現代企画室

現代企画室

お問い合わせ
  • twitter
  • facebook

状況20〜21は、現代企画室編集長・太田昌国の発言のページです。「20〜21」とは、世紀の変わり目を表わしています。
世界と日本の、社会・政治・文化・思想・文学の状況についてのそのときどきの発言を収録しています。

太田昌国の、ふたたび、夢は夜ひらく[72]米大統領のキューバ訪問から見える世界状況


『反天皇制運動カーニバル』37号(通巻390号、2016年4月5日発行)掲載

私が鶴見俊輔の仕事に初めて触れたのは、高校生のころに翻訳書を通してだった。米国の社会学者、ライト・ミルズの『キューバの声』の翻訳者が鶴見だった(みすず書房、1961年)。表紙カバーには、原題 “Listen , Yankee” (『聴け、ヤンキー』)の文字が浮かび上がっていた。1960年夏まで(ということは、キューバ革命が勝利した1959年1月からおよそ1年半の間は)ミルズはキューバについて考えたこともなかった、という。だが60年8月、キューバの声は「空腹民族ブロックを代表する」(原語はどうだったのか、「空腹民族」とは言い得て妙な、「面白い」表現だ)ひとつの声だと悟ったミルズは、急遽キューバを訪れ、フィデル・カストロやチェ・ゲバラはもとより市井の多くの人びとと会って話を聞き、それを「代弁」するような書物を直ちにまとめた。米国は「空腹世界のどのひとつの声にも耳をかたむけることをしないということが許されないほどに強大で」あることに気づいたからである。原書は60年末までに刊行されたのであろうが、61年3月には日本語版が発行されている。改訂日米安保条約強行採決に抗議して東工大教官を辞したばかりの翻訳者・鶴見をも巻き込んでいた「時代」の熱気を感じる。

オバマ米大統領のキューバ訪問についての報道を見聞きしながら思い出したことのひとつは、ミルズのような米国人も存在していたのだということである。当時のケネディ大統領も含めた米国の歴代為政者が、もしミルズのような見識(他民族・他国の独自の歩み方を尊重し、米国がこの国に揮ってきた政治・経済の強大な支配力を反省する)の持ち主であったならば、半世紀以上にもわたって両国間の関係が断絶することはなかったであろう。軍事侵攻によってキューバ革命の圧殺を図った過去を持つ米国の大統領としてキューバを訪れたオバマは、人権問題をめぐってキューバに懸念を示す前に、言うべき謝罪の言葉があったであろう。キューバが深刻な人権侵害問題を抱えているというのは、私の観点からしても、事実だと思う。だが、自国の過誤には言及せず、サウジアラビアやイスラエルによる人権侵害状況にも目を瞑り、むしろこれを強力に支えている米国が、選択的に他国の人権問題を批判することは、二重基準である。米韓合同軍事演習は、通常の何気ない言葉で表現し、朝鮮が行なう核実験やミサイル発射のみを「挑発」というのと同じように――大国とメディアが好んで行なうこの言語操作が、いつまでも(本当に、いつまでも!)人びとの心を幻惑しているという事実に嘆息する。

1903年以来米国がキューバに持つグアンタナモ海軍基地を返還するとオバマが語ってはじめて、キューバと米国は対等の立場に立つ。グアンタナモとは、裁判もなく米軍に囚われて虐待されているアルカイーダやタリバーンなどの捕虜の収容所だけなのではない。1世紀以上の長きにわたって、米軍に占領されているキューバの土地なのだ。他国にこんな不平等な関係を強いて恥じない大国の傲慢さを徹底して疑い、批判するまでに、世界の倫理基準は高まらなければならない。

オバマはキューバからアルゼンチンへ向かった。後者には、十数年ぶりに右派政権が成立したからである。各国が軒並み軍事独裁政権であった時代に、米国主導の新自由主義経済政策によって社会に大混乱をもたらされたラテンアメリカ諸国には、20世紀末から次々と、米国の全的支配に抵抗する政権が生まれた。二十数年間続いてきたこの流れは、この間、一定の逆流に見舞われている。だが、全体を見渡すと、この地域に、いま戦乱はない。軍事的緊張もない。1962年のキューバ・ミサイル危機を思い起こせば、感慨は深い。東アジア、アラブ、ヨーロッパ、北部アフリカなどの地域と比較すると、それがよくわかる。かつてと違って、米国の軍事的・経済的・政治的なプレゼンス(存在)が影をひそめたことによって、社会の安定性が高まったからである。巨大麻薬市場=米国と、悲劇的にも国境を接するメキシコが、10万人にも上る死者を生み出した麻薬戦争の只中にある事実を除けば。

米国の「反テロ戦争」を発端とするアラブ世界の戦乱が北アフリカ地域にも飛び火している、悲しむべき状況を見よ。60年以上も続く、朝鮮との休戦協定を平和協定に変える意思を米国が示さぬために、米韓合同軍事演習と朝鮮の「先軍路線」の狭間で、「(金正恩の)斬首作戦」とか「ソウルを火の海にする」とか、熱戦寸前の言葉が飛びかう東アジア情勢を見よ。

米国の「存在」と「非在」が世界各地の状況をこれほどまでに左右すること自体が不条理なことだが、その影響力を減じさせると、当該の地域には「平和」が訪れるという事実に、私たちはもっと自覚的でありたい。(4月1日記)