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状況20〜21は、現代企画室編集長・太田昌国の発言のページです。「20〜21」とは、世紀の変わり目を表わしています。
世界と日本の、社会・政治・文化・思想・文学の状況についてのそのときどきの発言を収録しています。

太田昌国のみたび夢は夜ひらく[103]精神的な葛藤や模索の過程を欠く「紋切型」の言葉


『反天皇制運動 Alert』第31号(通巻413号、2019年1月15日発行)掲載

1980代の半ば頃だったか、某紙のジャーナリストに「何かと言えば、第三世界、第三世界……という物言いに、私は最近ウンザリしてきているんです」と言われたことがある。私が「低開発国」ボリビアの映画集団ウカマウの、〈映像による帝国主義論〉というべき作品の何本目かを輸入し公開するので、試写会へ来てもらえないかと電話した時の答えが、それだった。私には心当たりがある。「日本の繁栄はアジアをはじめとする第三世界の貧困の上に築かれているということを忘れるわけにはいかない」――これは当時の〈第三世界主義者〉たちの「決まり文句」になり始めていた。「紋切型の言葉」は、いつも、発語する者の精神的な葛藤や模索の過程を欠いている。だから、虚しく響くことがある。私も何度か言っただろう。私自身がその物言いに違和感をおぼえ始めて、何とかしなければと考えていた頃だった。決め台詞を吐く以前に、もっと歴史的・論理的な展開をしなければならない、と。高度消費社会の只中で、ひとり覚めている感じの物言いもよくない。だから、私に限らず、この種の言論や集会をよく取材してくれていた彼女の、率直な言葉が胸に響いた。

同じ頃の次の挿話も覚えている。吉本隆明が、川久保玲のコム・デ・ギャルソンの〈高価な〉衣装をまとったモデルとして『アンアン』誌に登場した。それを埴谷雄高が次のように批判した。――「吾国の資本主義は、朝鮮戦争とヴェトナム戦争の血の上に『火事場泥棒』のボロ儲けを重ねに重ねたあげく、高度な技術と設備を整えて、つぎには、『ぶったくり商品』の『進出』によって『収奪』を積みあげに積みあげる高度成長なるもの」を遂げた。そして、「アメリカの世界核戦略のアジアにおける強力な支柱である吾国の『ぶったくり資本主義』のためにつくしているあなたのCM画像を眺めたタイの青年は、あなたを指して、『アメリカの仲間の日本の悪魔』と躊躇なくいうに違いありません」(『海燕』4巻4号、1985年、福武書店)。

埴谷が、「国内の現実に依拠」した論理によってではなく、突然のように第三世界=タイの青年を持ち出して行なった吉本批判の在り方に危うさを感じた。私にとって思想的に最前線にいたはずの埴谷が、古めかしい〈社会主義者〉に見えた。吉本は独自のファッション論を展開した。「衣装のファッションの反対物は、すべての制服、画一的な事務服や作業服だ。ファッションが許されなかったあの戦争時代には、男性には二種類くらいの国民服が制定され、女性はモンペ姿が唯一の晴れ着であり、作業衣服であり、ふだん着だった。女性たちはわずかに生地の模様を変化させるくらいがファッション感覚の解放にあたっていた。統制と管理と、それにたいする絶対の服従が必要な権力にとっては、制服は服従の快い象徴にみえるし、ファッションはいわば秩序を乱す象徴として、いちばん忌み嫌われるものだった」(『アンアン』446号、1984年、マガジンハウス)。

ビートたけしがこの論争に介入し、ふたりを独特の方法で茶化した(筑紫哲也編集長時代の『朝日ジャーナル』誌上だったと思うが、いま手元にない。冴えていて、面白かった記憶だけが残っている)。埴谷-吉本論争は、ソ連体制が崩壊する6年前の1985年に展開された。これ以上の詳説や評価を行なう紙幅はないが、時代状況的にいってもいかにも示唆的なものを孕んでいた、と今にして思う。

