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状況20〜21は、現代企画室編集長・太田昌国の発言のページです。「20〜21」とは、世紀の変わり目を表わしています。
世界と日本の、社会・政治・文化・思想・文学の状況についてのそのときどきの発言を収録しています。

死刑囚の「表現」が異彩を放つ――第14回死刑囚表現展


『出版ニュース』第2497号(2018年11月上旬号)掲載

「死刑廃止のための大道寺幸子・赤堀政夫基金」が、この14年来取り組んできている企画には二つある。一つ目は、再審請求を行なう死刑確定者に支援金を補助すること、二つ目は、自らの内面を表現する手段を容易には持たない死刑囚が、文章・詩歌・絵画・書などを通してそれを表現する機会を提供するために「死刑囚表現展」を一年に一回開催することである。毎年7月末に応募作品の受付を締切る。だから、基金の運営に携わる私たちは、例年7月になると、今年はだれがどんな作品を寄せてくるだろうか、と心待ちの心境になる。

その7月が、今年は別な意味で、重い記憶として刻まれるものとなった。6日に7人、26日には6人の確定死刑囚に対する死刑の執行が行なわれたからである。全員がオウム真理教の幹部であった。一人の法相が、7月の2日間で13人の死刑執行命令書に署名したことになる。上川陽子法相(当時)と、最高責任者・安倍晋三首相の名前は、日本の「死刑の歴史」の中に忘れ難く刻まれるだろう。1911年、冤罪事件として名高い「大逆」事件で、12人の人びとに対する死刑が執行された百年以上前の歴史的過去が蘇る思いがする。

オウム真理教は、犯行現場に証拠をたくさん残しても、警察の捜査の手が自らに及んでこないことで国家権力を見くびったのか、「国家権力とたたかう」ために省庁を設けて担当大臣や次官を任命した。軍隊と警察を有する国家が独占している殺人の権限を自らも獲得しようとして、他者を殺戮できる兵器や毒ガスの開発に全力を挙げた。最初の日に執行された七人はそれら省庁の「大臣」だった。悲劇的な形で「国家ごっこ」に興じた彼らは、「真正の」国家権力によって処断された。だが、創設からわずか10年程度の活動期間しか持たなかったオウム真理教から派生する問題を、今回の処刑にのみ収斂させるわけにはいかない。神奈川県警が、1989年11月の坂本弁護士一家殺害事件の捜査をサボタージュしていなければ、その後のオウム真理教の増長は実現しなかっただろう。人生上の模索や迷いの解決や救いを一新興宗教に求めた青年たちが、松本サリン事件と東京・地下鉄サリン事件で多くの人びとの命を奪い、負傷させ、後遺症で苦しめることになるむごい犯罪に走ることは避けられただろう。その意味で、オウム真理教に関しては、その生成から発展の全過程が今後も検証されなければならない。とりわけ、警察・検察・裁判所・拘置所、そして弁護団が関わった司法の分野では、究明されるべき課題が数多くあるだろう。

このような視点からすると、死刑囚表現展は、応募する人の在り方(起こした事件とその後)や作品表現を通して、司法界の現状や社会の全体状況が浮き彫りになるような重要な役割を果たしつつあると改めて実感する。

今年の絵画応募者の中に、常連の宮前一明(旧姓、佐伯・岡崎)さんがいる。7月26日に処刑された6人のうちの1人である。彼は坂本弁護士一家殺害に関わった後に教団の在り方に疑問を抱き脱退した。事件の3ヵ月後(1990年2月)には神奈川県警に手紙を送り、遺体の埋葬場所を地図入りで教えるなど、客観的には自らがなした行為への「悔い」がなければあり得ない行動をとっている。右に述べた神奈川県警の捜査サボタージュとは、こんな「垂れ込み」情報を得ながら、同県警が真剣な捜査を怠ったために、オウム真理教によるそれ以降の悲劇的な事件が数多く起きたことを指している。その宮前さんは、表現展初回から、断続的にだが主として絵画作品を応募してきた。その表現の方法は変貌に変貌を重ねた。いつからか立体的な作品を寄せる人が出てきたが、宮前さんが2014年に「糞掃衣」と題して出品した作品は、着古しの作務衣だった。意想外な「表現」に、「まるでコム・デ・ギャルソンみたい」との感想すら出た。選考委員の北川フラム氏は、彼の作品の変貌過程を指して「美術の系統発生をひとりでやっている」と評したが、それは頷ける評言だった。

