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状況20〜21は、現代企画室編集長・太田昌国の発言のページです。「20〜21」とは、世紀の変わり目を表わしています。
世界と日本の、社会・政治・文化・思想・文学の状況についてのそのときどきの発言を収録しています。

太田昌国の夢は夜ひらく[16]人知を超えた地点で暴れる超現代科学「核」と「遺伝子組み換え」


反天皇制運動機関誌『モンスター』18号(2011年7月5日発行)掲載

3月11日夜に観ようと思っていた映画があった。地震が起こり、東京都内の交通網が遮断されたので、上映会は中止となった。その後、東北地方の農業や漁業の壊滅状態と、制御不能に陥っているとしか思えない原発事故の状況を見ながら、あの夜に観るはずであった映画のことがいっそう気になっていた。先日、その望みがようやく叶った。

いずれも、ドイツ・デンクマルフィルム製作の『Life Running out of Control(暴走する生命)』(2004年) と『パーシー・シュマイザー、モンサントとたたかう』(2009年) である。前者は、動植物や人間を遺伝子的に操作する動きがどこまで進んでいるかを(とはいっても、制作年度からいえばもはや7年前のことだ)描き出した作品だ。遺伝子操作が本格化したのは1980年代半ばからだから、この研究分野はまだ4半世紀の歴史しか刻んでいないが、遺伝子操作を加えること(GM)によって、通常の半分の生育期間で6倍の大きさに成長する鮭が出てきたり、GM菜種のタネが隣の農家の畑に飛ばされ有機農業を不可能にしたり――などの実例が生まれている。米国では、この鮭が食用としての承認手続きの最終局面にあり、開発した米社は、鮭の最大消費地=日本への進出に意欲をもっているというから、このままでは作物以外の動物・魚類では初の遺伝子組み換え品が、遠からず私たちの前にも登場することになるかもしれない。

映画に登場するノルウェイの分子生物学者の言葉が忘れられない。「遺伝子組み換え技術のことを知ったとき、これは人類に大きな恩恵をもたらすものと思い、熱狂して研究に打ち込んだ。実験をしていて気づいた、確かに科学者にはおもしろい。だが、これが現実の生態系・有機体で行なわれたら、大変なことになる」と。彼はいま、遺伝子組み換えによる「生命支配」を批判し、これに抵抗する活動を行なっている。彼の言い方は、チェルノブイリ事故以後「原発批判」の立場からの発言を積極的に続けてきた京大原子炉実験所・小出裕章の述懐に酷似している。小出もまた、学生時代に原子力の「輝かしい未来」に憧れこの専門分野を選んだが、その本質を知るにつれ「反原発」の立場に移ったことを繰り返し語っている。

核にせよ生命操作にせよ、人知の範囲で開発にまで行き着くことはできる。だがそれは、やがて、人間には制御不可能な未知の領域に入り込んでしまうのだ。それは、管理し得る人間の手を離れて市場に放り出された金融(カネ)と同じように、人間の知恵を超えた地点で、破壊的なまでに暴れまわることになる。

後者の映画は、世界最大のバイオテクノロジー企業・モンサント社を相手に果敢にたたかうカナダの農民夫婦を描いている。夫婦の菜種畑はGM種子によって汚染される。この種子を開発したモンサント社は、あろうことか特許権侵害で夫婦を訴える。裁判所も大企業に加担する。だが、夫婦は巨大企業を相手に粘り強くたたかい続けている。

モンサント社が農民と交わす(農民に強制するというべきだろう)協定の中身がすごい。「種子はモンサントからしか購入できない。農薬もモンサントからのみ。自家採種をしてはならない。モンサント社の私設警察は、農民の土地・貯蔵所・農場に入り、納税・農事記録を見ることができる」。しかも、ラウンドアップという名のその農薬は、あらゆる種類の植物を枯らす除草剤で、米環境保護局ですら「吐き気、肺浮腫、肺炎、精神錯乱、脳細胞破壊が起こる」と警告しているような代物である。

この2本の映画の監督はベルトラム・フェアハークだが、日本で自主公開された最初の作品は『核分裂過程』(1987年、クラウス・シュトリーゲルとの共同監督作品)だった。核燃料再処理工場の建設に反対するドイツ・ヴァッカースドルフの人びとの戦いを描いたドキュメンタリーである。超現代を象徴する「核」と「遺伝子組み換え」が孕む問題性に迫り続けているその先見性が、三陸・福島の事態を見るにつけ、胸に迫ってくる。

【追記:ここで触れた映画はすべて、小林大木企画 Tel&Fax042-973-5502 によって自主公開されている。http://www.bekkoame.ne.jp/ha/kook】

太田昌国の夢は夜ひらく[15]震災・原発報道に、「世界性」の視点の導入を


反天皇制運動機関誌『モンスター』17号(2011年6月7日発行)掲載

この社会のマス・メディア報道が、長い期間にわたって一つの重大事件一色で埋め尽くされることは、まま起こる。この十数年間をふりかえっても、在ペルー日本大使公邸占拠・人質事件(1996-97年)、9・11事件と米軍などのアフガニスタン攻撃(2001年)、拉致事件(2002年)、米軍のイラク攻撃(2003年)などがたちどころに思い浮かぶ。そのたびに私たちは、溢れかえる情報の中から事態の本質をいかに見抜くかという試練にさらされるのだと言える。3・11事態にまつわる災害・原発危機報道は、もちろん、報道量において、比類のないものだ。今後も長く報道が続けられることを思えば、継続期間においても、空前のものとなろう。私たちを待ち受ける試練は、厳しいものとなる。

