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状況20〜21は、現代企画室編集長・太田昌国の発言のページです。「20〜21」とは、世紀の変わり目を表わしています。
世界と日本の、社会・政治・文化・思想・文学の状況についてのそのときどきの発言を収録しています。

最近の死刑関連図書から


『出版ニュース』2012年2月中旬号掲載

死刑とは、人の心をかき乱す制度だ。悲劇的な事件が起きた時と、死刑判決が確定する時点では大きく報道されて、否応なく社会的関心が高まる。だが、被害者や加害者の家族でもない限り、関心はそこで止まる。第三者の一時は激昂した心も、死刑確定者のその後・執行の実態などには何の関心も示さない。それだけに、ひとりの死刑確定者が処刑されて、何が終わったのか、何が始まろうとしているのか――それを問う作業は貴重だ。書物であれ、映画・テレビ番組であれ、人びとが冷静な気持ちを取り戻して、事件とそれに関わった人びと・その心の揺れ動き・処罰のあり方などについて思いをめぐらす機会を提供してくれるからだ。最近の書物の中から、その意味でとくに印象に残る二冊を紹介したい。

堀川惠子『裁かれた命――死刑囚から届いた手紙』(講談社、2011年)は「意外性」に満ちた本だ。本書を生み出したのは、著者自身がディレクターを勤めたテレビ番組であった。検事としてかつて一人の青年に死刑を求刑した人物が抱え込んだ苦悩に迫って、それは見応えのある番組であった。元検事はメディアで発言を求められる場合も多く、それを見聞きしていると、確信を持った死刑肯定論者だと人は思っていただろう。元最高検察庁検事、土本武司氏である。著者は別の死刑事件の取材で、土本氏との面談を続けていた。雑談のときに、土本氏は意外にも、死刑判決について従来の印象とは違う抑制的な発言をすることに著者は驚く。おそらく、数ヵ月の時間をかけて取材する側とされる側には、信頼感が生まれていたのだろう。土本氏は、捨てるに捨てられずにきたある死刑囚の9通の手紙の存在を明らかにし、それらを著者に示したのである。

はるか40数年前の事件、その5年後には死刑が執行されている。長い歳月を経て続いてきた土本氏のこだわりに著者も心が騒ぐ。9通の手紙と事件当時の新聞記事のみを手がかりに、処刑された人物・Hの人生をたどる著者の旅は始まる。か細い糸が、過去にHと交友のあった人びとや周辺事情に結びついていくさまを描いたのが本書なのだが、それもまた、意外なまでの展開を遂げていく。前著『死刑の基準――「永山裁判」が遺したもの』(日本評論社、2009年)でも顕著であった著者の取材力の賜物であろう。

本書の展開は二本の糸によって繋がれている。一本は、土本氏と、控訴審以降の国選弁護人家族が持ち続けていたH関連の手紙や資料、そして家族にすら忘れ難い印象を遺していた、Hに寄せる弁護人の深い思いのこもった数々の言の葉である。もう一本は、Hの勤め先だった小企業主の夫婦、小学校時代の旧友、奇跡的に繋がっていく遠い縁者・近い縁者たちから伸びてくる糸である。二本の糸が結び合わさった終章で、著者は言う。「裁判は法廷の中だけで判断を迫られる」が、「法廷に現れる資料は万全では」ない。「限られた材料で判断を下さなくてはならないという裁判の大前提、そして人が人を裁くことの不完全さを、裁く側は頭に入れておかなくてはならない」。

著者の執念は最後に、群馬県にひっそりと埋葬されているHの墓にたどり着く。それを聞いた元捜査検事はすぐにその墓を訪れた。大輪の百合を手向け、線香に火をつけ、目を閉じて手を合わせた――問題の根源を照らし出す、静かな末尾である。「被害者とご遺族については多くを触れていない」が、「44年前の悲劇を掘り越して遺族にぶつけることは、取材者の範囲を超える」との判断も示されている。「それでもあえて触れるのならば」「もう一冊分の重く深い内容になることを胸において取材した」。著者が、事件の全体像を視野に入れて仕事を進めたことを、この言葉は物語っている。

取り上げたいもう一冊は、『年報・死刑廃止2011 震災と死刑――生命を見つめなおす』(インパクト出版会、2011年)である。この「年報」は15号目を数えるに至った。一年間をふり返って、その年の重要な出来事をめぐる諸論文や座談会に加えて、「死刑をめぐる状況」を照らし出すさまざまな角度からの情報が毎号載っている。巻末には、死刑判決を受けた人びとのリストがあって、刑死したり獄死したりした人の枠は、薄くアミカケされているから、毎年この頁を繰るたびに、私は名状しがたい気持ちになる。ともかく、この15冊には、前世紀末から今世紀初頭にかけて「国家の名の下に殺人が行なわれる死刑という制度」と、この社会がどう向き合ってきたか、あるいは向き合うことを忌避してきたか、の痕跡が印されている。

最新の「年報」は、3・11の事態を受けて、ジャーナリストや弁護士が「震災と死刑」をめぐって語り合う座談会が巻頭におかれている。そこには、被災地の刑務所での避難指示に触れた箇所があって、宮城刑務所のいわき拘置支所の受刑者が全員東京拘置所に移送された事実が明かされている。建物の破損がひどく、原発にも近いからである。すると、刑場を持つ施設が原発事故汚染区域内にあったならば、死刑確定者も「安全な」場所に移送するのか、という問いが生まれる。最終的には死刑を執行するために「安全な」場所へ移す? これは、死刑という制度をめぐる本質的な問いかけに繋がっていく。また、或る死刑囚は、事故を起こした原発内での仕事に従事することを申し出たという。それは「人道に反するから」許されなかった。このようなエピソードが語られるというのも、この「年報」ならではのことである。多様な視線が交錯して、事態を見つめる目が豊かになっていく。ある事柄の現実に届くためには複数の視線が必要であること――それは死刑をめぐっても、そうなのだ。

(1月30日記)