自衛隊違憲訴訟等を通じて、日本が戦争の道へ進むことを止めさせたいと考えます

 

私は日本政府に挑戦する!
渡辺修孝

 このたび私は、東京地方裁判所に訴状を提出しました。これは、自衛隊のイラク派兵が憲法違反であり、サマワでの活動もイラク特措法の規定から逸脱しているものであるとの認識に至ったからです。
 
 日本政府が、陸・海・空の自衛隊に行わせている武装した海外「派遣」活動は、憲法前文に規定された「われらは全世界の国民がひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有する」という「平和的生存権」に違反しています。また、武力の不保持と交戦権の否認を規定し、そして「集団的自衛権」の行使を認めていない憲法9条に違反するものです。これは従来の政府見解にすら前例がありません。さらに、自衛隊法3条1項に規定される「自衛隊は、わが国の独立と平和を守り国の安全を保つため直接侵略及び間接侵略に対して、わが国を防衛することを主たる任務とし」という自衛隊の存在目的にも違反しているのです。よって、私はこれを憲法違反と認めます。
 
 日本政府は、自衛隊の活動地域をイラク特措法において「非戦闘地域」に限定しているので、自衛隊員が「戦闘行為に巻き込まれることがない」という前提に立って憲法規定に抵触しないと主張しています。しかしながら、私がサマワ市内を調査したところによると、既に1月の段階においてサマワ市内では米軍やオランダ軍による「ゲリラ掃討作戦」が行われており、誤認攻撃によって民間人の犠牲者が出るなどの問題が起きていました。また、ゲリラによるサマワ市内への迫撃弾攻撃などが行われている状況でもありました。さらに言えば、他のイラク主要都市においては、米軍を初めとする「有志同盟国」駐留軍に対する、ゲリラからの攻撃が止まない状況下において小泉首相はこのように発言しています。「どこが戦闘地域でどこが非戦闘地域なのか、私にわかる訳がないでしょう」「自衛隊員でも襲われたら殺される可能性がある。相手を殺す可能性も無いとは言えない」などが示すとおり、やがては派遣された自衛隊員に戦闘での死傷者や、あるいは逆に自衛隊員の発砲によってイラク人の死傷者が出ることは不可避になって来るのではないでしょうか。

 イラク特措法第2条の「非戦闘地域」とは、「現に戦闘行為が行われておらず、かつ、そこで実施される活動の期間を通じて戦闘行為が行われることがないと認められる」場所であるとされています。そして「戦闘行為」とは、「国際的な武力紛争の一環として行われる、人を殺傷し、または物を破壊する行為」と規定しています。この4月から5月にかけて現地レジスタンスによる、サマワ宿営地を狙った迫撃弾攻撃が再三行われました。さらに、これにとどまらず、サドル派民兵の武装蜂起に対する掃討戦で、米軍のみならず暫定統治機構が組織する市民防衛隊や警官隊がこれを制圧するべく戦闘に参加するような事態にまで発展したことは記憶に新しいと思います。このような状況は既に「国家に準ずる組織」が戦闘に参加する事態であり、イラク特措法で言うところの「戦闘行為」であるとともに、サマワは「戦闘地域」であるということになります。すなわち、自衛隊が活動できる地域としての条件を満たしていません。
 私は、4月14日にバグダッド西方アブグレイブ近郊で地元農民主体のレジスタンスによって身柄を拘束されました。レジスタンスは、私と安田純平氏に対して身柄を拘束し、拉致監禁した理由を「お前たちは、イラクに軍隊を派遣した国の国民だから捕まえた」と述べたのです。また、拘束3日目に連行される途中で「お前はアメリカと一緒に仕事をしているのか? ファックユーアメリカ」などの罵声を浴びせられたことからして、レジスタンスらは私たちが単に「軍隊を派遣した国」から来た者としてだけではなく、CPA(占領統治機構)と一緒に仕事をしている者であると誤解していました。これは、すなわち私の国籍を根拠に「占領体制を支援する国の国民」と、レジスタンスから認識されてしまったと言えます。

 日本政府による違憲、違法な自衛隊のイラク派遣は、日本国憲法前文の平和的生存権、戦争を放棄した同第9条、幸福追求の権利を保障した同第13条に違反するものです。その結果による現地への影響が、派遣された自衛隊部隊から間接的・直接的軍事支援を受け、「有志同盟国」駐留軍の掃討作戦によって物理的被害を受けた被占領地民衆としてのイラク民衆が「被害者の屈辱感」という深い恨みを心理の根底にとどめてしまったと言わざるを得ません。イラク民衆はこのような被害から自らの郷里と一族を防衛するため、国家に統制されない「自衛権」の発露としてレジスタンスを組織したと考えられます。そして謂れのない民衆弾圧と物理的被害から「郷里と一族を防衛するため」監視活動の手段として、この度の外国人誘拐・拘束、拉致監禁が行われたのであると私は解釈しています。

 私としてはもともと非戦・平和の立場から「テロにも暴力にも戦争にも反対」という考え方で日本国内の反戦抗議行動・大衆運動に関わって来ましたので、いかなる理由があろうとイラク・レジスタンスのこういった民間人に銃口を突きつける暴力で人間の身柄を拘束し、本来あるべき行動の自由を奪うような闘争手段を許すわけには行きません。しかし、イラク民衆とてもとからこのような武装闘争で闘っていたわけではありませんでした。
 
