カタルーニャのついての本あれこれ
カタルーニャの分離独立をめぐる住民投票の結果の行く末に注目している。若いころ、ピカソ、ダリ、ミロ、カザルスなどの作品に触れ、ジョージ・オーウェルの『カタロニア讃歌』を読み、その地に根づいたアナキズムの思想と運動の深さを知れば、カタルーニャは、どこか、魅力あふれる芸術と政治思想の揺籃の地と思えたのだった。
そんな思いを抱えながら、私が30代半ばから加わった現代企画室の仕事においては、カタルーニャの人びととの付き合いが結構な比重を占めることとなった。
現代企画室に関わり始めて初期の仕事のひとつが、『ガウディを読む』(北川フラム=編、1984)への関わりだった。これに収録したフランシスコ・アルバルダネの論文「ガウディ論序説」を「編集部訳」ということで、翻訳した。彼は日本で建築を学んでいたので、直接何度も会っていた。熱烈なカタルーニャ・ナショナリストで、のちに私がスペインを訪れた時には、「コロンブスはカタルーニャ人だった」と確信する市井の歴史好事家を紹介してくれたが、その人物は自宅の薄暗い書斎の中で、「コロンブス=カタルーニャ人」説を何時間にもわたって講義してくれた。それは、コロンブスは「アメリカ大陸発見」の偉業を成し遂げた偉人であり、その偉人を生んだのは、ほかならぬここカタルーニャだった、というものだった。翻って、コロンブスに対する私の関心は「コロンブス=侵略者=西洋植民地主義の創始者」というものだったので、ふたりの立場の食い違いははなはだしいものだった。
それはともかく、ガウディという興味深い人物のことを、私はこの『ガウディを読む』を通して詳しく知ることとなった。
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http://www.jca.apc.org/gendai/onebook.php?ISBN=978-4-7738-9810-1
現代企画室は、それ以前に、粟津潔『ガウディ讃歌』(1981)を刊行していた。帯には、「ガウディ入〈悶〉書」とあって、粟津さんがガウディに出会って以降、それこそ「悶える」ようにガウディに入れ込んだ様子が感じ取られて、微笑ましかった。残念ながら、この本は、いま品切れになっている。
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http://www.jca.apc.org/gendai/onebook.php?ISBN=978-4-7738-8101-1
それからしばらく経った1988年、私はチュニスで開かれたアジア・アフリカ作家会議の国際会議に参加した後、バルセロナへ飛んだ。そこで、漫画家セスクと会った。フランコ時代に発禁になった作品を含めて、たくさんの作品を見せてもらった。それらを並べて、カタルーニャ現代史を描いた本をつくれないかという相談をした。漫画だけで、それを描くのは難しい。当時、小説や評論の分野でめざましい活躍をしていたモンセラー・ローチに、並べた漫画作品に即した「カタルーニャ現代史」を書いてもらうことにした。彼女にも会って、「書く」との約束を取りつけた。
その後の何回ものやり取りを経て、スペイン語でもカタルーニャ語でも未刊行の『発禁カタルーニャ現代史』日本語版は、バルセロナ・オリンピックを2年後に控えた1990年に刊行された。それからしばらくして、現地でカタルーニャ語版も出版された。また一緒に仕事のできるチームだなと考えていたが、ローチは日本語版ができた翌年の1991年に病死した(生年は1946年)。また、セスクも2007年に亡くなってしまった(生年1927年)。制作経緯も含めて、忘れ難い本のひとつだ。
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『発禁カタルューニャ現代史』(山道佳子・潤田順一・市川秋子・八嶋由香利=訳、1990)
http://www.jca.apc.org/gendai/onebook.php?ISBN=978-4-87470-058-7
カタルーニャ語の辞書や学習書、『ティラン・ロ・ブラン』の翻訳などで活躍されている田澤耕さんと田澤佳子さんによる翻訳は、20世紀末もどん詰りの1999年に刊行された。植民地の喪失、内戦、フランコ独裁、近代化と打ち続く19世紀から20世紀にかけてのスペインの歩みを、カタルーニャの片隅に生きた村人の目で描いた佳作だ。
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ジェズス・ムンカダ『引き船道』(田澤佳子・田澤耕=訳、1999)
http://www.jca.apc.org/gendai/onebook.php?ISBN=978-4-7738-9911-5
1974年――フランコ独裁体制の末期、恩赦される可能性もあったアナキスト系の政治青年が、鉄環処刑された。バルセロナが主要な舞台である。この実在の青年が生きた生の軌跡を描いたのが、次の本だ。同名の映画の公開に間に合わせるために、翻訳者には大急ぎでの仕事をお願いした。映画もなかなかの力作だった。
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フランセスク・エスクリバーノ『サルバドールの朝』(潤田順一=訳、2007)
http://www.jca.apc.org/gendai/onebook.php?ISBN=978-4-7738-0709-7
アルモドバルの映画の魅力は大きい。これも、同名の映画の公開を前に、杉山晃さんが持ちかけてこられた作品だ。試写を観て感銘を受け、監督自らが書き下ろした原作本に相当するというので、刊行を決めた。バルセロナが主要な舞台だ。本の帯には、「映画の奇才は、手練れの文学者でもあった。」と書いた。
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アルモドバル『オール・アバウト・マイ・マザー』(杉山晃=訳、2004)
http://www.jca.apc.org/gendai/onebook.php?ISBN=978-4-7738-0002-9
版画も油絵も描き、テラコッタや鉄・木を使った作品も多い、カタルーニャの美術家、エステル・アルバルダネとの付き合いが深いのは、もともとは、日本滞在中の通訳兼同行者=唐澤秀子だった。来日すると、彼女が私たちの家も訪ねてくるようになったので、私も親しくなった。彼女のパートナーはジョバンニというイタリア人で、文学研究者だ。そのうち、お互いに家族ぐるみの付き合いになった。
私の郷里・釧路で開かれたエステルの展覧会に行ったこと。絵を描いたり作品の設置場所を検討したりする、現場での彼女の仕事ぶりは知らないが、伝え聞くエピソードには、面白いことがたくさん含まれていたこと。彼女が急逝したのち、2006年にバルセロナの北方、フィゲーラス(ダリの生地だ)で開かれた追悼展に唐澤と出かけたが、そこで未見の作品にたくさん出会えたこと――など、思い出は尽きない。”Abrazos”(抱擁)と題する油絵の作品は、構図を少しづつ替えて何点も展示されていた。多作の人だった。「ほしい!」と思うような出来栄えなのだが、抱擁している女性の貌が一様に寂しげなのが、こころに残った。
私の家の壁には、『ハムレット』のオフェリアの最後の場面を彷彿させる、エステル作の一枚の版画が架かっている。
釧路での展覧会は、小さなカタログになっているが、現代企画室で作品集を刊行するまでにはいかなかった。でも、日本各地に彼女の先品が残っている。いくつか例を挙げよう。
「庭師の巨人」は、新潟・妻有に。
http://yuki8154.blog.so-net.ne.jp/2008-09-11
「家族」は、クイーンズスクエア横浜に。
http://www.qsy-tqc.jp/floor/art.html
「タチカワの女たち」は、ファーレ立川に。
http://mapbinder.com/Map/Japan/Tokyo/Tachikawashi/Faret/029/029.html
川口のスキップシティにも、日本における彼女の最後の作品が設置されているようだが、私は未見であり、ネット上でもその情報を見つけることはできなかった。
カタルーニャの分離独立の動きについて思うところを書くことは、改めて他日を期したい。(10月3日記)