造り上げられた冤罪

2001年2月6日入管問題調査会定例会の講演録
ゴビンダ弁護団 佃克彦弁護士


高裁判決が論じた点

 事件は、被害者女性の足取りが途絶えた3月8日の深夜に起こったとされている。
 被害者の死体が発見されたアパートの空き部屋(K荘101号室)のトイレに使用済みコンドームが残置されており、そのコンドーム内の体液がDNA鑑定でゴビンダさんのものと符合したこと、その空き部屋の鍵をかつてゴビンダさんが管理人Mさんから借りていたことがあることなどから、ゴビンダさんが犯人ではないのかと疑われた。
 ゴビンダさんは当初から犯行を否認していたし、ゴビンダさんと犯罪とを結びつける証拠は状況証拠しかない。私からいわせれば、ゴビンダさんは無実なのだから状況証拠しかないのは当たり前。直接証拠はあるはずがない。
 一審はゴビンダさんを犯人と認めるには疑問を差し挟む余地があると判断して無罪にしたが、高裁は一審の慎重な判断をあっさりとひっくり返してしまった。
 高裁判決では次のような点が検討されている。

一 現場のコンドーム内精液の遺留時期

 使用済みコンドームは3月19日に発見された。その精液がいつのものかを調べるために、精液の古さが鑑定されている。
 3月8日に遺留されたコンドームであれば約10日前ということになる。他方、ゴビンダさんは被害者の女性と2月下旬頃にこの101号室で性交渉を持ったことを認めている。そのときのコンドームであれば約20日間前ということになる。つまり、この精液が10日前(事件日)のものか20日前のものかが、ひとつの争点となった。
 検察官は、ゴビンダさんのDNA型と合致する精液が現場から発見されているのだからゴビンダさんが被害者女性を殺したのだとつなげる。
 他方我われ弁護団は、そうではなく、仮にゴビンダさんの精液だとしても10日間前のものではなく20日前のものである、つまりこの精液はかえってゴビンダさんの言い分と合致する証拠だ、と主張している。
 この点について裁判所の正式な鑑定はなされず、捜査機関側の鑑定結果の報告書のみが裁判所に提出された。その鑑定(押尾鑑定)は、警察官が実験台となって提供した精子を、10日間、20日間それぞれ放置し、その精子の形状がどう変化するか顕微鏡で観察し、更に、その観察結果と、現場のコンドーム内精液の崩壊のしかたとを比べて、現場のコンドーム内精液がいつ頃のものなのかについて意見を出したもの。
 押尾鑑定によると、10日間放置された精子では、頭部と尾部が分離しているものが30〜40%ぐらいあった。20日間放置されたものでは、頭部と尾部が分離しているものが60〜80%だったという。他方、現場に残されていた精子には頭部しかなく、尾部はあってもほとんど痕跡程度だった。
 ということは、現場の精液は、20日放置した精子の状態によりよく符合し、ゴビンダさんの主張を裏付けることになる。
 現場の精液を検察官側はゴビンダ犯人説の証拠としているが、こちらはむしろ無罪証拠だと思っている。
 高裁判決は、コンドームが放置されていた現場の水の環境と比較実験の水の環境では大きな違いがあるから、本件精液が20日前のものではなく10日前のものであっても不思議ではないという。つまり、現場の水は汚くて精子の崩壊が早かったのだ、と指摘する。
 しかし、現場の精子はコンドームに包まれて残置されていたのであり、水と混ざらない点においてむしろ保存状態がよかったといえるのであり、高裁判決の結論は牽強付会。
 水のどのように汚染されているときにどのような崩壊になるのかなどについて何の裏付けもないままに結論を導く高裁判決は非科学的。単に裁判官の頭の中の感覚を述べているに過ぎない。
 弁護団は、ゴビンダさんの精液が時間と共にどのように劣化するかについて裁判上の鑑定を申請したが、これは却下された。科学的に調べてくれと申請したのを却下しておきながら、判決は「汚いから早く劣化するのだ」と独断で決めつけるのだから、どうしようもない。

