太田昌国の夢は夜ひらく[10]冷戦終焉から20年、世界のどこかしこで、軍事が露出して……
朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)が有する暴力装置=朝鮮人民軍が、11月23日、海岸砲なる武器を使って韓国支配下にある延坪島に砲撃を加えた。兵士と基地労働者4人が死亡した。これに対して韓国は、自らが持てる暴力装置=韓国軍による反撃を行なって、北朝鮮領内に砲弾を打ち込んだ。被害の規模を北朝鮮側は明らかにしていない。誰にも明らかなように、東アジア地域には、世界の他の地域と比較して稀なことに、ソ連崩壊(1991年)によって消滅したはずの東西冷戦構造が今なお頑として生き残っている。それは、日本国政府・社会の、歴史問題をめぐる無反省ぶりと、政治・軍事の現実のあり方に起因するところが少なくないことを自覚する私たちにとって、無念と恥辱の根拠であり続けている。その冷戦が、あわや「熱戦」の端緒にまで至ったのである。
日本の政府もメディアも世論も、北朝鮮はやはり「何をしでかすかわからない、不気味な国」だとの確信を深め、自国防衛力増強の道を嬉々として選択しようとしている。11月28日からは、「母港」横須賀から出撃した米原子力空母ジョージ・ワシントンも参加した米韓共同軍事演習が黄海で行なわれた。それを報じるNHKニュースは、「敵に対する」という言葉遣いで、この共同演習の動きを伝えた。イギリス軍も参戦した2001年アフガニスタン戦争の実態を報道するに際して、BBCは「テロリズム」ではなく「攻撃」を、「わが軍」ではなく「英国軍」なる用語を使うことでせめても事態を客観視し、視聴者の「愛国主義的」情動をいたづらにかき立てることを避ける原則を立てた。NHKの中枢には、この程度のジャーナリスト精神にも欠ける者たちが居座っているようだ。
少数だが例外的な意見もあって、北朝鮮軍による砲撃の前日から韓国軍は「2010護国演習」と称する大規模な軍事演習を延坪島周辺を含めて行なっていたこと、それを知った北朝鮮側は繰り返し演習の中止を要求していたこと――などを根拠に、韓国側による「挑発」行為の重大性を指摘しているものもある(12月1日付「日韓民衆連帯全国ネットワーク」声明など)。
全体像を把握したうえで事態の本質を見極めるためには、これは重要な指摘だと思うが、ここでは、もう少し先のことを考えたい。砲撃を行なった朝鮮人民軍は、金正日独裁体制を支える要である。人権抑圧に加えて飢餓に苦しむ民衆の上に君臨している特権的な存在である。持てるその武器を、北朝鮮の民衆に対しても躊躇うことなく向けるように教育されている「人民軍」である。韓国軍の挑発を指摘する論理が、この朝鮮人民軍の軍事的冒険主義を免罪する道に迷い込むような隙を見せてはならない、と私は自戒する。
事態は、思いのほか錯綜している。米韓共同軍事演習を伝えた12月3日の中国中央テレビ(それは、もちろん、中国政府の官許放送である)は、空母ジョージ・ワシントンの動きに焦点を当てた。中国近海の黄海における今回の演習への参加についてもとりたてて批判的な取り上げ方はせず、むしろ今夏に同空母が行なったべトナム、タイなどへの訪問の「友好・親善」的な性格を伝えたのだった。事実、米軍はベトナム軍との間で(!)合同軍事演習すら行なったのである。中国は、米国の砲艦外交を批判するのではなく、むしろそれを手本とする軍事大国への道を歩みだしている。それは、時同じくして、米国が単独では担いきれなくなった「世界の警察」になる新戦略を打ち出したNATO(北大西洋条約機構)の愚かな方針とも重なり合う。
自衛隊を正しくも「暴力装置」と呼んだ官房長官は、マックス・ウェーバーの定義にも無知な保守政治家に攻め立てられて、発言を撤回した。日本軍は、世界でもっとも凶暴な「暴力装置」としての米軍と共に、いま、九州と周辺海域での共同統合実働演習を行なっている。それは、若き日に「暴力装置」の解体か廃絶をこそ望んだであろう現官房長官も加担して推進している「防衛政策」の一環である。
東西冷戦の基本構造が消滅したことは悪いことではなかった。だが、その廃墟の上では、世界のどこかしこで、「思想」も「倫理」も投げ捨てた者たちが、古い時代の無惨な「冷戦音頭」に踊り惚けている。(12月4日記)