太田昌国のみたび夢は夜ひらく[114] フランシスコ教皇来日に思う
『反天皇制運動 Alert』第42号(通巻424号、2019年12月3日発行)掲載
幼いころ、地方都市にあっても、お寺・神社・教会は程遠からぬ場所にあった。通夜や葬儀の時に意味も分からず出入りさせられたのはお寺で、それ以外には立ち入る機会も稀だったが、子ども心にもそれらは日常生活を離れた不思議な異空間で、興味を惹かれた。でも、そこからは過大な影響力を受けずに成長し、気づいたときには確信的な無神論者になっており、現在もそうである。
カトリック教が、けっこう真剣な追究の対象になったのは青年期だ。1964年、作家・堀田善衛のエッセイで、15~16世紀のカトリック僧、ラス・カサスの存在を知った。コロンブスの大航海とアメリカ大陸への到達を契機に始まったスペインの「新大陸征服事業」が、先住民族への虐待・強姦・虐殺・奴隷化に満ちていることを告発した、国王宛ての直訴文を書いた人物だ。当時、この著書の日本語訳はなく、原書を入手して読み、その内容に心底驚いた。同じ時代、キューバから届く新聞・雑誌には、見事なデザインのポスターが入っていて、銃を手にするカトリック僧がよく描かれていた。キリスト者が、本来なら根源的に希求しているはずの社会的正義の実現を等閑にして、民衆に抑圧的な体制に与するばかりのカトリック教会の現状を批判して、反体制ゲリラに身を投じる僧や尼僧が生まれていた。
キリスト教の初源的な意図を実現するためには、マルクス主義の立場に立つ人びととの対話・交流を積極的に求めるカトリックの左派潮流は、当時「解放の神学」派と呼ばれていた。ラス・カサスや彼らの著作を読むことで、イエス・キリスト、十字軍、魔女裁判、宗教改革などのキーワードを通して生半可な知識しか持たない10代半ばころの状況に低迷していた私のキリスト教理解は、我ながら少しは深まったと思えた。
今回来日したフランシスコ教皇の立ち居振る舞いと言動に対する私の関心は、この延長上にしかない。通常の国家の形とは違うとはいえ、世界最少のこの国家=バチカン市国は、世界じゅうに13億人もの信者を擁していることで、無視できない影響力を世界の政治・社会・思想に及ぼしている。現教皇は、とりわけ、核・環境・気候変動・貧困・移民・死刑制度などの問題に関心が深く、率直な発言を厭わないことで知られる。そこで、日本のリベラル派の中からは、フランシスコ教皇と安倍政権の立場を対立的なものと捉え、前者の率直な物言いが後者を揺るがすような効果を期待する声も、事前には聞かれた。だが、バチカン市国といえども「国家」、その最高責任者に外交「儀礼」や「内政不干渉」原則を超越した役割を期待することは、国際政治のリアリズムに反すると私は考えていた。理想・夢・希望を語りかける政治家が世界から消滅したからといって、ひとりの「精神的な権威」がなし得るかもしれない発言に過大な期待を寄せることは、私たちの弱さの反映だ。しかもこの場合、期待が寄せられている人物は、一宗派の宣教を最大の課題とする者に他ならない。
今回のフランシスコ教皇の発言の中で私が注目したのは次のくだりだ。「武器の製造、改良、維持、商いに財が費やされ、築かれ」ること自体が「途方もない継続的なテロ行為」だとする長崎での発言である。「核廃絶」に焦点を合わせるメディア報道では、これは重要視されなかった。今回の教皇来日については、メディア挙げての大報道がなされた割には「泰山鳴動して鼠一匹」の感が深い。
教皇来日の意味を考えようとして幾冊もの本を読んでいて、収穫もあった。ジョルジョ・アガンベンの『いと高き貧しさ――修道院規則と生の形式』(みすず書房、2014年)である。13世紀にアッシジの聖フランチェスコが創設したフランシスコ会の修道院規則と、そこを共同生活の場とする修道士たちの日々の関係を考察対象とした本である。所有権を拒否すること、「いかなる権利ももたない権利」を掲げることの意味、法権利の外部で生きるとはどいうことか、「国家」という形を取らない政治の可能性――など、「解放の神学」派の宗教者たちが取り組んだ課題が、そこでも切実な形で浮かび上がっていて、示唆的だ。
(12月1日記)