二 日撃証言

 3月8日深夜にK荘101号室に入る階段を男女2人連れが上がって行くところを男子学生S田が目撃している。目撃された女性は髪が長くてすらっとしていた等、被害者女性に符合するような証言。そして連れの男性についてその証人は法廷で、東南アジア系の男性だったと証言している。
 目撃されたのは被害者女性なのか、ゴビンダさんなのか。一審判決ではこの点は検討されていない。そういうところまで検討しなくてもゴビンダさんは無罪だったということ。
 ところが高裁判決は、目撃された男性が「被告人であっても不審はない」、つまりその男性がゴビンダさんであってもおかしくはないという認定をした。
 目撃証言が当てにならないことは認知心理学上の常識。しかし日本の刑事裁判では目撃証言を安易に採用する流れが少なくなく、今回の高裁判決も信用性を認めてしまった。
 S田さんが2人を目撃した距離は7メートルくらいである。街灯の照明もあった。それにしては非常に曖昧な証言で、「その男性は黒と白のジャンパーを着ていた」「完全な背中の部分に白いものがあった」「左の脇の方に赤いのがちらちらしている感じが見えた」と、一体何を見たのかがはっきり分からない証言。
 この証言に該当するような上着をゴビンダさんは持っていない。彼は普段は黄色のダウンジャケットを着ていた。黒いジャンパーや、赤が入っているジャンパーも家にあるにはあったが、目撃証言のようなジャンパーではないし、彼は着ていなかった。
 また、「東南アジア系」ということを証人の男性が言い出したのはかなり後になってからのこと。事件が報道され、彼が「そういえば目撃した」と言い始めたときには、日本人らしくないとか、東南アジア系だとかいう話は一切出ていない。我われ弁護団は、「東南アジア系」という証言は、警察の誘導によって作られたものだと受け止めている。
 またこの証人は、目撃してから1年も経ってから実施された証人尋問で、法廷でゴビンダさんを後ろから見て「この人だったと思う」と言ってのけた。上着の証言は曖昧なのに、本人の後ろ姿を見てこのようなことを言うのだから、その信用性は知れたもの。
 まして、1年前にちらっと見たものにどれぐらいの記憶があるのか。法廷という、目撃した場所とは全く違う状況でゴビンダさんだけを見て(その上、後ろ姿である)、それが当時目撃した人かどうかを正確に判断することは普通できないだろう。
 今回のように、本人ひとりだけを見て犯人かどうかを答えるのを「単独面割り」という。面割りに正確を期するためには、普通、「複雑面割」をする。これは、たとえば写真を10枚くらい並べて、「あなたの見た人はどの人ですか?」とやったり、また、アメリカの刑事ドラマでやっているように、人をマジックミラーの向こうにずらっと並べ、「どの人ですか」と聞いたりする方法。こういう方式で確認しなければ目撃証言の正確性は担保できない。
 一審の裁判所は、目撃証言の危険性を承知しているから、この目撃証言を相手にしなかったのだろう。
 高裁判決は、こうした危ない目撃証言もわざわざ拾い上げて、ゴビンダさんを犯人としたのである。

三 被告人の帰宅時刻(アリバイ証明)

 目撃証人の男性がK荘101号室前で男女の2人連れを見かけた時刻は午後11時半頃であるが、この時刻までにゴビンダさんがこの場所に到達できたかというのが次の問題。
 ゴビンダさんは、幕張の「マハラジャ」というインド料理店で夜の10時までの勤務のアルバイトをしていた。このバイトを終えて幕張から家路につくゴビンダさんが、午後11時半にK荘101号室の前にたどり着けるかどうかが一つの争点となった。
 幕張発東京方面行きの京葉線は、午後10時台には、7分発と22分発がある。
 渋谷警察の警察官が実地で歩いてみたところ、7分発だと時間までにK荘前に間に合うが、22分発だと間に合わないという結果だった。
 もっとも、「7分発だと間に合う」といっても、それはぎりぎりのもの。東京駅で京葉線から山手線に乗り換えたことがある人はお分かりの通り、あの乗り換えは長い。ここをどう歩くかで時間は大きく違ってくる。また、渋谷駅から道玄坂を上って帰っていく道のりも多様であり、最短距離をせっせと歩かなければ間に合わない。時間を計るためにわき目もふらずに歩いた警察官の足で、ぎりぎり間に合う問うという話である。
 まして、検察官の主張によると、女性と一緒に101号室に入っていったのがゴビンダさんだというのであるから、それを前提とすると、ゴビンダさんが被害者女性と出会って、売春の交渉をして意気投合するという時間もなければならない。そうすると、どう考えてもタイムオーバーである。
 弁護団の主張は、そもそもゴビンダさんは7分発に乗れなかったというもの。3月8日は土曜日で、翌日のバイキングの準備もあるし、土日は客も多く忙しい日であったので、なかなか10時きっかりに店を出られるという状況にはなかったからである。
 この点について高裁はあっさり7分説を採っているが、それは決め手となる根拠を示してそうしているわけではない。7分説に有利な証拠を全部拾って、「弁護人の主張は採用できない」というのみ。

