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状況20〜21は、現代企画室編集長・太田昌国の発言のページです。「20〜21」とは、世紀の変わり目を表わしています。
世界と日本の、社会・政治・文化・思想・文学の状況についてのそのときどきの発言を収録しています。

太田昌国の、ふたたび、夢は夜ひらく[72]米大統領のキューバ訪問から見える世界状況


『反天皇制運動カーニバル』37号(通巻390号、2016年4月5日発行)掲載

私が鶴見俊輔の仕事に初めて触れたのは、高校生のころに翻訳書を通してだった。米国の社会学者、ライト・ミルズの『キューバの声』の翻訳者が鶴見だった(みすず書房、1961年)。表紙カバーには、原題 “Listen , Yankee” (『聴け、ヤンキー』)の文字が浮かび上がっていた。1960年夏まで(ということは、キューバ革命が勝利した1959年1月からおよそ1年半の間は)ミルズはキューバについて考えたこともなかった、という。だが60年8月、キューバの声は「空腹民族ブロックを代表する」(原語はどうだったのか、「空腹民族」とは言い得て妙な、「面白い」表現だ)ひとつの声だと悟ったミルズは、急遽キューバを訪れ、フィデル・カストロやチェ・ゲバラはもとより市井の多くの人びとと会って話を聞き、それを「代弁」するような書物を直ちにまとめた。米国は「空腹世界のどのひとつの声にも耳をかたむけることをしないということが許されないほどに強大で」あることに気づいたからである。原書は60年末までに刊行されたのであろうが、61年3月には日本語版が発行されている。改訂日米安保条約強行採決に抗議して東工大教官を辞したばかりの翻訳者・鶴見をも巻き込んでいた「時代」の熱気を感じる。

オバマ米大統領のキューバ訪問についての報道を見聞きしながら思い出したことのひとつは、ミルズのような米国人も存在していたのだということである。当時のケネディ大統領も含めた米国の歴代為政者が、もしミルズのような見識(他民族・他国の独自の歩み方を尊重し、米国がこの国に揮ってきた政治・経済の強大な支配力を反省する)の持ち主であったならば、半世紀以上にもわたって両国間の関係が断絶することはなかったであろう。軍事侵攻によってキューバ革命の圧殺を図った過去を持つ米国の大統領としてキューバを訪れたオバマは、人権問題をめぐってキューバに懸念を示す前に、言うべき謝罪の言葉があったであろう。キューバが深刻な人権侵害問題を抱えているというのは、私の観点からしても、事実だと思う。だが、自国の過誤には言及せず、サウジアラビアやイスラエルによる人権侵害状況にも目を瞑り、むしろこれを強力に支えている米国が、選択的に他国の人権問題を批判することは、二重基準である。米韓合同軍事演習は、通常の何気ない言葉で表現し、朝鮮が行なう核実験やミサイル発射のみを「挑発」というのと同じように――大国とメディアが好んで行なうこの言語操作が、いつまでも(本当に、いつまでも!)人びとの心を幻惑しているという事実に嘆息する。

1903年以来米国がキューバに持つグアンタナモ海軍基地を返還するとオバマが語ってはじめて、キューバと米国は対等の立場に立つ。グアンタナモとは、裁判もなく米軍に囚われて虐待されているアルカイーダやタリバーンなどの捕虜の収容所だけなのではない。1世紀以上の長きにわたって、米軍に占領されているキューバの土地なのだ。他国にこんな不平等な関係を強いて恥じない大国の傲慢さを徹底して疑い、批判するまでに、世界の倫理基準は高まらなければならない。

オバマはキューバからアルゼンチンへ向かった。後者には、十数年ぶりに右派政権が成立したからである。各国が軒並み軍事独裁政権であった時代に、米国主導の新自由主義経済政策によって社会に大混乱をもたらされたラテンアメリカ諸国には、20世紀末から次々と、米国の全的支配に抵抗する政権が生まれた。二十数年間続いてきたこの流れは、この間、一定の逆流に見舞われている。だが、全体を見渡すと、この地域に、いま戦乱はない。軍事的緊張もない。1962年のキューバ・ミサイル危機を思い起こせば、感慨は深い。東アジア、アラブ、ヨーロッパ、北部アフリカなどの地域と比較すると、それがよくわかる。かつてと違って、米国の軍事的・経済的・政治的なプレゼンス(存在)が影をひそめたことによって、社会の安定性が高まったからである。巨大麻薬市場=米国と、悲劇的にも国境を接するメキシコが、10万人にも上る死者を生み出した麻薬戦争の只中にある事実を除けば。

米国の「反テロ戦争」を発端とするアラブ世界の戦乱が北アフリカ地域にも飛び火している、悲しむべき状況を見よ。60年以上も続く、朝鮮との休戦協定を平和協定に変える意思を米国が示さぬために、米韓合同軍事演習と朝鮮の「先軍路線」の狭間で、「(金正恩の)斬首作戦」とか「ソウルを火の海にする」とか、熱戦寸前の言葉が飛びかう東アジア情勢を見よ。

米国の「存在」と「非在」が世界各地の状況をこれほどまでに左右すること自体が不条理なことだが、その影響力を減じさせると、当該の地域には「平和」が訪れるという事実に、私たちはもっと自覚的でありたい。(4月1日記)

太田昌国のふたたび夢は夜ひらく[71]「世界戦争」の現状をどう捉えるか


『反天皇制運動カーニバル』第36号(通巻379号、2016年3月8日発行)掲載

アラブ地域の現情勢を指して、「世界戦争」とか「第三次世界大戦の始まり」と呼ぶ人びとが目立つようになった。いわゆるイスラーム国には、欧米を含む世界各地から数多くの義勇兵が駆けつけている。シリアに対する空襲は、国連安保理常任理事国を構成する5ヵ国のうち中国を除く米英仏露の4ヵ国によってなされている。この構図を見るにつけても、「世界戦争」という呼称は、あながち、大げさとは思えなくなる。その社会的・政治的メッセージの鮮烈さにおいて群を抜く現ローマ教皇フランシスコは、2015年11月13日パリで起きた同時多発攻撃事件を指して「まとまりを欠く第三次世界大戦の一部である」と表現した。国家単位の戦闘集団ではないイスラーム国が、世界各地に自在に軍事作戦を拡大する一方、これに対して「反テロ戦争」の名目で諸大国が(あくまでも表面的には)「連携している」という意味で、第一次とも第二次とも決定的に異なる、現下の「世界戦争」の性格を巧みに言い当てているように思われる。

