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状況20〜21は、現代企画室編集長・太田昌国の発言のページです。「20〜21」とは、世紀の変わり目を表わしています。
世界と日本の、社会・政治・文化・思想・文学の状況についてのそのときどきの発言を収録しています。

社会全体に浸透した排外主義的風潮の中で


『支援連ニュース』(東アジア反日武装戦線への死刑・重刑攻撃とたたかう支援連絡会議、第365号、2014年1月25日発行)掲載

虚しさに耐えながら、いわゆる右翼の言論誌を熱心に読み、そこで展開されている議論に対する批判を書き続けていたのは、1990年代だったか。文藝春秋の、いまはなき『諸君!』と産経新聞社の『正論』に掲載されている文章を相手にして、である。その後、社会総体が「右傾化」を確実に深めるにつれて、この手の雑誌は増え続けた。いま、駅前の小さな書店でさえ、雑誌コーナーにはそんな雑誌が小山をなしている。

私がこの種の雑誌の立ち読みを始めたのは1980年代前半だった。私は学生時代に、竹内好や村上一郎や橋川文三などの著書を導きにして、日本の右翼思想に触れていた。そこでは、私には同意もできず共感をおぼえることもできないことが、さまざまに展開されていたが、にもかかわらず、それを思想書として冷静に読むことは可能だった。ここを潜らなければ、近代日本が抱えた暗闇を理解することはできない、などと考えながら。

戦後も40年近くを経た段階で右派雑誌に現われた言論は、それと好対照をなしていた。

ただひたすらに、罵倒と罵詈雑言だけがそこにはあった。誰に対して? 国内の左翼に対して、そして、近隣のアジア諸国に対しての――歴史意識も、論理も、倫理も持たずに、「仮想敵」に対する悪罵に満ちた議論が商業雑誌上で大手をふってまかり通っていることに、私は「異様な」なものを感じたのである。日本国内の「進歩的知識人」や左翼に対してなら、どんなに汚い言葉で批判しても、まだしも、よい。だが、「外」に向かっての、この悪意の深さはなんなのか? 底知れぬ憎悪と悪意の根拠はなんなのか? 見過ごして、いいものだろうか? 学生時代に私が読んだ右翼の思想書には、「日本文化・歴史中心主義」は確固としてあったが、他者存在に対する悪罵はなかった。自国文化中心主義は、否応なく「排他性」をもつものだから、その点を批判的に読めばよかった。

1980年代から90年代にかけて現われた事態は違っていた。私は見過ごすべきではないと考えて、立ち読みで済ませることを止めて雑誌を買い求め、彼らが何を言っているかを紹介しながら批判を始めたのが、1990年前後だったのである。だが、市民運動の小さな機関誌に私が書くものなぞ、蟷螂の斧に等しいものだったろう。それから20数年が経って、現在の状況にまで立ち至った。

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現在のこの傾向には、いますぐにも隣国との間に戦火を交えよ、と煽動するかのような見出しが新聞広告に踊る週刊誌も加わる。産経新聞と読売新聞などの新聞メディアも加勢する。そして、体制批判的な言論人をことごとく排除した地点で成り立っているような、テレビの報道番組なる茶番劇が、この一連の情報包囲網を完成させる。そこへ政治的に登場したのが現首相A・Sであり、社会的に登場したのが在特会である。前者の第一次政権が成立したのは2006年だった。後者は2007年に社会的に公然化した。社会の最高の政治権力者である首相に、自分たちの排外主義的な思いを代弁してくれるような思想を持つ人物が就任した。違いは、あからさまにそれを語るか、それともオブラートに包んで語るか、にしかない。この事実は、在特会に大きな安堵感・安心感をもたらすものであり、自分たちが「社会的に認知された」と考えたのではないか。

得意の絶頂にあったA・Sは、わずか一年で政権の座を降りた。降りざるを得なかった。だが、3年間に及んだ民主党政権の不甲斐なさと、それを受けての自民党内部の権力争いに関わる事情から、2012年末、A・Sは首相に返り咲いた。これにふたたび勇気づけられたのか、在特会はその翌年の2013年、それまでは右に触れた右翼雑誌上にだけ留まっていた(インターネット時代を迎えた20世紀末からは、ネット上にも溢れていることは、付け加えておきたい)、外部の「仮想敵」に対する憎悪表現を社会的に「解き放った」。街頭で、民族排外主義のスローガンを公然と叫ぶ、いわゆる「ヘイト・スピーチ」によって、である。首相A・Sは国会答弁でこの在特会のふるまいに眉をひそめてみせたが、近代日本の歴史過程に関わる彼の言動の「本音」を見れば、両者はそれほど違わない位置にあることは、先にも述べたように、誰にでもわかることだろう。

この「空気」は現在行なわれている都知事選挙にも表れている。自民党都連がこの選挙において、元厚生労働相M・Yの支援を決めると、「自衛隊元航空幕僚長T・Tこそが現首相A・Sの立場に近いではないか」と主張し、支援先の変更を求める抗議のメールが多数寄せられているというニュースである。(もっとも、「T・T=A・S」という等式は、国際的には知られてはまずい「特定秘密」かもしれぬ。)

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これらすべてのことは、ひとしく物語っている――ひと握りの、愚かな保守政治家だけが諸悪の根源なのではない。社会全体が、何かの感情に駆り立てられるようにして、生き急いでいる。そのような時代が始まっているのである。そのとき「国民」内部の団結を求めるならば、その拠りどころが偏狭な民族主義になることは目に見えている。他者(他国)にひたすら悪罵を投げつけること、国内にありながらそれに付和雷同しない者がいるならそれを炙り出し、抑圧すること、これである。

繰り返し確認しなければならない。30年前、税金によって生活が保障されている国立大学教授も含めた極右の者たちが、目を疑うような悪煽動の排外主義的文章を『諸君!』誌などに発表し始めたとき、それは奇矯に見えないことはなかった。あくまで少数の復古主義者たちの心を捉えるに留まるであろう、あまりに愚かしい議論にしか思えなかった、という私自身の当時の印象も書いておこう。それは、いつしか、保守政権党内部に浸食し、リベラル派を根絶やしにしてしまった。そして、いまや、社会的にも浸透し、この社会の「雰囲気」を大きくつくり変えてしまった。この現象を、私は昨年来「〈外圧〉に抗することに〈快感〉をおぼえる」雰囲気と呼んでいる。「外部」からの批判があればあるほど、それを利用して、ナショナリズムが沸騰するのである。

2014年初春――私たちが直面している現実は、このようなものである。相手が盤石なわけではない。あまりに「極右」の道をゆくA・Sを警戒する動きが、都知事選挙などを通して、保守政治・経済の世界でも蠢いている感じがする。最近、天皇・皇后が憲法に関わる発言を何度か行なっているが、その中身を読み取ると、A・S路線への警戒心が透けて見える感じもする。「外圧」は近隣諸国のみならず、首相が頼みの綱とする、大洋の彼方の超大国からも押し寄せている。

そして最後に。以下は、この間の私の持論だが、現在の「敗北状況」をもたらした責任の、小さくない一端は、広い意味での「進歩派」と「左翼」の理論と実践の在り方にある。

それが何であり、いかに克服するかをここで述べるには、紙数が尽きた。すでに機会あるたびに触れており、今後もそのための試行錯誤を続けたい。(1月23日記)