四 被害者手帳2月28日欄の記載の意味

 被害者女性は不特定多数の男性と性交渉を持っていたが、その売春の記録を手帳につけていた。
 たとえば常連客の甲野太郎さん(仮名)が3月3日に交渉を持って3万円もらったとすると、3月3日の欄に「甲野 3万」と書く。名前の分からない人の場合は「? 3万」などと書いてある。
 被害者の手帳には、次のような記載がある。
1996年12月12日「?外人3人(401)1.l万」
     12月16日「外人(401)0.3万」
1997年 1月29日「?0.5万」
      2月28日「?外人0.2万」
 2月28日「?外人0.2万」がゴビンダさんとの交渉を指すのかどうかという点がひとつの争点となった。
 なぜこれが争点になったのかというと、ゴビンダさんは2月下旬頃に被害者女性と関係を持ったことを認めているから。
 ゴビンダさんはこの女性と、いちばん最初は1996年の12月20日頃に自分の住んでいたHビル401号室で、同居のネパール人2名と一緒に関係を持った。2回目は1月下旬にK荘101号室で関係を持ち、3回目は、2月25日から3月1日か2日までの間の頃にK荘101号室で性交渉を持った。このことはゴビンダさんが法廷で供述して認めている。
 被害者女性との性交渉に関するゴビンダさんの供述は、被害者手帳が弁護側に証拠開示される前にしたもの。つまりゴビンダさんは、手帳の記載を見てそれに合わせて供述したものではない。その意味で、性交渉の時期に関するゴビンダさんの供述が結果的に被害者手帳と合致する場合、その供述の信用性はすこぶる高いと言える。
 ゴビンダさんの供述でいう3回目の性交渉が、被害者手帳の2月28日欄の「?外人0.2万」であるというのがこちらの主張。そしてこれは、残置されたコンドームの古さとも符合する。
 これに対して検察官は、手帳の2月28日欄の記載はゴビンダさんの性交渉を示すものではないと主張している。
 この争点につき高裁判決は、2月28日欄の記載はゴビンダさんの性交渉を示すものではないとした。
 高裁判決は、ゴビンダさんの1回目の性交渉は1996年12月12日であるとし、これは被害者手帳12月12日欄の「?外人3人(401)1.l万」の記載を根拠とする。ところが2回目の交渉につき、被害者手帳の同月16日欄の「外人(401)0.3万」に根拠を求め、これがゴビンダさんである可能性を示唆する。
 高裁はこのような論理の流れで、2月28日「?外人0.2万」の記載はゴビンダさんではないという理屈に持っていく。12月12日にHビル401号室で性交をしているのだから、2月28日欄に「?」の記載がなされるはずはないというのだ。
 しかしこれは、手帳の細かい記載だけを頼りに独自に理屈付けをしているだけのことである。
 401号室で以前に性交渉を持ったことがあるとしても、3人もの外国人といっぺんに関係しているのだから、次回以降も被害者にとって「?」な存在であったということは十分にあり得る。
 実際のところ、手帳の記載の「?」の付き方にきちんとした法則性があるわけではない。名前がわからない人にも、名前は聞いたが身元がはっきりしない人にも、また、名前も身元も聞いたが今ひとつ信用できない人にも「?」がついている。また、外国人に関する記載になると、「?」の付き方は一層不規則になっている。
 高裁は、このような法則性のない「?」について、あたかも一貫性があり例外がないかのような言い方で、2月28日欄はゴビンダさんに関する記載ではないという。
 ゴビンダさんの供述する3回の性交渉について、被害者の手帳には、それぞれきちんと符合する記載がある。12月12日「?外人3人(401)1.l万」、1月29日「?0.5万」、2月28日「?外人0.2万」である。いずれも「?」がついており、被害者にとりゴビンダさんは「?」な存在であったことで一貫している。