今回の事態は、被災の悲惨さと規模において世界的な同情を呼び、また原発事故による放射性物質の拡散が世界中に恐怖を与えているという意味でも、国際的な関心の的となっている。したがって、報道のあり方を検証する基準のひとつは、国際的な視野がどれだけ働いているか、という点にあるだろう。間もなく3ヵ月に及ぼうとする今回の3・11報道を、この観点からふりかえると、新聞で言えば、(私が知る限りでは)一紙のみが取り上げた記事や、「ニュースにならず」記者が小さなコラムに書き残した記事が、強く印象に残った。5月9日毎日紙朝刊は、原発ビジネス拡大を狙う日米両国が、モンゴルに核処分場を建設する計画を立てて、昨秋から交渉に入っていると報じた。モンゴル側の思惑は、大国の核のゴミを引き受けてでも技術支援を期待しているところにあるのだが、候補地は、道路・鉄道・電気の整備がなされていることから旧ソ連軍が駐屯していた宿舎の跡地周辺だという。この2つのエピソードからは、いつの時代にも、大国の放埓なふるまいに右往左往せざるを得ない小国の悲哀が思われて、切ない。メトロポリスには置きたくないものを、札束で相手の頬をひっぱたいて押しつけるというやり口は、沖縄や青森や福島などの「国内の辺境」だけで行なわれているわけではない。原発ビジネスには、このような無恥な「国際性」が刻印されていることを忘れることはできない。

また、5月24日毎日紙朝刊に、ジュネーブ支局伊藤特派員のコラムが載った。同地で開かれた世界保健機関(WHO)総会で、大塚耕平副厚生労働相は、放射性物質の放出を各国に謝罪した。だが「複数の国から、日本の責任ではない」と言われた。「日本では、地震に伴う原発の安全停止はきちんと行われ、その後の津波で冷却設備がやられた。事故は自然災害によるもので、米スリーマイル島や旧ソ連チェルノブイリのような人為ミスが原因ではない、と正確に認識してもらえた」と大塚は説明したのだという。前段の事実認識そのものが間違っているが、事故から2ヵ月半を経た5月下旬に政府要人が国際的な場で行なった釈明がこの内容だったこと、しかもそれがニュースとしては報道されなかったことを知って、私は心底驚いた。この驚きは二度目のもので、去る4月4日、東京電力は集中廃棄物処理施設などにたまっていた「低レベルの」汚染水11,500トンを海へ放出し始めたが、このとき政府も東電も近隣諸国と世界全体に対して何らの説明も謝罪も行なわなかったことが、私の最初の驚きだった。しかも、放射性廃棄物の海洋投棄を禁止したロンドン条約との整合性を問われた原子力安全・保安院は、「同条約は、船や飛行機からの海洋投棄を禁じているのであって、陸上施設からの放出は該当しない」と公式に答弁した(東京紙4月5日、朝日紙4月6日など)。いかにも外務官僚が考えそうなこの説明を聞いた時点で、私はこの国を「放射能テロ国家」と呼び始めた。もちろん、当事国の主権者としての恥じの感情を込めて。

震災直後の絶望的な状況の中にあっても日本人は冷静さと団結心を失っていないことに世界中が驚嘆しているといった趣旨の報道も目立った。しかし、1972年ニカラグア・マナグア地震や1985年メキシコ地震後に、同地の民衆があてにならない政府から自立した地点で示した相互扶助と連帯の具体例を知る私からすれば、災害時に示されるこの種の精神は、日本人の特性を示すものではない。震災・原発報道に、語の真の意味での「世界性」を導入して解釈すること。その重要性が、これらの諸例からわかる。(6月4日記)

太田昌国の夢は夜ひらく[14]ビンラディン殺害作戦と「継続する植民地主義」


反天皇制運動『モンスター』16号(2011年5月10日発行)掲載

ある国家の軍隊が、別な国に秘密裡に押し入って軍事作戦を展開し、武器を持たない或る人物を殺害した――軍を派遣した国の政治指導部は、大統領府の作戦司令部室にある大型スクリーンに映し出されるこの作戦の生中継映像を見つめていた。作戦開始から40分後、「9・11テロの首謀者」と断定した人物の殺害をもって大統領は「われわれは、ついにやり遂げた」と語った。この国の同盟国であると自らを規定している世界各国の首脳は、この作戦の「成功」が「反テロ戦争の勝利」であるとして祝福した。そのなかには、この間、放射性物質を故意に大気中と海洋に撒き散らしているために、当人は知らぬ気だが、事態の本質を見抜いた人びとが「放射能テロ」あるいは「核物質テロ」、さらには「3・11テロ」という形容句をその国の国名に冠し始めている国の首相も含まれていた。その男は、この殺人行為を指してこう述べたのである。「テロ対策の顕著な前進を歓迎する」(!)。

5月2日、パキスタン北部アボタバードで、米海軍特殊部隊と中央諜報局の部隊がヘリコプター4機を駆使して(加えて、「スーパードッグ」という特殊訓練を施した犬も動員して)展開した軍事作戦によって、ビンラディンほか4人の人びとが殺害された事件と、報道されている限りでの一部諸国の支配層におけるその肯定的な反響は、あまりに異常である。内外ともにメディア報道の在り方が意外なまでに冷静で、作戦それ自体への控えめだが疑問か批判を提起し、せめて刑事裁判で裁くべきだったとする主張が少なくないことに「救い」が感じられるほどだ。超大国=米国の横暴なふるまいに対する私たちの批判と怒りの感情は、またしても、沸点に達しそうだ。私は、伝え聞いてきたビンラディンの思想と行動の指針には共感を覚えず、そこからは相対的に自立した地点に立って、以下の諸点を述べておきたい。

