「warranの秘境探訪」写真を参照 |
■初めての沖縄 私の辺野古現地闘争への参加はこれで二度目になる。一回目は四月の末、那覇防衛施設局が作業規則違反の夜間作業を強行し始めた二六日の二日後に私は現地に到着した。しかし、まだその頃の私は、辺野古問題の概要がよく理解できないまま、知人の紹介で沖縄まで来ていた。ところが、いざ名護市に入り、ヘリ基地反対協の方々と話をするうちに、いかに日本政府が己の面子のためだけで米軍基地の土地提供を地域住民の意思すら金で踏みにじり、ゴリ押しに進めてきたかを聞かされた。また、辺野古でも防衛施設局による本土業者を使った容赦ないボーリング調査準備の強行に怒りを感じたからでもある。そんな折に、現地では海上監視も二四時間体制になったばかりで座込み参加者も「体力の限界に来ている」と聞いた。そのような状況を聞くと、自分としても海上行動に参加するべきであると思ったのだ。それは、たとえ今、問題の進展具合が分からなくても、「言葉で聞くよりもまず現場に、最前線に出なければ分からない」という自分の性分もあったからだろう。人から聞いた話や文章を読んだだけでは納得できないという私のいつもの癖である。 |
■再び辺野古へ そして5月30日、私は再び辺野古の座り込みテントに来ていた。テントに到着すると、私はまずヘリ基地反対協の人に挨拶すると奥に座っているおばあたちにも、「今日、東京から来ました。よろしくお願いします」と言う。すると逆に「こちらこそよろしくね。ありがとう」と言われた。皆から好かれている謙虚な方だと思った。おばあは、平日ほとんど毎度のようにテントに通って、座り込みに参加する人たちと話し合っている。そして若い者たちは、おばあからいろいろなことを教わっているようだ。この辺野古のテントでは、男よりも女のほうが大黒柱のようにしっかりしているように思える。 |
昼間、辺野古の新基地建設を許さない市民共同行動の交渉メンバーが那覇防衛施設局に、「30日夜から夜間の阻止行動をとらないので、双方の信頼関係に基づいて施設局も夜間作業をしないでほしい」と迫り、施設局も「ボーリング調査自体は継続しつつ、夜間作業については安全面、環境面から現状では困難」との認識を示し、当面実施しない姿勢を示したという。しかし、施設局からは具体的な回答は無かった。反対協側の粘り強い座込み現場闘争と地方議会における議員たちへの説得工作や本土の国会議員への働きかけ。さらには、地方メディアの問題の取り上げ方も追い風になっている。沖縄県民世論80パーセントが辺野古への米軍ヘリ基地移設・基地建設反対に動いている今、与党政府内にまで顕在化する「辺野古移設見直し」に動揺したであろう施設局は、「台風四号の接近により、暴風を受ける危険性から金網は撤去は安全対策として検討する余地あり……」との前置きを述べた上で、「ボーリング調査自体は継続しつつ、夜間作業については安全面、環境面から現状では困難」との認識を示し、夜間作業は、「『反対派』が夜間の海上に出なければ、施設局も当面実施しない」との意向を暗示させたとのことだった。 |
■海上での阻止行動 このボーリング調査とは、米軍基地建設のために地質の状態を調べる目的で予定区域に63カ所の海底に杭を打ち込むものなのだ。概要は、単管足場30カ所。スパット台船20カ所。固定ブイ13カ所だ。これらの海底掘削調査は、さんご礁やジュゴンの餌場となる環境に多大な影響を及ぼすことは明白である。にもかかわらず、施設局は「環境アセスメントとは無関係」などと言っている。しかし、辺野古に米軍の新基地が建設されると辺野古沖と大浦湾は241ヘクタールもの海域が消滅し、滑走路も兼ね備えた巨大な軍事施設となる。つまり、地元の住民にとっては、環境破壊により漁業によって自活道を閉ざされ、基地労働者としての「奴隷」労働を余儀なくさせてしまうのだ。 |
なぜなら、基礎作業であるボーリング調査に9億円も費用がかかり、本体工事には1兆円以上もの巨費が投じられる。これら米軍のための基地建設の費用負担は、すべて私たち民衆の税金で支払われ、工事の落札は東京に本社のある企業に落ちる。ところが、肝心の地元には「基地被害」のリスクを負わされ、漁業壊滅によって失業問題も出てくると思われる。常に負担のしわ寄せを食らうのは、税金を取られ、仕事も奪われる私たち民衆なのだ。 ■闘いは勝利の道へ 昨日の反対協ミーティングで話し合ったとおり、夜間の海上座込みを行わないことになった。施設局の牽制も抑えるという意味もあってだろうか、この日から「当面、夜間作業をしない」という申し合わせ信用して、朝の6時半から夕方4時半まで相手側の作業規定時間内を目処にこちらも引き上げるように転換した。5月31日時点で既に台風が接近しているとの情報が入っていたのでその対応もかねていたとも考えられる。 |