五 101号室の鍵の返還時期

 ゴビンダさんは、現場であるK荘101号室の鍵を管理人Mさんから借りていたことがある。ネパールからお姉さんが日本に来る予定になっていて部屋探しをしており、その部屋の下見のために、空き室である101号室の鍵を借りていたのである。
 その鍵を管理人Mさんに返却したのが、3月6日(事件前)なのか10日(事件後)なのかがひとつの争点となった。

1 鍵を受け取った管理人Mさんの証言の信用性
 アパート管理人Mさんの検察官調書では、「3月10日にゴビンダさんから鍵の返還を受けた」となっている。しかしゴビンダさんは、3月5日に同居のネパール人のCさんに「この鍵を返しておいて」と依頼し、Cさんが3月6日にMさんに返還したのである。
 この管理人Mさんの検察官調書通りの言い分が信用できるのか、はたまたゴビンダさんとネパール人Cさんの言い分が信用できるのかが問題となった。
 一審の法廷ではこのMさんの証人尋問が行なわれ、「3月10日に被告人から返された」とのこのMさんの証言が信用できるかが調べられた。すると法廷ではMさんは、反対尋問にさらされてメロメロになってしまった。メロメロになった挙げ句、Mさんはあっさりと、「いつ返されたのか、どういうふうに返されたのか、自分は覚えていない」「鍵を持ってきた状況は覚えていない」と認めた。「3月10日返還説」は、実際には捜査側が組み立てたストーリー。
 鍵はHビル401号室の家賃と一緒にMさんに渡されているが、捜査機関は、その家賃を事務員が銀行に入金した記録が3月11日付けになっていることを奇貨として、鍵と家賃の引渡日を事件後の3月10日に設定した。
 このように真実を曲げ、入金記録から理詰めで鍵の引渡日を作ったのだから、管理人Mさんが反対尋問にさらされればメロメロになってしまうのは事の道理である。
 そして一審判決は、メロメロになった管理人Mさんの証言は信用できないとした。
 ところが高裁判決は、この反対尋問でのメロメロを無視して主尋問だけ取り上げ、「事態の推移を自然かつ具体的に述べるものであり、それ自体信用性が高い」としている。まさに白を黒と言いくるめるもの。
 Mさんが「受け取った状況ははっきりしない」と法廷で証言してしまったのを、高裁判決は必死にフォローしているが、そのフォローの理屈がフォローになっていない。いわく、「鍵受取りの具体的場面の記憶がはっきりしないからといって、それが直ちに受取時期に関する供述の信用性を損なうものと見るべきではない。」
 しかしこれは記憶の科学に反する。
 たとえば、皆さんは修学旅行の情景を覚えていますか。たぶん情景は覚えていても、それが何月何日のことなのかについての記憶はないでしょう。つまり、情景は人の記憶に残りやすいが、日時や年月日は残りにくい。日時や年月日は、別途特別に記憶しないと記憶に残るものではない。情景と日付を結びつけるのは、別の記憶の作業である。
 だから、情景の方こそ記憶に残るのであって、情景が記憶されていないのに日時が記憶に残っているのはおかしい。
 情景が記憶されていないのに日時が記憶に残っているというのはむしろ、日時だけ誰かに刷り込まれた証拠とさえいえる。

