自衛隊違憲訴訟等を通じて、日本が戦争の道へ進むことを止めさせたいと考えます

 

 
私は日本政府に挑戦する!
渡辺修孝

■訴状への被告の回答

 このたび、9月10日に行われた「自衛隊イラク派兵違憲訴訟」・違憲行為差止訴訟等請求事件の公判第2回目は、それぞれ被告・原告双方から準備書面が提出された。まず、被告である国側から出されている書面によると本件趣旨のひとつでもある、「イラク人道復興活動及びイラク特別措置法」の差止請求について若干述べている。
 「イラク人道復興支援特別措置法に基づく自衛隊の派兵は、原告に向けられたものではないし、そもそも原告の権利義務ないし法的関係に対し、何ら影響を及ぼすものではない……本件の訴えは不適法であり却下されるべきである」などの反論から、原告の人格権としての平和的生存権と幸福追求権が侵害されたことを無視して、自衛隊派兵が「憲法違反であるという事実」を覆い隠そうとしている。しかしながら、私たち国民は、この国で社会的関係性のなかで生活している。けっして個人の問題だけでは片付けられない影響を受けているのだ。

■平和的生存権について

 つまり、ここで言う平和的生存権とは、衆知の通り次の憲法前文で、「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和の内に生存する権利を有することを確認する」とあり、この宣言なかの「平和の内に生存する権利」を指し示して平和的生存権と言う(長沼ナイキ訴訟・札幌地裁民事第一部、1973/9/7判決)。
 だが、これを「宣言のなかで述べられた抽象的な『形式権利』である」との意見もある。そういった見解を根拠に被告(国)は、裁判所の審理の対象について、「特定の者の具体的な法律関係につき紛争の存する場合においてのみ裁判所にその判断を求めることが出来る」と主張している。さらに、平和的生存権の「権利」を「裁判上の救済が得られる具体的権利の性格とは認められない」などと述べてきた。確かに一見して、憲法前文の「平和の内に生存する権利」は、文面上の形式権利として宣言されているものに過ぎないが、形式権利から実質権利へと進展することは先進国として、市民社会として、人類の歴史のなかで基本的人権の発展過程としてすでに欧州各国が証明しているのだ。
 あるいは、最近の「箕輪訴訟、自衛隊イラク派兵差止北海道訴訟」の訴状には次の表現が見られる。
 「日本国憲法の平和的生存権の保障(憲法前文)と戦争放棄(憲法第九条)は戦争による国民の人権侵害を永久に除去しようとするものであって、他の憲法に類を見ないものである」。つまり、「平和的生存権の法的根拠は、憲法の前文と、第九条の交戦権と軍隊の放棄、さらに第一三条の個人の尊重と幸福追求権を付け加えられて効力を成す」と主張されてきた。ところが、上記で述べた揚げ足取りのような「用法の指摘」に対して、これを補強する形で憲法第二五条の「生存権」の概念を付け加えることが出来る(阪本昌成 『憲法2 基本権クラシック第二版』二〇五頁 有信堂二〇〇二年)。これは、「動物的な生存の意味ではなく、人たるに値する生活水準に対する権利」であり、分かりやすく言うと、「生きる上で最も重要な人権、生存することを要求できる権利」が生存権である。
 わが国、憲法の前文では、「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちの生存する権利を有する確認する」と明確にうたっている。不戦・戦力の不所持・交戦権放棄を明確にした第九条、すべての国民が健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を保障した第二五条と合わせ、平和のうちに生きる権利としての平和的生存権を最も根元的な権利として重視するべきである。

■幸福追求権について

 被告側は、幸福追求権の具体的権利性に対しても「中身を構成する権利や自由が具体的に明確でない」と述べている。これに対して、私は原告の一人として、個人が人間としての幸福を追求する権利である憲法第一三条が、「公共の福祉に反しない限り、最大限尊重する人権」であるとする考えを支持する。これは「具体的な特定の権利または自由に関する規定」ではなく、あらゆる自由及び権利を包括した「権利」だ。そして、これはすべての権利及び自由の基礎である一般的原理であるとも言える。
 基本的人権について、現在では米国憲法修正九条に、「この憲法に一定の権利を列挙したことをもって、人民の保有する他の諸権利を否定し、または軽視したものと解釈してはならない」という規定を参考にしている日本国憲法第一三条は、一般に幸福追求の権利が尊重されなければならないとの趣旨を包括的に表現したものとして、具体的権利の根拠規定と理解している。
 だからこそ、その具体的権利性は、けっして「ルーズ」に捉えることは出来ない。ましてや、被告が指摘するような「人権のインフレ化」などは有り得ない。それどころか被告は、「裁判官の主観的な価値判断によって権利が創出されるおそれがある」などの引用から反論を導き出している。このような論理は公平中立であるべき司法制度と裁判官の判断を自己の主張に誘引するものである。裁判官の自主的判断すら信用をおかないでいる態度は、将来に施行されようとする民間陪審員制度にも悪い前例を与えるのではないか。
 被告は、「イラク人道復興支援特別措置法」に基づく、自衛隊のイラクでの活動条件を「非戦闘地域」に限るとしているが、すでに昨今のイラク・サマワ治安情勢を見ても明らかなように宿営地及びその周囲には、武装勢力から迫撃弾による攻撃を受けている。また、オランダ軍兵士たちは、車両でサマワ郊外を移動中に銃撃を受けて死傷者まで出しているのだ。このような危険な地域での活動を被告側(日本政府)の命令で派兵される自衛隊員たちも、また日本国民であることからして、彼らを不当に危険な地域で就労させている被告の責任は追及されなければならない。すでに、ムサンナ州サマワもまた、戦闘地域であることは報道からの情報を見れば一目瞭然であろう。
 もしも、裁判所が自衛隊員たちの就労するイラク現地情勢に疑義があるのならば、裁判官たちにも実際にイラクを訪れて検証してみることもお勧めしたい。