2001年「9・11」以降、米国がアフガニスタンとイラクにおいて行なってきた殺戮・占領の行為と、そこで捕えた虜囚を、1世紀以上もの長い間手放そうともしないでキューバに保持し続けている米軍基地に強制収容している事実から、私は、米国において「継続する植民地主義」の腐臭を嗅ぎ取ってきた。パキスタンから「主権侵害」との憤激の声が上がっている今回の行為も、まぎれもなく、その延長上にある。他国との良好な関係を大事に思うならば、決して選択できない行為で米国の近現代史は満ち溢れている。それに新たな1頁を付け加えたのが、今回の行為だ。

いわゆる大国にとって都合の良い世界秩序が作られてきた歴史過程について、私は最近いく度かこういう表現を使った。「植民地支配・奴隷制度・侵略戦争など〈人類に対する犯罪〉を積み重ねてきた諸大国こそが、現存する世界秩序を主導的に作り上げてきた」と。近年になって、これらの行為の犯罪性はようやく問い質される時代がきたが、そのたびに当該行為の主体国からは「植民地支配も奴隷制度も戦争も、それを当為と見なす価値観があった時代の出来事だ。現在の価値観で過去を裁くとすれば、世界は大混乱に陥るだろう」とする悲鳴が上がる。だが、〈人類に対する犯罪〉的な行為が行われた時点で、その行為の対象とされた地域は「大混乱に陥り」、そのとき受けた傷跡を引きずりながら現在に至っているのだ。それゆえに、相互間の対等と自由を尊ぶ民衆および小国の観点から見るなら、今ある秩序は抑圧的なものでしかなく、それは抵抗し、反抗し、覆すべき歴史観なのだ。

「3・11」事態の直前、われらが足元にも「継続する植民地主義」そのものの発言があった。米国務省日本部長ケビン・メアが行なった「沖縄はごまかしとゆすりの名人で、怠惰でゴーヤーも栽培できない」という発言である。欧米日の植民地主義者の「懐かしのメロディ」とも言うべきこの発言は、津波と原発危機以降のヤマトでは忘却の彼方に追いやられている。逆に、米軍が行なった被災者救援作戦の重要性のみが喧伝され、図に乗った米軍海兵隊司令官からは「普天間基地は重要」との発言もなされている。内外でなお続く、植民地主義を実践する言葉と行動の衝撃性と犯罪性を忘れないことが、私たちの課題だ。

(5月6日記)

太田昌国の夢は夜ひらく[13]天災を前にした茫然自失、人災の罪深さを問わず語りする放心の態


反天皇制運動『モンスター』15号(2011年4月5日発行)掲載

前世紀末からの20年あまり、私たちは政治・社会上の、経済上の、自然災害上の、大事件に見舞われてきた。ソ連崩壊(91年)、神戸大震災(95年)、地下鉄サリン事件(95年)、9・11事態(01年)、拉致事件の顕在化(02年)――加えて、世界のどこかしこで、従来の頻度と規模をはるかに凌駕して、ハリケーン、地震、津波による災厄が起こった。そのたびに、ひとは放心状態となった。それは、ときに、自分自身の姿でもあったから、他人事では、ない。

人が為したること、自然が為したること――ふたつが、未曽有の形で押し寄せてくる時代だ、と私は考えてきた。自然の、荒々しい胎動に関しては、新たな「創世記」の始まりなのか、という印象すらひそかに抱いていた。

そして、3月11日がきた。三陸沖で大地震が起こり、地震から瞬時をおかずして津波が、広く北日本・東日本の海岸地域に押し寄せた。この恐るべき天災について書くことばが、私には見つからない。三陸海岸地域の光景をひたすら目に焼きつけ、新聞記事を読みこむばかりだった。同時に、東京大空襲について考えようとした堀田善衛がそうしたように、鴨長明の『方丈記』を取り出して、読みふけった。

自然がもたらした災厄を前に、私自身が放心状態になっているとき、別な意味で放心状態になっている一群の人びとの存在に気づいた。それは、人災に関わることであるから、同じ放心状態と言っても、おのずからその意味は異なってくる。地震と津波の影響で福島原子力発電所に破損事故が発生した。この危機的事態の行く先は、3週間後の今も見えない。この問題については、毎日のように記者会見が行なわれている。登場するのは、原発の持ち主=東京電力の経営幹部・技術者・社員たち、「原子力施設を潜在的に危険性のあるものとしてとらえ、その危険性を顕在化させないこと」を使命としていると自ら謳う原子力安全・保安院の幹部たち、そして記者会見場に掲げられた日の丸になぜか敬礼してから登壇することを習慣化した官房長官と、ごく稀にしか出てこないが、東工大出身なので「原子力には強いんだ」という自負を持つらしい首相――これらの人びとの顔つき・表情に見られる「放心」の態のことをいうのである。

この時期に、いたずらに虚仮にするつもりは、ない。今回の事態の責任者たちは、ひとりの例外もなく、「想定外」の事態を前に、打つ手を知らず途方に暮れているのが現実だということを、しっかりと脳髄に刻み込んでおきたいと思うのだ。ネット情報ではあるが、原発の危険性をつとに指摘してきたある物理学者は、事故発生後「どうすればいいの?」と問うた人に、「打つ手はない。こういうことが起きる危険性があるから、原発に反対してきたんだ」と答えたという。原子力利用を推進する理論的根拠を提起してきた元原子力安全委員長・松浦祥次郎は、事故から三週間も経って発言し、「今回のような事故について考えを突き詰め、問題解決の方法を考えなかった」と語って「陳謝」したという。対極的な立場に立つふたりの発言から、私たちが現在直面している危機の深度を推測することができる。記者会見に現われる東電技術者たちは、見るからに確信を欠いた説明に終始しているが、専門家=松浦が告白したように、「想定外」のことに対処する術などもともと考えてもいなかったのだから、電力企業の技術者たちにも、日々起こっている想定外の新たな事態を前に、言うべき言葉が見つからないのであろう。泥縄式の対処であることを知っているから、表情は「放心」の態にしかならないのであろう。

