太田昌国の夢は夜ひらく[35]アルジェリアの実情を伝える急使は、どこから来るのか?
『反天皇制運動モンスター』第37号(2013年2月5日発行)掲載
ここ数年、「革命の通信」ともいうべき、北アフリカはマグレブの急使が途絶えることがない。広場に集まった群衆の中から、らくだに乗って突撃してきた部隊に蹴散らされた人びとの中から、逃亡した権力者の宮殿を占拠した人びとの中から――急ぎの使者がやってきては、何ごとかを伝えてゆく。
だが、私たちは、それを聞き取る術を持っているのか? 私たちはすでに、ここ十数年来のアフガニスタンとイラクについての報道を経験し、何事をも「イスラム」と括ることで、何か危険なもの、過激なもの、異質なもの――などと仄めかそうとする報道操作に全面包囲されてきた。それから、わが身を分け隔てる知恵を私たちは持っているか? あまりに歪められた「イスラム報道」に接するたびに、わが身は思わず身構える。
今回のアルジェリアの事態についても同じことだ。かつてなら、アルジェリアの急使は豊富だった。フランス植民地軍脱走兵の証言、植民地軍から拷問を受けた少女ジャミラの手記、解放戦線のスポークスパースンだったフランツ・ファノンの諸著作、そしてジロ・ポンテコルヴォの映画『アルジェの戦い』――植民地解放闘争の息吹を伝える急使が数多くあった。だが、1990年代の凄惨な内戦で15万人もの死者を出した記憶も消え去らぬ現在、抗争の当事者であった政府にせよイスラム武装勢力にせよ、適任の急使を外部世界に送ることができない。すでに19年も前にメキシコのサパティスタがインターネットを駆使して行なったような鮮烈な言葉によるメッセージを、今回の「覆面部隊」は発することができないままだ。だが、マリに侵攻したフランス軍の撤兵を要求する言葉だけは明快だった。ここから何がわかるのか? 事態はもはや北アフリカに局限され得ず、西アフリカへと拡大している、ということだ。マリと言えば、数年前に観たモーリタニア映画『バマコ』(アブデラマン・シサコ監督、2006年)は、世界銀行らの国際金融機関がマリに強制した構造調整政策の実態を巧みに告発する内容だった。20世紀末から21世紀初頭にかけて、ラテンアメリカ諸国に続いてアフリカの国々も、先進国と国際金融機関が主導する新自由主義経済政策の支配下にあったのである。この程度の知識でもあれば、天然ガス・プラント問題を通して、開発による利益を地元に還元するルールはどのようにつくられているのか、あるいはいないのかへと私たちの関心は伸びて、犠牲者の哀しい物語だけで終わらせずに、問題の本質的な膨らみへと行き着くことができるはずだ。
他方、新自由主義に翻弄された社会が、いかに構造的に壊れるものであるか。そのことを、小泉改革以降の日本社会の実情に照らして、私たちは学びつつある。経済生活を破壊された底辺層が、相互扶助の精神が相対的に高いイスラムの人びとの「影響下に入る」ことは見え易い道理である。メディアが好んでやるように「アルカイダが聖戦思想をもってアフリカを侵食している」などという側面だけで、事態を捉えるべきではないだろう。
マリの隣国ニジェールには、フランスの原発推進部門が採掘を手掛ける豊かなウラン鉱がある。現在のところ、東アフリカのジブチにしか軍の常駐基地を持たない米国は、去る1月28日、ニジェールへの米軍駐留に向けて同国政府との間に地位協定を結んだと発表した。「北アフリカで拡大するテロ組織に対応するために」米軍は偵察用無人航空機基地をニジェールにつくり、300人程度の要員を駐留させるのだという。またしても、軍事的な対応である。「反テロ戦争」の拡大図を見るために、地図を広げてみよう。アフガニスタン、イラクに始まる「戦線」が次第に西へと拡大し、ソマリアでの「海賊退治」を経て、ついに西アフリカへ至った事実に行き当たろう。それは米国主導の「反テロ戦略」の破綻を意味している。いつでもどこでも軍事に頼る大国のふるまいを「横暴」と捉える非国家組織が同じ手を使って対抗することで、現在の状況がつくられたのだ。
最近、国連事務次長は「ラテンアメリカの経済状況が比較的順調なのは、この地域で武力紛争がほとんどないこと」を理由として挙げた。私はこれを、同地域では米国の影響力が大幅に減退し、その軍事的プレゼンスもほぼ消えて、新自由主義路線を排除して、各国に自主・自立・相互扶助の動きがあるからだ、と読み替える。アルジェリアをはじめ北西アフリカの現実の打開方法を伝える急使は、意外な場所から来るのかもしれない。
(2月2日記)