この「世界戦争」という構図の枠外に位置しているかのように見える、残りの安保理常任理事国=中国も自らの版図内に、北京政府から見れば「獅子身中の虫」たる新疆ウイグル自治区を抱えている。多数のイスラーム信徒が住まうこの自治区は、世界的な「反テロ戦争」のはるか以前から、中国内部に極限された「反テロ戦争」の中心地であった。北京政府の強権的な政策(ウイグル人の土地の強制収用、漢民族の大量移住計画、ウイグル人に対する漢民族への徹底した同化政策、信仰の自由に対する抑圧など)に反対する人びとによる爆弾闘争が散発的に繰り返され、これに対する弾圧も厳しかったからである。圧政を逃れて、トルコなどへ亡命しているウイグル人も多い。その人びとの心の奥底に、イスラーム国に馳せ参じる若者たちに共通の心情が流れていても、おかしくはない。事実、2013年10月には、ウイグル人家族がガソリンを積んだ車で天安門に突入し自爆する事件も起こっている。北京政府を標的にした軍事攻撃は、イスラーム国のそれにも似て、すでにして辺境=新疆ウイグルに留まることなく、首都中枢にまで拡散しているのだといえる。

私は、今年1月に行なわれた中国の習近平主席のサウジアラビア、エジプト、イラン訪問に(訪問先の選び方も含めて)注目したが、各紙報道にも見られたように、これは明らかに、ユーラシアをシルクロードで結ぶ「一帯一路」の経済圏構想を具体化するための布石であった。これを実現するためには、新疆ウイグル自治区の「安定」が不可欠である。だが、同時に、習近平は知っていよう――新疆ウイグル自治区は、イスラーム国の浸透が顕著なカザフスタン、キルギス、タジクなどのイスラーム圏共和国と天山山脈を境にして接する同一文化圏にあることを。中国政府は、現在、チベットや新疆ウイグル自治区に対する政策を人権侵害だとする欧米諸国からの批判は「二重基準(ダブル・スタンダード)」だとして反発している。だが、この地域での蠢動を続けるイスラーム国の軍事攻撃が、さらに国境を超えていくならば、現在は別個に行なわれている欧米諸国と中国の「反テロ戦争」が、共通の「敵」を見出して合体するときがくるかもしれない。そのとき、ローマ教皇がすでに始まっているとみなしている「第三次世界大戦」はいっそうの「世界性」を帯びざるを得ない。

他方、中国は、中央アジアを離れて、東アジア地域においても重要な位置をもっている。去る3月2日、国連安保理事会は、朝鮮民主主義人民共和国が行なった核実験と「衛星打ち上げ」に対して、同国に出入りするすべての貨物の検査を国連加盟国に義務づけ、同国への航空燃料の輸入禁止を含む大幅な制裁決議を採択した。制裁強化を躊躇っていた中国も、最終的にはこれに賛成した。中国の四大国有商業銀行は、従来は米ドルに限っていた朝鮮国への送金停止措置を、人民元にまで拡大している。

3月7日には、朝鮮が激しく反発している米韓合同軍事演習が始まる。朝鮮半島は、残念なことに、「第三次世界大戦」の一翼を担う潜在的な可能性をもち続けている。

ここでは、否定的な現実ばかりを述べたように見える。もちろん、たゆまぬ反戦・非戦の活動を続ける人びとが世界的に実在している(いた)からこそ、世界はこの程度でもち堪えている(きた)ことを、私たちは忘れたくない。(3月5日記)

太田昌国のふたたび夢は夜ひらく[70]国際政治のリアリズム――表面的な対立と裏面での結託


『反天皇制運動カーニバル』第35号(通巻378号、2016年2月9日発行)掲載

朝鮮民主主義人民共和国(以下、朝鮮)が予告した「衛星打ち上げ」についての報道状況を知るために、久しぶりにNHKのテレビニュースを点けた。たまに観るだけだが、ちょうど桜島噴火報道と重なったために、朝鮮報道と災害報道に懸けるNHKの「熱意」は半端なものではない、とあらためて思う機会ともなった。いずれも、視聴者の危機感を煽りたてるためには、この上ない材料なのであろう。神戸大震災と「3・11」を経験したいま、万一の場合に備えて、時々刻々の災害報道が必要なことは言を俟たない。そのことを認めたうえで、NHK的な危機煽りの報道によって「組織」される人びとの心の動きを注視することも、止めるわけにはいかない。

朝鮮の「衛星打ち上げ」についても、飛行経路に近い地域の自治体の対応ぶりが事細かに報道されている。ミサイルの2段目ロケットが上空を超えることになる沖縄県宮古市、同じ先島諸島の石垣市、地対空誘導弾パトリオット3(PAC3)が配備されている航空自衛隊基地のある那覇市などの動きに加えて、「部品が落下する恐れがある」航行危険区域を示す漁業安全情報が各漁協に徹底周知されたなどという文言に接すると、ひとは当然にも、「今、ここにある危機」を持つよう、精神的に駆り立てられる。ひとというものは、ときに哀しい存在だとつくづく思う。情緒に巻き込まれ、自らすすんで「危機」を択びとってしまうのだ。

しかも、この情景には既視感がある。日米防衛協力のために新ガイドライン(指針)を実施に移すための、周辺事態法などの関連法案が国会で審議されていた小渕政権下の1998-99年の時期である。ソ連体制はすでに崩壊し、旧ソ連の日本侵攻を想定して作られていた旧ガイドラインは実質的に失効した。今や朝鮮半島有事などの「周辺事態」に際しての物資の輸送や補給など米軍への後方支援や、米軍に民間の空港・港湾を使用させることなどおよそ40項目を盛り込んだ対米支援策が論議されていた。