福島原発の現場では、今日も、協力会社という名の下請け・孫請け企業の不定期労働者や東電労働者が、おそらく本人たちにも先の見えない弥縫的な労働に苦闘している。福島県からは、今日も、被爆を避けるために、日常的な暮らしの場を離れて県外へ出ていく人びとがいる。そして、外の世界には、「唯一の被爆国」と謳ってきた国が、人為によって、大気中と海水中に放出しつつある「死の灰」を恐れる人びとが大勢いる。名指しされるべき責任者たちが、いつまでも放心状態であってよいはずはない。津波災害に遠くから茫然自失していた私とて、「人が為しうること」を果たさねば、と自覚する。(4月3日記)

太田昌国の夢は夜ひらく[12]環太平洋経済連携協定(TPP)をめぐる一視点


反天皇制運動機関誌『モンスター』第13号(2011年2月8日発行)掲載

世界で唯一冷戦構造が残る東アジアの状況をいかに打開するかの指針ひとつ示すこともない菅民主党政権が、環太平洋経済連携協定(TPP)については、参加に向けて前のめりになり始めたのは昨年末だった。11月9日、TPPについて「関係国との協議を開始」する基本方針を閣議決定したのだ。翌日10日の日経紙は、それが「事実上の日米FTA(自由貿易協定)になる」と報じた。年が明けて、TPP参加を念頭においた首相の口からは、「平成の開国」「第三の開国」などという大仰な言葉が飛び出すようになった。

元来これは、2006年、ブルネイ、チリ、ニュージーランド、シンガポールの4ヵ国が開始したFTAである。例によってこれに米国が参入の意思を表明した。[「環太平洋」という地域概念に関わることなので、長くなるが、以下の点には触れておきたい。私は思うのだが、1846~48年のメキシコ・米国戦争と、勝利した米国がテキサス、カリフォルニアなどの広大な地域をメキシコから奪って太平洋岸へ達したことは、その後の世界にとって痛恨の出来事であった。大西洋に面しただけだった国は、「西部開拓史」の頂点をなすこの史実によって、世界最大の2つの海洋に出口をもつ大国となった。象徴都市ニューヨークを基軸に大西洋を通してヨーロッパへも、環太平洋圏にも含まれていると言い張って遠くアジアへも、そして米州圏に位置することでカリブ海域とラテンアメリカ全域へも、政治・経済・軍事・文化のあらゆる面で「浸透」を遂げてゆく世界に稀な「帝国」の礎は、まさにこの19世紀半ばの戦争と領土割譲によって築かれたのである。この出来事から5年後の1853年に、対メキシコ戦争への参戦を経て早くもインド洋に展開していた米国・ペリー総督下の艦隊は「黒船」として浦賀沖に現われ、日本に開国を迫って砲艦外交を繰り広げた。東アジア世界には精神的に閉じたままで(冷戦解消の努力もせずに「精神的な鎖国」をしたままで)「開国」を語る首相の目線は、どこを向いているのか。右に述べたような歴史的展望を背景に、首相の真意を厳しく問い質す声が、もっとあっていいだろう。]

歴史哲学を欠いた首相には、同じ水準の閣僚が随伴している。海江田経済産業相は「TPP参加は歴史の必然」と語る。前原外相は「TPPは日米同盟強化の一環」と発言する。後者の発言は、確かに、日米両国の政府関係者によって構成されている政策シンクタンクが昨秋提言した内容に合致している。軍事面での強い同盟関係には健全な財政基盤が不可欠だとする立場から、米国がすでに参加を表明しているTPPに日本も加わり、アジア太平洋自由貿易圏(FTAAP)構想の実現へ向けて積極的な役割を果たすべきだとするのが、その提言の核心だからである。

現状では、TPP交渉への参加を表明しているのは9ヵ国だが、仮に日本がこれに参加するなら、日米合わせたGDP(国内総生産)は全体の9割を超える(2009年実績)。しかも日本は、9ヵ国のうち6ヵ国との間ですでに二国間経済連携協定(EPA)を締結している。「日米間の経済協定」でしかないTPPの本質は、ここに表われている。

米国は、1994年に発効した北米自由貿易協定(NAFTA)までは、思うがままに自らの意思を押し通すことができた。余剰農産物をメキシコへ輸出し、メキシコ農業を破壊し、ただでさえ貧しいメキシコ農民をさらに貧窮に追い込んだが、知ったことか。だが、この自由貿易圏を(キューバを除く)カリブ・ラテンアメリカ全域に拡大しようとしたブッシュの試みは、自由貿易の本質を見抜いた同地の新生諸政府と民衆運動の抵抗によって、2005年に挫折した。GATT(関税及び貿易に関する一般協定)なき後のWTO(世界貿易機関)を通しての多角的交渉も失敗を重ねている。この機関が多国籍企業が企図する世界制覇の代理人であると察知した世界各地の民衆運動の粘り強い抵抗があるからである。また、農業政策をめぐって、富裕国と貧困国との間には、埋めがたい溝があるからである。

通商問題が、超大国の言いなりには進行しない現実は、こうして世界各地に作り出されている。自由貿易を、二国間あるいは「環」で括られる地域限定で実施しようとするものたちの意図を正確に射抜いた批判的言論を、「食と農のナショナリズム」から遠く離れた地点で、さらに展開しなければならぬ。(2月4日記)