宮前さんが2016年に支援者を通じて送ろうとした作品は、東京拘置所当局の妨害にあって、運営会の手元には届かなかった。今年3月名古屋拘置所に移送された宮前さんは、6月5日には拘置所幹部3人に囲まれて、「マスコミを相手にするな」「マスコミに送った絵は返品させるか活用しない旨の約束を取り付けろ」「新作や近況をマスコミに知らせるな」「マスコミの質問には回答するな」などと申し渡されている。他の死刑囚からも、拘置所当局による通信妨害や作品送付妨害の報告が届いている。獄中者は、さまざまな嫌がらせと妨害に抗しながら作品を送ってくれていることを忘れたくない。同時に、死刑囚が「表現」することを、なぜこれほどまでに拘置所当局が恐れ、妨害するのか――「公務」に携わりながら、「死刑」制度にまつわることはすべて「秘密」にしておきたいという隠蔽体質が染み渡っている当局の在り方から、国家権力の本質を掴みたい。

絵画では、奥本章寛さんの作品が心に残った。12枚の絵が描かれ、カレンダーとなっている。村祭り、花火大会、村はずれの水車など、死刑囚である自分にはもはや見ることも叶わぬ風景がきちんと描かれている。子どもの時の情景を思い出したこの種の絵に、この表現展ではよく出会う。描いた人の気持ちを思うと、胸を衝かれる。

西口宗宏さんの作品は「郷愁」とは縁遠い。B5の紙を8枚組み合わせた「今夜は満月」は、トイレと掃除用具のそばに作者の名札を付けた人物が骸骨化して横たわっている。上部には満月が輝いているが、ルーバーに妨げられて、よくは見えない。獄の外と内のコントラストが目に染みる。「自画像」との但し書きのある「届かぬ光・阿鼻叫喚」も忘れ難い。自画像の頭部上方に広がる空間には、まがまがしい表情の幾人もの人物が居座り、その目の表情にすごみがある。全体の構図では「償いと赦し」の可能性と、「なお続く憎しみ」の現実が描かれているのか。左右の吹き出しには般若心経が書かれているが、その間に記されたローマ字表現が切ない。「OKAACHAN DAKISHIMETE」「SHIKEI WA KOWAI」「HONMANI GOMENNASAI!?」

風間博子さんの絵画表現に変化が露わになったのは、数年前からだったか。冤罪を訴える彼女は、光を求めてなお闇の中に閉じ込められる自分の姿を描き続けた。今や明暗のはっきりした構図は消え、テーマは多面化した。「命―弐〇壱八の壱〈面会の母は深めの夏帽子〉」もよいが、私は「同・参」に深い印象を受けた。空を飛ぶ鳥や蝶、地上を駆ける動物たち、地面に生えるキノコ、海を泳ぐ魚たち――空と地と海は渾然一体化して、境界はなく、創世神話のような世界が繰り広げられている。描き方の細密さは深みを増している。裁判の現状には絶望を深めているに違いない彼女の表現は、想像力でどこへ向かうのか、注目したい。

文章表現では、加藤智大さんから選考委員が挑戦を受けた。「言論で僕を殺した貴方には死刑廃止を説く資格なし」と大書された1枚を表紙に、「やはり表現展さえ居場所なし」と続く。それでも、応募を続けてくる彼の気持ちを受け止めたい。いくつもの作品があるが、「人生ファイナルラップ」が読ませた。おそらく自分の半生をたどったものだろう。韻を踏み、表現力も豊かだ。私が現実のラップを聞いたのは数少ないが、加藤さんのこの作品をいつしか音楽にのせて口ずさむ自分に気づいた。彼は絵画作品も応募していて、「何力リスペクト―言葉遊びは楽しいよね!」=「君の縄」は、他の応募者にエールを送りつつ、社会の流行現象ともなったアニメ「君の名は」を生かした巧みな表現だ。言葉遊びのようでいて、底は浅くない。

時事川柳と時事短歌に特化したかのような兼岩幸男さんは、毎年ほんとうによく「時事」を見つめている。制限の多い獄中という狭い空間に身はありながら、精神的にはこの限界を突破しようとして、精いっぱいに世相を詠んでいる。