そのさなかの1998年8月、金正日指導下の朝鮮はいわゆるテポドンを発射した。それは東北諸県を横切って、三陸沖に落下した。翌99年3月、朝鮮の高速艇が能登半島沖に現われた。これを「不審船」による領海侵犯と見た海上自衛隊と海上保安庁が追跡し、威嚇射撃も行なった。この段階で、「朝鮮有事」は実際にあり得ることだとの実感が、人びとの心に浸透した。ガイドライン法案は国会を通過した。

このころ、元陸上自衛隊人事部長・志方俊之はいみじくも述懐している――日本人には、太平洋戦争の経験に基づく本能的な恐怖がふたつある。空襲とシーレーン喪失の恐怖である。テポドン発射と不審船の横行は、まさにこの恐怖心の核心を衝くものだった。民心は大きく動き、自民党政権が何十年もかかってもできなかった新段階の防衛政策の採用へと大きく前進することができた、と(『諸君!』1998年12月号)。彼が言外に語っていることは、以下のように解釈できよう。表面的には激しく対立しているかに見える日米の軍産複合体支配層と朝鮮の独裁体制は、その軍事優先政策を国内的に納得させるためには、裏面で手を結び合っている、と。国家の枠組みの中での駆け引きとして行われる国際政治に貫かれているこのリアリズムを、私たちは頭に入れておかなくてはならないと私は思う。

朝鮮といえば、蓮池透著『拉致被害者たちを見殺しにした安倍晋三と冷血な面々』(講談社、2015年)と題する本を読んだ。同氏と私が『拉致対論』(太田出版)を刊行したのは2009年だった。民主党政権成立時に重なり、対朝鮮外交への提言的な要素も盛り込んだ。だが、それまで自民党政権を支えてきた外務官僚が急に発想の転換を行なうはずもなく、それを促す力量が政権に備わっているわけでもなかった。民主党政権の3年間は無為に過ぎた。そのあとには、何かといえば拉致問題解決のために「あらゆる手段を尽くす」と見栄を切る安倍晋三が再登場したが、対朝鮮外交における無為無策は一目瞭然である。しびれを切らした蓮池は、「拉致問題を利用して首相にまで上り詰めた」人物に過ぎない安倍の姿を描いている。この問題の裏面を知り尽くしているだけに、視界が開ける。同時に蓮池は、拉致被害者家族会事務局長を任じていた時期の自分が、政府を対朝鮮強硬路線に駆り立てた過去にも、自己批判をこめて触れる。

朝鮮と日本の関係性をめぐる問題は、さまざまな顔貌をして、私たちの眼前にある。情緒に溺れることなく、歴史的な視点を手放さずに、冷静に向き合い続けたい。(2月6日記)

太田昌国の、ふたたび夢は夜ひらく[69]朝鮮の「水爆実験」と「慰安婦」問題での日韓政府間合意


『反天皇制運動カーニバル』第34号(通巻377号、2016年1月12日発行)掲載

国連の安保理事会構成国である五大国が独占してきた核兵器を、他の国が(しかも小国が!)持つことは許さないとするのが、核不拡散条約の本質である。この条約の制定とそれ以降の過程を詳述する紙幅は、今はない。また、イスラエル、インド、パキスタンなどの「小国」も核を保有するに至った現実を、ときどきの国際情勢の下にあって「容認」するか否か、あるいは確認せぬままに目を瞑るかなどの駆け引きも、これを機に利を得ようとする大国がマリオネットの操り師になって、誰の目にも明らかな形で行なわれてきた。したがって、国際政治における「核不拡散」なるスローガンの欺瞞性を批判することは重要だ。国際政治では、つまるところ、「力」を誇示したものが勝つのさ――身も蓋もない「教訓」をそこから得て、核開発に膨大な国家予算を費やしてしまう、「敵」に包囲された貧しい国の若年の国家指導者がいたところで、「軍事を通した政治」に関して同等のレベルで物事を考え、ふるまっているひとつ穴の貉が、どうして、それを嗤い、非難することできようか。

また、自らは核を持たずとも、安保条約なる軍事同盟によって「米国の核の傘」の下にあることを積極的に選んでいるこの国で、そしてその米国はといえば、1953年以来、朝鮮民主主義人民共和国(以下、朝鮮)との間で結んでいるのは休戦協定でしかなく、韓米両軍は朝鮮に対する挑発的な合同軍事演習を一貫して行なっている事実を思えば、ここでも自らを省みずに他国を非難するだけでは、事態を根本的に解決する道筋は見えてこないと指摘しなければならない。

1月6日、朝鮮が行なった「水爆実験」に関して、各国政府やマスメディアが組織する一方的な朝鮮非難の合唱隊に加わらず、せめてこの程度の相対的な視点をもって、事態を見つめることは重要なことだ。彼の国の科学技術水準に軽侮の表情を浮かべながら「水爆開発はまだ不可能」と(おそらくは)正確に事態を捉えていながら、「今、ここにある危機」を演出する政府とメディアの宣伝攻勢も鵜呑みにはせずに、冷静な分析を心がけることも重要だ。そうすれば、多くの専門家が言うように「朝鮮の核開発の段階は実用化には程遠く、実戦用の核兵器の小型化に努めている時期だろう」との判断も生まれよう。事態の把握の仕方は、対処すべき方法を規定することに繋がるのだから、大事なことだ。

さて、これらのことは自明の前提としたうえで、同時に、次のことも言わなければならないと私は思う。朝鮮が行なった「水爆実験」は、疑いもなく、東アジアおよび世界各地に生まれるかもしれない戦争の火種を一所懸命に探し求め、あわよくばそこへ戦争当事国として参加しようと企てている安倍政権にとって、この上ない、新春のプレゼントとなった、と。戦争法の施行を目前に控えているいま、この「水爆実験」は安倍の背なかを押すものとなった、と。