太田昌国の夢は夜ひらく[11]遠くアンデスの塩湖に眠るリチウム資源をめぐって


反天皇制運動機関誌『モンスター』第12 号(2011年1月11日発行)掲載

昨年12月、ボリビアのエボ・モラレス大統領が日本政府の招待で来日した。朝日と日経の二紙が経済面の大きな紙面を割いて、この訪問を報じた。同国には、東京都の6倍の面積を持つウユニ塩湖があり、その地底には世界の埋蔵量の半分を占めるリチウムが眠っている。携帯電話、パソコン、デジカメ、電気自動車、ハイブリッド車など現代文明の象徴というべき製品を動かす電池に、リチウムは欠かせない。その共同開発について協議するための来日である。

2006年に大統領に就任して以来、モラレスは国内にあっては「互恵と連帯を基盤にした共同体社会主義」を掲げて、諸施策を実行してきた。対外的には、帝国主義と植民主義を排して石油と天然ガスを国有化し、そこで得られた収益を子どもと老人に優先的に還元する福祉政策も実施した。リチウム開発に関しても、外国の技術を必要とはしているが、それがかつての銀や錫のように国内への経済的還元もないままに外国に持ち出されるだけだという不平等交易にならぬよう、細心の方針を立てることができるだろうか。中国、韓国、イラン、フランス、日本など、リチウムを求めてボリビアと密接な関係を結ぶ熱意を示している各国の側にも、対等・平等な交易関係樹立に向けての姿勢が問われるところである。因みに、昨夏訪韓したモラレス大統領は、「韓国とボリビアはともに植民地支配される痛みを経験していることで、信頼し合える」という趣旨の発言をしている。資本主義の獰猛な本質に、敢えて目を瞑ったリップサービスだったのだろうか?

近代化が困難な環境問題を伴うことは、今や自明のことだ。マルクスも注目した16世紀に始まるポトシ鉱山からの富の収奪構造に長いこと縛られてきたボリビアは、現政権の下で「母なる大地の権利法」を定めたばかりだ。国際社会に環境債務の存在を認めることを求め、母なる大地の権利と共存しうるかつ有効な形での環境技術の提供や資金供与を求めること/2カ国間・域内諸国間・また多国籍機関において、母なる大地の権利の承認と擁護を進めること/母なる大地を対象物としてではなく、公益の集団的主体としての性格を認めること――などを定めている。これが、開発に参与するであろう外資の、資本主義的衝動の放埓さをよく制御し得るか、が問題である。

前世紀末以降のここ十数年来は、反グローバリズムの最前線に立つラテンアメリカ地域だが、新自由主義が猛威をふるっていた頃この地域に浸透したモンサント社などの多国籍企業が行なってきた事業の結果は、今でこそ、恐るべきものとして現出している。遺伝子組み換え大豆の栽培と枯葉剤の散布によって、アルゼンチン、ブラジル、パラグアイなどで不妊・流産・癌・出生異常などのケースが急増していることがアルゼンチンの科学者によって明らかになった(11年1月6日「日刊ベリタ」www.nikkanberita.com)。ウユニ塩湖で、今後なされるリチウム開発の行方が、国際的に監視されるべき理由である。

日本資本主義の意向を反映せざるを得ない大メディアが、ボリビアのような「小国」のニュ-スを取り上げるのは自国経済の浮沈に関わる限りでしかないことは、ありふれた風景だ。だから、この情報封鎖の壁を破って、ボリビアが右の「権利法」の精神を国際社会に根づかせるための努力を行なっていることを、私たちは知っておくことが必要だ。

紙幅の都合でひとつだけ挙げよう。国連気候変動枠組み条約締結国会議は、09年にはコペンハーゲンで(COP15)、10年にはメキシコ・カンクンで(COP16)開催された。コペンハーゲン合意の水準に危機感を抱いたボリビア政府は、同国NGOとも組んで、10年4月、同国の都市コチャバンバで「気候変動および母なる大地の権利に関する世界民衆会議」を開いた。世界中から数万人が集まった会議では、国家指導者が集まる国際会議とは異なり、貧者の意思を体現した「合意文書」が発表された(現在、編集・翻訳中)。

危惧もある。モラレス政権は、イランの協力を得て原子力発電所建設を検討している。ボリビアとイランに共通する「抗米」の意思表示としての意味はともかく、電力不足解消の名目があるにしても「母なる大地」は原発に耐えられるかという問い直しが、近代主義的マルクス主義の超克をめざしていると思われるモラレスだけに、ほしい。(1月7日記)

太田昌国の夢は夜ひらく[10]冷戦終焉から20年、世界のどこかしこで、軍事が露出して……


反天皇制運動機関誌『モンスター』第11号(2010年12月7日発行)掲載

朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)が有する暴力装置=朝鮮人民軍が、11月23日、海岸砲なる武器を使って韓国支配下にある延坪島に砲撃を加えた。兵士と基地労働者4人が死亡した。これに対して韓国は、自らが持てる暴力装置=韓国軍による反撃を行なって、北朝鮮領内に砲弾を打ち込んだ。被害の規模を北朝鮮側は明らかにしていない。誰にも明らかなように、東アジア地域には、世界の他の地域と比較して稀なことに、ソ連崩壊(1991年)によって消滅したはずの東西冷戦構造が今なお頑として生き残っている。それは、日本国政府・社会の、歴史問題をめぐる無反省ぶりと、政治・軍事の現実のあり方に起因するところが少なくないことを自覚する私たちにとって、無念と恥辱の根拠であり続けている。その冷戦が、あわや「熱戦」の端緒にまで至ったのである。

日本の政府もメディアも世論も、北朝鮮はやはり「何をしでかすかわからない、不気味な国」だとの確信を深め、自国防衛力増強の道を嬉々として選択しようとしている。11月28日からは、「母港」横須賀から出撃した米原子力空母ジョージ・ワシントンも参加した米韓共同軍事演習が黄海で行なわれた。それを報じるNHKニュースは、「敵に対する」という言葉遣いで、この共同演習の動きを伝えた。イギリス軍も参戦した2001年アフガニスタン戦争の実態を報道するに際して、BBCは「テロリズム」ではなく「攻撃」を、「わが軍」ではなく「英国軍」なる用語を使うことでせめても事態を客観視し、視聴者の「愛国主義的」情動をいたづらにかき立てることを避ける原則を立てた。NHKの中枢には、この程度のジャーナリスト精神にも欠ける者たちが居座っているようだ。