菜の花や月は東に日は西に 基地は南に火種は北に

10年ほど前の作品だったが、「時事漫画」も人物がよく描けていて、風刺も効いている。不思議な才を持つ人だ。

檜あすなろさんも時事に迫ろうとしている。戦争が露出してきた日本の情勢を視野に収めた「三つの選択し」(2016年応募)は、「どうせ殺される」死刑囚が国家によってひそかに戦場に駆り出される物語であり、筆力次第では、大げさかもしれないが星新一や筒井康隆の世界に迫るかと注目した。今回はその「補訂」版の他にも、働き方改革や裁判員裁判の導入などの「時事」を取り込んだ作品を応募している。だが、作品化の内面的根拠は薄弱だ。檜さんは当初、自分が起こした事件をモデルにしたと思われる作品を書いていた。その事件との向き合い方、被害者の女性の描き方――それが他人事のようで、胸に迫ってこないと厳しく批判した記憶がある。テーマは変わった今回の作品についても、同じことを言いたい。十分な表現意欲の持ち主なのだから、必ず壁を突破できよう。

俳句と短歌の響野湾子さんの作品に今年も心惹かれた。殺めた人、死刑囚としての自分、処刑された死刑囚をめぐる重苦しい作品が打ち続く。なかには、例年のように、

柔らかき物に触れたく、この独房(へや)を くまなく探がす 無きを悟(し)るまで

などの秀作が散見される。そんな中で、私には他の二種類の作品が印象的だった。一つは看守を謳った作品。

狂(ふ)れおりし心無き人 処刑せる 朝より担当 言葉雫さず

「星」軽き看守のままで定年す 囚徒に優しき 背の広き人

日常的に接する看守のなかに、作者がこのような想いを抱く人物がいることに救われる思いがする。二つ目は、シュールな形で情景が目に浮かぶ作品。

誰れからも声掛けられぬ 日が続き 月の駱駝が 呼ぶ声がする

執行のありし日の昼 不思議なる蝶の群れに 格子の隙間

色彩もなく、自然の風景が奪われている獄中で、色とイメージとが目にありありと浮かんでくる歌を謳うことは、こころを奮い立たせることだろう。

保見克成さんの「川柳小唄かつを節」には、作者に対して失礼ではないと思うが、笑った。

入浴日、女医が裸で、バタフライ。貴方は下で、平泳ぎ

妄想か、ブーツを履いて、尻出して、女医が息子と、カーニバル

着替え中、カメラに見られ、乳隠す、パンツを脱いで、ポーズとる

これらの歌の「壊れぶり」はどうだろう。無意味なようでいて、情景は目に浮かぶ。そして、クスッと笑わせる。30年間を獄中で暮らしたマルキ・ド・サド侯爵は、幽閉の中でどんなに妄想を逞しゅうして、『ソドム百二十日』『悪徳の栄え』などの世界を創り出したことか、などと連想する。すると、1789年のフランス革命下、バスチーユ監獄に囚われていたサドおよび執筆中の原稿をめぐるエピソードも思い出され、他方、獄中における「性」の問題にも思いは及ぶ。受刑者には男が多いが、恋人や妻が監獄を訪れて、一夜を共に過ごすという実例も、国によっては見聞きする。死刑囚の場合でもこんな例があるかどうかは知らないが、作品を介して、こうして開かれてゆく視野をこそ大事にしたいと思う。

何力さんの日本語理解力の向上はめざましい。

終戦日お詫びの言葉消えにけり 我は死ぬまでお詫びが続く

参加賞一回分の爆買い額

任意に、興味深いいろいろな歌や句を挙げることができる。掲句は、表現展への応募者には参加賞としていくばくかの現金が差し入れされることを詠んだ作品。「爆買い」するには少額だろうが、獄中のつましい日常がうかがわれよう。何力さんが、逮捕後の取り調べ・調書づくり・裁判の過程などに大いなる不満を抱いていることも、作品から知れる。外国からの労働者の受け入れがますます進行する情勢の下で、外国人といかに共生するかが問われる。「外国人=犯罪者」などと公然と主張する者たちが現実に存在している。彼らは、移民や難民を排斥する動きが世界各地で噴出している情勢に、彼らなりの自信を深めている。入管収容所における外国人への不当極まりない虐待も明るみに出ている。このような社会にあって、不幸にして犯罪に手を染めた外国人がどのような取り調べ・裁判・拘置所や刑務所での処遇を受けているかは、軽視できない問題である。数は少ないが、外国人の死刑確定囚の表現から汲み取るべき課題は重層的である。