朝鮮の「水爆実験」に理があるものなら、私はこのような批判はしない。「安重根による伊藤博文暗殺が、日本が朝鮮を併合するのに有利な環境を作り出した」という俗論を、日本は当時すでに十数年をかけて朝鮮植民地化の準備を積み重ねていたという歴史的な事実に反するがゆえに、かつ時代状況的には安重根に「理」があったと思うがゆえに、私は受け入れないように。だが、朝鮮の核実験には理がない。若い指導者がしがみついているのであろう「核抑止論」は、どの国の誰が主張しようと、深刻な過ちであると考えるからである。

今回の事態を、昨年末に日韓政府間レベルだけでの急転直下の「解決」をみた「慰安婦」問題と併せて総体的に分析する視点が必要だと思われる。昨年12月16日、「慰安婦」問題を話し合っていた日韓局長協議は結論に至らず越年する、との発表があった。その9日後の25日には、28日の日韓外相会談が公式に発表された。この間に何があったのか。米国政府からの圧力があったことを仄めかす記事は散見される。米国の外交政策を仕切るといわれる外交問題評議会(CFR)が12月20日に出した討議資料 ”Managing Japan-South Korea Tensions” (日韓の緊張を何とか切り抜ける)もネット上には出回り始めた。

慌ただしい年末ギリギリの三国政府間の「圧力」と「談合」の実態を見極め、朝鮮半島全体で何が進行しているのか、その中で日本はどこに位置しているのか、を探る必要がある――敗戦後70年めの昨年にも「最終的かつ不可逆的に解決」されることのなかった課題が、私たちの眼前に広がっている。

(1月9日記)

太田昌国の、ふたたび夢は夜ひらく[67]Abenomicsとは「コインがじゃらじゃら笑顔で輝く」の意


『反天皇制運動カーニバル』第32号(通巻375号、2015年11月3日発行)掲載

英文学者で翻訳家の柳瀬尚紀が、今年はルイス・キャロルの『不思議の国のアリス』が刊行されて150年目だとするエッセイを書いているのが目にとまった(『しんぶん赤旗』10月23日付)。この人らしく軽妙な筆致で、この物語の主役は、子ども向けに翻案された物語と違って、ちっとも可愛くもないアリスではなく、言語であること、しかもその言語は、本来の意味をズラし、ナンセンス詩の一語一語に意味を付与し、こじつけ的に新たな言葉を合成し――といった具合に、言葉遊びで読者を解放する試みだ、としている。この〈起承〉は十分に共感できる内容なのだが、柳瀬は後半にきて突然に、日本の現実に話題を〈転〉じる。本当は書き写したくもない、嫌悪感で身が震えるような標語なのだが、「一億総活躍」なるキャッチフレーズを編み出した現首相は、キャロルを凌ぐ文学的才能の持ち主だと「褒め殺し」をするのである。言葉から意味を解き放ち、否、意味を剥奪し、かつまた自ら奪い取った意味を見事に修復してみせるだろう、と。

柳瀬は夢の中で、かのハンプティ・ダンプティに会ったそうだ。『不思議の国のアリス』の八歳下の妹『鏡の国のアリス』に登場する、奇怪な顔をした「意味の君臨の信奉者」である。柳瀬が「キャロルに並ぶ文学的才能を有するわれらが宰相のことを得意げに話す」と、ハンプティ・ダンプティは紙に等式を書いて、すーっとどこかへ消えた、という。〈結〉語は、すべて引用しよう。

「Abenomics=CoinsBeam  キャロルの得意な綴り替え(アナグラム)である。コインがじゃらじゃら笑顔で輝く、の意味だ。要するに、アベノミクス社会でカネだけは喜々として活躍するのだろう。これが一億総活躍の意味らしい。」

アリスの物語に始まり、この社会の「民意」を幻惑し続けているまやかしの経済政策を皮肉るに至る、〈起承転結〉の効いた、柳瀬らしい文章であった。柳瀬発案のアナグラムも見事だ。このエッセイを受けて、「コインがじゃらじゃら笑顔で輝」いている現実の〈裏表〉をいくつか見ておこう。

誰よりも笑顔が輝いているのは、兵器ビジネスである。政府はこの間、金蔓の経団連の要望に応えて、武器輸出を容認する「防衛装備移転三原則」を決定し、防衛装備庁も発足させた。ここまでくれば、兵器産業が利益を生み出し続けるためには、日本が関与できる戦争がなければならない。戦争法案をなりふり構わぬ形で「成立」させた背景には、この経済的な欲求をも見ておくべきだろう。同時に、防衛省が発表した「自衛官再就職状況」書によれば、多数の幹部自衛官が代表的な軍需関連企業へ天下っている事実にも注目したい。現首相が得意とする「外遊」には、常に、兵器製造企業も含めた大企業幹部が大挙して随行している。訪問先の国々で、兵器の共同開発、輸出などに向けた協定が次々と成立していることも忘れるわけにはいかない。首相はこれを「トップセールス」と称して、悦に入っているのである。国家が「死の商人」と一体化しつつある実態が、そこには見てとれる。

辺野古への基地「移設」問題に関わって、政府が県や名護市の頭越しに、名護市の辺野古、久志、豊原の3区に直接振興費を交付するという戦術も、「基地を受け入れるものにだけ金を出す」という、いかにも拝金主義者らしい卑劣なやり口である。地方自治体の財政規律など、彼らは歯牙にもかけていないのだ。

他方で、こんな現実もある。厚労省の調査に基づいてさえ、子どもの貧困率(住民1人ひとりの所得を試算し、真ん中の人の半分に届かない人の割合)は16.3%で、6人に1人の子どもが貧困状態にある。そこで政府は「子供の未来応援基金」なるものを創設したのだが、発起人には首相、経団連や全国市長会・日本財団の代表者らが名を連ねて、民間からの募金や寄付を子どもの貧困対策に充てるつもりのようだ。児童扶養手当や返済不要の給付型奨学金の拡充に取り組もうともしない政府が、公的責任を放棄して、民間の「善意」に頼ろうとしている姿勢が明らかだ。「活躍」する可能性の低い貧しい子どもに対して「じゃらじゃら」公金を注ぎ込むわけにはいかないという本音が、そこからは聞こえてくる。

