太田昌国の夢は夜ひらく[4]「理想主義がゆえの失政」に失望し、それを嗤う人びとの群
『反天皇制運動モンスター』5号(2010年6月8日発行)掲載
「宇宙人ではないか」とあまねく噂されていた人の謎が解けた。
ご本人の解釈によれば「今から5年、10年、15年先の姿を国民に申し上げている姿が、そう映っているのではないか」ということだった。なるほど、そうだったのか。
他方、生涯を通じて理想の「リ」の字も考えたこともないらしい愚かな記者が、普天間問題に関わって彼に問いかけた。
「理想主義への反省はあるか」と。宇宙人は答えた、「理想は追い求めるべきだ。やり方の稚拙さがあったことは認めたい。
ただ、普天間(問題)は次代において選択として間違ってなかったと言われるときが来ると思う」。
ふたつの問題が残る。首相の座から去り行く人に対して、今さら皮肉を言う気持ちにはなれない。
政治的責任を負う立場の人でなければ、人間として悪い人ではないのだろう。しかし、次代のことを考えていると自認している割には、肝心なところで対米交渉のための努力の痕跡が見えない。
外務・防衛官僚の壁は厚く、高かったであろう。
しかし、5年先や15年先を見通しているなら、「いま」が重要なのだ。とどのつまりは、自爆的な辞任をするのであれば、ペンタゴンに牛耳られているオバマとの「死闘」を行なえばよかったのに。沖縄には「もう、たくさんだ!」という民意がある。
他の地域には「基地を誘致してまで沖縄と痛みを分かち合うつもりはない」という本音がある。
去った人は「米国に依存を続けて良いとは思いません」という気持ちを、今ここで持っていたというではないか。
それらを背景に、対米交渉を開始すれば、問題は「日米安保」でしかないことが、いっそう浮かび上がったに違いない。
安保解消は仮に5年先の目標かもしれないが、普天間基地即時閉鎖・地位協定改定に加えて、この政権の目玉をなしている仕分け作業の対象外にされてきた「思いやり予算」を全額廃止するなどの具体的な課題を、もっと手元に手繰り寄せることになる交渉が始められたり、決断に至ったりしたに違いない。
ふたつ目の問題は、宇宙人の「理想主義」を嗤った記者や、メディアの意見として、そこで踊るコメンテーターなる者たちの言論として、また世論として、メディア上に溢れかえっている、去り行く人に対する失望感や嗤い声に関わっている。
ここには、普天間問題での彼の「迷走」をしたり顔で批判する自民党や公明党の面々も入れなければならない。
残念なことには、おそらく、少なからぬ「護憲派」の姿もまた、ここに含めなくてはならないだろう。
それくらいに、幅広い人びとがここには〈無意識のうちに〉集っているのだ。
これらの人びとの立場を大まかにくくることのできる共通項は「日米安保体制」容認――これである。
沖縄の人びとに同情するような顔つきをして、前政権の失政を指摘した人びとの多くは、実はその本心に「安保体制容認」の気持ちを隠し持っていることを何度でも指摘しなければならない。
なぜなら、いつ「暴発」するかもしれない北朝鮮や、日本周辺海域へ海軍を広く進出させている中国の「不穏な」動きを思えば、沖縄に一万九〇〇七人から成る米海兵隊員が駐留している(〇九年一二月末現在、米国防総省の統計による)ことに、これらの人びとは安心感をおぼえているからである。積極的な平和のための努力も行なわずに。
これが、現在にまで続く戦後日本の「平和」の根拠である。 米本土以外で、米海兵隊基地があるのは日本だけだ。駐留数でいっても、第2位はフィリピンの四二九名だ。
二万人ちかい海兵隊員が沖縄にいるから「抑止力」があって「安心だ」と考えているのは、二〇〇ヵ国ちかくある世界のなかで日本だけだ、という事実が広く知られるならば、世界における日本の異常性がいかほどばかりかがくっきりと浮かび上がるだろう。
黒船来航→帝国主義間競争→開戦→原爆投下→敗戦→占領下→独立後も依存……と続いてきた一五〇年以上におよぶ近代・現代の過程で、日米関係がいかにいびつなものになったか、を明るみにださなければならない。
来る八月に、ある町の市民運動団体から講演依頼があった。この間の状況をみながら、タイトルを「戦後史の中の憲法9条と安保体制」とすることにした。(6月4日記す)