反安保実 NEWS 第3号

【連載】反安保実クロニクル3
第V期 沖縄の反基地闘争に連帯し、新ガイドライン・有事立法に反対する実行委員会('97〜'99)
新ガイドライン関連法に反対して走りぬいた二年間
            ◆国富建治
           
  


 反安保実の第3期の正式名称は「沖縄の反基地闘争に連帯し、新ガイドライン・有事立法に反対する実行委員会」。一九九七年九月七日のデモと立ち上げ集会を出発点に、一九九九年七月三一日の「総括シンポジウム」まで約二年にわたる長丁場の実行委員会となった。機関誌名は「向い風・追い風」で十一号まで出している。
 第3期の実行委員会は、結成直後の九七年九月二三日にニューヨークで発表された新しい日米防衛指針(新ガイドライン)に反対する活動を焦点に据えてスタートした。この新ガイドラインは「周辺事態」をキーワードに、日本領域外の「周辺」(地理的概念ではないとされた)での米軍の武力行使を自衛隊が支援するものであり、海外での日米共同軍事作戦と自治体レベルの「協力」を定めたものだった。
 同時に、前年のSACO最終合意に基づく「普天間基地返還」の代替施設として、名護市東海岸の辺野古に米軍基地を新設する計画に対する現地との反対運動と連帯することも重点課題だった。実行委員会の立ち上げ集会には名護から来ていただいた安次富浩さんと、ピープルズプラン研究所の花崎皋平さんがメインスピーカーになっている。ちょうどこの出発の時期と重なって「米軍への『思いやり予算』を返せ!訴訟」や「97ガイドライン安保・有事法に反対する全国Fax通信」の発行も始まった。
 第3期の実行委員会が始まって三カ月後の一九九七年十二月には名護市住民投票が行われ、新基地建設に反対する住民の明確な意思が表現された。住民投票に連帯する闘いに全力を上げていた私たちは大いに励まされた。現在の辺野古ボーリング調査に反対する闘いの出発点である。
 一九九八年には、一方で名護現地での攻防と連携しつつ、新ガイドラインを実態化していく「戦争協力法案」との対決が大きな焦点となった。この間、第3期の実行委員会は、代々木公園で開催された2・1行動(八百人参加)、4・29行動(九百人参加)などの共同行動の中心を担った。一九九八年七月の参院選では自民党が大敗したことにより、橋本内閣が辞任して小渕内閣が成立し、国会での攻防は新しい局面を迎えた。
 一九九八年九月二十日には、「全国から新ガイドライン安保・有事立法に反対の声を!9・20行動」が五百人の参加で開催されたが、この集会には反安保実が中心的に関わったものとしては初めて共産党と社民党の国会議員が参加して発言した。この野党との接点は、翌一九九九年の「周辺事態法」国会に継承された。九八年九月以後、九九年五月まで、反安保実は全国の仲間とともに四回の全国共同行動を行った。「新ガイドライン関連法」反対全国共同行動の枠組みは、3期が終わった後も、九九年十月に北九州市で開催された「全国交流合宿」に引き継がれ、形を変えて現在まで継続している。
 一九九九年は、ついに「周辺事態法案」などの戦争協力法案が145国会に上程されることになった。反安保実は、周辺事態法案反対の衆参議員面会所での行動を委員会開催日ごとに呼びかけ、国会内の野党の活動と市民の反対運動をつなぐコーディネーターの役割をも担うことになった。周辺事態法案は五月二四日に成立したが、その前日の五月二三日には陸海空港湾20労組などが呼びかけて、五万人の戦争協力法案反対集会が明治公園で開催されている。145国会は、周辺事態法案の成立以後も、会期を大幅に延長して「国旗・国歌」法、住民基本台帳法改悪、盗聴法、憲法調査会設置のための国会法改悪、地方分権一括法などが成立するという「戦争ができる国家体制づくり」の画期となったたため、連日の行動に追われて「向い風・追い風」の発行は九九年三月の第10号以後、最終号の11号が七月に発行されるまで四カ月の空白がある。「息も絶えだえ」の締めくくりであった。

イラクからの自衛隊撤退と沖縄の米軍基地撤去を求める実行委員会(反安保実IX)
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