2013年1月22日
『死刑廃止国際条約の批准を求めるFORUM90』機関誌第127号
(2013年1月25日発行)掲載
昨年開催した死刑映画週間『「死刑の映画」は「命の映画」だ』から、私たちは確かな手応えを感じた。一見したところ「暗さ」と「重さ」を感じさせる催し物だが、にもかかわらず大勢の人びとが詰めかけてくれたから、ということも理由の一つだ。映画を観たり、ゲストの話を聞いたりした人から、死刑制度についての自分の誤解や無知をめぐって、また犯された罪と死刑囚をめぐる思い込みをめぐって、冷静にふり返る声をいくつも聞いた、ということもある。その後、私たちが開く集会や会議に新たに参加している若い世代の人びととは、この映画週間を通して出会った、というのも大きな理由だ。もとより、私たちとは逆に、死刑制度は維持されなければならないと考えている人びとも、この催し物に参加していたに違いない。それも、私たちが望んだことだ。情報公開が極端に制限され、秘められている部分があまりにも大きい社会制度については、賛否いずれの立場に立つ誰であっても、まず、その制度のことを「もっと知る」ことが必要だと思うからだ。
制度のことは、法律や歴史の中でそれが果たしてきた役割を通して、外形的には理解が届く。分からないのは、この制度の下に生きざるを得ないひとの心だ。あるいは、この制度を何らかの理由で廃止した社会に生きるひとの心に、どんな変化が起こるのか、ということだ。その意味では、開催した私たち自身が、10本の作品をあらためて(あるいは初めて)観て、それぞれ深く思うところがあった。生きた時代も場所も異にする多くの人びと――フィクションとドキュメンタリーでは、犯罪が想像上のものか実際に起こったものかの違いはあるが、いずれも、罪を犯した者あるいは冤罪者・被害者・遺族・周辺の人びと、そして脚本家・監督・俳優など映画に関わるすべての人びと――が、「死刑」という、人類が生み出した制度をめぐって、肯定しあるいは否定し、怒り、悲しみ、あれこれ戸惑い、迷い、断言し、苦悩する姿が、そこにはあった。この重層的な複数の思いを、ひとつの固定的な線の上に手際よく整理することはできない。そうしようと焦るのではなく、そこで揺らぐひとの(自分の)心のありようを、じっくりと見つめることが必要だ、と私たちは考える。
今回選んだ9作品から、大まかに言って「罪と罰と赦しと」という共通のテーマを私たちは取り出した。そこから微妙に外れ、別な課題を取り出すべき作品もある。いずれにせよ、ひとを殺めた「罪」を犯した者がいて、それに対する「罰」として国家あるいは或る権力の下で処刑する行為が行なわれるという、明快な因果の関係だけで、事が済むわけでない。済ませてはならない。罪ある者の「償い」と、長い苦悩を経たうえでの当事者の「赦し」の可能性を排除することなく、制度としての死刑の問題を捉えたい、それはひとが持つ人間観と価値観に関わることだ、と私たちは主張したいのである。(2013年1月10日記)
【追記】詳しい上映情報については、会場となるユーロスペースのHPをご覧ください。
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2013年1月15日
『反天皇制運動モンスター』第35号(2013年1月15日発行)掲載
昨年の暮れも押し詰まった12月14日、米国東部コネティカット州の小学校を現場にした銃の乱射事件は26人の犠牲者を生んだ。その多くは子どもであった。そのため「クリスマスを目の前にして」という情緒的な反応も含めて、日本でも大きく報道された。オバマ大統領も直ちに記者会見を行なったが、途中で声を詰まらせ涙を浮かべる様子も、事細かに報じられた。大統領は、銃規制の方針を打ち出しているが、もちろん、これに反対する銃ロビー団体=全米ライフル協会(NRA)の動きもあって、前途は予断を許さない。
