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状況20〜21は、現代企画室編集長・太田昌国の発言のページです。「20〜21」とは、世紀の変わり目を表わしています。
世界と日本の、社会・政治・文化・思想・文学の状況についてのそのときどきの発言を収録しています。

太田昌国のみたび夢は夜ひらく[92]願わくば子供は愚鈍に生まれかし。さすれば宰相の誉を得ん


『反天皇制運動Alert』第19号(通巻401号、2018年1月9日発行)掲載

今年は明治維新(1868年)から150年に当たる年なので、政府や地方自治体がそれを記念する行事を企画し始めているようだ。年頭の新聞各紙でも、その種の記事が目立った。ただし、この言い出しっ屁が現首相であると私が知ったのは、年頭1月6日付け毎日新聞掲載の編集委員・伊藤智永のコラム「時の在りか」によってである。

戦後70年に当たる2015年に山口県に里帰りした首相は、明治50周年(1918年)は長州軍閥を代表する寺内正毅、同100周年(1968年)は叔父の佐藤栄作が首相だったと紹介したうえで、「私は県出身8人目の首相。頑張って平成30年までいけば、明治維新150年も山口県の安倍晋三が首相ということになる」と語ったという。地元有権者の心をくすぐるリップサービスだったのだろうこの発言から、長期政権への野心を忖度した現官房長官が国の記念行事に位置づけた、と伊藤記者は言う。

現首相は、元来、まっとうな歴史意識や歴史認識の持ち主であることを期待しようもない人物ではあるが(首相の在り方として、ほんとうに、これは哀しく、情けなく、恥ずべき事実として私は言っている)、彼が肯定的に例示した寺内正毅は、「元帥陸軍大将」位をはじめとしていくつもの勲章を胸中に付けた肖像写真で有名な人物である。[勲章をぶら下げた人間を見たら、「軍人の誇りとするものは、小児の玩具に似ている。なぜ軍人は酒にも酔わずに、勲章を下げて歩かれるのであろう」と『侏儒の言葉』に記した芥川龍之介の言葉を思い起こすくらいの心を持ち続けていたい。それは、「革命軍」や「人民軍」や「解放軍」の兵士や司令であっても、変わることはない。躊躇いもなく人びとを殺す残虐な行為の果てに、胸を勲章で埋めるのが「軍人」、とりわけ「将軍」だからだ]。

ともかく、寺内正毅という軍人政治家の在り方を近代日本の歴史の中に位置づけておくことは、現首相の立場とは正反対の意味で、私たちにとっても必要なことに違いない。

1852年生まれ(ペリー艦隊「来襲」の前年である)の寺内は、明治維新の年=1868年に御盾隊隊士として戊辰戦争に従軍し、箱館五稜郭まで転戦したことで、軍人としての生涯を始めている。わずか16歳であったことに注目したい。その後の西南戦争でも、とりわけ田原坂の戦いで負傷して右手の自由を失うわけだから、いわば明治維新前後の政治的・社会的激動の中で生きたという背景がくっきりと刻印されている人物である。その負傷によって以後実戦の場を離れたとはいえ、日清戦争では兵站の最高責任者である運輸通信長官を、日露戦争時には陸相を務めていた事実に当たれば、いかにも「坂の上の雲」を目指して明治期前半の時代を生きた典型的な人物と知れよう。だが、その天を目指す群像を肯定的に描いた司馬遼太郎ですらが、寺内は自らの無能さを押し隠すように愚にもつかぬ形式主義に陥り、軍規にやかましく、偏執的なまでに些事に拘泥して部下を叱責した人物として描いている。その寺内が、1910年の「韓国併合」と共に陸相兼任のまま初代朝鮮総督となり、一般歴史書でも「武断政治」と称されるような苛烈な朝鮮統治の方法を編み出し、あまつさえ1916年には首相にまで「上りつめた」のである。

中国北宋代の政治家、詩人にして書家・蘇東坡の、有名な一句を思い出す。

「願わくば子供は愚鈍に生まれかし。さすれば宰相の誉を得ん」

日本国の現首相は言うに及ばず、世界中の現役宰相を眺めて思うに、「政治」「政治家」の本質は、やんぬるかな、古今(11世紀も、21世紀も)東西を貫いて、この一語に尽きるのかもしれぬ。

さて、寺内に戻る。彼は「韓国併合」の「祝宴」で次のように詠った。

「小早川 加藤 小西が世にあらば 今宵の月をいかに見るらむ」

固有名詞の3人はいずれも、16世紀末、秀吉の朝鮮出兵に参画し「武勲」を挙げた武将たちである。「歴史の評価は歴史家に委ねる」と公言する現首相が、心底に秘めている歴史観に共通する心情が謳われていることは自明のことと言えよう。

かくして、今年一年を通じて、明治維新150周年の解釈をめぐる歴史論争が展開されよう。ここ数年来、産経新聞はこの種の論争に敢えて「歴史戦」と名づけたキャンペーンを繰り広げている。『諸君!』『正論』などの右翼誌には1980年代後半以降とみに劣化した言論が載るようになったが、30年近くを経てみれば、その水準の言論が社会全体を覆い尽くすようになった。偽り、ごまかし、居直りに満ちたこの種の言論の浸透力を侮った報いを、私たちはいま引き受けている。「愚鈍な」宰相の言葉とて、甘く見るわけにはいかない。

(1月7日記)