西山省三さんの短歌と俳句には、いつもしみじみとした思いが沸くが、今年は「(怒・怒・怒・怒・怒)」と題して、怒りの歌が多い。

豪雨禍に何がカジノじゃ馬鹿たれが 被災地域の怒る声聴け。

鏡を磨いて磨いてと心うらはら 一度に七名をばあさんは吊る。

他方、こんな川柳も詠む「余裕」を持つ人でもある。

耳遠くなるが小便近くなる。

晴耕は怠け雨読は眠くなり。

生真面目な怒りをぶつける歌の背後に、こんなにもとぼけた世界を合わせ持っている作者への共感の念は深い。

小泉毅さんの「特殊相対性理論」に関する論文は、選考委員のだれ一人として理解できなかった。ご本人もそう予想して、これを理解できる専門家に読んでほしいとの添え書きがある。奇特な方からのお申し出を待ちたい。

絵画の応募者は17人、文章作品の応募者は18人だったので、ここで触れることのできなかった作品も多々ある。紙幅の制限ゆえお許し願いたい。今年の受賞者は、以下のようになった(敬称略)。

【絵画部門】細密賞=風間博子/発明賞=加藤智大/カオス賞=西口宗宏/エターナル賞=宮前一明
【文章部門】優秀賞(短歌)=響野湾子/キラキラ賞(「人生ファイナルラップ」)=加藤智大/ユーモア賞=兼岩幸男/敢闘賞=西山省三

*        *        *

先に、保見さんの作品を評して「壊れぶり」という言葉を用いた。それは、想像力上の「壊れぶり」だから、笑えたり、刺激を受けたりもする。他方、日本と世界の政治・社会・メディアなどの「壊れぶり」はどうだ。それは「超劣化」と同義語だ。人びとの日常生活に否応なく大きな影響力を及ぼす政治的権力者が、論理も倫理も失って愚劣な政策を推し進める。同じく劣化した社会には、無念なことには、それへの批判力も抵抗力も喪われている。批判する自由も、抵抗する自由も存在しているのに。

憤怒を抱えてそんな日常を生きる中で、今年も死刑囚の表現に触れた。自由を奪われて、ネット社会の猥雑さと利便性の「恩恵」とも無縁に生きる死刑囚の「表現」が、異彩を放って見えた。自分以外の誰からも生まれない、唯一無二の「表現」を生み出すための試行錯誤が試みられている。総人口との対比で言えば、およそ百万人に一人に相当する死刑囚から生まれてくる「表現」に目を凝らし続けたい。

(10月16日記)

状況批評(思想・状況・批評) 米国へ向かう移民の群に何を見るべきか――日本への警告


『反天皇制運動 Alert』第30号(通巻412号、2018年12月4日発行)掲載

今から40年以上も前、私は当時放浪していたラテンアメリカ地域で幾度も陸路の国境を越えた。多くの場合、或る国の出国手続きを税関で終えると、次の国の入国税関までは、牧歌的な野山の風景の中を何百メートルか歩くと、目的の建物へ着いた。大都市に直結する国際空港と違って、陸続きの国境はどの国にとっても「辺境」にあって、税関にも必要最小限の人員しか配置されておらず、出入国手続きを管理してさえいればいいのさ、という印象を受けた。税関職員も、その国が厳格な軍事政権下にない限りは人懐っこく、あれこれ冗談を言いながら、ゆったりと「職務」を果たすのだった。国境付近に住む人たちは、お互いに旅券なしで自由往来しながら、お互いの田畑で収穫した物の売り買いや物々交換をしていた。それは、「国境」なるものの人為性を思わせられる光景であって、したがって、大げさに言えば、国境なき/国家なき「類的共同体」の未来像を幻視できる現場でもあった。

だが、最初に越えた国境は違った。ロサンゼルスでしばらく過ごした後、本来の目的地であるメキシコへ陸路で向かった。サン・ディエゴでグレイハウンド・バスを降りて、何車線もの広い車道の脇を通って、米国の出国税関に入る。メキシコへ向かう米国人の車はぎっしりだが、旅人以外に歩いている者はいない。無機質というかビジネスライクというか、およそ人間味のない応対を受けて後、しばらく歩いてメキシコ側へ着く。饒舌な税関職員とのやり取りを終えて、税関の外に一足歩み出ると、そこはカオスだ。荷物を持ってあげる、ホテルに案内するよ、タクシ―に乗らないか、ピーナツは要らないか、マンゴーだよ――ありとあらゆる声が掛かってくる。幼い子どもたちも多い。大丈夫、自分でやるし、今は要らない――と遮りつつ、こころは、なぜか、浮き立つ。人間臭いその雰囲気は、数週間過ごしたロサンゼルスのそれとはまったく違うのだ。メキシコ側の国境沿いのその町は、ティファナといった。見える景色、建物の様子、ひとの顔立ちも振舞い方も一変した。米国との貧富の差は、もちろん、歴然だ。メキシコを舞台にしたサム・ペキンパーの映画のシーンがいくつも目に浮かぶようだ。