Abenomics の本質は、まこと、あちらこちらで透けて見える。それでいてなお、首相の大きな顔のそばに「経済で、結果を出す」(これぞ、まさに、CoinsBeamではないか)というスローガンの掲げられた自民党の新しいポスターが、この国では効力を持ち続けるのだろうか。(11月1日記)

太田昌国の、ふたたび夢は夜ひらく[66]国連で対照的な演説を行なったふたりの「日本人」


『反天皇制運動カーニバル』第31号(通巻374号、2015年10月6日発行)掲載

戦争法案の参議院「可決」が異常な形で演出されて間もない九月下旬、1週間ほどの間隔をおいて、ふたりの「日本人」が国連演説を行なった。21日に国連人権理事会(ジュネーブ)で演説したのは、戦争法案成立の脅威をどこよりもひしひしと感じざるを得ない沖縄県の、翁長知事である。与えられた時間はわずか2分間だった。知事は、軍事基地問題をめぐって日米両国政府から自己決定権と人権を蔑ろにされている沖縄の人びとの現状に的を絞って訴えた。短い発言とはいえ、大いなる関心を世界的に掻き立てたかに見える。

その論点は、同じ日にジュネーブで行なわれた国際シンポジウムおよび翌日の記者会見、さらには帰国した24日に日本外国特派員協会(東京)での会見における発言によって、ヨリ詳しく展開された。それらを総合すると、知事が依拠した主要な論点が見えてくる。私は特に、知事が「沖縄は136年前までは、人口数十万人の小さな独立国だった」と語った後、併合・戦争・占領・返還の歴史に簡潔に触れてから「私たちは琉球王国のように、アジアの懸け橋になりたいと望んでいる」と述べた箇所に注目した。1879年の「琉球処分」時までは沖縄が独立国であったことを主張することは、歴代日本政府の主張と真っ向から対立する。沖縄も他県と同じ日本民族に属するとするのが、政府の変わることのない考え方だからだ。独立国が他国に支配されることはすなわち植民地化であり、そこへ植民者(コロン)が入り込むことによって「先住民」が生み出されるのは、世界各地に共通に見られることだ。自民党沖縄県連は、出発前の知事に対して「先住民の権利として辺野古基地反対を言うな」と釘を刺した。近代化の「影」の存在であることを強いられてきた先住民族の権利を回復する動きが、国連に象徴される国際社会の水準では具体化しており、それが「日本国家の統合性」を危機に曝すことに彼らは気づいているのであろう。

1980年代、沖縄も重要な拠点として『分権独立運動情報』という思想・運動誌が刊行されていた。近代国民国家の脆さを見抜いた、早すぎたのかもしれないその問題意識は、いま、スコットランドやカタルーニャなどにおける自立へ向けた胎動および沖縄の現在の中でこそ生きていると思える。同時に、9月末には、地主が米軍への貸与を拒否した軍用地の強制収容手続きをめぐり、沖縄県知事(大田昌秀)が国に求められた代理署名を拒否してから20年目を迎えたという報道に接すると、あのとき県を訴えて裁判にした国側を代表する首相は社会党の村山富市であったことを思い出す。そこからは、ヤマトにあって沖縄差別を実践している主体を「保守・革新」で明確に分けることはできず、「革新」派も含めた「ヌエ」的な実態であることをあらためて確認しなければならない、とも思う。

国連の場に登場したもうひとりは、29日の国連総会(ニューヨーク)で一般討論演説を行なった首相である。戦争法案をめぐる国会質疑で幾たびも答弁不能の醜態を曝しながら恬として恥じないという「特技」をもつこの男は、その演説で、どこからも要請されていない日本の「常任理事国入り」を力説したと知って、私は世界に向かって恥じた。シリアからの難民の一女性がわずかに手にしていた物の中に、日本政府がアラブ地域の女性たちに配布してきた「母子手帳」があったようだが、そのことを「わが援助の成果」として誇らしげ気に語るその姿に、〈殺意〉をすら感じた。首相の無恥な言動は、日本国に何らの責任も待たない私をすら恥じ入る気持ちにさせてしまう。加えて、記者会見で難民を受け入れるかどうかをロイター記者から問われた首相は、「人口問題で申し上げれば、移民を受け入れるよりも前にやるべきことがある。女性、高齢者の活躍だ」と答えたという。この呆れ果てた問答を、つまらぬ内閣改造のことは大々的に扱ったメディアがほとんど報道しないとは、はて面妖な、と私は思う。私が使う辞書にはない「国辱的」とか「売国奴」という表現は、首相のこの言動に対してなら使えるか、とすら思えてくる。

私が言いたいことは、こうである――2015年9月下旬、日本社会で進行する諸情勢を正確に反映した、このふたりの「日本人」国連発言に注目している外部世界の人が、もしいたならば、メトロポリス(東京)ではなくローカル(沖縄)にこそ、論理と倫理と歴史意識の担い手が実在していると考えるだろう。それも知らぬ気に生きているのは、「内国」に住む私たちだけなのだ。(10月2日記)

太田昌国の、ふたたび夢は夜ひらく[65]内向きに「壊れゆく」社会と難民問題


『反天皇制運動カーニバル』第30号(通巻373号、2015年9月8日刊)掲載

一年でこの時期だけ国を挙げて戦争時代を回顧する「八月のナショナリズム」の日々――私なりに、さまざまな思いをもって過ごした。「8・15」の前日には、近くを通りかかったので靖国神社へ入った。急に、その前日の雰囲気を感じ取っておきたくなった。鳥居前の歩道に、「中国人、朝鮮人、反日主義者による敵情査察お断り」の旗を掲げる人物が立っていた。境内は、翌日の全国戦没者追悼式に参加するのであろう、各県の遺族会員が50人や70人の塊りをなしていて、いっぱいだった。高齢者からその孫の世代まで、一家を挙げての参加者の姿が目立った。これを大切な「年中行事」のひとつとしている家族が多いのだろう。翌朝の新聞には、厚生労働省が、戦没者遺族に対する「特別弔慰金」を支給するとの広告を載せていたが、軍人とその遺族(優先順位高位の人が亡くなっている場合には、孫・姪・甥までが支給対象となるのは、従来通りである)を経済的に手厚く遇する措置は、しかるべき効果を生み出している事実を、目の当りにする思いだった。