 彼らは旧フセイン政権派の残党ではありません。特に私たちを拘束したレジスタンス組織の者たちは、イラクがフセイン政権から解放されることを待ち望んでいた人々でした。本来、アメリカを初めとする「有志同盟国」のイラク統治政策に将来の希望をかけていた人々だったのです。ところが、残念なことに現実はその希望を粉々に打ち砕いてしまいました。主にアメリカ・イギリスの軍隊は占領の名において無法な暴虐の数々を行ったとされていますが、これまでその証拠があからさまにされることは無く、一切不問に伏されて来ました。アブグレイブ旧刑務所における件の「囚人虐待」の実態が証拠写真と証言によって明るみにされるまで、誰もがその実態について公然と疑問すら述べられない状態だったのです。その間、アブグレイブ周辺の住民は、捕らえられた家族たちが変わり果てた姿で釈放されてくるごとに言語に絶する怒りがあったであろうと察するに余りあります。そんな元囚人やその家族たちが米軍やCPA(占領統治機構)に対して復讐を誓ったとしても、一体誰がそれを咎めることができるでしょうか。そして彼らが、私たちを米軍やCPAに荷担する日本政府・自衛隊と同じ国の国民という理由で身柄の拘束、拉致監禁を行ったからとしても、それは「自分たちを酷い状態に落とし込んだアメリカに『尻尾を振って』追従し協力する日本への見せしめ」として、レジスタンスがあの状況下で行える精一杯の抗議行動であると理解せざるを得ません。つまり、レジスタンス組織は民衆抑圧に対する当然の抵抗権を行使して闘っているのであって彼らに拉致監禁にいたるすべての責任が課せられるとは考えられません。
 
 むしろ問われるべきは、アメリカ主導で推進されたイラク占領政策の失敗を覆い隠そうとしているブッシュ政権・ネオコンなどと蜜月な共同歩調を執っている小泉政権が提唱した自衛隊による「イラク人道復興支援活動」がイラク民衆に与えた根拠の無い「設備投資」の幻想と実際に行われている失敗した地域活動の実態がイラク民衆をして余計、日本国に対する絶望に向かわせてしまったことは、つい先だってジャーナリストの橋田さん、小川さんがイラク・レジスタンスの銃撃によって命を奪われたことで端的に示されています。
 
 このような「危険な状況を踏まえた上で私たちが行動できたのか?」と問われると、実はこの時点では「一体どこまで危険なのか」私は確かな情報すら得られない状況だったのです。それでも何故私たちがそんな場所に行ったのかというと、ファルージャ住民への米軍攻撃の実態を確かめること、また、拘束された日本人3人に関する情報を得るためでありました。そして、私たちがアブグレイブ近郊でレジスタンス組織からの身柄拘束を招いた理由は、日本政府がアメリカのイラク占領政策推進に大きな役割を担っていたためであり、イラク人をして「占領体制を支援する国の国民」と認識された結果なのです。そのため私は、原告として述べるならば、この拉致監禁によって受けた肉体的苦痛と精神的屈辱及び物質的損失を被った損害賠償として、金500万円を日本政府に要求することにしました。

 日本政府は私に対し、2004年5月24日付の配達郵便にて、バグダッドからアンマンまでの航空券代金及びアエロフロートの往復航空券の日付変更代を「立て替えて」いるので「精算をお願いします」と称して、計215ドルの支払請求をしてきました。これは円に換算すると(1ドル=109円61銭)、金2万3566円になります。この金額は私の帰国の際の航空運賃相当額を指しているようですが、日本政府・外務省は私に何の説明も無くこれらを支払い、そのことを私に告げなかったのですから何故私に今になってこの支払請求をしてくるのか、求められる根拠が解りません。そもそも日本政府・外務省は、外国において身柄拘束された邦人の保護を行う責務を当然負う義務があり(外務省設置法第4条「所掌事務」)、「外務省は、前条の任務を達成するため、次に掲げる事務をつかさどる」、「海外における邦人の生命及び身体の保護その他の安全に関すること」(9号)。これは仮に私の帰国のために日本政府・外務省が一定の費用支出をしたとしても、邦人保護・救出に関わる全費用が日本政府・外務省の負担になることは当然です。よって、私は日本政府・外務省に対して、請求された前記金2万3566円の債務が存在しないことの確認を求めています。
 
 私は、国民主権の行使の一環として裁判所へ「有事関連7法」等について憲法第81条の違憲立法審査権の発動も裁判訴状にて求めました。
 
 憲法81条は、裁判所に「一切の法律、命令、規則又は処分が憲法に憲法に適合するか、しないかを決定する権限を有する」という、いわゆる「違憲立法審査権」を認めています。立憲主義の下では、行政の議会といえども万能の力を有するものではありません。すなわち多数決原理によって超えることの出来ない基本法(憲法)の制約というものがあります。
 
 この基本法の制約自体を改変することもせずに「立法という手段」で、基本法の制約を乗り越えることは許されません。それは法律という下位法によって基本法を変更しようとする「法の下克上」であり許されないことなのです。多数決原理によってこれを強行するならば、それは議会の多数派による立憲主義否定の「クーデター」を意味すると言えるでしょう。もしそのような事態が発生したならば裁判所はもはや、「統治的行為論」によって違憲立法審査権の行使をすみやかに行わなくてはなりません。それすらも躊躇することは裁判所として、法の番人としての役割を放棄したことになるのです。

2004年6月19日

渡邉修孝
【違憲行為差止、損害賠償、及び債務不存在確認請求事件訴状:参照】


自衛隊違憲訴訟等裁判の内容紹介(7月2日、東京地裁で第一回口頭弁論が行われました。詳細次号)