韓国大法院が「徴用工」問題で日本企業に賠償を命じる判決を下して以降、植民地支配と侵略戦争をめぐる論議が日韓両国で改めて起こっている。このコラムでも繰り返し述べてきたが、20世紀末以降、植民地支配を「合法」としてきた従来の国際法解釈は、ヨーロッパ中心主義的偏向であるとして再審に付されている。植民地と被植民地の関係が非対称的であったことが問われているのである。日本政府、メディア、それに誘導された日本世論は、国際法の位置づけをめぐる捉え方の変化を認めず、「何を今さら」という反韓・感情論に流れるばかりである。しかも、安倍政権の持続が象徴するように、それを支える社会的な根っこは太く、根深い。私たちの議論が「決まり文句」や「紋切型」に終始せずに説得的なものであるためには、私たちもまた、その歴史観と論理性が問われていることを自覚したい。

(1月12日記)

表現が萎縮しない時代の証言-―天皇制に関する本6冊


『週刊金曜日』2019年1月11日号掲載

1、           坂口安吾『堕落論』『続堕落論』(ちくま日本文学、2008)

2、           深沢七郎『風流夢譚』(『中央公論』誌、1960年12月号)

3、           豊下楢彦『昭和天皇・マッカーサー会見』(岩波現代文庫、2008)

4、           朴慶植ほか『天皇制と朝鮮』(神戸学生・青年センター出版部、1989)

5、           加納実紀代『天皇制とジェンダー』(インパクト出版会、2002)

6、           内野光子『現代短歌と天皇制』(風媒社、2001)

1 敗戦の翌年に書かれた掌編二つ。「天皇の名によって終戦となり、天皇によって救われたと人々は言う」が、「常に天皇とはかかる非常の処理に対して日本歴史のあみだした独創的な作品であり、方策であり、奥の手」である。軍部はこの奥の手を知っており、「我々国民またこの奥の手を本能的に待ちかまえて」いる。だから、「8・15」は日本社会全体の合作だった。「天皇制が存続し、かかる歴史的カラクリが日本の観念にからみ残って作用する限り、日本に人間の、人性の正しい開花はのぞむことができないのだ」。安吾独特の〈反語法〉が冴えわたる。

2 15年後に現われた安吾の継走者は、深沢七郎か。『風流夢譚』は、2019年にその座を去り行こうとしている現天皇・皇后の結婚の翌年に発表された夢物語である。つまり「絵空事」なのだが、そこでは、「左慾」の「革命」が起こり、実名の皇太子夫妻の首が斬られたり、昭憲皇太后が「この糞ッタレ婆ァ、てめえだちはヒトの稼いだゼニで栄養栄華をして」と怒鳴られたりする。その表現が右翼を刺激して不幸な事件が起こった。天皇制を前に表現が萎縮しない時代の証言として記憶したい。志木電子書籍のKindle 版あり。

3 絵空事を離れて現実に戻ると、昭和天皇は、世上信じられているのとは逆に、戦勝国による戦犯訴追を免れた後、戦後体制の形成に能動的な関与を行なった。宮内庁御用掛を通して、米軍が長期にわたって沖縄を軍事占領する希望をGHQ(連合国軍総司令部)および米国務省に進言したことはその典型例である。沖縄の現状は、敗戦直後のこの挿話を無視しては、正確に把握できない。

4 沖縄と言えば、朝鮮はどうか。「日韓併合」が天皇の名においてなされ、朝鮮総督府も天皇に直属していたことを思えば、植民地支配と天皇制の関連を問うことを避けてはならない。昭和天皇の死の直後になされたセミナーの記録が、その関係を多面的に明らかにする。

5 著者は、長い間「銃後史」、すなわち戦時下にあって「銃後の守り」を担わされた女性の在り方を研究してきた。「産む性」としての女性、「母性」が孕む問題を考え続けた著者は、文化的に形成された「ジェンダーとしての女性」という視点を得て、そこから天皇制とジェンダーの関わりを論じる独自の歴史観に至った。

6 年頭の「歌会始」は天皇家の文化的行事として定着し、歌を詠む人が社会の裾野に広がっている。皇族が詠む短歌も、「日本的抒情」表現としての短歌の世界も、奥深く侮りがたい。「一木一草に天皇制がある」(竹内好)社会に生きている以上は。