太田昌国の夢は夜ひらく[25]「海上の道」をたどる軍事力の展開――70年前の史実と、現在と
反天皇制運動『モンスター』27号(2012年4月10日発行)掲載
オーストラリア連邦北部ノーザンテリトリ準州にダーウィンという町がある。ティモール海に面し、オーストラリアのなかではもっともアジアに近い町だ。真珠湾奇襲攻撃から2ヵ月後の1942年2月、日本軍はこの町を空襲した。日本軍がオランダ領東インド諸島(その後のインドネシア)を占領したことに対して、連合国側がオーストラリア北部にある基地から反撃に出ることを封じるための先制攻撃である。日本軍占領によって追われた植民者・オランダ人の一部がオーストラリアへ逃げ、日本軍は続けてティモールをも占領した史実を重ね合せると、確かにオーストラリア北部はアジア多島海の延長上に位置する地勢上の要件を備えていることがわかる。
このダーウィンに、去る4月3日、米海兵隊の第一陣二百人が本拠地ハワイから到着した。昨年11月、豪州を訪問した米国大統領は、豪首相との会談で、ダーウィン近郊の豪軍施設を利用して米海兵隊を駐留させることで合意した。五年後の2017年(ロシア革命百周年! と書いても、虚しくも意味ないか)には2千5百人規模にする計画である。70年前の日本軍の海洋展開を頭に描きながら、中国の「海洋進出」を警戒して仕組まれた米豪軍事協力体制が確立したのである。米国はさらに、豪西部パースの海軍基地の利用拡大や、インド洋の豪領ココス諸島を無人機基地として利用する可能性も検討しているという情報もある(4月5日付しんぶん赤旗)。世界規模での米軍再編は、豪州地域で先行的に展開されている。去る2月の米豪軍事共同訓練には日本の航空自衛隊が初めて参加しており、さらに経済面では日本はオーストラリアにとっての最大の貿易相手国であることを考え合わせると、私たちが日常感覚として持つ「オーストラリアの遠さ」は、為政者たちが取り仕切る政治・経済・軍事の領域での実態とはかけ離れているのであろう。
ここから、二つの問題を考えておきたい。一つ目は「米軍の世界展開」の現状である。昨年末時点での米国防総省の統計に基づいた数字がある(3月25日付朝日新聞)。米国内の基地と領海には122万人の兵士がいる。国外には30万人の兵士が駐留している。合計152万人の兵士を抱え、年間軍事支出は50兆円に上る。特徴的なことを挙げてみる。
一、ドイツに5万3526人、イタリアに1万817人、日本に3万6708人の米兵士が駐留している。欧州とアジア太平洋の枠組みでそれぞれを見ると、いずれも突出した数字である。第2次大戦の敗戦国への「仕打ち」が60年有余以後の今なお継続している。帝国主義間戦争とはいえ、日独伊がファシズム国家であったことから、連合国側は道義的な「優位性」を保持し得たが、その「成果」を米国が独り占めして現在に至っている。
二、アフガニスタンには9万1千人の兵士が駐留している。イラクからは完全撤退したが、クウェートなど周辺地域には4万人程度を残していることからわかるように、原油確保とイランに向けた戦略は十分に担保されている。
三、中南米・カナダの駐留数は1970人とされている。中南米は、かつてなら「裏庭」意識で思うがままに利用してきた地域だが、政権レベルでも民衆レベルでも対米従属を絶ち、自立的な動きが高まった結果と見るべきだろう。東アジア、日本にとって、もって他山の石となすべき教訓だと言える。
二つ目は「北朝鮮が打ち上げる『衛星』に対する破壊措置令」の意図である。部品落下の可能性に向けての措置としては、きわめて異常な警戒態勢が準備されている。沖縄本島、宮古島、石垣島へ地上発射型迎撃ミサイルPAC3を配備したことは、2010年の「防衛計画の大綱」が言及した、中国を意識しての「南西防衛」構想の具体化のための一里塚であろう。日米軍事同盟の下にある限り、この構想は「海上の道」をたどって、冒頭で見た米豪軍事協力体制とも結びつくだろう。
どの国の為政者も、隣国の軍事的脅威を言い募っては、自国の軍事力強化の口実としている。東アジアのこの悪循環を断ち切るために「他山の石」から知恵を得たい。切に、そう思う。(4月7日記)