現代企画室

現代企画室

お問い合わせ
  • twitter
  • facebook

状況20〜21は、現代企画室編集長・太田昌国の発言のページです。「20〜21」とは、世紀の変わり目を表わしています。
世界と日本の、社会・政治・文化・思想・文学の状況についてのそのときどきの発言を収録しています。

第3回死刑映画週間「国家は人を殺す」開催に当たって


「死刑廃止国際条約の批准を求めるフォーラム90」主催「第3回死刑映画週間」のためのパンフレット(2014年2月15日発行)掲載

いまからもう17年も前のことになるか、「この国は危ない/何度でも同じあやまちを繰り返すのだろう/平和を望むと言いながらも/日本と名のついていないものにならば/いくらだって冷たくなれるのだろう」とうたった歌手がいた。1997年4月23日、在ペルー日本大使公邸占拠・人質事件が、当時のフジモリ大統領の武力発動によって「決着」をみたのだが、その軍事作戦で人質1名、攻撃した兵士2名、ゲリラ14名が死んだ後のことである。救出された人質が乗ったバスの出入り口に立ったフジモリ大統領が、満面の笑みを浮かべながらペルー国旗をうちふる姿を覚えている方もおられよう。それを、日本のメディアは「日本人(人質)が助けられた」と嬉しそうに絶叫するばかりで、他国の死者(この歌では、「救出作戦に当たった兵士2名の死」のことを言っている)には何の関心も示さない形で報道した。歌は、そのことへの危機感の表明であった。この軍事作戦が実施された日付に因んで「4.2.3」と題されているこの曲の作り手も歌い手も、中島みゆきである(曲は『私の子供になりなさい』、ポニーキャニオンPCCA-01191、に入っている)。

言葉を変えるなら、人間の生死に関わることがらを、「日本国民」という内部と「非日本人」という外部に〈ごく自然に〉分け隔てて喜怒哀楽を表現してしまうという、この社会に根深く沁みついている心性の在り方に、歌手は深い危惧を抱いたのである。

私は最近、この歌を幾度となく思い起こす。それは、おそらく、次の二つの理由からきている。ひとつには、現首相や政権与党指導部によって煽動され、草の根の一定の「民意」にまで根を下ろしている偏狭なナショナリズムが、上に触れた17年前のあり方とぴたりと重なり合う傾向を示しているからである。否、ぴたりと重なり合うという表現に留めるのは、正確ではない。「外部」にあるものをひたすら憎み侮蔑し、国の「内部」に凝り固まるこの現象は、いわゆる「ヘイト・スピーチ」に見られるように、醜悪なまでに増長しているのが現実なのである。

ふたつ目は、この国家のあり方と切っても切れない関係にある「死刑」問題の現況からくる。与党幹事長は、上の趨勢を推し進める過程で、「(国防軍)が成立した暁には、戦場への出動命令を拒否すれば軍法会議で死刑もしくは懲役300年」と語った。また、現法相は昨年4回にわたって死刑執行を命じて、計8人の人びとの命を奪った。凶悪犯罪を犯して「死刑囚」になった者と犯罪とは無縁な「一般人」の間に高い垣根をつくって、これを暗黙の裡に認める「民意」がこれを後押ししている。

「国」の内部に固まって、恐るべき言葉を「外部」に投げつける人びと。「死刑囚」や「犯罪者」を遠巻きにして、悪罵の石を投げつける人びと――自らは決して傷つくことのない安全地帯をおいて行なわれているこの行為は、国家が安んじて「人を殺す」基盤を形成する。戦争を通して、そして死刑制度を通して。この社会は、ほんとうに、きわどい地点にまできた。今回上映される8本の映画を通して、この状況を客観視する縁にしたい。