太田昌国のみたび夢は夜ひらく[109]「一流の」帝国主義国の指導者の言動
『反天皇制運動 Alert』第37号(2019年7月9日発行、通巻第419号)掲載
6月末から7月初めにかけてのわずか10日間強に行われたトランプ米国大統領の言動から浮かび上がる現在の状況をおさらいしておきたい。6月24日、トランプ氏は或る私的な会話で「不平等な日米安保条約は破棄」とか「米軍基地の移設は、米国からの土地の収奪」と語った(米ブルームバーグ通信)。同月26日、大阪でのG20会議への出発直前には、「もし日本が攻撃されたら、米国は第三次世界大戦を戦うが、米国が攻撃されても日本はソニーのテレビで見ているだけだ」と語った(米フォックスビジネステレビでのインタビュー)。同月29日、G20会議後の記者会見では「日米安保条約は不公平な合意だ。変えなければならないと(日本の首相に)伝えてきた」と述べた(各紙)。
何かといえば「強固な日米同盟」頼みの日本の政府・自民党にとっては、足元が強く揺らぐ思いだろう。事実、野上官房副長官は、29日のトランプ発言をうけて「日米間で日米安保条約の見直しといった話は一切ない」と否定した。政府と外務官僚は嘘に嘘を重ねていくから、特権的な立場にない一般民衆が、歴史の歩みから教訓を得る機会を奪い去ってしまう。トランプがいう「片務性」は、60年日米安保改定に取り組んだ岸信介にとっては、米国を納得させるうえでの難題となって立ちはだかった(原彬久編『岸信介証言録』、毎日新聞社、2003年)ことくらいは、正直に頭に入れて発言するほうがよい。また、プーチンとの何回もの会談を重ねて日露平和条約が近々にも実現し、「北方領土」が「戻ってくる」かのような「印象操作」を首相自らが行なってきた案件も、日米安保絡みの側面を持つとの自覚もないままの外交交渉だった。ロシアが、日米安保体制下にある日本に北方諸島を返還したらそこに米軍が駐留する可能性に対する危機感を持つことは当然だろう。「地球儀を俯瞰する外交」が、日米安保体制が日米両国に持っている多義的な意味合いを無視し、そして近隣諸国の人びとからはどう見えるかという複眼的な視点も欠いたままに、行なわれてきていることは致命的なことだ。
同時に、1960年から70年にかけては、トランプが言うのとは別な意味で「安保破棄論」が民衆運動の中に根づいていたのに、発効後70年近くを経た現在では安保体制そのものを問う問題意識が希薄化していることに目を向けたい。憲法9条を守るという気持ちを持ちつつ日米安保体制を肯定するひとが存在することは、沖縄の人びとから夙に指摘されていたが、それは2015年の戦争法案反対運動の中でヨリ露わになった。そのことを忘れるわけにはいかない。
さて、トランプに戻る。大阪G20の会議が終わる6月29日の朝、直後に韓国を訪問するトランプはツイッターで、南北非武装地帯での金正恩との会談の可能性に言及した。その後の経緯は誰もが知っている。二人の独裁者の内外施策に対する厳しい批判を持つ私も、この臨機応変な機会の生かし方には、感心する(二人の心に透けて見える、計算づくの思惑を超えて)。そして帰国したトランプは、7月4日の米国「独立記念日」に、ワシントンのリンカーン記念堂の前で「米国への表敬」式典を開き、「米国に不可能なことはない」と演説した。上空にはF35戦闘機やB2戦略爆撃機が飛び、さながら「軍事パレード」の様相を呈した。為政者がこのような式典を行なう時、独立の「本質」を問う声はいつも少ない。
わずか10日間に凝縮して表現されたトランプの言動には、これが「一流の」帝国主義国の指導者だと思わせるものがある。身勝手で、強烈な自己中心主義を臆面もなく貫き、それでいて、相手を選んで時に「柔軟な」貌も見せる。五流の亜流指導者の、自信なげな言動との差異を思い、こんな大統領を有する国との関係の在り方をリセットすることに立ちはだかる困難さを改めて思った。
(7月6日記)