悔しいが800円を支払って「遊就館」にも入った。持ち時間も少なかったが、家族連れで混み合っていて、じっくりと見ることはできなかった。それでも、知る人ぞ知る靖国神社的な戦争観のエッセンスは掴み取った。この社会の中にあって、それはけっして「浮いている」史観ではない、だからこそ問題なのだ、と思った。

八月の別な日々には、70年前までのこの社会の姿を何度も思い起していた。校舎の壁に貼られている「鬼畜米英」と書かれた紙、本土決戦に備えて竹やり訓練に励む〈銃後の〉女性たち、バケツリレーで消火のための水を運ぶ防空演習――私はそれに参加したり、見たりしたことのない世代ではあるが、「戦前」といえば、書物や映画で見知っている、この滑稽で、異常な光景を思い起こす。戦後の仕事を読み、見聞きしてこころを寄せる多くの作家や詩人、評論家、画家たちが、戦前のこの社会的な雰囲気の中にあって異端児ではなかったこと、与えられた役割をしっかりと果たしていたことを知ったときの驚きも、いまなお鮮明な記憶だ。

あんな時代が繰り返されるはずがない――わけもなく、そう思い込んでいたのは、あの時代の〈異常性〉があまりに際立っていて、人間の理性はそれを反復するほど愚かではないだろうという〈期待〉か〈希望〉があったからだ。だが、この社会の現状を見て少なからぬ人びとが思い始めているように思える――「社会はここまで壊れたのか」と。

このかん「政治の言葉」、正確には「政治家の語る言葉」が壊れていることは、何度も触れてきた。短期的に言えば、小泉純一郎が首相になった時期から、それは始まった。日々のニュース報道の中でもっとも露出する度合いが高い首相の言葉がどれほどまでに壊れていようとも、それでいて、彼は大衆的な「人気」を誇る人物でもあった。「壊れていること」がマイナス価値ではなく、ごく「ふつう」のこととして社会に浸透した。

いったん壊れ始めると、容易には止まらない。それがまるで「運命のように」人びとを、社会を縛る。戦争法案をめぐる国会質疑、原発再稼働、辺野古・高江問題への政府の態度、オリンピックをめぐる大混乱――「壊れていること」が「ふつう」のこととなって、社会に浸透してしまったという実感を拭い去ることはできない。遊就館に掲示されている史観と心を一つにする人物が与党総裁となり、首相となる時代には、その史観もごく「ふつう」のものとなって、それを極限的に表現する在特会的な存在までもが現れる。当たり前の因果関係だ。

この国内情勢との関連で、私がいまもっとも注視しているのは、前々回も触れたヨーロッパ圏に向けて難民が押し寄せている問題だ。欧州圏の草の根では排外主義的な動きもあるが、政府レベルの態度は、いまのところ人道主義に根差して冷静である。他人事ではない。近隣アジア圏にひとたび社会的混乱か動乱が発生した時には、日本は現在の欧州圏の立場におかれよう。政府と大衆のレベルで排外主義が「ふつう」のこととなった社会が、その試練によい形で堪え得るとは思えない。内向きにだけ「壊れて」いくとすれば、それは私たちの自業自得だが、そう言って済ますことのできない近未来が、そこに、ある。(9月5日記)

太田昌国の、再び夢は夜ひらく[62]相手の腐蝕はわが魂に及び……とならぬために


残す任期が少なくなってきた米国大統領オバマについては、歴史に名を残す「レガシー(遺産)づくり」のニュースが絶えることはない。革命直後からの半世紀以上にわたって敵視してきたキューバとの国交正常化は具体化の途上にある。他方、オバマの任期中に、黒人奴隷の末裔たちに賠償金が支払われるのではないかという「噂」も根強い。奴隷労働「最盛期」にその労働に従事させられていた人の数、1日の労働時間、現在の最低時給額、結局は支払われなかった賃金の、100年以上に及ぶ未払い期間の金利を複利計算して、それらを総合し、奴隷の子孫が請求できる対価を59兆2千億ドル(約7100兆円)とする計算もある。現在4千万人である黒人でこれを分配すると、1人当たり148万ドル(約1億7760万円)になる。米国の2015年度歳出額が3兆9千億ドル(約468兆円)であることを見ても、実現不可能な数字であることは明白だ(4月26日付け東京新聞)。賠償が実現するか否かはいまだ不明だが、第2次大戦中に強制収容した日系人に対する賠償金の支払いが実施された例もあり、突飛なことではない。ともかく、歴史的過去をめぐるふりかえりが、このような水準でも行なわれている米国の社会状況の一端は見えてくる。

フランス大統領オランドは、去る5月のキューバ訪問の際に、その隣国で、旧植民地であるハイチも訪れた。遥か昔の1804年、世界初の黒人共和国としてハイチが独立したとき、フランスは「独立承認の条件」(!)として多額の賠償金をハイチに支払わせた。今回、オランドはその事実を十分に意識しながら、「過去は変えられないが、未来は変えられる」と演説し、5年間で1億3千万ユーロ(約175億円)の援助表明も行なった(5月13日付けサンパウロ=時事)。

対外政策だけを見てみても、オバマは無人機爆撃も活用しながら世界各地で侵略的な軍事路線を遂行しており、オランドもまたアフリカやアラブ地域に対する戦争政策を憚ることなく展開している。私から見て、決して信頼しうる政治家ではない。それでいてなお、右の2つのエピソードから私は微かなりとも「歴史の鼓動」を聞き取っているのだが、それはとりもなおさず、自分が住まう社会=日本の政治からは、それが決して響いてこない種類のものだからである。

