戦争と死刑と国家
『文化冊子 草茫々通信』7号(2014年11月10日発行、書肆草茫々、佐賀)掲載
昨冬一橋大学で開かれた「追悼授業 ドキュメンタリスト・片島紀男の世界」で、私は「獄窓の画家平沢貞通―帝銀事件死刑囚の光と影」という作品を取り上げた。片島氏と私の出会いが、死刑廃止運動の中においてであった、ということに拘りたかったからだ。敗戦後の歴史や死刑制度に関心をもつごく少数の学生を除けば、圧倒的多数の人は、65年前の帝銀事件も無実の死刑囚の獄中死も、そのいずれをも知らないだろう。授業の日は、ちょうど、特定秘密保護法案なるものの国会審議が大詰めを迎えた頃であった。機密を好む国家、秘密を民衆には知らせぬままに国家が独占することで他ならぬ民衆を縛り上げてしまう国家――この〈怪物〉のような存在の片鱗をなりとも、若い学生たちには感じ取ってもらいたい、と思った。
帝銀事件は米国占領下の出来事だから、そこではふたつの国家が絡み合う。事件を捜査する日本警察の手が、犯行現場での犯人の手慣れた毒物処理に注目して、旧関東軍満州第731部隊員に及ぼうとしていた。米軍はその時すでに、「仇敵」であった同部隊員の技量を高く評価し、戦争犯罪を免じ、冷戦下での対ソ連軍作戦に彼らを利用しようとしていた。だから、占領下の日本側に圧力をかけ、捜査方針の転換を強要したのである。他方、日本官憲は代わりの生贄=平沢氏をでっち上げて死刑判決確定までもっていったものの、平沢氏が獄死するまでに就任した35人もの法相は、判決の事実認定への疑義があってか、ひとりとして執行命令書にサインする者はいなかった。前者には、戦争の成果をいかようにも利用しようとする常勝国である超大国の驕りが見える。後者には、死刑制度を墨守するためには冤罪による死者にも頬被りする国家の冷酷さが見える。
ところで、戦争の発動と死刑の執行によって、国家は「国民」の誰かに命令して他者の死を招く権限を独占しているとは、私の古くからの国家論テーゼだった。いかなる個人にも集団にも「人殺し」の権利は認めないが、唯一国家のみにはその権限が付与されていると信じて疑わない支配者たち! 戦争と死刑のためなら、どんな権力の行使も厭わない国家のあからさまな本質を示しているという点で、帝銀事件は、腹立たしくも痛ましい、繰り返してならぬ、国家犯罪のひとつの先例なのである。
だが、世界的に見れば、この状況は近年になって大きく変化した。戦争廃絶へ向けた強固な意思を示す国はほとんど見当たらないが、死刑の実質的な廃止国は140ヵ国に上り、旧帝国も集うEU(欧州連合)圏では死刑制度を廃止していることが加盟条件の一つになっている。米国軍と共にアフガニスタンやイラクへ派兵して、戦争での〈人殺し〉は続けてよいが、刑罰として〈非人道的な〉死刑は廃止すべきだ、と考える国家(政府)が登場しているのである。これをしも、人権の確立に向けた、人類のたゆみない歩みの成果といってよいだろうか? いずれにせよ、私の旧来の国家観は、いくらかは好ましいことに、修正を迫られてきたのだと思える。
ところがここで、新たな問題が生じた。日本で――他ならぬ私たちの足下の社会では、上に見た世界の趨勢には逆行する荒々しい動きが顕著になっている。せっかく軍備と戦争を廃絶した憲法をもちながら、世界でも有数の強力な軍隊(自衛隊)を保持し続けてきたという自家撞着の戦後史の中から、この軍隊を他の「ふつうの国」のように、海外での戦争にも参加できるようにしたいと考える為政者が現われたのだ。私の考えでは、それは、1991年ペルシャ湾岸戦争後に地雷除去の名目で自衛隊の掃海艇を派遣する動きを阻止できなかったことの延長線上にある。悔しいことである。他のいかなる存在をも超越する国家の〈優位性〉を、戦争発動の権限に求める勢力が、敗戦後69年にして社会の前面に立っているのである。
加えて、この政策を推進する政権下での死刑執行は、その頻度において過去を凌駕している。歴代法務官僚の中枢も、その支配下の政権も、自ら率先して〈非人道的な〉死刑制度廃止の気運をつくるどころか、内心では「法の支配」はこれによって貫徹されると考え、外に向かっては「世論が支持しているから」と嘯くのである。私は、先に述べた自分なりの国家論の核心が、古びて、瓦解する時代の到来をこそ望んでいる。戦争にも死刑にも、自己存在の証明を求めない国家の到来――それは、人類史の、未踏の領域に進みゆく課題である。
NHK佐賀局時代に反戦闘争をたたかい、帝銀事件取材を通して死刑制度廃絶を望んだ片島氏は、その課題に共に取り組む同志であり続けている、と私は感じていたい。
(9月18日記)