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状況20〜21は、現代企画室編集長・太田昌国の発言のページです。「20〜21」とは、世紀の変わり目を表わしています。
世界と日本の、社会・政治・文化・思想・文学の状況についてのそのときどきの発言を収録しています。

太田昌国のみたび夢は夜ひらく[91]代議制に絶望して、おろおろ歩き……


『反天皇詠運動Alert』第18号(通巻400号、2017年12月6日発行)掲載

かつて必要があって、1965年当時の日韓条約締結に関わる国会審議の様子を新聞記事に基づいて調べたことがある。不明なことが多く、議事録を取り寄せたら、質疑内容に関する印象は一変した。戦後「反戦・平和勢力」の、国会における重要な担い手であった社会党議員が、対韓植民地支配責任を問う形での「戦後処理」を求めるのではなく、敗戦時に在韓していた日本人植民者が混乱の最中で彼の地に放置せざるを得なかった「財産」の回復・確保が、締結すべき条約に関わっての主要な関心であったことに一驚した。これに関しては、植民者を動員した日本国家が負うべき責任はあるだろうが、対韓請求の問題ではないだろう。

時代は下って1990年代後半、オウム真理教教祖の公判での弁護側と検察側のやり取りを、某紙一面の全面を使う記事で読んだ。全面を使っているのだから、さぞ詳しく、的確にまとめられているのだろうと思い込んでいた節が我ながらあった。後日、その応酬を引用するために公判記録を読むと、新聞に掲載されていた要旨とはまったく異なる印象を受けた。同紙の要約記事は、法廷における教祖の、「異様」かつ「不真面目な」ふるまいに関するト書き的な叙述が多く、弁護人の重要な発言を軽視ないしは無視していたようだった。

当然のことながら、国会や裁判で交わされた当事者間の問答・論議を検証するには原資料に当たることの重要性を学んだ。その意味では、テレビやラジオの中継は、質疑・問答のありようをじかに確認できて、本来ならよいのだが、時間の関係上それはできない場合が多く、加えて、昨今の国会審議の惨状を思うと、そもそも見聞きするに堪えられないという思いが先に立つ。機会あって稀に見聞きしたりすると、両者の言動に対する賛否以前に、「言葉を交わす」こと自体が不可能な人間がここまで大量に登場している事実を知って、こころが塞ぐ。だが、ネット上のツイッターやフェイスブックでは、忍耐力のある人が、あまりにひどいケースを動画入りで報告してくれる場合が、昨今はある。今次臨時国会での「討論」に関しても、それを通して、いくつかの「シーン」を垣間見た。野党議員の持ち時間を大幅に削ってまで質問をしたいと望んだ与党議員と閣僚たちが、驚くべき「醜態」をさらしていた。

青山繁晴や山本一太などが行なった質問はここに引用するのも憚られる内容(正しくは、無内容)なので、それはしない。したくない。この間、私自身もそう思い、何度か書いたこともあったが、連中の狙い目は、有権者が国会審議のひどさに呆れ、もはや、今まで以上に政治への、国会への関心を喪失し、政府・与党のやりたい放題でこの国の運営ができる状態を出来させたいのではないかと呟く人を、今回はちらほらと見かけた。さもありなん。

「ひどさに呆れ」と言えば、否応なく思い出すひとつの文章がある。テーマが若干変わるが、以下に引用してみる。「天皇というものは本来純粋培養で、貴族同士の結婚によって段々痩せ衰えてゆき、ひとつの生物の標本となる。ジガ蜂のようにグロテスクになってしまい、国民がそれを見て、なるほど俺たちの象徴というのはこんなんなんだナというふうに眺めるようになってほしかった。ところが、民間の女性と結婚することになった。これは困ったことである。なぜならたいへん健康な子どもが生まれるであろうから」

これを書いたのは、作家・深沢七郎。時期は、現天皇夫妻が結婚して間もない1960年。掲載誌は、講談社が現在も刊行を続けている文芸誌『群像』。深沢が書いた高級落語(吉本隆明による命名)「風流夢譚」とほぼ同じ時期に書かれたエッセイだったと知れよう。深沢の、この暗喩的な表現は何を語ったのか。この国では、自覚的な意識化作業による精神革命を経ての天皇制の廃絶も、他国ではありふれた歴史的事象であった物理的な処断=「王」の処刑による王政廃絶も、いずれも不可能なのではないかという、いかにも彼らしいニヒリズムの表現であったように思われる。

私はここで天皇制のことを書こうとしているのではない。あまりにひどい代議制に対する私たちの絶望の度合いは、天皇制に関わる深沢のこの吐露に近いものに達していると考えている私は、この先どうしたものかとおろおろ歩いているさまを、そのまま記しておきたかったのである。(12月3日記)