5月27日と28日の両日、衆議院安保法制特別員会において共産党の志位委員長が行なった質問と首相らの答弁の全容を、新聞の6面全体を割いて詳報する「しんぶん赤旗」の同月30~31日号で読んだ。国会中継は見る時間がない。仄聞だが、首相らが窮地に立つ場面はカットされる、最近とみに恣意的な編集が目立つというニュース番組は、隔靴掻痒であるうえ、「(下劣な政治家は)顔も見たくない」というのが本音だから、ほぼ見ない。一般紙が報じる質疑内容は、あまりに簡略化されていて、よくわからない。たまに、こうして、質疑応答の全容を伝える記事を読むと、現在の国会論議の水準がよくわかる。水準はわかるが、首相らの答弁の意味はほとんど理解不能だ。志位は苛立ち、質問にだけ答えよ、と繰り返すが、首相らは聞く耳を持たぬ。質問にはまともに答えないままに、長々と持論を展開する……。とりわけ、日本政府がいう「後方支援」なるものは、国際的には「兵站」といい、「兵站こそ武力行使と一体不可分であり、戦争行為の不可欠の一部だ」と追及されても、「兵站は安全が確保されている場所で行なう」としか答弁しないのだから、討論そのものが成立しないのである。

美術に通じている友人が、言ったことがある――2流、3流の絵画ばかりを見ていると、目が腐ります。

私の考えでは、B級映画にもB級グルメにも得難いものはあるが、美術の世界は違うかもしれぬ。素人なりに納得する意見である。

日本の政治状況を眺めながら、友人の言葉をよく思い出す。論争する相手がその人なりの論理をきちんともち、あっぱれな倫理性の持ち主でもあり、賛同はできぬまでも、持てる政治哲学や歴史認識の方法にも一家言ある人ならば、それに対峙する私たちも切磋琢磨しなければならず、自分なりの高みを目指しての努力を続けることはできる。そうではない人間たちを相手にしなければならないとすれば……? こんなのを相手にしていると、自分自身が腐蝕していくような気がする。相手の腐敗・腐蝕はわが魂に及び、とでもいうか。とめどなく奈落の底にでも落ちていくような。心底、疲れる。この無論理と非倫理をもって、あいつらは私たちを疲れさせようとしているのだろうか? それが、あいつらの狙い目なのだろうか? (6月5日記)

太田昌国のふたたび夢は夜ひらく[59]東京大空襲報道から見てとるべき戦後社会の全景


『反天皇制運動カーニバル』第24号(通巻367号、2015年3月17日発行)掲載

去る3月10日、米軍による東京大空襲の日から70年目を迎えた。例年より少しは関連報道が多いように思えた。6日浅草で開かれた、空襲被害者などの民間人の戦争被害問題の解決を求める集会で、一連のA・S政権の政策に危機感をおぼえて以来、本来の氏の保守的な立場を超えた発言の目立つ憲法学者の小林節が、集会実行副委員長として「いままでこの世界を知らず、人生観が変わるほどのショックを受けている」と語ったという報道(3月7日付け「赤旗」)が目についた。その正直なもの言いに倣うと、私は私で、空襲による朝鮮人犠牲者を追悼する集いもあったという記事の中(3月8日付け「朝日新聞」と「赤旗」)で、10万人を超える犠牲者のうち朝鮮人は1万人以上だと「言われています」という「赤旗」の記述に衝撃を受けた。犠牲者の一割を朝鮮人が占めていたようだ、という推定に。「朝日新聞」は、東京の下町には軍需工場などで働く朝鮮人が多く住んでおり「空襲で相当数の人が亡くなったとされるが、人数ははっきりしていない」と記している。関東大震災とその後起きた、6千人以上と「推定」される朝鮮人虐殺という恐るべき事態は、空襲の時点からふりかえると23年前のことだ。日本近代史には、人為による死者、とりわけ異民族のそれの場合には、「おおよそ」とか「推定される」とかしか言えないような〈暗闇〉がある。そのことに私たち自身が無自覚であることで、私たちはいまなお、その場に留まり続けているのだと改めて思った。

私もスタッフとして参加している「死刑映画週間」(例年、2月に開催)では、昨年に引き続き今年も『軍旗はためく下に』(深作欣二監督、1972年)を上映した。戦没者名簿に載る夫の欄には、ニューギニア戦線で敵前逃亡した罪のゆえに処刑されたと記されており、したがって1952年に施行された戦没者遺族援護法の対象外であると厚生省に説明された妻が、夫の死の真相を求めて彼が属していた部隊の生存者を訪ね歩くうちに、事の真実が明かされるという物語である(原作は結城昌治、1971年)。戦争と戦場の恐るべき実態が明らかになる本筋もさることながら、物語の背景にある「全国戦没者追悼式」の開催と「戦没者遺族援護法」の制定という史実が、これまた〈暗闇〉の中にある戦後史の解明のために、深く示唆的であると私は思う。

敗戦国=日本の占領統治を始めることになる連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)は、早くも1945年11月24日に、戦前の日本軍国主義を支えた基盤を断ち切る二つの措置を採用している。一つは「軍務に服した者に特権的補償を与える制度の廃止」であり、二つ目は「戦争利得の除去および国家財政の再編成」である。前者は、日清戦争、韓国義兵闘争への弾圧、日露戦争、韓国の植民地化を挟んで、第一次世界大戦、ロシア革命後のシベリア出兵など、明治維新以降の近代国家=日本が「戦歴」を積み重ねていくうえで「お国のために戦った」軍人に報いる恩給制度の根を断つ布告である。後者は、軍需会社に関わる補助金・損失補償金・工場疎開費用などを国家負担する約束を反故にする措置である。GHQの指令は、それ自体として見れば冴えており、適確だと思われる。逆に言えば、延命できた日本の戦前体制の護持者――退位しなかった天皇とその周辺者、政治家、軍関係者、官僚たち――からすれば、近代国民国家には不可欠な「戦死者を殉国者として顕彰する」装置である軍事恩給制度を禁じられたのだから、その「口惜しさ」と「屈辱感」も一入だったと思われる。