2 ゴビンダさんが鍵の返却を託したネパール人Cさんの証言の信用性
 Cさんはゴビンダさんと401号室で同居していたネパール人。彼がゴビンダさんに頼まれて、3月6日に101号室の鍵を管理人Mさんに返却した。
 しかし鍵の返却に関するネパール人Cさんの証言は激しく変遷している。Cさんは警察で「3月6日に自分が鍵を返した」と真実を語っていたが、そのあと警察から連日長時間の取調べを実施され、挙げ句警察に泊まらせられる事態にまでなり、警察の強要に屈し、「以前、『3月6日に自分が鍵を返した』と言ったが、それはゴビンダさんからそう言えと頼まれたからだ」と調書を取られた。
 しかしその後、同居のネパール人仲間に弁護士がつき、弁護士の庇護を受けて再び真実を語れるようになり、「3月6日に自分が鍵を返した」と元通りの証言するようになった。
 ところがその後、警察から利益誘導と威迫を含めた圧力と連日の取調べにさらされ、再び「あれはゴビンダさんから頼まれてそう言ったのだ」との調書を取られた。利益誘導とは、警察から仕事と住まいを斡旋されたこと。Cさんは連日の取り調べにより従前働いていたアルバイト先を解雇されてしまっていたため、警察はそこにつけ込み、仕事と部屋を斡旋した。
 このように警察ペースで供述を曲げられてしまうため、私たちはCさんに法廷で真実を語ってもらうべく、証拠保全尋問を裁判所に請求し、法廷で証言をしてもらった。そして法廷では、「3月6日に自分が鍵を返した」と再び真実の証言に戻った。
 このように、ネパール人Cさんの証言の変遷には止むに止まれざる理由、経緯があるのだが、高裁判決は、「C証言は何度も変遷しているので信用できない。」とした。しかし変遷には理由があるのであり、変遷の理由を斟酌しなければ信用できるかどうかわからないはず。
 また高裁は、管理人Mさんの証言と食い違っているからC証言は信用できない、という。これはおかしなこと。Mさんの証言とCさんの証言のどちらが信用できるかを判断すべき場面で、M証言と食い違っているからC証言が信用できないというのでは、論証になっていない。
 一審判決は、捜査官の長時間の取調べが続く中、体調も非常に悪かったために、捜査官から何を聞かれても「そのとおり」と答えていたというCさんの証言について、「このような弁解が不自然不合理であるなどとして、無下に一方的に排斥することはできない」と、抑制の利いた表現ではあるが捜査側の脅迫的な取調べの構造を認めてくれた。

六 真犯人の影

 ゴビンダさんが犯人でないのであれば、彼以外の誰かが部屋に入ったことになる。私たち弁護団は、被害者は一見の買春客によって殺されたと推測している。
 高裁判決は、第三者が部屋を使用した可能性はないという。しかしその論理は弱い。いわく、「K荘は…普通のアパートであり、101号室は空室であったが、隣の102号室は居住者がいたのであるから、右K荘に全く関係のない被害者が、遊客を連れて勝手に入り込むという事態が、現実に起こると想定することはできない。」というもの。長々と書いているが、結局単に「そういうことがあるとは思えない」と独断しているだけ。
 被害者はホテルだけではなく、駐車場などでも売春をしている人だった。だから使い勝手の良い空き室であれば使用した可能性があるというのが我々の主張。
 また前述のS田さんの目撃した2人は、被害者女性と男性がK荘101号室への階段を上がっていく際、女性の方が先に、男性を先導するように上って行ったと言っている。
 これは、彼女がその場所(101号室)を売春に利用していたことを端的に示す証言。
 ところが高裁は「その目撃供述を考慮に入れても、その挙動から、被害者が積極的に、第三者を誘い込んだと推認すべきものともいい難い。」としている。しかしなぜそう「いい難い」のかの論証はなく、言いっぱなし。説得力がない…というか、説得しようという気概すらみられない。

七 一審判決の指摘する「解明できない疑問点」

 一審判決は最後に、「ゴビンダさんを犯人だとすると解明できない点」を多々挙げて、ゴビンダさんを無罪にした。
 高裁判決は、一審判決が挙げたこの疑問点に検討を加えているが、全く解明できていない。

