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状況20〜21は、現代企画室編集長・太田昌国の発言のページです。「20〜21」とは、世紀の変わり目を表わしています。
世界と日本の、社会・政治・文化・思想・文学の状況についてのそのときどきの発言を収録しています。

太田昌国の夢は夜ひらく[33]ヤマトの政府と「民意」の鈍感さに見切りをつけた琉球弧の運動


反天皇制運動『モンスター』第35号(2012年12月4日発行)掲載

「アメリカへ軍事基地に苦しむ沖縄の声を届ける会」は、2012年1月下旬に訪米団を派遣した。ささやかな旅費カンパを行なった私のもとに、10月30日付けで発行された「訪米団報告集」が届いた(インターネットをお使いの方は、会の名前を入力すると、いくつかの情報源に行き着くことができる)。

冒頭にある団長・山内徳信の文章はのっけから次のように始まる。「日本政府に訴えても聞いてもらえないならば、基地の運用者であるアメリカ政府や連邦議会、アメリカ市民へ訴えよう」と。ここで言う「日本政府」の背後には、これを支えてきた日本社会の「民意」か「世論」が存在しているわけだから、私たちも無傷では読むことのできない文言である。まず、二つの論点をここから引き出しておきたい。沖縄の民衆が持つ日本政府に対する絶望感が、歴代のそれに対して積み重ねられてきたものであることは、戦後史を顧みるなら当然理解できることだ。だが、時期に注目して直接的な要因を探れば、普天間基地に関して「最低でも県外」移設を掲げて挫折した鳩山元首相の一件に由来することは、見えやすい道理である。彼には確かに「政治力の不足」が見られたが、それと同時に見ておくべきは、彼の企図が「辺野古移設を既定路線とする米国側と日本の外務、防衛両省上層部からの反撃」に見舞われたことである(『文藝春秋オピニオン 二〇一三年の論点百』所収の鳩山論文)。この点は私も何度か指摘してきたが、メディアと多数派世論は鳩山の「公約違反」を論うばかりで、外務・防衛官僚上層部によって鳩山案に対する妨害工作が行なわれたことに触れる議論は極端に少ない。ここにこそ、あの事態の本質を見るべきであろう。

ふたつ目は、この事実を自覚したうえでなお、米国から見れば、日本の「国内問題」でしかないものをわざわざ米国まで出かけてきて訴えるのはお門違いではないか、という反応に見舞われるに違いないということである。事実、代表団メンバーの報告を読むと、応対した米国の議員からは、そうした趣旨の指摘が幾度も返ってきている。日本社会の中でそのケリがつけられていないという意味において、この指摘はヤマトの私たちにも痛覚をもたらす。代表団には、その時の居心地の悪さを予感するものがあったと思われるが、それでもなお訪米した意図は何か。参加した糸数慶子によれば「米国内で財政赤字削減計画の一環として国防費の大幅削減が計画され、そのため海外の米軍基地の大幅見直しの動きがあり、米国連邦議会の有力議員や有識者、シンクタンクの中からも沖縄の米軍基地の整理・縮小や在日米軍の再編を求める声が高まり、このタイミングでの訪米は千載一遇のチャンスであった」ということになる。事実、基地支配者である米国政府(国務省、国防省)や連邦議会の上下両院議員、補佐官、シンクタンク、駐米日本大使など62ヵ所にも及ぶ訴えは、かつてない「民衆による直訴行動」であったようだ。

結果は、もちろん、楽観的なものではあり得ない。しかし、真剣な議論もないままに、駐留米軍の「抑止力論」に終始する日本政府・官僚(何度でも書かねばならないが、その背後にあるヤマトの「民意」!)の「無感覚な対応」(山内徳信の言葉)に翻弄されてきた代表団にしてみれば、米国側のそれは「率直で、新鮮であった」という感想を一様に述べている点が注目される。問題提起がなされれば、最後の一線を譲る気持ちはさらさらないとしても、「議論を通してその提起を受け止める」という態度が見られたのであろう。それを「率直で、新鮮」と言わざるをえない心中を察したいと思う。

他方、「琉球弧の先住民族会」のメンバーである親川志奈子は、ジュネーブの国連人権理事会先住民族部会で「先住民族という視座」から、琉球の軍事化や基地被害についての訴えを行なった経験を報告している(『世界』12月号)。『世界』掲載の文章には珍しく、生活と文化に根差した豊かな視点から、「脱植民地化を実践し生きていく」展望を語っている。彼女の文章は「そして問い続ける、沖縄を目の前にして日本人はどう生きるのかと」という言葉で結ばれている。

沖縄での注目すべき動きが、期せずしてか、ヤマトの政府と「民意」の鈍感さに見切りをつけ、世界からの包囲網の形成に向かっている現実に目を向けたい。  (12月1日記)