■損害賠償請求について

 被告が準備書面で述べているような、一見するとこれは「イラク武装勢力という第三者による拉致・監禁行為」と思えなくもない。しかし、その根底には、被告も関与する政治的な問題が影響している。つまりそれは、上記で述べているとおり、米国の発動した「イラク戦争」と、その後の占領政策を被告が積極的に支持し、米国との同盟関係をことさらに強調してきた。このような被告の政治路線によって、イラクの武装勢力が被告の政策を敵対行為であると判断したことは、原告である私を拘束したときにその理由として彼らが「イラクに軍隊を送った国の国民だからである」と発言したことからも理解できる。
 被告は、イラク戦争に突入したときに米国が主張した「イラク大量破壊兵器の存在」を同盟国との国際協調を掲げて賛同し、支持した。しかし、それは同時にイラク民衆の反感を買ってしまうことになった。もとより、この「フセイン政権が保持した」と言われていた大量破壊兵器の存在も、結局はイラクで大量破壊兵器の捜索に当たってきた米調査団(チャールズ・ドルファー団長)が、兵器の備蓄を示す証拠はなかったと結論づける発言で米国政府の責任問題になった。それを受けたブッシュ大統領は、イラク戦争の大義に掲げた大量破壊兵器が見つからないことに関し「フセイン(元大統領)にはこれらの兵器を造る能力があった。仮に存在しないことが分かっていても同じ決定をしただろう」と選挙遊説先のノースカロライナ州で語った。
 では、いったい「存在しないことが分かった」ときには、どんな理由をこじつけて戦争をするのだろうか疑問に思ってしまう。また、ブッシュ大統領はイラク戦争をテロ取り締まりの一環であるように主張しているが、アメリカ合衆国議会の9・11同時多発テロ事件独立調査委員会の調査結果において、サダム・フセイン氏とアルカイダなどの組織と、協力関係にあることを証明する確かな証拠は見つからないでいる。
 こういったなか、今度は国連のアナン事務総長が国連本部での記者会見にのぞんで、「イギリスとアメリカが去年3月、国連安保理の許可を得ず、イラク戦争を起こした。これは国連憲章の原則に違反する行為で、違法だった」との見解を述べた。さらに、「私はイラク戦争勃発前にも、国連安保理の認可を得ずに、イラクに対し一方的な行動を取ることは、国連憲章の原則に合致しないという見解を明らかにした。国連あるいは国連憲章から見ても、イラク戦争は違法だった。今後国連の承認や国際社会の広範な支持がないイラク戦争のような一方的な行動が二度とないようにしたい」と国際社会に求めたのである。これで、米国の「イラク戦争」発動における「正当性」なるものが覆されていくことによって、被告(国)が米国の戦争を支持した「正当性」も失ったのだ。
 被告は、米国との同盟関係から、イラクで活動する自衛隊がどれほどイラク武装勢力からの標的にされる危険性を孕んでいるか。それは、米国に追従し「テロとのたたかい」を進めている国であり、米国の最大の同盟国にしてサミットを構成する主要八カ国のひとつである現実を見れば明確である。
 その観点で考えるならば、憲法違反である自衛隊を政府方針によって、いわゆる「イラク特措法」で海外に派兵し、途中から「多国籍軍」という形で活動の幅を広げさせたことは、米国のイラク支配の路線に国政を追従させることである。自衛隊員も含めた国民に対して、それ自体が将来の生活の安定に大きな不安と新たな脅威を与えることになるのだ。
 「大きな不安と新たな脅威」という点で言えば、原告である私がイラクで身柄拘束を受け、肉体的苦痛と精神的屈辱感を味わったこともまた同義と言えよう。本来ならば、被告(国)が果たすべき責任をその身代わりとして「拉致監禁行為」を原告が被ったのだから、被告に国家賠償法に基づき、慰謝料五百万円を要求するものとする。

 なお、原告として求めた債務不存在確認請求については、被告側が事実確認で現在調査中とのことで調査が終了しだい「追って主張する」そうである。