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状況20〜21は、現代企画室編集長・太田昌国の発言のページです。「20〜21」とは、世紀の変わり目を表わしています。
世界と日本の、社会・政治・文化・思想・文学の状況についてのそのときどきの発言を収録しています。

太田昌国の夢は夜ひらく[32]10年目の拉致被害「帰国」者の言葉


『反天皇制運動モンスター』第34号(2012年11月6日発行)掲載

朝鮮特務機関による拉致被害者の蓮池薫氏が『拉致と決断』と題する著書を出した(新潮社)。同社のPR小冊子「新潮」に2年間ほど連載されていたものを元にして、「帰国」10年目に合わせての単行本化である。朝鮮で送らざるを得なかった24年間の歳月が、あふれるごとくの言葉で綴られている。外部の人間が、一部を恣意的に引用したりまとめたりすることは慎みたい、と思わせる何かがある。氏の文章を実際に読まなければ伝わらないものがある、と感じさせるという意味において。

10年前、日朝首脳会談が実現し、ピョンヤン宣言が発表されたとき、日本社会を覆い尽くしたのは拉致問題への関心一色だった。それは確かに重大な国家犯罪だが、問題の本質は、近代国家・日本による近隣諸地域への侵略、戦争、植民地化の過程と、敗戦後の「戦後処理」のあり方に関わっており、それへの総合的な視野なくしては拉致問題などの個別課題を解決する目途も立たないことは、私には自明のことだった。

だが、この問題に関わる世論形成に大きな力を発揮した拉致被害者家族会の方針は違った。「拉致問題の解決なくして国交正常化なし」――他のいかなる問題にも先駆けて拉致問題を解決すること、そのことを強硬に主張した。ことは、外交問題である。二国間の関係に関わることがらであるからには、一国が一方的に優先課題を設定していては、交渉の糸口にもたどり着くことはできない。このことを知ってか知らずにか、家族会の方針に異論を立てる者が、この社会には極端に少なかった。政治家しかり、外務官僚しかり、メディアに登場する者たちしかり。家族会は、比類ない圧力団体として、社会全体を縛り上げてきたと言える。背後には常に、「北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会」(いわゆる「救う会」)という、極右団体を控えさせながら。

去る10月、日朝首脳会談から10年目を迎えて、無為に過ぎた10年間をふり返る企画がメディア上にあふれた。「拉致問題の進展が見られない」「内閣改造のたびごとに、拉致問題担当相が変わり、政策の継続性がない。政府の誠意を疑う」「親の高齢化が進み、残された時間はほんとうに僅かだ」――家族会の人びとの、即時的な心情に寄り添う言葉はあった。それだけが、あった。拉致問題だけを切り離して、優先的に解決する――社会を10年ものあいだ金縛りにしてきたこの路線の「非現実性」を指摘する声は、いまだにかき消されたままだ。

この10年間、渦中にありながらもっとも理性的な言葉を語ってきたのは、「帰国」できた5人の拉致被害者であったように思える。「帰国」から1年半の間はまだ子どもたちが朝鮮に残っており、その後も、生存している拉致被害者の安否を思えば、自分たちの発言がどんな影響を及ぼすかを熟慮した、慎重な言い回しが目立った。だが、蓮池薫氏の場合には、家族会事務局長時代の兄・透氏の著書『奪還』(新潮社、2003年)や『奪還第二章』(同、2005年)から、漏れ響いてくる印象的な言葉がいくつもあった。「何ヵ月も安否確認さえできない政府の無能ぶり。一介のNGOにできることなのに」「政府は主導的に何をしようとしているかわからず、物足りなかった」「自分たちだけが帰ってきて忍びない」「日本だけが被害者だというような態度で北朝鮮に接しても、ぶつかり合いにしかならないんだ」。

私は当時これらの言葉を読みながら、「帰国」者たちが、奪われた24年間の経験を生かし、日朝和解のための架け橋になるような生き方をしてくれたなら――とひそかに夢想した。部外者の、勝手な思いであることは承知していた。書物を刊行するという意味では外部の私の視野にも入ってくる蓮池薫氏の仕事を見ていると、その思いが叶いつつあるような気がする。現代韓国文学を中心とした氏の翻訳書は20冊を超えている。孔枝泳の『私たちの幸せな時間』『トガニ』(いずれも新潮社)など優れた作品が目立つ。拉致そのものを扱った新著『拉致と決断』も、氏がそれによって強いられた運命を思えばなお、公平・公正な立場で日朝間の歴史的・現在的な関係を観ようとしており、そのありようが胸を打つ。

(11月3日記)