少数だが例外的な意見もあって、北朝鮮軍による砲撃の前日から韓国軍は「2010護国演習」と称する大規模な軍事演習を延坪島周辺を含めて行なっていたこと、それを知った北朝鮮側は繰り返し演習の中止を要求していたこと――などを根拠に、韓国側による「挑発」行為の重大性を指摘しているものもある(12月1日付「日韓民衆連帯全国ネットワーク」声明など)。

全体像を把握したうえで事態の本質を見極めるためには、これは重要な指摘だと思うが、ここでは、もう少し先のことを考えたい。砲撃を行なった朝鮮人民軍は、金正日独裁体制を支える要である。人権抑圧に加えて飢餓に苦しむ民衆の上に君臨している特権的な存在である。持てるその武器を、北朝鮮の民衆に対しても躊躇うことなく向けるように教育されている「人民軍」である。韓国軍の挑発を指摘する論理が、この朝鮮人民軍の軍事的冒険主義を免罪する道に迷い込むような隙を見せてはならない、と私は自戒する。

事態は、思いのほか錯綜している。米韓共同軍事演習を伝えた12月3日の中国中央テレビ(それは、もちろん、中国政府の官許放送である)は、空母ジョージ・ワシントンの動きに焦点を当てた。中国近海の黄海における今回の演習への参加についてもとりたてて批判的な取り上げ方はせず、むしろ今夏に同空母が行なったべトナム、タイなどへの訪問の「友好・親善」的な性格を伝えたのだった。事実、米軍はベトナム軍との間で(!)合同軍事演習すら行なったのである。中国は、米国の砲艦外交を批判するのではなく、むしろそれを手本とする軍事大国への道を歩みだしている。それは、時同じくして、米国が単独では担いきれなくなった「世界の警察」になる新戦略を打ち出したNATO(北大西洋条約機構)の愚かな方針とも重なり合う。

自衛隊を正しくも「暴力装置」と呼んだ官房長官は、マックス・ウェーバーの定義にも無知な保守政治家に攻め立てられて、発言を撤回した。日本軍は、世界でもっとも凶暴な「暴力装置」としての米軍と共に、いま、九州と周辺海域での共同統合実働演習を行なっている。それは、若き日に「暴力装置」の解体か廃絶をこそ望んだであろう現官房長官も加担して推進している「防衛政策」の一環である。

東西冷戦の基本構造が消滅したことは悪いことではなかった。だが、その廃墟の上では、世界のどこかしこで、「思想」も「倫理」も投げ捨てた者たちが、古い時代の無惨な「冷戦音頭」に踊り惚けている。(12月4日記)

太田昌国の夢は夜ひらく[9]メディア挙げての「チリ・地底からの生還劇」が描かなかったこと


反天皇制運動機関誌『モンスター』第10号(2010年11月9日発行)掲載

チリ・コピアポの鉱山で生き埋めになった鉱山労働者33人の救出作業は、テレビ的に言えば「絵になる」こともあって、世界じゅうで大きく報道された。

地底で極限状況におかれた人びとがそれにいかに耐えたか、外部の人間たちが彼らの救出のためにどんなに必死の努力をしたか。それは、どこから見ても、人びとの関心を呼び覚まさずにはおかない一大事件ではあった。

メディアの特性からいって、報道されることの少なかった(すべてを見聞できたわけではないから「皆無だった」と断言する条件はないが、気分としては、そう言いたい)問題に触れておきたい。

メディアが感動的な救出劇としてこの事件を演出すればするほど、北海道に生まれ育った私は、子どもの頃から地元の炭鉱でたびたび起きた坑内事故と多数の死者の報道に接していたことを思っていた。

九州・筑豊の人びとも同じだっただろう。事故が起こるたびに、危険を伴なう坑内労働の安全性について会社側がどれほどの注意をはらい、対策を講じてきたのか、が問われた。

鉱山労働者の証言を聞くと、身震いするほど恐ろしい条件の下での労働であることがわかったりもした。

一九六〇年――「60年安保」の年は、石炭から石油へのエネルギー転換の年でもあった。九州でも北海道でも閉山が続いたが、「優良鉱」だけはいくつか残された。

当時の世界の最先端をゆくと言われていた「ハイテク炭鉱」北炭夕張新炭鉱で、今も記憶に鮮明な事故が起こったのは一九八一年十月であった。

坑内火災を鎮火するための注水作業が行なわれたのは、59人の安否不明者を残したままの段階であった。

「お命を頂戴したい」――北炭の社長は、生き埋めになっているかもしれない労働者の家族の家々を回り、こういう言葉で注水への同意を得ようとした。「オマエも一緒に入れ!」と叫んだ人がいた。

結局亡くなったのは93人だった。翌年、夕張新鉱は閉山した。他の炭鉱も次々と閉山して、炭鉱を失った夕張市が財政破綻したのは四年前のことである。私の目に触れた限りでは、10月14日付東京新聞コラム「筆洗」がこれに言及した。

遠いチリの「美談」の陰から、 近代日本がその「発展」の過程で経験したいくつもの鉱山での人災を引きずり出せたなら、すなわち、一人の絵描き・山本作兵衛か、一人の物書き・上野英信の感性を持つ者が現代メディアにいたならば、問題を抉る視点はもっと確かなものになっただろう。

