヤマト」\沖縄の支配関係の植民地的構造にひきつけて問題をとらえようとする以前の問題意識が清算されてしまっていたことに改めて気づきました。知花昌一さんの「日の丸」焼き捨て裁判闘争を支援するために初めて沖縄に行ったのは一九八八年でした。
 第三は、一九九五年の少女レイプ事件を契機にした闘いの高揚の中で、知識人を中心に噴出した「独立論」をどう捉えるかでした。私は沖縄の「自決・自治」論を受け止めながら、政治的結論としては新崎盛暉さんの「居酒屋独立論批判」の方が正しいと考えました。
 一九九七年だったと思いますが、SACO合意に基づいて普天間基地の「県内移設」が焦点になっていた時、「ACT」紙に依頼されて文章を書いたことを思い出しました。それは確か新潟のTさんが普天間代替基地の「本土移設」を打ち出し、「本土」から自分たちで引き受けるという手を上げるべきではないかという主張をしたことへの反論としてです。私の意見をかいつまんで言えば、その意見は基地問題という政治の文脈に移してみれば余りにも「非現実的」であり、「本土」の活動家にとっては沖縄の痛みを理解しようとしているという「自己慰撫」の役割しか果たさないのではないか、という趣旨です。Tさんからの反論もいただきましたが、私は今でも基本的にその考えは間違っていなかったと思います。
 ただ現在の沖縄の「ヤマト」への拒否感が、この間の米軍再編問題を通じて、より根深くなったことを自覚せざるを得ません。米軍再編は、もちろん沖縄だけではなく「ヤマト」をも直撃しているのですが、沖縄的には、「負担軽減」といううたい文句とはうらはらにいっそうの重圧が強制されることになるため、「本土」とのギャップの固定化を意識せざるを得ないのでしょうか。
 「米軍再編」という敵の側が作り出した分断は、もちろん「本土」の運動の現実によっても支えられています。しかし私たちの側が、反「ヤマト」感情に乗り移ることなどできません。相互の緊張感を持ちながらどのように討論し、実践していくべきなのか。やはり沖縄を軸にトータルな枠組みの中で、米軍再編を捉えていくことが必要ですが、そのあたりはまた次の返事で。
国富建治
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 国富さん。
 あなたの返事を読んで、私も学生運動の時代の事を思い出しました。一九七〇年前後の復帰\返還運動の時代、あの激動の時代です。私もその時はじめて沖縄の闘いにふれて問題を考えだしました。いろいろなジグザグはあったのですが、私は結局のところ当時、沖縄から発せられる「反復帰\\沖縄自立論」に一番共感するという結論におちつきました。代表的な論者を一人あげれば新川明さんということになるでしょう(ヤマト側の論者としては森秀人さんの沖縄論ということになります)。
 ところが、ヒロヒト天皇訪沖反対行動から知花昌一さんの「日の丸」焼きすて裁判支援という八〇年代後半の運動をくぐり、九五年の少女レイプ事件を契機にした沖縄の反基地闘争の高揚につき動かされて「反安保実」をスタートさせるという活動を通して、何度も沖縄に行くようになり、現地の闘いとの交流が深まるとともに、私は、自分の学生運動時代の認識の「観念性」に気づきだしました。そのことをへて、九〇年代後半の「独立」論議の時は私も「沖縄の『自決・自治』論を受け止めながら、政治的結論としては新崎盛暉さんの『居酒屋独立論批判』の方が正しい」という認識をもつようになりました。復帰運動のイデオローグであり、反戦地主会の闘いを持続している新崎さんの仕事全体(理論と実践まるごと)を歴史的に検証することで、自分の認識の転換の意味を思想的に対象化する作業もしてみたいという思いも強まりました(まだ果たせていません)。
 さて、そんな私も「私たちの側が、反『ヤマト』感情に乗り移ることなどできません」、「相互の緊張感を持ちながら」、トータルな米軍再編と対決していくしかない、というあなたの主張に、賛成です。
 国富さん、私は最近、竹内好の六〇年安保闘争の渦中での発言である「基本的人権と近代思想」(一九五九年一二月の講演・『不服従の遺産』、筑摩書房・一九六一年、所収)を読みなおす機会を持ちました。そこで竹内は、自分が安保条約に反対する理由についてこのように論じています。
 「根底にある考え方が、強いものと同盟する、強いものとは手を結ぶが、弱いものとは手を結ばない、強いものにはオベッカを使うが弱いものはいじめるというやり方、つまり国際的に対等の関係を認めない卑屈な態度、自立性のなさが不満だからであります。日本の外交にあらわれているこういう卑屈さというものは、おそらく歴史的に形成されたものでありましょう。ちょうど沖縄本島が、薩摩藩に対しては卑屈であるが、奄美大島に対しては尊大であるというような関係が、拡大されているわけであります」。
 竹内は「弱きを助け強きをくじく人」というもう一つの日本の伝統に立つべきだとここで主張しています。
 小泉首相のいう「日米同盟」最優先の論理は、竹内のいう「卑屈な態度」そのもの、いや六〇年の時より、より強化されたそれだと思います。そして今、「ヤマト」社会の中心ではそれを「卑屈」と受けとめる感性や論理が失われつつあるのではないでしょうか(「勝ち組」万歳!なのですから)。
