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状況20〜21は、現代企画室編集長・太田昌国の発言のページです。「20〜21」とは、世紀の変わり目を表わしています。
世界と日本の、社会・政治・文化・思想・文学の状況についてのそのときどきの発言を収録しています。

太田昌国のみたび夢は夜ひらく[93]ソ連の北方四島占領作戦は、米国の援助の下で実施されたという「発見」


『反天皇制運動Alert』第20号(通巻402号、2018年2月6日発行)掲載

1945年2月、米英ソ首脳によるヤルタ会談で、ソ連の対日参戦が決定された。同年8月9日、米軍による長崎への原爆投下と同じ日、ソ連軍は樺太南部と千島列島に投入された。さらに8月28日からは、択捉、国後、色丹、歯舞の北方四島占領作戦が展開された。各島で日本兵の武装解除が行なわれ、9月5日、ソ連軍は四島を制圧した。

ここまでは、従来もよく知られた歴史である。8月15日直後の状況下で、スターリンが北海道占領計画なるものを提示し、これをトルーマンが拒否したことも知られている。いつ頃のことだったか、スターリンが夢想した北海道占領案を地図上で知ったことがあった。それによると、釧路と留萌を結ぶ線を引き、その北東部分をソ連が占領することになっていた。そのとき2歳で、釧路に住んでいた私は、ソ連占領下に生きることにもなり得たのだった。権謀術数の駆け引きに拠って成立している国際政治の在り方如何によっては、所与の地域に生きる(とりわけ、敗戦国や勝者に占領された国の)民草の行く末などはいかようにも翻弄され得るのだという、世界政治に対する私の基本的な視点は、この段階で定まった。21世紀に入って4半世紀、このことが、アフガニスタン、イラク、シリア……などアラブ地域の国々で繰り返されているさまを、私たちは目撃し続けている。背後で蠢いているのが、米国とロシア(旧ソ連)であることにも変わりはない。これが、人間の歴史に対する諦観をわれらが裡に育てるものなのか、もっと深く絶望を植えつけるものなのか、それとも?――ここでは、問うまい。

さて、上に触れた歴史を受けて、北方4島問題を国家帰属に関わるそれとして捉えて角逐し合っているのが日露の両国家だが、そこは、近代国家成立以前には先住民族の土地であったことを考えるなら、歴史哲学的にはこの契機を挟むことなく、ことを「領土問題」に凝縮して解決を図ることの「不可能性」が浮かび上がる。この点を指摘したうえで、次へ進もう。日本が敗戦した1945年以降73年間ものあいだ揺るぐことのなかった「ソ連対日参戦」の事実に、新たな視点が付け加えられたのは昨年末のことだった。ソ連の北方4島占領を「米国が援助し、極秘に艦船を貸与し訓練も施していた」事実が明らかになったのだ(『北海道新聞』17年12月30日朝刊)。冒頭に触れたヤルタ会談の直後から、共に連合国であった米ソは「プロジェクト・フラ」(Project Hula)と呼ばれる合同の極秘作戦を開始した。内容は以下のごとくであった。米国は45年5~9月、掃海艇55隻、上陸用舟艇30隻、護衛艦28隻など計145隻の艦船をソ連に無償貸与し、4~8月にはソ連兵約1万2千人を米アラスカ州コールドベイ基地に集め、艦船やレーダーの習熟訓練を行なった。これら一連の訓練は、45年8~9月の「実践」で役立てられた。4島占領作戦に参加したソ連側の艦船数は17隻だったが、そのうち10隻が米国から貸与されたものだった。

つまり、ソ連の勝手なふるまいと考えられてきた北方4島の電撃的な占領作戦は、米ソをトップとする連合国の作戦であった、ということになる。こんなこともあるのか、と思えるほどの、歴史的な「一大発見」ということになる。発見者は2015年来北方四島の遺産発掘・継承事業を行なっている根室振興局である。各国の資料に当たる中で、サハリン及びクリール諸島上陸作戦に参加した軍艦リストを調査した一ロシア人学者の2011年度の研究が糸口になったようだ。調べてみると、米の元軍人リチャード・ラッセルが2003年に『プロジェクト・フラ』を書いて、この極秘プランの内実を著してもいる。これが最初の研究だとすれば、やはり真相は60年近くも秘されてきたということになる。

この場合は、国際関係の微妙さを口実とした「隠蔽」だったのか、よくわからぬ。時代の制約の中に生きる人間の問題意識・歴史認識の水準に帰すべき場合もあろう。近着の『極東書店ニュース』643号電子版を見るにつけても、学生時代以降半世紀間見続けて読書の指針にしてきたこの学術洋書案内に見られる内容の変化は著しい。ジェンダー研究、女性史、移民史、移民問題、少数民族、人種問題、環境問題などという書目分類は昔ならあり得なかったが、昨今は際立って冊数も多い。国際政治ゆえの「隠蔽」の力が作用しているのか、それともわが認識水準が及ばないのか、いずれにせよ、歴史にはこんなことが起こり得るのだ。

まだ真相に行き着いてはいないのではないかという恐れをもって、歴史に向き合いたいものだ。(2月3日記)