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状況20〜21は、現代企画室編集長・太田昌国の発言のページです。「20〜21」とは、世紀の変わり目を表わしています。
世界と日本の、社会・政治・文化・思想・文学の状況についてのそのときどきの発言を収録しています。

太田昌国のみたび夢は夜ひらく[88]過去・現在の世界的な文脈の中に東アジア危機を置く


反天皇制運動連絡会機関誌『Alert』第15号(通巻397号、2017年9月12日発行)掲載

米韓及び日米合同軍事演習と朝鮮国の核・ミサイル開発をめぐって、朝鮮と米国の政治指導者間で激烈な言葉が飛び交っている。日本の首相や官房長官も、緊張状態を煽るような硬直した言葉のみを発している。

いくつもの過去と現在の事例が頭を過ぎる。1962年10月、キューバに配備されたソ連のミサイル基地をめぐって、米ソ関係が緊張した。若かった私も、新聞を読みながら、核戦争の「現実性」に恐れ戦いた。その時点での妥協は成ったが、それから30年近く経ったころ、米・ソ(のちに露)・キューバの当事者が一堂に会し、当時の問題点を互いに検証し合った。モスクワ再検討会議(1989年)、ハバナ再検討会議(1992年、2002年)である。二度に及ぶハバナ会議には、フィデル・カストロも出席している。当時の米国防長官マクナマラも、三度の会議すべてに出席した。二度目のハバナ会議の時はすでに「反テロ戦争」の真っただ中であり、ブッシュ大統領が主張していたイラクへの先制攻撃論をマクナマラが批判していたことは、思い起こすに値しよう。カストロも「ソ連のミサイル配備の過ち」を認めた。キューバ・ミサイル危機では、「敵」の出方を誤読して、まさに核戦争寸前の事態にまで立ち至っていたことが明らかになった。それが回避されたのは、僥倖に近い偶然の賜物だった。

マクナマラは、ベトナム戦争の一時期の国防長官でもあって、彼は後年のベトナムとの、ベトナム戦争検証会議にも出席している。そこでも彼は、米国の政策の過ちに言及している(『マクナマラ回顧録――ベトナムの悲劇と教訓』共同通信社、 1997年)。対キューバ政策にせよ、ベトナム戦争にせよ、あれほどの大きな過ちだったのだから、「現役」の時にそれと気づけばよかったものを、そうはいかないらしい。「目覚め」はいつも遅れてやってくるもののようだ。

それにしても、人類の歴史を顧みると、同じ過ちを性懲りもなく繰り返している事実に嫌気がさすが、この種の「検証会議」はその中にあってか細い希望の証しのように思える。かつては真っ向から敵対していた者同士が、「時の経過」に助けられて一堂に会し、過ぎ去った危機の時代を検証し合うからである。そこからは、次代のための貴重な知恵が湧き出ている。それを生かすも殺すも、その証言を知り得ている時代を生きる者の責任だ。

南米コロンビアの現在進行中の例も挙げよう。キューバ革命に刺激を受けて1960年代初頭から武装闘争を続けていたFARC(コロンビア革命軍)が、昨年実現した政府との和平合意に基づいて武器を捨て、合法政党に移行した。略称はFARCのままだが、「人民革命代替勢力」と名を変えた。同党は自動的に、議会に10の議席を得た。彼らが初心を失い、後年は麻薬取引や無暗な暴力行為に走っていたことを思えば、この「妥協的」な条件には驚く。政治風土も違うのだろうが、困難な事態を解決するための、関係者の決然たる意志が感じられる。50年以上に及んだ内戦の経緯を思えば、この「和解・合意」の在り方が示唆するところは深い。朝鮮危機が報じられた9月1日の朝日新聞には「戦争は対話で解決できる/ポピュリズムは差別生む」と題されたコロンビアのサントス大統領との会見記が載っている。「ゲリラに譲歩し過ぎだ」との世論の批判を押し切ったブルジョワ政治家・サントスの思いは強靭だ。「双方の意志で対話し、明確な目標を持てば、武力紛争や戦争は終わらせることができる」。内戦で苦しんだ地方の人びとの多くが和平に賛成し、内戦の被害が少なかった都市部の住民が和平に否定的だったという文言にも頷く。当事者性が希薄な人が、妥協なき強硬路線を主張して、事態をいっそう紛糾させてしまうということは、人間社会にありふれた現象だからだ。

さて、以上の振り返りはすべて、今日の東アジア危機を乗り越えるための参照項として行なってきた。導くべき答は明快なのだが、惜しむらくは、朝鮮を見ても、米国を見ても、日本を見ても、政治・外交を司る者たちの思想と言動の愚かさを思えば、事態は予断を許さない。こんな者たちに政治を委ねてしまっている私たちは、渦中の「検証会議」を想像力で行なって、この状況下で「当事者」として行なうべき言動の質を見極めなければならぬ。

(9月8日記)