それから45年、今この町には、主として中米ホンジュラスを出て米国への入国を目指す人びとが続々と詰めかけている。米国のトランプ大統領は、移住希望者の〈長征〉が始まるや否や、国境に軍隊を配備して入国を阻止すると豪語したが、数千キロの道を歩き続ける人びとは一様に「故国ではギャングによる殺人事件が多く、とても生きてはいられない」と語っている。他方、9千人もの移住希望者が一気に押し寄せてきて、治安・衛生管理などの面で不安を抱えたティファナの住民が「移民反対」の集会を開いたとか、国境の強行突破を試みた一部の人びとに対して、配備されている米国軍が催涙ガスを発射して撃退したとかのニュースも流れた。とうとうここまで来たか、と私は思った。

ホンジュラスといえば、20世紀初頭から半世紀、米国のユナイテッド・フルーツ社が思うがままに支配した「バナナ共和国」の先駆けだ。対米輸出に圧倒的に頼らざるを得ないホンジュラスの歪な経済構造は、そこから生まれた。20世紀後半の現代になっても、ラテンアメリカ地域は、大国と国際金融機関が主導するネオリベラリズム(新自由主義)の政策路線によって世界に先駆けて席捲されてきた。それは、貧しい第三世界諸国が、資産・所得の公平な再分配や福祉に重点を置いた社会改革政策を行なわないまま、市場原理を軸にした経済の自由化や規制緩和を押しつけられる路線だ。ネオリベラリズム路線は、その後先進国にも逆流して、日本でもとりわけ小泉・安倍政権下で推進され続けられてきているから、私たちも、企業に有利な労働条件・雇用形態の改定、福祉切り捨て、公共部門の廃止と民間「活力」の採用などの政策を通して、その破壊的な「猛威」を知っていよう。

この路線の下では、第三世界諸国の場合は、融資と引き換えに、国際収支の改善と債務返済を優先させられる。バナナやコーヒーの輸出で外貨を稼いでも、それは国内民衆に還元される以前に債務返済に充てられるのが条件だから、先進国に還流してしまう。その繰り返しだ。ホンジュラスでも、1990~94年のラファエル・カジェーハス政権がこの路線を推進した。それ以外の時期でも、例えば、隣国のニカラグアやエルサルバドルが革命的な激動の時代を迎えていた70年代後半から80年代初頭においても、米国は自らに忠実なホンジュラス政権を都合よく利用した。ニカラグアに革命政権が成立した1979年以降は、ホンジュラスの米軍基地を強化し、北部国境から反革命部隊(「コントラ」と呼ばれた)を侵入させて、革命を潰そうとした(これは、ケン・ローチ監督が1996年に制作した映画『カルラの歌』に描かれているから、ご覧になった方もおられよう)。2006年、ホンジュラスには珍しくも、マヌエル・セラヤを大統領とする中道左派政権が成立すると、米国は右翼を支援して、2009年のクーデタでこれを倒してしまった。その後いかなる性格の政権が出来て現在に至っているかは、推して知るべし、だろう。総人口920万人のうち貧困ライン以下の生活者は600万人を超えているという。対人口比の殺人事件発生率も世界一高い。それが、「移民キャラバン」に加わる人びとがいう暴力の根源なのだろう。

ジャーナリスト・工藤律子に、『マラス―暴力に支配される少年たち』と題するすぐれたルポルタージュがある(集英社、2016年。現在、集英社文庫)。ホンジュラスの若者ギャング団「マラス」を取材した本書は、今回の事態を予見したかのような好著だ。工藤によれば、ホンジュラスでマラスの存在が表面化したのは1990年代初頭である。新自由主義路線に忠実な、前記ラファエル・カジェーハス政権期に重なり合う。当時、米国はカリフォルニア州知事が、犯罪歴のある中米出身の若者たちを本国へ送還する追放策を実施していた。ホンジュラスにも3千人の若者が戻ってきた。