 自衛隊がイラク派兵され、「国民保護」を名目にした軍民一体の実動訓練が開始されだしたという状況でも、それへの危機感が薄く、強い軍隊とともに、という気分の方が支配的である恐ろしい現状を、それでも私たちは、どう変えていけるのか。この「卑屈」な文化(論理)の根っこを引き抜くような「日米同盟」(「安保条約」をベースにした「安保」をこえた「安保体制」)と正面から対決する論理と大衆運動を、この局面でこそ、私たちはつくりださなければならないはずです。「相互に緊張感を持ち」ながらの私たちの沖縄「連帯」は、このもっとも困難な課題に、あらためて突き進むという通路をとおってしか成立しないのですから。そして、それだけが沖縄の人々の「気づかいに甘え」ない態度をつくりだすといえるのではないでしょうか。
天野恵一
*   *   *
 天野さんへ。
 こうやってやりとりしているうちに、私は沖縄の人びとの間での「反ヤマト」感情の新しい広がりについて勝手に感じたことをすこし書いてみます。
 一九七〇年代初頭の沖縄での「反復帰」言論と「本土復帰」闘争のダイナミズムとの関連については触れることはできませんが、一九九五〜九六年の闘いの高揚と、大田知事が軍用地強制使用手続きである「公告・縦覧」に応じた以後に生じたいわゆる「チルダイ」現象について、琉大の岡本恵徳さんは次のように書いていました。
 「一時期、『特措法』の改正で抵抗の手段を奪われた沖縄は、『チルダイ(気抜け)』状態になるなどと言われたりしたが、そのことがかえって、復帰運動の先頭に立った大山朝常氏が『独立論』を展開するなど、『自治論』『独立論』に活気を与えるようになったのは皮肉に思える」。「日本の政治が衆目にさらされることになって……国の足許をみすかしてしまったという気分が醸成されたような感さえある」(「沖縄タイムス」97年5月15日)。しかし、この「みすかした」気分は、「ヤマト」からの心情的離反や優位性といった、したたかな気分ではあったものの、けっして積極的な「ヤマト」への闘いという意識を表現するものではないと私は考えました。
 サミットの年、二〇〇〇年に沖縄の論壇で大きな話題となった、高良倉吉ら琉大3教授による「沖縄イニシアティブ」論は、日本がアジア・太平洋の「グローバルパワー」となるために日米安保は必要不可欠であり、沖縄の米軍基地はそのために重要な役割を果たしているのだから、沖縄はその位置を逆手にとって主体的な自己主張をしていかなければならない。というものでした。「チルダイ」以後の沖縄の主体性論は、状況の圧力の中でこうした非常にねじれた形をもとったのです。
 しかし「ヤマトンチュー」としての私の目から見たとき、辺野古の闘い、普天間ヘリ墜落事故以後の闘いを経た現在の「反ヤマト」意識は、「米軍再編」によるグローバル戦争の司令・出撃拠点としての基地強化の中で、違った形をとっているように思えます。それはもっと「闘い」と密着した意識です。だからこそ、沖縄の人たちとの「緊張感」を持ちながらの共同の討論と闘いを積み上げることがいっそう重要になっているのではないでしょうか。
 沖縄の活動家たちは、韓国の米軍基地反対運動との連帯を、自分たち自身の問題として継続してきました。こうしたあり方を「本土」の私たちが自分たちの運動として、沖縄に向けてどう発信できるか。座間、横田、岩国などの基地再編に対する現場での運動を、私たちが沖縄だけでなく、とりわけアジアに向かってどう訴えていけるかが問われているのだと思います。
 かつての「基地撤去・本土復帰」運動の高揚は、世界的なベトナム反戦運動を一つの背景にしていました。「ヤマト」に来る沖縄の活動家たちは、一様に「自分たちの運動を作ってくれ」と言いますね。沖縄の人びとが、韓国に対してそうであるように、自ら連帯を求める「本土」での米軍再編反対運動をどう作り出せるか。そのことが改憲阻止をふくめて、つねに念頭に置かなければならないテーマですね。
国富建治

◆事務局から◆
  新しい反安保行動をつくる実行委員会第9期(イラクからの自衛隊撤退と沖縄の米軍基地撤去を求める実行委員会)の活動は、このNEWS・6号の発行を持って終了します。第9期の活動にご支援・ご協力いただきありがとうございました。私たちは、時を置かず、第10期を立ち上げる準備に入りました。継続されるイラク派兵、米軍再編(日米安保の飛躍的強化)、そして改憲と課題はますます山積みで、深刻かつ重大になりつつあります。第10期への参加・賛同も引き続きよろしくお願いいたします(呼びかけ文を同封しています)。
 今後もめげずに、共ににがんばっていきましょう!

イラクからの自衛隊撤退と沖縄の米軍基地撤去を求める実行委員会(反安保実IX)
 東京都千代田区三崎町3-1-18 市民のひろば気付
  TEL:03-5275-5989/FAX:03-3234-4118 
  メール:hananpojitsu@jca.apc.org
 URL:http://www.jca.apc.org/hananpojitsu/
 郵便振替口座  口座番号:00160-2-36988  加入者名:新しい反安保行動をつくる実行委員会

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