チリ現地からの報道では、救出される労働者をカメラ映りの良い場所で迎える大統領セバスティアン・ピニェラについての分析が甘く、「演出が鼻につく」程度の表現に終始した。

現代チリについて想起すべきは、まず一九七〇年に世界史上初めて選挙による社会主義政権が成立したこと、新政権下での銅山企業国有化などによってそれまで貪ってきた利益を剥奪された米国政府・資本がこれを転覆するために全力を挙げたこと、その「甲斐あって」一九七三年に軍事クーデタを成功させ社会主義政権を打倒したこと、の三点である。

さらに、21世紀的現代との関連では、軍政下のチリがいち早く、いま世界じゅうを席捲している新自由主義経済政策の「実験場」とされたことを思い起こそう。

貧富の格差が際立つチリ社会にあって、社会主義政権下と違って、社会的公正さを優先した経済政策が採用されたのではない。

外資が投入されて見せかけの繁栄が演出された。経済秩序は、雇用形態・労働条件・企業経営形態などすべての面において、チリに暮らす民衆の必要に応じてではなく、米国や国際金融機関が描く第3世界戦略に沿って組み立てられたのである。

現大統領ピニェラの兄、ホセ・ピニェラは、軍政下で労働相を務め、鉱業の私企業化と労働組合の解体に力を揮った。

新自由主義経済政策は国外からの投資家に加えて、国内の極少の経済層を富ませるが、ピニェラ一族はまさに、世界に先駆けてチリで実践された新自由主義的政策によって富を蓄積し、鉱業・エネルギー事業・小売業・メディア事業などに進出できたのだった。

もちろん、そこでは、労働者の安定雇用・労働現場の安全性を含めた労働条件の整備などが軽視されていることは、日本の現状に照らして、確認できよう。

救出された労働者を笑みを浮かべて迎えた大統領の裏面を知れば、チリの今回の事態も違った見え方がしてこよう。

(11月5日記)

太田昌国の夢は夜ひらく[8]検察特捜部の「巨悪」の陰に見え隠れする、日常不断の検察の「悪行」


『反天皇制運動モンスター』9号(2010年10月5日発行)掲載

この六年間、死刑囚が獄中で行なう「表現」に触れている。

「死刑囚表現展」の運営と選考に私自身が携わっているからである。

書、絵画、俳句、短歌、詩、エッセイ、フィクションおよびノンフィクションの中長編――何かにつけて制限の多い獄中にあって、さまざまに工夫を凝らした表現が届けられる。ここでは、ノンフィクションの作品に孕まれている問題に限って、いう。

自らが関わった事件をふり返り、犯罪の様態を含めて詳しく書き込んだ作品が送られてくることがある。

なぜ、あのような残虐な行為に、自分が手を染めたのか。悔恨は深い――そのような作品もある。

書かれてあることの「真実性」如何は、肝心な箇所での表現方法や全体的な筆致から判断するしかないが、それにしても、犯行の構成要素のひとつでも欠けていたなら!、と思わせられることがある。

犯罪の多くは、「必然性」によってではなく「偶然性」によって引き起こされると思われるほどに、あれか/これかの要件をひとつでも欠いていたなら、この人があの、目を背けずにはいられないような犯罪に走ることはなかったろうに、と思われるのである。

さらに印象的なことは、多くの死刑囚が「部分冤罪」を訴えていることである。

被害者は当然にも身を避けたり抵抗したりするわけだから行為それ自体の順序、絞殺などの手による行為の場合の被害者との位置関係、凶器の用い方、共犯者がいる場合にはそれぞれの「役割分担」、主導性と随伴性――いくつもの問題をめぐって、死刑囚は、警察・検察の取調べ段階で取られた調書では、自分の行為・役割・意図などが捻じ曲げられて表現されているという不満をもっている。

結果的に被害者を死に至らしめたとしても、それがいかなる経緯でなされたかということは「情状」問題に大きく関わってくることであり、また誰にせよ、自分がなした行為が曲げて解釈されることには耐えがたいものを感じるだろう。

加害者が自らの罪を軽減するために自分に都合のよい形で自己主張している、という捉え方は当然にもあり得る。

その点は、けっこう、用いられている言葉や文体によって推し量ることができるものだという感想はあるが、いずれにせよ、決定的な根拠にはなり得ない。

このことを前提にしたうえで、警察・検察段階での取調べの様態と調書の作られ方には、あまりにも深刻な問題が孕まれているということは強調しておきたい。

自分が関わった事件を記述する死刑囚の多くは、取調べ段階で、警察・検察が描いた通りのシナリオに嫌々ながら引きずり込まれていく心理を語っている。

そのシナリオをどんなに否定しても、怒鳴られ、こずかれ、蹴られ、殴打され、彼らのシナリオを認めなければ長時間の取調べが続いて、自暴自棄になるのだ。

あるいは、これを認めれば罪が軽くなるという甘言を信じたり、裁判で真実を話せば分かってくれるだろうと絶望感の底で思ったりしてしまうのだ。

このことは、警察・検察が犯し、それに無批判的に追随した裁判所によって引き起こされたいくつもの冤罪事件によって、夙に明らかになっていたことだ。

最近の例でいえば、足利事件の菅谷さんに過酷な半生を強いた責任は、警察・検察・裁判所の「共犯」にあったという、隠しようもない事実を思い起こせば十分だろう。

加えて、警察・検察は持てる権限と人員を最大限に活用していくつもの証拠物件を得ていくが、仮にそのうちのひとつが、自らが描いたシナリオを覆す場合には隠蔽してしまい、被告も弁護人もその存在を知らないままに裁判が進行して判決にまで至ってしまうというのが、日本の刑事司法の現実なのだ。

大阪地検特捜部の主任検事による押収物改竄事件は大きく報道され、当然にも、世間の関心を集めている。それ自体は、もちろん、許しがたいことだが、「正義の味方」=検察内部に、突然のように、異形の者が立ち現われたわけではない。

