憲法9条と日米安保・沖縄の基地を共存させている「民意」
『支援連ニュース』第332号(2011年1月26日発行)掲載
政治家が吐く言葉が虚しいというのは、世界のどこにあっても、多くの人びとの共通の思いだ。代議制の政治において、「選ばれたい」と好んで選挙に群がってくるのは、権力や金力や世襲制などにとても近しい感情を持つ連中が大多数である以上、そしてそれが選挙権を持つ大衆によって許容されている以上、これと同調できない者が持つ虚しさの感情は、世界のどこかしこで、際限なく続いてきた。私は思うのだが、選挙とは、有権者のなかでもっとも奢り昂ぶっている人物を、つまり金の力と、権力と、親の威光とを最悪の形でかざす人物を、わざわざ選びだす儀式と化しているのではないだろうか。
最近の日本でいえば、小泉という男が首相であった時代――それは、2001年から2006年までの時期のことだったから、現代的な時間の流れの速度でいえば、「もはや昔」の話に属する――に、つくづくそのことを痛感した。大した苦労もなく育ったことによって屈託もない笑顔を常に浮かべていることができた時期の加山雄三のような男とでもいおうか、歴史や思想を背景に深く考えるという訓練を積んでこなかった小泉は、(時に苦しまぎれにでも)即興で口にした短い言葉が、けっこう「世間」的には通用する、否、むしろ「受ける」ことを知って、5年ものあいだ徹底してその場所に居座った。居直った、と言ってもよい。思い出したくもない、無惨な言葉の数々をこの男は遺した。
この時期の私の思いは、単純に政治家個人の言葉に対する虚しさというのではなく、その虚しい言葉を連発する男に「世論」の共感が集まっているという意味で、もっと複雑で、にがいものだった。ある社会が、他地域の植民地化・侵略戦争へと向かって、雪崩を打って巻き込まれていった過去の歴史的な時代を回顧したときに否応なく生まれる思い――人間っていうものは、どうしようもないものだなあ、という感慨を持たざるを得なかった。この時期、政治全般で、とりわけ経済と軍事の領域で、日本社会のあり方を大転換させる政策が次々と採用されていった。弱肉強食の新自由主義経済秩序の浸透によって社会がずたずたに切り裂かれ、同時に、世界第一・第二の経済大国である米日二国が軍事的協力体制を強化しているという、経済と軍事の「現在」は、あの小泉時代の政治の直接的な延長上にある。
そのころ、小泉は、おそらく、政治の虚しさを実感させる頂点のような言動を弄する人物だろうと私は思っていた。ところが――これと同等の、いや見方によっては、はるかに上手、がいたのだ。
(1) 「海兵隊は即座に米国内に戻ってもらっていい。民主党が政権を取れば、しっかりと米国に提示する事を約束する」(2001年7月21日)。
(2) 自民党政権下では「政権が変わるたびに新しい首相は真っ先に首相官邸のホットラインで米国大統領に電話し、日米首脳会談の予定を入れるという『現代の参勤交代』とも言うべき慣行が続いている」(2002年9月)。
(3) 「沖縄から海兵隊がいなくなると抑止力が落ちるという人がいるが、海兵隊は(日本を)守る部隊ではない。地球の裏側まで飛んでいって、攻める部隊だ。沖縄に海兵隊がいるかいないかは、日本にとっての抑止力とはあまり関係がない」(2006年6月1日)。
野党の政治家なら、この程度は言って当然というべきこれらは、いずれも、菅直人という名の政治家がかつて行なった発言である。(1)と(2)は、民主党幹事長時代のもの、とくに(1)は参議院選挙のさなかに那覇市で行なった演説の一節である。(3)は、民主党代表代行時代の発言だ。
その菅は、前任者・鳩山が自滅して後任の首相に就いた2010年6月6日、米国大統領に真っ先に電話し、「普天間基地の辺野古移設を明記した先般の日米合意を踏まえ、しっかりと取り組んでいきたい」と語りかけた。さらに、6月14日の衆院本会議で「海兵隊を含む在日米軍の抑止力は、日本の安全保障上の観点から極めて重要だと考えている」とも語った。そして、新しい年が明けて開かれた通常国会では、1月24日の施政方針演説で「日米同盟はわが国の外交・安全保障の基軸であり、今年前半に予定されている訪米時に21世紀の日米同盟のビジョンを示したい」と断言した。
大きな信頼感を抱いているわけでもなかった政治家だが、これらの発言の間に横たわる「落差」と「矛盾」には、頭がくらくらする。小泉の場合には、以前と後の言動が大きく食い違っているという問題ではない。非歴史的かつ非論理的な発言をしておいて、恬として恥じないという(これはこれで困った特質だが)ところから派生する問題である。菅の場合は、右に掲げた野党時代の意見と、首相になって以降のこの間の言動を比較対象されたなら、人間としてナイーブな存在を想定するなら、身もだえして我が身の置き所がなくなるような矛盾である。結果的にはとても脆いものではあったが、鳩山由紀夫が最初に持っていた程度の「逡巡」や「迷い」すらも、首相に就任した菅は当初から示すことはなかった。ひとは誰でも、時に矛盾に満ちた言動をしがちである、という一般論に流し去ることはできない。政治的・社会的責任を伴う立場の人間の、底知れぬ暗闇をもった「転向」なのだから。
だが同時に、菅のこの転向が、他ならぬ「世論」によって支えられているという点を見逃すわけにはいかない。菅政権は、世論調査によれば、支持率は低い。昨今の世論調査では、設問の設定にも依るのであろうが、いかようにも浮遊する気まぐれな世論の傾向が浮かび上がるだけだから、どこまで信をおくに値するか、という疑問があるにしても。しかし、こと外交政策の問題としては、アジア諸海域への中国の軍事的台頭や北朝鮮の軍事冒険主義に大きな脅威を感じて、日米同盟の強化と自衛隊の装備増強を容認しているのが、世論なるものの大方の流れであることは、無念ながら、認めざるを得ないようだ。それがはっきりと表われたのは、昨年5月、民主党政権が鳩山から菅へと移行した際の、社会の動向だった。マスメディアの報道傾向も大きく影響したと思われるが、普天間基地の「移設先」(移設先という発想が、そもそも、おかしいのだが)を最低でも県外と公約していた鳩山が為すすべもなく対米追随へと落ち込んでいったとき、世論の大勢は、確かに、公約違反の鳩山を批判し、沖縄の民意に「同情的」だった。その鳩山が行き詰って退陣し、菅が首相に就任し、先に触れたように「日米合意厳守」の方針を明らかにしたときに、世論は急速に菅支持の傾向を示した。すなわち、社会の大勢は、公約違反の限りにおいて鳩山を批判したが、沖縄に米軍基地の過重負担を強いている現行の日米安保体制そのものには無関心であること――したがって、現状を肯定していることを自己暴露したのだった。
私たちは現在、このような社会状況のなかに位置している。沖縄のジャーナリスト、新川明は5年前に次のように語った。「憲法9条が成立しうる根拠は沖縄に米軍基地があるからだ。それがあって日本国が守れるという担保の構造を日本国も良しとしてきた」(『世界』2005年6月号)。これを換言すると、「戦争は嫌だが、中国や北朝鮮の脅威に向けて日米安保と沖縄の基地は必要だ」というのが、日本社会に住む者の多数派の意見だということになる。ここをいかに突き崩すか。今後の課題は、ここにある。