このコーナーを書くのに当時のニュースを引っぱり出した。中味を読むよりも、「おおっ、若いー」「おおっ、この頃はこの人が……」てなことばかり、しばし遊んでしまった。あれから八年である。メンバーもずいぶん入れ替わった。
さて、終刊号となる八号(九七年七月)に総括座談会と活動日誌が出ている。便利だ(こんな頃から、日誌作りの担当だったんだなぁ。しみじみ…)。こんなクロニクルを書くより、日誌を載せた方が当時の様子がわかるような気がするが、それによると、最初の会議は九六年八月二二日。総括会議が九七年六月二六日である。
この第二期の最大の課題はいわゆる「沖縄特措法」。九月に米軍基地を問う県民投票があり、大田知事(当時)の代理署名拒否があり、一一月に「普天間代替施設」をシュワブ沖に、という報道があり、一二月はSACOの最終報告とペルーの大使公邸占拠事件、年が明けて鳥島の劣化ウラン弾問題、沖縄での公開審理の開始。そこから一気に四月までは、特措法攻防となる。
ビッグイベントは、とにもかくにも九月から始まった「沖縄百万人署名運動」(もはや「百万人署名」というと違う団体を指すんだなぁと、ここでも遠い目…)。これは反安保実とは別の組織として行ない、ニュースも別に作っていたのだが、反安保実のメンバーが何人か、ダブって事務局や作業メンバーに入っていた。正式名称「沖縄の米軍用地強制使用のための特別立法に反対する百万人署名運動」とある通り、沖縄特措法「改正」反対のための署名運動で、全国的なうねりを創り出すことに成功した。翌年二月からは沖縄一坪反戦地主会・関東ブロックの呼びかけで「米軍用地強制使用のための特措法改悪=特別立法に反対する緊急行動連絡会(沖縄緊急行動)」が結成され、反安保実もこれに参加、連日の議面闘争をはじめとする四月の闘争に文字通り、なだれ込んでゆく。
反安保実独自の行動としては、三月のシンポジウム「沖縄・アジアを通して安保再定義を問う」(分科会四つ付き)と五月の「沖縄反戦地主と連帯するツアー」(一五日の嘉手納包囲行動参加がメイン)が大きなところだろうか。また、六・一四/一五に、命どぅ宝ネットワークと日韓連帯共同行動との共催でシンポジウム「沖縄〜韓国〜日本民衆をつなぐシンポジウム」「同フェスティバル」を行なっている。前者はパネリストにハンサムボーイこと金容漢、石川真生両氏を招いたもので、反安保実では、韓国現地で運動をしている人との直接顔の見える関係を創り出した最初の試みではないだろうか。後者はソウル・フラワー・モノノケ・サミットなどが出演した音楽イベント。写真で見ると、この頃はこうしたイベントだけでなく、街頭行動やデモの宣伝にチンドン屋のA堂さんが立ったりと、新しい方法/出会いを求めて試行錯誤が繰り返されていたのもわかる。沖縄関係の在京の運動団体との本格的な共闘関係や国際連帯を視野に入れた活動も、この頃から本格化したと考えてもよいのではないだろうか。
反安保実だけでなく、東京にいる限りでも運動全体に、沖縄を中心として熱気が渦巻いていた。二期のニュースタイトル「熱風突風」は、「南風北風」を受けて無理矢理につけたものではあったが、まさしくそのように私たちも動いたように思う。今、そのままの熱気を創り出すことはできていないが、現在から先への展望は、この連載が進むと共に共同で考えていけるだろう。
「全国FAX通信」が創刊されるまであと五ヶ月。
イラクからの自衛隊撤退と沖縄の米軍基地撤去を求める実行委員会(反安保実IX)
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