「ベアトリス・パラシオスは、ホルヘ・サンヒネスの映画の支柱であった」
(ボリビア紙「ラ・ラソン」7月22日付記事)
                                   

中央がホルヘ・サンヒネス、その左がベアトリス・パラシオス

ボリビアの映画作家ホルヘ・サンヒネスのプロデューサーであり、伴侶でもあったベアトリス・パラシオスがキューバで亡くなり、現地で埋葬されるとウカマウの監督が明らかにした。

パラシオスが路上の子どもたちのために夢みていた長篇『悪なき大地』の撮影にとりかかる準備万端整えた時であった。

ウカマウ集団にとってベアトリス・パラシオスとは何者か? 「すべてだ」とエドアルド・ロペス・サバラは言う。彼は、軍事独裁下で亡命していた時代の仲間であり、現在国立映画評議会の書記長を務めている。

「彼女は、ホルヘ・サンヒネスの映画にとって中軸となる人物であり、したがって、現代のボリビア映画のみならず、文化全般にとってかけがえのない人物でもあった」と語るのは、映画評論家で、ラパスのシネマテーク理事長であるペドロ・ススである。

ベアトリス・パラシオスは、1952年ラパスに生まれた。彼女はサンヒネスに出会い、社会的な関心を共にして、現在に至るまで仕事を分かち合ってきた。

ながいあいだ、慢性的なリューマチを病んでおり、キューバに向かう飛行機の中で亡くなった。明日、現地で埋葬されるとサンヒネスは語った。

「すべてだ」というのは大げさは言い方ではない、とロペス・サバラは続ける。「私が知り合ったのは1974年だった。ホルヘも含めて3人は、バンセル政権から逃れて亡命し、メキシコで出会った」。

3人で仕事を始め、その協働は1983年まで続いた。1979年、ベアトリスはバンセル政権を倒した女たちのストライキをめぐるフィクションをつくろうとして帰国した。

いろいろな事情があって、この企画は延期されていたが、結局はサンヒネスとパラシオスが共同監督となった『暁の旗』(『ただひとつの拳のごとく』)となって実現した。

その後ガルシア・メサのクーデタが起こり、再び亡命した。「鉱山地帯を旅していて、彼女の仕事にかける思いを知った。疲労困憊して少し自由時間が欲しいときにも、彼女は、人びとは私たちを必要としているのだから続行しなければ、と主張した」。

ロペスもススもこころから悔やむことは、パラシオスがはじめての長篇作品『悪なき大地』製作の準備を十分に整えた段階で亡くなったことである。ふたりとも、「すばらしい脚本だ」と語っている。ベアトリス・パラシオスが夢見た大地を旅する、路上の子どもたちの物語だ。(記事終わり)

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