太田昌国の、再び夢は夜ひらく[62]相手の腐蝕はわが魂に及び……とならぬために
残す任期が少なくなってきた米国大統領オバマについては、歴史に名を残す「レガシー(遺産)づくり」のニュースが絶えることはない。革命直後からの半世紀以上にわたって敵視してきたキューバとの国交正常化は具体化の途上にある。他方、オバマの任期中に、黒人奴隷の末裔たちに賠償金が支払われるのではないかという「噂」も根強い。奴隷労働「最盛期」にその労働に従事させられていた人の数、1日の労働時間、現在の最低時給額、結局は支払われなかった賃金の、100年以上に及ぶ未払い期間の金利を複利計算して、それらを総合し、奴隷の子孫が請求できる対価を59兆2千億ドル(約7100兆円)とする計算もある。現在4千万人である黒人でこれを分配すると、1人当たり148万ドル(約1億7760万円)になる。米国の2015年度歳出額が3兆9千億ドル(約468兆円)であることを見ても、実現不可能な数字であることは明白だ(4月26日付け東京新聞)。賠償が実現するか否かはいまだ不明だが、第2次大戦中に強制収容した日系人に対する賠償金の支払いが実施された例もあり、突飛なことではない。ともかく、歴史的過去をめぐるふりかえりが、このような水準でも行なわれている米国の社会状況の一端は見えてくる。
フランス大統領オランドは、去る5月のキューバ訪問の際に、その隣国で、旧植民地であるハイチも訪れた。遥か昔の1804年、世界初の黒人共和国としてハイチが独立したとき、フランスは「独立承認の条件」(!)として多額の賠償金をハイチに支払わせた。今回、オランドはその事実を十分に意識しながら、「過去は変えられないが、未来は変えられる」と演説し、5年間で1億3千万ユーロ(約175億円)の援助表明も行なった(5月13日付けサンパウロ=時事)。
対外政策だけを見てみても、オバマは無人機爆撃も活用しながら世界各地で侵略的な軍事路線を遂行しており、オランドもまたアフリカやアラブ地域に対する戦争政策を憚ることなく展開している。私から見て、決して信頼しうる政治家ではない。それでいてなお、右の2つのエピソードから私は微かなりとも「歴史の鼓動」を聞き取っているのだが、それはとりもなおさず、自分が住まう社会=日本の政治からは、それが決して響いてこない種類のものだからである。
5月27日と28日の両日、衆議院安保法制特別員会において共産党の志位委員長が行なった質問と首相らの答弁の全容を、新聞の6面全体を割いて詳報する「しんぶん赤旗」の同月30~31日号で読んだ。国会中継は見る時間がない。仄聞だが、首相らが窮地に立つ場面はカットされる、最近とみに恣意的な編集が目立つというニュース番組は、隔靴掻痒であるうえ、「(下劣な政治家は)顔も見たくない」というのが本音だから、ほぼ見ない。一般紙が報じる質疑内容は、あまりに簡略化されていて、よくわからない。たまに、こうして、質疑応答の全容を伝える記事を読むと、現在の国会論議の水準がよくわかる。水準はわかるが、首相らの答弁の意味はほとんど理解不能だ。志位は苛立ち、質問にだけ答えよ、と繰り返すが、首相らは聞く耳を持たぬ。質問にはまともに答えないままに、長々と持論を展開する……。とりわけ、日本政府がいう「後方支援」なるものは、国際的には「兵站」といい、「兵站こそ武力行使と一体不可分であり、戦争行為の不可欠の一部だ」と追及されても、「兵站は安全が確保されている場所で行なう」としか答弁しないのだから、討論そのものが成立しないのである。
美術に通じている友人が、言ったことがある――2流、3流の絵画ばかりを見ていると、目が腐ります。
私の考えでは、B級映画にもB級グルメにも得難いものはあるが、美術の世界は違うかもしれぬ。素人なりに納得する意見である。
日本の政治状況を眺めながら、友人の言葉をよく思い出す。論争する相手がその人なりの論理をきちんともち、あっぱれな倫理性の持ち主でもあり、賛同はできぬまでも、持てる政治哲学や歴史認識の方法にも一家言ある人ならば、それに対峙する私たちも切磋琢磨しなければならず、自分なりの高みを目指しての努力を続けることはできる。そうではない人間たちを相手にしなければならないとすれば……? こんなのを相手にしていると、自分自身が腐蝕していくような気がする。相手の腐敗・腐蝕はわが魂に及び、とでもいうか。とめどなく奈落の底にでも落ちていくような。心底、疲れる。この無論理と非倫理をもって、あいつらは私たちを疲れさせようとしているのだろうか? それが、あいつらの狙い目なのだろうか? (6月5日記)