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状況20〜21は、現代企画室編集長・太田昌国の発言のページです。「20〜21」とは、世紀の変わり目を表わしています。
世界と日本の、社会・政治・文化・思想・文学の状況についてのそのときどきの発言を収録しています。

太田昌国のみたび夢は夜ひらく[86]「現在は二〇年前の過去の裡にある」「過去は現在と重なっている」


『反天皇制運動 Alert 』第13号(通関395号、2017年7月6日発行)掲載

今からちょうど20年前の1997年12月、一冊の「歴史書」が刊行された。『歴史教科書への疑問』という(展転社)。編者は「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」と名乗った。煩を厭わず、目次を掲げておきたい。

はじめに(中川昭一)

1 検定教科書の現状と問題点(高橋史朗、遠藤昭雄、高塩至)

2 教科書作成の問題点と採択の現状について(高塩至、丁子淳、漆原利男、長谷川潤)

3 いわゆる従軍慰安婦問題とその経緯(平林博、虎島和夫、武部勤、西岡力、東良信)

4 「慰安婦記述」をめぐって(吉見義明、藤岡信勝)

5 日韓両国にとっての真のパートナー・シップとは何か(呉善花)

6 河野官房長官談話に至る背景(石原信雄)

7 歴史教科書はいかに書かれるべきか(坂本多加雄)

8 我が国の戦後処理と慰安婦問題(鶴岡公二)

9 なぜ「官房長官談話」を発表したか(河野洋平)

当時わたしは『派兵チェック』誌に「チョー右派言論を読む」という連載をもっていて、『正論』(産経新聞社)や『諸君!』(文藝春秋)などの月刊誌を「愛読」していた。当時から見て一昔前なら、泡沫的な極右言論が集う場であったそれらの雑誌は、記述の中身をますます劣化させながら、にもかかわらず社会の前面に躍り出てくる感じがあった。「劣化ぶり」とは、まっとうな歴史的検証に堪えられず、論理としても倫理としても明らかに破綻した文章が「堂々と」掲載されているという意味である。右翼言論のあまりの劣化ぶりを「慨嘆」しながら、それでいてかつてない勢力を誇示しながらそれが露出しつつあることの「不気味さ」を、天野恵一と語り合った記憶が蘇える。この「歴史書」の執筆者には、それらの雑誌で馴染みの名も散見されるとはいえ、そうでもない名も多かった。右派言論界の「厚み」を感じたものである。

「若手議員の会」なるものの発足の経緯にも触れておこう。これは「1997年2月27日、中学校歴史教科書に従軍慰安婦の記述が載ることに疑問をもつ戦後世代を中心とした若手議員が集まり、日本の前途について考え、かつ、健全な青少年育成のため、歴史教育のあり方について真剣に研究・検討すると共に国民的議論を起こし、行動することを目的として設立」された。1997年に先立つ前史を振り返れば、彼らがもった「危機意識」が「理解」できる。以下、年表風に記述してみる。

1991年 元日本軍「慰安婦」金学順さん、その被害に関して日本政府を提訴。

1992年 全社の小学校教科書に「南京大虐殺」が記述される。/訪韓した宮澤首相、「慰安婦」問題でお詫びと反省。

1993年 河野洋平官房長官談話、「慰安婦」問題での強制性を認め、謝罪。/細川護煕首相「先の戦争は侵略戦争」と発言。

1994年 全社の高校日本史教科書に「従軍慰安婦」が記述される。

1995年 村山富市首相、侵略と植民地支配を謝罪する戦後50年談話発表。

これが、1990年代前半の一連の動きだが、これに危機感をもった「若手議員の会」の役員構成は次のようなものだった。代表=中川昭一/座長=白見庄三郎/幹事長=衛藤晟一/事務局長=安倍晋三。そして、衆議院議員84名、参議院議員23名で発足した。中川と安倍は自他ともに許す「盟友」だったが、両者の動きは2001年1月に顕著なものとなった。NHKの「戦争をどう裁くか」第2回「問われる戦時性暴力」の内容を、なぜか事前に知った中川・安倍の両議員がNHK幹部に圧力をかけて番組内容を改変させたからである。NHK側の当事者であった永田浩三の『NHK、鉄の沈黙はだれのために』(柏書房、2010年)などを読むと、NHK幹部は『歴史教科書への疑問』をかざしながら、この連中が圧力をかけてきているといいながら右往左往していた様子が描かれている。

1997年には、日本会議と「『北朝鮮による拉致』被害者家族連絡会」が結成されている。振り返ってみて、この年が、日本社会の「現在」を作る原点的な意味を持つことが知れよう。最後に、「若手議員の会」の役員以外の主なメンバーを一瞥しておこう。下村博文、菅義偉、高市早苗、中山成彬、平沢勝栄、森田健作、八代英太などの名前が見える。森田は、もちろん、現千葉県知事である。何よりも冒頭のふたりの名前に注目すれば、「現在は20年前の過去の裡にあり」「過去は現在と重なっている」ことがわかる。(7月1日記)