太田昌国のみたび夢は夜ひらく[105]反グローバリズムとベネズエラの現在の事態
『反天皇制運動 Alert』第33号(通巻415号、2019年3月5日発行)掲載
2001年9月11日、米国でハイジャックされた民間航空機が、軍事・経済上の象徴的な建造物に突っ込むという衝撃的な出来事が起こった。他国への侵略や空爆、ミサイル攻撃は絶え間なくやってきているが、自国本土が戦場になったことのない米国は、この事件によって戦争の悲惨さを初めて味わったはずだ。だが、この痛ましくも貴重な体験を、自国の過去の所業を内省する道に生かすことなく、米国は1ヵ月後には「反テロ戦争」という愚かな戦争を、またもや他国を戦場にして開始した。それはアラブ世界のみならず、欧州各地、米国、アフリカ、アジアにまで広がったまま、18年目を迎えている。米国が主導するこの戦争の現実を見ながら、一貫してこみあげてくる感慨が私にはあった。「北の超大国」=米国にもっとも近く、かつて政治的・社会的に不安定な情勢が続いていたカリブ・ラテンアメリカ地域が、ずいぶんと静かに、安定しているな……と。
この地域は、1959年のキューバ革命以降、東西冷戦のもっとも熱い現場であった。キューバに続こうとする反政府武装闘争が各地で起こり、米国はこれに対抗して各国の軍部にテコ入れしてゲリラを潰し、次々と軍事政権を成立させた。その頂点が1973年9月11日に起きた南米チリの軍事クーデタであった。その3年前の1970年、世界史上初めて選挙を通じて成立した社会主義政権を、米国はチリ国内の富裕層、極右勢力、軍部内右派の力を利用して打倒したのだ。米国と国際金融機関は、第三世界諸国に新自由主義政策を押し付ける最初の実験場として、軍政下のチリを選んだ。以後、この地域全体が、世界に先駆けて新自由主義路線によって席捲された。私たちも、その後この政策路線がどんな社会を作り上げるものであるかを、身をもって経験することになる。
手酷い経験を積んだラテンアメリカ地域では、1990年代以降、新自由主義を批判する民衆運動が盛んになった。多くの国々で、有権者は、グローバリズムに懐疑的か批判的な政治家を政権の座に就けた。20世紀末から21世紀初頭にかけて、この地域は、政府レベルにおいても民衆レベルにおいても、「反新自由主義」「反グローバリズム」の一大潮流を形成していた。それまで、政治的・経済的・軍事的に圧倒的な影響力をこの地域全体に及ぼしていた米国は、当然にもその存在力を失った。そのぶん、この地域は安定したのだ。軍政時代の圧政に関して真実を明らかにする試みがなされた。いくつかの国々は、相互扶助・連帯・協働の精神に基づいて貿易圏をつくり、「南の銀行」をつくり、欧米メディアによる独占を打破する独自のテレビ局を国境を越えて創設するなどの試行錯誤にも着手した。身勝手なふるまいをする大国が影響力を失うと、その地域社会は相対的に安定する。この事実は、しっかりと胸に刻むに値する。
この「反グローバリズム」潮流は、この間、逆流にさらされている。現在、問題がもっとも顕在化しているのはベネズエラだ。先に触れた、この地域における米国の存在感が薄れた時期にあっても、米国が石油大国=ベネズエラへの利害上の関心を失うことはなかった。2002年、反グローバリズムの推進者、前大統領チャベスを打倒しようとしたクーデタの試みの背後には、ブッシュ政権下の米国がいたことも明らかだ。現在、民衆を極限的な危機に追いやっている食糧と医薬品の欠乏は、米国による経済制裁によるところが大きい。過酷な経済制裁を科しながら、時至れば「人道支援」の名の下に救援物資を輸送するやり口も、常套手段だ。米国の罪は大きい。同時に、現マドゥーロ政権の反民衆的な政策を見逃すわけにもいかない。チャベス時代にはあった革命過程への大衆参加を欠いた独裁傾向、したがって集団的意思決定メカニズムの欠如、飢えた民衆の抗議行動に対する血の弾圧、重大な人権侵害を繰り返す治安部隊の放置、それゆえの軍関係者の重用、政治家の汚職――これらの現実を見れば、米国の介入と国内寡頭勢力の陰謀にだけ原因を帰していては、現在の事態を十全に把握できないことがわかる。これは、「革命」政権あるいは「改革派の」政権が基層の大衆から浮き上がるにつれて、世界のどこでも常に繰り返されてきたことだ。社会変革の過程の一つひとつが、独裁とも権威主義とも相容れない。それを譲ることの出来ない論理的根拠とした状況論が必要なのだ。 (3月2日記)