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状況20〜21は、現代企画室編集長・太田昌国の発言のページです。「20〜21」とは、世紀の変わり目を表わしています。
世界と日本の、社会・政治・文化・思想・文学の状況についてのそのときどきの発言を収録しています。

選挙とその結果をめぐる思い――選挙と議会政治に「信」をおかない立場から


反天皇制運動『モンスター』1号(2010年2月2日発行)掲載

学生時代には「反議会主義戦線」なる運動があることを知って心ときめかせ、その後も議会制民主主義なるものにさして信頼を持っておらず、ましてや現代日本における選挙は、選挙民の中でもっとも質の悪い人物をわざわざ選び出す儀式と化している、などという悪口を日ごろから吐いていながら、開票速報には、どこか目を離せないものを感じてきているのが私である。
いつも夜更かしをして、そのまま、選挙結果を速報している朝刊を読むことになってしまう。我が事ながら、謎である。
そんな私に輪をかけるように、選挙権も持たないのに、開票速報を見るのが好きだ、と語っていた在日朝鮮人の友人もいる。
その場合は、権利を奪われていることへの怒りや悔しさと隣り合わせの関心であろうが、それにしても、選挙の何が彼女の心を掻き立てるのであろうか?
他人事ながら、謎である。
二〇〇九年夏の総選挙のときには、大きな地殻変動が起こって、それは政権交代にまで行き着いた。
選挙の結果として成立した新政権が、どんな政策を展開しているかについては後段で検討するが、まずは日本とは比較にならない、文字通りドラスティックな変化を生み出す選挙結果をもたらしている国もあることを見ておきたい。
もはや二〇年も前のことになるが、南アフリカで、悪名高いアパルトヘイト(人種隔離体制)廃絶の日程が具体化する過程で、反アパルトヘイト運動の象徴的人物であったネルソン・マンデラがおよそ三〇年ぶりに釈放された。
彼は一九六二年、武装解放組織=民族の槍(ウムコント・シズウエ)を主導的に結成したことをもって長いあいだ「国家反逆罪」を犯した「テロリスト」として監獄に幽閉されていたのだが、アパルトヘイト廃絶後の選挙で生まれた議会で大統領に選出された。
「テロリスト」が大統領になった、と書くのは正確ではない。マンデラを「テロリスト」と規定した時代の価値観と、大統領に選出した時代の価値観に、大きな変化が生まれたのである。
最近では、やはり、南米のいくつかの国の動きが注目されよう。
とくに、ウルグアイの大統領選挙では、もと都市ゲリラ活動を行なっていた人物が選ばれた。
一九三五年生まれのホセ・ムヒカという人物だ。ウルグアイでは、一九六〇年代から七〇年代初頭にかけて、トゥパマロスという都市ゲリラが活動していた。
コスタ・ガブラスが、イヴ・モンタン主演の映画『戒厳令』で、国際援助機関の職員を装って南米の某国に入国し、実は軍と警察に対して反体制活動弾圧の方針を教授する使命を帯びたひとりの米国人がゲリラに誘拐された実話を描いているが、このモデルとなる作戦を実行したのはトゥパマロスであった。
トゥパマロスは、これ以外にも、獄中同志奪還作戦(刑務所の房までのトンネルを付近の民家の床下から掘り進め、そのトンネルを伝って幾人ものメンバーを脱走させるという、信憑性が俄かには信じがたいほどの鮮やかな作戦である。
ホセ・ムヒカも一九七一年の作戦で獄中から解放されて脱走している)を数回成功させているし、大型スーパーから食料品を奪い、貧民区でそれを配布するという「義賊」のようなふるまいも繰り返した。
私は当時、トゥパマロスに関するさまざまな記録を読んでいたが、モラルの高いゲリラだったので、民衆の人気もきわめて高かった記憶がある。
トゥパマロスは、一九七三年に起きた軍事クーデタのあと徹底的に弾圧された。ムヒカも逮捕され、軍事体制が崩壊した一九八五年までの一三年間獄中にあった。
トゥパマロスは、その行動の「極左性」にもかかわらず、一貫した政権党であった親米右派のコロラド党に対抗するために左派勢力と民族主義者が「拡大戦線」なる統一戦線を形成して以来、後者を支持してきた(支持方針をめぐって、分裂は起こったが)。獄中から解放されたムヒカは、下院議員に立候補し当選した。
一五年間下院と上院で議員を務め、二〇〇五年に初めて成立した拡大戦線内閣では農牧・水産相となった。
そして今回、大統領に当選したのである。