国家権力を背景にしてその権限を行使することに――巷の「愚民」からは隔絶した特権的なその地位に――「蜜の味」を感じてきた検察が、「国策捜査」ではない一般事犯においても日常普段に行なってきたことが、誰の目にも明白な形で明るみに出た、に過ぎない。

「大阪地検のエース」「割り屋」の前田某には、吉田修一の『悪人』が小説でも映画でも評判になっていることに因んで、このさい洗いざらい検察内部の悪行のすべてを暴露してせめてもの罪償いをしてもらいたいものだが、他方「愚民」である私たちには、検察「トップ」の巨悪だけに目くらましされることなく、警察・検察・裁判所が抱える構造的な問題にこそ目を向けるべきだという課題が課せられているのだと言える。(10月2日記)

太田昌国の夢は夜ひらく[7]イラクが被った損害を一顧だにしない「戦闘任務終了演説」


『反天皇制運動モンスター』8号(2010年9月7日発行)掲載

「9・11」が、まためぐってくる。

丸九年が経つことになる。日本の場合は、それに翌2002年の「9・17」(日朝首脳会談とピョンヤン宣言)が付け加えられるから、世界は、そして日本は、新世紀初頭の九月に起きた大きな出来事に引っ掻き回されて、冷静さを取り戻す間もないままに、新世紀10年目の現在を迎えていることになる。

それでも、事態は動いたのか。良い方向へと少しでも変わったのか。

「9・11」の延長上で米国が行なったイラクへの一方的な攻撃からは、7年有余が経った。2003年3月、米国は二つの理由を挙げて、イラク攻撃を開始した。

①イラクは大量破壊兵器を保有していること。

②イラク政権が国際「テロ組織」アルカイダと協力関係にあること――いずれも嘘だとわかったのは、イラク人に多数の犠牲者が出た後だった。

それでも、大量破壊兵器の最大の保有国で、「テロ国家」というべき米国は、戦争を続けた。対イラク戦争には批判的だった現米国大統領は、8月31日をもって米軍のイラク戦闘任務は終了したと演説した。

彼は「米国は海外から借金までして一兆ドルを戦争に費やし、自国の繁栄に必要なことをしてこなかった」とは語ったが、他ならぬ米軍が生み出した「戦果」、すなわち、少なめに考えても十万人を下るまいというイラク人犠牲者、いまなおベッドで苦しむ多数の戦火の負傷者たち、破壊した家屋とインフラ、傷つけた大地、化学兵器で汚染させた畑地――などのことには、いっさい触れることはなかった。

大統領は、イラクが理由なく受けた人的・物的・自然上の損害は一顧だにせず、今後は「自国の繁栄のために」米国の国家予算を使う、と言外に語ったことになる。

この国は、いつだって、そうなのだ。軍事的力量の差が大きいことをいいことに、自国の利害を賭けて、完膚なきまでに相手を叩きのめす。

イラク国軍が米国本土を爆撃することはあり得ないから、当然にも米国に恨みと憎しみを抱いた個人か集団が、せめて一矢を米国に報いたいと考えて、絶望的な行動に出るのだ。

あえてその用語を使えば「テロリスト」を生み出しているのは、他ならぬ米国ではないか。

こうして、米国が世界各地で絶えず能動的に作り出している戦闘行為・戦争こそが、世界の安寧・平和を破壊してきたという近現代史の本質に無自覚かつ無知なこの大統領は、しかも、今後はアフガニスタンに「資源と戦力をふりむける」と語って、恥じない。

世界から何の関心も寄せられていないアフガニスタンの空から降り落ちてくるのがミサイルではなく、書物だったら、飢えた民のためのパンだったら、乾いた大地を湿らす雨だったら……とイランの映画監督マフマルバフが語ったのは、タリバーンによるバーミヤンの仏像爆破の直後だった。つまり「9・11」の半年前だった。

米国は、或る国家が引き起こしたわけでもない「9・11」攻撃を、新たな戦争の好機と捉え、マフマルバフの黙示録的な啓示に満ちた言葉を無視するかのように、アフガニスタンに向けてミサイルを発射し、爆弾を落とし始めた。

それから九年が経ち、対イラク戦争には反対だったらしい現大統領も、アフガニスタン戦争はさらに強化するというのである。

そのアフガニスタンと延々と国境を接しているパキスタンは、いま、大洪水に見舞われ、二千万人にも及ぶ被災者が生まれている。

アフガニスタンでの戦争のためにパキスタンをいいように利用してきた米国は、「テロリストと戦っているパキスタンの、まさにその地域を洪水が襲った」「支援に失敗すれば、パキスタン政府がテロとの闘いで獲得し得たものを失うかもしれない」と語る 。

米国政府の意向を受けた日本政府は、自衛隊ヘリ部隊を派兵した。またしても、災害救助活動を「軍事化」するのか。

歯止めの利かない菅民主党政権の米国追随路線を見て図に乗った産経紙は、「丸腰派遣でよいのか」と言い募っている。

確かに緊急に必要とされているパキスタンへの国際的な援助を、米国は「反テロ戦争」の意義と結びつけて、世界を主導しようとしている。

これに対して、パキスタンのCADTM(第三世界債務帳消し委員会)などは、パキスタンが歳入の三〇%以上の額を対外債務返済に充てている現状に鑑み、債務の支払いを拒否し、それを救援と復興のために使うことを訴えている。

米国でも日本でもパキスタンでも、政府が物事の因果関係を説明すると、「結果」を「原因」を言いくるめる。戦争・自然災害・援助・債務などに関して、因果関係を的確に捉えた分析と方針の提示が、何よりも重要だ。

(9月3日記)