戦後においても、戦争責任を追及されることなく支配体制の中軸に居座り続けた彼らは、果たせるかな、占領下にありながら、占領体制解除=独立後の社会の準備を怠ることはなかった。1952年4月28日サンフランシスコ講和条約公布の2日後の同30日に「戦傷病者戦没者遺族等援護法」が公布された。1回目の「全国戦没者追悼式」は、5日後の5月2日に実施された。戦争被害に関わる補償制度は、この段階で、旧軍人およびその遺族を特権的に遇し、民間人の被害は「受忍」させる原則が定められた。同時に「国籍による外国人の排除」も確定した。旧軍人であった本人と遺族に対する支給金は、52年以降現在に至るまでに総額54兆円となった。それは、明らかに、身内の死を〈金目によって癒す〉作用としてはたらいた。それは、自らの社会が総体として行なった植民地支配と侵略戦争に対する反省の契機を私たちから奪い去った、大きな理由の一つをなした。

東京大空襲をめぐる報道から、私たちはこのような戦後社会の全景を見て取るのである。

(3月14日記)

太田昌国のふたたび夢は夜ひらく[58]〈野蛮な〉斬首による死と〈文明的な〉無人機爆撃による死


『反天皇制運動カーニバル』23号(通巻366号、2015年2月10日発行)掲載

前号では、フランスの風刺漫画新聞社襲撃事件に触れて、人類史には時に、「狂気」を孕む熱狂に支配されてしまう時期が訪れることがあることを語った。この衝撃的な事件から二週間も経たないうちに、イスラーム国による日本人人質殺害予告がインターネット上で行なわれ、その後の事態は、誰もが知るような経過をたどって現在に至っている。「2015年1月」を、私たちは、いくつもの「狂気」によって織りなされた月として、永く記憶するだろう。

同時に、「狂気」は彼岸にのみあるのではない、という単純な事実を何度でも確認したい。今回の場合で言えば、在日のイスラーム信徒やヨルダンなどアラブ諸国のイスラーム世界の人びとが、大要「ほんとうのイスラームは、こんなものではない。真逆だ」と語る姿がよく報道された。それ自体は、必要な情報ではあった。だが、まだ、足りない。イスラーム国が、世界から貼り付けられた「悪のレッテル」を逆手にとって、自爆テロ・公開処刑・斬首などを行なっている〈残虐ぶり〉に目を覆うなら、同じ比重で、それと因果の関係にある米国主導の「反テロ戦争」を想起しなければならない。ブッシュ政権下のネオコンが実践した「衝撃と畏怖」作戦が、世界をどこまで壊し、人心をどれほど荒廃させたかを思い起こすことなく、現在の事態を捉えることはできない。〈野蛮な〉斬首による死と、〈文明的な〉無人機爆撃による死との間に、垣根を設けてはならない。

私は、今回の事態の渦中に、映画『ジョン・ラーベ 南京のシンドラー』(フローリアン・ガレンベルガー監督、独中仏合作、2009年)を観たこともあって、この作品に描かれていることをすべて史実として捉える立場には立たないにしても、あの戦争の過程で発揮された日本兵の〈残虐ぶり〉をあらためて思わないではいられなかった。〈残虐さ〉は、特定の国家や民族に根差して現われるものではなく、ある時期の政治的為政者とその時代に支配的な社会的雰囲気によっては、どの国家においても、どの民族においても、立ち現れてしまう〈狂気〉の一発現形態なのだという思いを深くした。

イスラーム国が、捕虜・人質の生死を自在に操って恐怖を振りまいているとの評言も目立つが、戦争を戦っているどの国家・どの民族といえども、〈敵〉を欺くために謀略をめぐらせ情報戦も仕掛けて騙まし討ちし、これに恐怖を与える作戦をことさらに展開し、国内の民衆の口も残忍な手口で封じこめるものだ――という一例を、哀しいかな、ふたたび目撃しつつある、と私なら考えるだろう。

総じて、「テロ」と「戦争」には因果の相関関係があり、〈残虐性〉を特定の民族・国家に固有な属性としてはならないとするこの考え方は、冷静な分析と議論を欠く状況下では、「テロリストに加担するのか」という反応を招きやすい。たとえば、この国の首相A・Sは、人質が存在している只中に行なわれた自らの中東訪問とそこでの演説内容の妥当性を国会での質疑で問われて、「イスラーム国を批判してはならないのか。それはまさにテロに屈することになる」と気色ばんで答えている。そして今回の事態を奇貨に、武官と日本人施設の警備員増員、在外邦人救出のための自衛隊の駆けつけ警護と武器使用の可能性にすぐさま言及するような発言を行なっている。平和のために「積極的に」努力するのではなく、「戦時」を想定すると勢いづく彼の本性が、隠しようもなく現われている。だが、その言動のすべてを「軍事」一色で塗りこめてしまうわけにもいかない。その点で、イスラーム政治思想史研究者・池内恵が『「イスラーム国」は日本の支援が「非軍事的」であることを明確に認識している』と題する2月3日付けの文章は示唆的だった(池内恵サイト「中東・イスラーム学の風姿花伝」)。私は、池内が、首相の今回の中東歴訪が従来の対中東政策の変更をもたらしたものではないと断言したり、「イスラエル訪問がテロをもたらした」とする考え方は無自覚的な「村八分」感覚で、反ユダヤ主義だと言ったりする(1月20日付け同サイト)のは、大いなる錯誤だと思う。何を意図しての「政治的なふるまい」なのか、と疑念も抱く。「反テロ戦争」以降の「国策」に無批判などころか、これを無限肯定する姿勢も、従来から批判してきた。だが、このすぐれている(と私が思う)専門研究者が、ファクト(事実)に即して行なう分析のすべてに目を塞ぐわけにもいかない。そこに、私たちの論議の弱点が浮かび上がることもある、と大急ぎで言っておきたい。(2月7日記)