2001年12月14日
合衆国およびカナダの16のネパール人組織からなるグループ、アメリカ・ネパール人協会 (NAC - Nepal Americas Council) は、現在日本で無期懲役刑を受ける危険に曝されているネパール人ゴビンダ・プラサド・マイナリ氏の支援をしています。マイナリ氏の裁判については世界各国で広く報道されており、ネパール人同胞が強く心を痛めている状況にあります。私たちは、日本ネパール協会の有志はじめ、この5年間マイナリ氏に対する正義のために、強い意志をもって闘ってきた日本の支援グループおよび個人との連帯で活動を行っています。
ゴビンダ・マイナリ氏は日本の裁判において、日本人女性殺害で無罪の判決を受けました。しかし、マイナリ氏は釈放される代わりに、再勾留され、検察側は高裁に控訴しました。そして、新しい証拠はなにも提示されなかったにもかかわらず、高裁では驚きの逆転有罪の判決が出されたのです。現在、マイナリ氏は無期懲役となる可能性を抱え、勾留され続けています。この事件を詳細に検討した者ならだれでも、司法が正義を踏みにじったと確信するはずです。そして、その踏みにじった正義の代償をマイナリ氏に支払わせようというのです。
はじめ、ゴビンダ事件はアメリカやカナダでは大きな報道はされませんでした。そのため、私たちはほとんどこの事件についての知識はありませんでした。しかし、2000年、Washington Post, Los Angeles Times, イギリスのGuardian各紙にこの事件が紹介されました。さらに、アムネスティ・インターナショナルもゴビンダ事件の非合法性を紹介しました。また、アメリカ合衆国国務省の「人権レポート・日本」でも、同様の結果が報告されました。こうして今、私たちはこの事件について充分知ることができました。私たちは世界中の人々が、マイナリ氏に何が起こったかを知ってもらうためのあらゆる努力をするつもりです。この事件については、いろいろ問題点がありますが、ここでは特に、二つの大変重大な司法・人権上の原則について優先的に述べたいと思います。
第一の原則は、国は合理的疑いの余地なく、被告人の有罪を立証しなければならないということです。個人の自由が剥奪されようとしているとき、曖昧な立証は認められません。この原則が無視されるならば、無実の人たちが、弱い証拠、憶測、排外主義、偏見、人種差別によって、抑圧され、嫌がらせを受け、投獄されてしまいます。第一審の検察側の敗訴は、被告人の有罪性に合理的疑いが存在したからにほかなりません。高裁は、被告人を有罪とするには合理的疑いの余地があるとした最初の判決を、いかなる方法でも打ち消すことはできません。検察当局の面子を保つために、「無罪」判決をくつがえすことは絶対に許されることではありません。
第二の重要な原則は、法の下での「保護の平等性」です。司法において被告は、いささかの差別もなく平等に扱われなければなりません。マイナリ氏は裁判で、無罪の判決を得ました。日本の法律は、無罪となった被告を直ちに釈放するよう定めています。しかし、マイナリ氏は、外国人であるということから、勾留が継続されたと思われます。ネパール人に対するこのような差別は、日本の司法制度を辱め、軽視することになります。
アメリカ・ネパール人協会は、ワタナベ・ヤスコさんが亡くなられたことに対し、深く哀悼の意を表します。これは、非常に不幸な出来事で、かつまた、社会的にも複雑な要素がからむ問題であり、心が痛みます。しかし、今マイナリ氏が不当に投獄されていることで、警察は、真犯人を特定し、逮捕する気概を失っています。そこで私たちは、最高裁において、地裁の無罪判決の正当性が見直され、マイナリ氏が釈放されて、即座にネパールに帰国できるよう要請いたします。
Dr. Ramesh Amatya,(合衆国およびカナダ)アメリカ・ネパール人協会会長
www.nepalcouncil.org