1 コンドームの遺留の理由
 一審判決は、「犯人がなぜコンドームを現場に放置したままにしたのか」という疑問を提示した。一審判決は、冷静に行動したとみられる本件の犯人であれば、被害者との性交に使用したコンドームも証拠隠滅のために処分するはずだといい、このことから、便所に残置されたコンドームは事件とは関係ないのではないか、という疑問を提示するのである。
 ところが高裁判決は、「犯人において、本件コンドームが後日重要な証拠となることに思い及ばなかったことは、あり得る」という一言で済ませてしまう。
 一審判決の疑問に全然答えていない。

2 第三者の陰毛の存在
 現場には証拠上確認された中で4種類の陰毛があった。
 「血液型B型でゴビンダさんDNAと一致する陰毛」が1本。「血液型O型で被害者のDNAと一致する陰毛」が1本。他に、「B型でゴビンダさんとDNAが一致しない陰毛」が1本、「O型で被害者のDNAと一致しない陰毛」が1本あった。
 ゴビンダさんは以前ここで性交渉を持ったことがあるので、ここにゴビンダさんDNAと一致する陰毛があってもおかしくはない。ゴビンダさんのものでも被害者のものでもない残り2種類の陰毛について、真犯人のものである可能性がある。一審判決はこの点を重視した。
 ところが高裁判決は、前に住んでいた人の掃除が十分できていなかったことがうかがわれるから、第三者の陰毛があっても真犯人の可能性を示すことにはならないという。
 しかしこのようなことは、前の居住者の陰毛であることが立証されていなければいえないこと。高裁独自に可能性論を述べてもそれは独断に過ぎない。
 もう一つ重要な問題がある。血液型がB型の付着物が被害者のショルダーバッグの取っ手にあった。検察はこれを「犯行当時ゴビンダさんと被害者がバッグを取りあって、B型のゴビンダさんさんのものが付着した」と主張した。しかし我々は、それはゴビンダさんのものでないと主張している。B型の第三者の陰毛がある以上、その陰毛の持ち主の付着物であると考えている。つまり、そのB型の第三者の陰毛の持ち主が真犯人である可能性が高いのだ。
 このため弁護団は、バッグの付着物の鑑定を申請したが、高裁はこれを却下した。つまり客観証拠で無罪を立証しようとしたのにそれが無視されたのだ。
 このように客観証拠による反証(無罪立証)の途を塞いでおきながら有罪判決を下すというのは、公平な裁判とはいえない。

3 被害者の定期券
 被害者女性の定期券が巣鴨の民家の庭先に落ちていたことが確認されている。JR巣鴨駅から徒歩15分ぐらいのところ。三田線の西巣鴨駅からも遠いところである。
 巣鴨、まして駅から遠く離れたこの地域に、ゴビンダさんには土地勘がない。
 一審判決は、ゴビンダさんが犯人だとしたら、巣鴨に土地勘のないゴビンダさんが、なぜ犯行後にわざわざそこに持っていって捨てたのかの説明がつかないとした。また、仮にゴビンダさんがわざわざ自分と関係ない地域を選んで捨てたというのなら、民家の庭先のような、いかにも早く発見して下さいというような場所には捨てないであろう、とも指摘している。
 この点について高裁判決は、「右定期入れがどうしてそのような場所で発見されたのかについては、証拠上判然とせず、未解明のままであるといわざるを得ない。その点が幾分かでも明らかにされれば、本件の解明に何らかの寄与なし得るものと考えられるけれども、これが明らかではないからといって、それゆえに、被告人と本件との結びつきが疑わしいということならないことは、本件証拠に照らして見易い道理である。」というだけ。どのような「証拠」に照らして「見易い」といえるのかの指摘は全くない。

八 まとめ、上告審に期待する

 以上のように高裁判決には全く説得力がない。
 一審判決を覆すにあたり一審判決の論理構造を乗り越えようという気概も感じられない。
 高裁は、検察官が勾留してくれと言ったから勾留した、検察官が控訴をしたから有罪にした、ただそれだけという感じがする。
 私にとって驚きだったのは、「精液の経時変化」「バッグの付着物」といった客観証拠を調べもせずに有罪にしたこと。このようなことがまかり通るのであれば、有罪にしたいと思えば自由自在に有罪にできてしまう。
 上告審には期待している。
 きちんとした公平な審理によってゴビンダさんの冤罪を晴らしたい。
 皆様ご支援をお願いいたします。
以上