ラテン系住民がもともと多いカリフォルニア州では、1929年の世界恐慌以来、極貧状態・家庭崩壊・失業・雇用機会の欠如・低い教育水準・差別などの社会問題を背景に生まれた若者ギャグ団が「脈々と」受け継がれている。米国の移民政策には、レタスの収穫期のような繁忙期になれば「不法」入国者であっても雇用し、閑散期になると国外追放するという一貫した路線がある。これでは、右に挙げた社会問題が一向に解決され得ないことは、容易に見てとれよう。故国に追放された3千人の若者の、ホンジュラス→米国→ホンジュラスという往還をめぐる物語は個別にあるには違いないが、背景には共通のものがあろう。追放された1990年以降の時期にそれら若者の年齢が20代から30代であったと推定するなら、時代的には以下の共通の背景が考えられる。(1)米国政府と多国籍企業によるホンジュラスの政治・経済・社会の全的支配、それは同国の「国家主権」を侵すほどの水準だろうが、国内には米国に癒着してこそ利益が得られる一部寡頭階級が伝統的に形成されていよう。(2)若者たちは、その体制の下では仕事がないからこそいったん米国へ出たのだが、故国に戻っても、政権が追従している、社会的格差を是正する政策を欠いた新自由主義路線の下にあっては、働き口は容易には見つからなかっただろう。(3)社会の最下層に押し込まれた人びとが掴まされている、底辺に澱のように、しかも重層的に積み重なった「マイナスのカード」をひっくり返すのは容易なことではない。(4)ニカラグア革命を潰す「コントラ」戦争への加担を強いられる中で、圧倒的な軍事力を誇る超大国の「価値観」を多かれ少なかれ刷り込まれただろう。米国が、自分の国(ホンジュラス)に設置した軍事基地を最大限に活用して、他民族(ニカラグア)の土地で発動する「低強度戦争」を見て育った彼らは、超大国が「敵」にふるう有無を言わせぬ暴力の「価値」を、哀しくも、身体化せざるを得なかったかもしれない。

他にも共通の背景を挙げることはできようが、これで十分だろう。政治の任に当たる国内政治家とそれを支える外部勢力が、そこに生きる人びとがまっとうに生きることのできる条件を整備するどころか真逆の政策を採用し、それによって一部の者たち(外部の超大国と国際金融機関、および国内の少数支配層とその取り巻き連中)の手に富を集中させ、その路線を実現するために必要とあらば躊躇うことなく暴力(戦争)をふるう――これこそが、幼かった/少年だった/青年になりかけていた彼らが見せつけられ、身に染みて体験した世の中の現実だった。彼らが仕事を求めて行き着いたロサンゼルスで、またホンジュラスは首都のテグシガルパに送還されて、個人や集団(マラス)のレベルで、かの国家に似せたふるまいをしたところで、いったい誰がそれを非難できよう?

歴史的に見て、古今東西南北、「国家(=政府)」の側がこのような自らの所業について反省し、生き直すことはきわめて稀だ。ホンジュラスに対して一世紀以上にもわたって、右に見たような不正常な関係を一方的に押しつけてきた米国の現大統領の発言は、そのことを一点の曇りもなく証明している。だが、工藤の書『マラス』は、かつてこの集団に属して乱暴狼藉の限りを尽くしていた元若者が、その後送っている別な人生の在り方を、最終章「変革」で描いている。その前の章では「マラスの悲しみ」も描かれていて、「生まれつきのマラス」ではあり得ない人間の変革可能性が暗示されている。

ホンジュラスを出発した「移民キャラバン」の因果の関係をいくらか長く述べてきたのは、ほかでもない、「移民問題」に関わって日本の現状を対象化するために、である。排外主義的な本質を陰に陽に見せつけてきた安倍政権は、2018年6月、いわゆる「骨太の方針2018」を閣議決定し、新たな外国人労働者受入れ制度の創設を表明した。外国人労働者の導入は、安倍政権の支持基盤である排外主義的右翼層の離反を招きかねない「危険な」政策である。法務省が「出入国管理及び難民認定法及び法務省設置法の一部を改正する法律案の骨子について」を公表したのは10月12日のことだった。衆議院での審議入りは11月13日、それから2週間有余の現在(12月1日)、政府はろくな答弁もできないままに衆議院を強行通過させ、審議は参議院に回されている。審議が深まって、いろいろな現実があからさまになっては困るのだろう。外国人労働者を「雇用の調整弁」としか考えていない政府・企業・社会の現状では、移民受け入れの長い歴史の果てに現在がある米国とも違う深刻な問題を私たちは抱えることになるだろう。今ですら、食い物にされてきた実習生や性産業に働く女性たちの怨嗟の叫び声が、この社会の片隅には充満しているのだ。「偏見」が商売になり、政治家の嘘なぞには誰も関心を寄せなくなったこの社会には……。

(12月1日記)