「都市ゲリラから大統領へ」――これを認めるウルグアイ社会には、柔軟性がある。先に触れたように、トゥパマロスはそのモラルの高さゆえに民衆の支持が高かったとはいえ、それは所詮、選挙での投票行動の局面とは異なるものだろう。
ムヒカ自身は否定するが、ゲリラ時代に警官を殺害したとの嫌疑をかける声もある。
したがって、そのような人物が大統領に選出されたと知って、度量が広いというか、成熟度が高いというか、寛容性のある社会という印象を強く受ける。
日本を比較の対象とすれば、そのことがはっきり分かる。この社会では、政治犯にはことさらの重刑が科せられ、「仮釈放」とも「釈放」とも、ほぼ無縁である。
モラルを含めて、実践された「政治」の水準とも関わる問題もあるには違いない。それにしても、社会の中で人が生きる場所を得るとはどういうことか。かつて「罪」を犯した者が、どう「再生」/「新生」できるのか。
そもそも、犯した「罪」とは何か。そのことを深く考えて、次の方針を出す余裕を、私たちの社会は本質的に欠いている。
足元に還って、選挙の結果成立した鳩山政権の問題に移る。五ヵ月ほど前の発足当時から、新政権はさまざまな話題を提供してきた。
戦後史をほぼ一貫して支配してきた自民党政治が終焉したのだから、新政権への評価とは別に、ある種の解放感を多くの人びとが感じたに違いない。
私もそのひとりである。具体的な個別課題に取り組んでいればいるほど、この新しい政治状況を有利に生かしたい、とする立場が生まれることには何の不思議もない。その政権も、自業自得の理由から、もはやボロボロとも言える。
ここでは、多くの人びとがすでに発言している日米同盟と普天間問題をめぐる鳩山政権の「迷走」と、肝炎対策基本法の成立など肯定的に評価されるいくつかの施策への言及は避けて、法務省関連の諸課題について、いくつかの問題に触れておきたい。
官僚支配の政治を打破するとの公約を掲げた新政権は、そう簡単には引き下がらない官僚との熾烈なたたかいの渦中にある。
性同一性障碍との診断をうけ、女性から男性に戸籍上の性別を変更した夫が、第三者の精子を使って妻との間に人工授精でもうけた子を、法務省は「嫡出子とは認めない」との見解を、新年早々示した。
多様な形で形成されつつある家族の形を認めず、生物学的な血統主義に拘る(しかも戸籍制度を利用して)、いかにも法務官僚らしい見解だった。
数日後、千葉景子法相は、その認定が「法の下の平等に反する」との立場から、「運用や解釈で可能なのか、民法改正などの法的措置が必要なのか」を検討し、法務省見解を見直す方針を打ち出した。自民党政治時代にはあり得ないことだ。
つい最近、法務省は「殺人事件の時効廃止」を、前内閣から引き継いでいる法制審議会に提示した。
千葉法相は、審議会には前政権時代の内容にとらわれない検討を要望していたが、肝心の法務省は、事件被害者の報復感情を最大限に利用する姿勢を変えていない。
現閣僚の中でも最悪の人物と思われる中井国家公安委員長が、法務省の方針をいち早く支持したという報道があったが、むべなるかな、と思える。
これに対する千葉法相の見解はまだ伝えられていないようだが、「罪と罰」のあり方に深く関係してくるこの問題は、広く社会的に議論されるべき重要性を備えている。
千葉法相は就任会見で「個人通報権の保障」を重点課題として挙げた。
国際的な人権規約に付属する個人通報権条約を締結した場合には、国内の最高裁判所で敗訴した被害者が人権規約違反を理由に国際機関に個人通報できるという、国際的な制度的保障である。
法務官僚が、伝統的に、もっとも嫌う種類のものだ。
就任後五ヵ月、私たちに、法相が明言した方向への具体的な動きは見えず、知らされていない。たたかいが続いているのであろう。
「外国人選挙権法案 提出へ」と一時は報道されながら、連立政権の一角を形成する亀井静香の国民新党が強硬に反対していることから、この法案も迷走している。
報道によると、民主党案は、在日朝鮮人のうち「朝鮮」表記の人びとを除外する内容を持つ。
この表記の人は「国交のない国」=朝鮮民主主義人民共和国に帰属しているから、という論理に基づくようだ。
ここには、「朝鮮」表記の人びとの〈国籍〉に対する事実誤認と排除の論理が働いていると言える。方向性はよいが、法案自体が孕む問題は残る 。
最後に、もちろん、死刑制度の問題もある。法務省関連だけで、このように重要な課題が山積している。私の「議会政治」アパシーは根深いが、そうではあっても、「好機」を掴み、生かす努力を放棄はしまい、と思う。