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状況20〜21は、現代企画室編集長・太田昌国の発言のページです。「20〜21」とは、世紀の変わり目を表わしています。
世界と日本の、社会・政治・文化・思想・文学の状況についてのそのときどきの発言を収録しています。

「抵抗の布――チリのキルトにおける触覚の物語」ラウンドテーブルにおける発言


2010年10月16日(土)大阪大学豊中校舎

去る10月16日午後、大阪大学で開かれたシンポジウム「抵抗の布――チリのキルトにおける触覚の物語」のシンポジウムに出席した。キルトの一種であるarpillera(アルピジェラ)は、ピノチェト軍事政権下での弾圧と抵抗の経験を表現した芸術作品であり、同時に社会運動としての機能も果たして、世界的な注目を集めてきた。

チリ出身の研究者であり人権活動家でもあり、現在は北アイルランドに住むロベルタ・バシック(Roberta Bacic)さんが来日し、40点のアルピジェラ作品を展示するとともに、「アルピジェラにおけるコンテクストの物語」と題したラウンドテーブルの講師を務めた。これに対し、大阪大学の北原恵さんと私がコメントした。作品の一部と開催趣旨は、以下で見ることができる。

http://gcoe.hus.osaka-u.ac.jp Stitching Resistance

私のコメントは以下のようなものであった。

1)アルピジェラに即して

(私の家にあった一枚のアルピジェラを示しながら)これは、私の家にあったアルピジェラです。きょうテーマになっているのは、1973年の軍事クーデタに始まって18年間続したチリ軍事政権の時代を背景としてもつ時代のことですが、私は軍事クーデタの一年半後にチリに入り、一ヵ月ほど滞在しました。

私が出会った人びとのなかで、軍事政権に反対している人びとは、声を潜めて自分たちの気持ちを語り、またビクトル・ハラやビオレッタ・パラなどの歌を、これまた声を潜めて歌っていました。そこで知り合った人が、後にこのアルピジェラを送ってくれたのです。

(会場には40枚ものアルピジェラが展示されていたので)これほどのアルピジェラを見たのは初めてですが、ある感慨をおぼえました。

(来日したキュレーターの)ロベルタ・バシックさんは、先ほど行なわれたガイド・ツアーで「連帯ビカリオ」という作品の説明のときに、ブラジルの教育学者パウロ・フレイレに触れました。

上位下達ではない作品構成のあり方が何をヒントとしているかという点に関して、ロベルタさんはフレイレに触れたのでした。

私も、一連の作品を先ほど見ながら、これらが観る者に対話を求めてくるという印象を強く持ちました。

相互主体性、相互対話性、相互浸透性などの言葉で表現してもよいのですが、それはいずれも、フレイレの概念から導き出されるものです。

とはいっても、チリから遠い日本にいて、これらの作品に込められた含意を理解するのは、容易なことではありません。

特に現在は、歴史的な記憶や経験を伝達すること、それを引き継ぐことがきわめて困難な時代です。観る側には、これを理解するための一定の努力が求められるでしょう。

ピノチェト軍事政権は、左翼政治運動・政党運動・労働運動などの諸運動を徹底的に弾圧し、これを壊滅させました。

これらの運動は、男性を主軸とし、思想・文化的にも、支配層が作り上げている男性原理に基づいた価値観に貫かれていたと、いまでこそ言えますが、弾圧された者も、したがって、男性が多数でした。

男性中心の諸運動が、再起不能な打撃を受けている一方、男性優位の社会的価値意識のもとで下位に退けられてきていた「女性的なもの」に根ざした表現が、人をも驚かせる力を発揮することとなったのです。

一般的に信じられている「女性的なもの」とは、「硬い」ものではない感情レベルのもの、すなわち、弱さ、控え目、ためらい、従属と依存、傷つきやすさ、などの要素です。

同じく、女性の活動領域は、思想よりも身体、公共よりも個人、社会よりも家庭である、と捉えられてきました。

これらの条件が重なり合った地点で、女性を表現主体としたアルピジェラは生まれた、と言えます。

このことは、硬い男性原理から、柔らかい女性原理への転換が求められている時代を象徴している事柄であったのではないでしょうか。

また、大言壮語に満ちた「大きな物語」を語る政治運動が消えて、日常的な生活に根ざした運動と表現こそが、支配への抵抗の核になっている現代を、先駆け的に暗示したものでもあった、と言えないでしょうか。
2)軍事政権前の「チリ革命」の文化革命的側面について

ピノチェト軍事クーデタが起こる以前の「チリ革命」は、その文化革命的な側面において、見るべきものがあったと思います。

それまでのチリにおいては、流布されるテレビ番組、映画、コミックなどのほとんどが米国製であったから、文化的な従属ははなはだしいものでした。

アジェンデ政権は、この現状を改め、民族的な自律性を高め、現実を批判的に分析・解釈できるような「新しい文化の創造」に重点をおいたのです。

作家アリエル・ドルフマン、ベルギー人社会学者アルマン・マテラール等を中心に、文化帝国主義の浸透に関する批判的な検討が積み重ねられました。

それらは『ドナルド・ダックを読む』『子どものメディアを読む』『多国籍企業としての文化』などの理論的な成果を生みました。ディズニーのコミックや写真小説(フォト・ノベラ)が子どもたちや大衆の脳髄を完全に支配している現状に鑑みて、それらの作品を貫いているイデオロギーを容赦なく批判する作業に力が注がれた、のです。

また、やせる/美しくなる/男性に気に入られる/セックスなどのテーマに純化している、いわゆる女性向け雑誌の批判的な分析も行なわれました。それは、その種の雑誌が溢れかえっている日本の現状に対しても、深い示唆に富むものです。

大衆、子ども、女性など、旧社会の価値意識のなかでは低く見なされてきた社会層にはたらきかけるような、文化批判の活動が「チリ革命」の過程で活発化していた事実が、果たして、軍事政権下の庶民の女性たちがアルピジェラという表現に賭けたことと関連してくるものなのか。

外部社会の私たちにはよく理解できない(見えてこない)この点が、ロベルタさんへの問いとして残るように思えます。

(以上、発言終わり) ロベルタさんからは、アルピジェラに、チリ革命の課程での文化批判の理論と実践が深く関係しているという視点は、とても刺激的だった、という感想を得ることができた。
(10月23日記)