それにしても、この光景を何度見てきたことだろうか。私の世代なら、60~70年代にベトナムの戦場に派遣されていた帰還兵が、次々と引き起こした乱射事件を思い起こす。生まれついての軍人ではなかったどこにでもいる若者が、兵士になってアジアの人間に対する人種差別意識に基づいた殺人訓練を受けたのちの数年間を戦場で過ごし、やがて帰国できたとしても、彼はもはや、かつて市井に生きていたころの彼ではない。彼は、自らが他国の戦場にいて揮った無制限の暴力を自国へ持ち帰るほかないのである。そのことを、ダグラス・ラミスは「戦争が帰ってくる」と、的確にも名づけた。
今回事件を引き起こした人物は元軍人ではないようだ。だが、3億丁の銃がひしめくと言われる米国社会である。「銃の所有は開拓以来の自主独立精神の象徴だ」とするNRAの主張が、むごい乱射事件が起きたときだけ「銃規制派」に中途半端に転向するオバマ的な人物を含めた広範な人びとの支持をふだんは受けているからこそ、この現実が生まれていると解釈すべきであろう。オバマは、確かに、城内秩序を乱した実行者には怒りを見せ、いたいけな犠牲者を悼んでみせた。同時にオバマは、この同じ銃を、否、殺人能力にはるかに長けたミサイルや無人爆撃機を、「反テロ戦争」の名の下にアフガニスタンやパキスタンやイエメンのような城外では使うことをきょうも指令し続けているのである(つい先日まではイラクでも)。銃を何の疑問も持たずに使用することは、あの社会の人びとの中で、価値として「内面化」しているのだ。「内」で起こった殺人事件に涙を流したその日にも、「外」に向けては殺戮指令を出す人物の偽善性は、そんな社会にあっては、経済合理性に基づいた主張を持つ銃規制反対勢力の現実性を前に、膝を屈するしかない。
その米国と国境を接して南に位置するメキシコからの、二つのニュースに注目したい。ここ数年は麻薬をめぐる暴力事件が絶えることはない。麻薬の最大の消費国=米国があってこそ、それに付け入ったマフィアが、コロンビア、ペルー、ボリビア、パナマなどを原産国および経由国として利用してきたのだが、昨今はその最前線がメキシコに移動したようだ。けだし、米国の暴力性は軍事面にのみ現れるのではない。経済的な消費=供給構造を規定する力にも如実に現われる。だが、ここではメキシコ南東部に目を移して、そこからのメッセージに注目したい。マヤ歴に基づいて「世界終末の日」と騒がれた12月21日、高度消費社会の人間たちが好奇心に駆られて、「過去」としてのいくつものマヤ遺跡の周辺に群がった。同じ日、チアパス州で「現在」を生きるマヤの末裔たちは、4万人から5万人とも言われる老若男女の塊となって、主要五都市の中心広場を沈黙の裡に占拠した。全員が黒の目出し帽を被っていた。19年前に、グローバリゼーションの趨勢に異議申し立てを行ない、武装蜂起したサパティスタ民族解放軍(EZLN)の自主管理区に住まう人びとの群れであった。沈黙の広場占拠と行進によって、19年間に及ぶ持久的なたたかいの現状を表現する象徴的な行為であった。武器は捨てて、政治=生活=文化の全領域でこそたたかいを継続したいというその路線を端的に表現したものであった。マルコス副指令の短いメッセージは言う。「関連するひとびとへ 聞こえただろうか? これは君たちの世界が崩壊する音だ。我らの世界が復興する音だ。その日はかつて日中でも夜であった。そして、夜という日は、いつか日が明けるのだ。民主主義! 自由! 正義!」。いかにもサパティスタらしい修辞ではある。
銃の意味を徹底して考えることを放棄している米国社会。武装蜂起はしたが、当初から武器と戦争のない未来社会の夢想を公言していたサパティスタ――去る12月中旬の二つの対照的なニュースは、いずれも深く示唆的であった。(1月12日記)
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