色あせぬゲバラの思想・感性・生き方

太田昌国

(「アサヒグラフ」1997年10月17日号掲載)

 私は二〇代半ばのころチェ・ゲバラの思想と生き方に触れた。彼自身の文章やその生涯をたどった周辺資料によってである。ボリビアにおける彼の死の時期を挟む一九六〇年代中盤から後半にかけての時代だった。当時、世の中の政治・社会のあり方を変革したいと考えていた世界じゅうの多くの人びと(とりわけ青年たち)と同じように、彼の思想と生き方は私にとっての指標だった。その論文を注意深く読み、重要なものは自分たちで翻訳までした。論文集のタイトルは、彼の生き方を象徴させて『国境を超える革命』とした。 その彼の死から三〇年が過ぎた。世界の情勢が驚くべき変化を遂げた三〇年間だった。ソ連・東欧の社会主義圏は崩壊して、別な体制に代わった。政治体制としては社会主義を堅持しているキューバも、経済的には市場経済化の道を急いでいる。もはや革命も社会主義もゲバラも、すべてが時代遅れのものだと一蹴する言動が世の中にはあふれている。だが、私にはこだわり続けたい問題がある。そのことをゲバラに関わって書いておきたい。 若いころの私(たち)がゲバラの思想から受けた衝撃、その第一のものは「二つ、三つ……数多くのベトナムをつくれ、これが合言葉だ」と題されて一九六七年に公表された論文に関わる。当時キューバ革命の進行過程に注目していた者は、一九六五年後半ころからゲバラの動静が報道されないことに気づいていた。その行方についてさまざまな憶測がとびかっておよそ二年、世界のどこかで闘争のさなかにあるというゲバラから、三大陸人民に宛てたメッセージとして、それは紹介されたのだ。

 彼の主張は一点に凝縮されていた。北アメリカ帝国主義はベトナムを侵略して残忍な戦争を行なっている。ベトナム人民は英雄的に抵抗しているが、世界じゅうの進歩派はベトナムの勝利を願いつつも眺めているだけだ。無用な犠牲は避けなければならないが、いくつものベトナムが地球上の現われ帝国主義の軍事力を分散させて闘うならば、勝利の日が近づく。

 これがゲバラ・アピールの趣旨だった。二つの意味で強い印象を受けた。何よりもまずベトナムの苦しみを我が苦しみとして受けとめるゲバラの感性である。そして反戦運動ではなく、ベトナムのような闘いをつくって敵を追い詰めようと呼びかける能動的な方針についてである。当時、沖縄からは米軍の爆撃機が連日ベトナムへ飛んでいた。日本はさまざまな物資を米軍に補給して、高度経済成長の時代の只中にあった。心ある者は胸の痛みを感じ、しかし何事もなしえていない自分自身に苦悩していた。私もそのひとりだった。ゲバラはその状況を普遍化して分析し、諦めるなと呼びかけてくれた。それを読んで何事かをすぐにできるわけではなかったが、的確な分析というものは、いつも、迷う人間を励まし勇気づけ、新しい世界を切り開いていくだけの力を与えてくれる。ゲバラのこの論文には、そんな力があった。当時の反響を思い起すと、世界じゅうで多くの人々が同じ感じをもったと言っても、大げさではない。世界各地の人々が、同じ悩みと喜びを呼吸する時代だったのだ。

 ここまで敏感に他者の苦しみを感受できるゲバラの感性の背景には、彼が生まれ育ったラテンアメリカの状況があったことに疑いはない。二〇世紀、それはこの地域の民衆が、つねに米国の政治・経済・軍事による干渉にさらされてきた時代だ。民衆の貧困状況は放置され、資源は低価格で持ち去られ、これを変革しようとする社会運動はただちに弾圧される。その背後にはいつも米国の意向や策動がある。何かあると米海兵隊が上陸したり、長い間占領されることも稀ではない。ゲバラは若いころのラテンアメリカ放浪の旅でその実態をつぶさに見ていた。キューバ革命が勝利してからもそうだ。経済・外交・軍事部門などの責任を分担していたゲバラは、革命を潰そうとして米国が行なう経済封鎖や軍事侵攻と闘う第一線にいた。

 ゲバラの死後三〇年を経た今、この状況は改善されるどころか悪化している。南北問題に象徴されるように格差・不公正・不平等に満ちた世界の仕組みは放置されたままだ。それは、苦しみを受けている地域の人々の責任に帰すことのできない、世界全体の歴史と現在の構造に関わる問題なのだが、そう感じとる感性は、ゲバラの時代に比しても、私たちの社会から薄れてきた。いまゲバラの思想・感性・生き方をふりかえるとは、そのような私たちの時代を見つめ直し、より公正な世界をつくりだすという具体的な課題につながるはずのことなのだ。

 時代を再び三〇年前に引き戻して、ゲバラが差し出したもうひとつの問題を考えたい。私はベトナムに関する論文を読んでゲバラへの関心が深まり、キューバを出国する以前の論文や演説も当時から読み始めた。すると彼が多忙をきわめるなか、経済理論家としても興味深い論文をいくつも書いていることがわかった。彼の中心的な関心は、キューバがめざす社会主義社会の中で、資本主義的な価値観と異なる、新しい価値観をもつ人間がどのように形成されうるのかという問題だった。 この一連の文章で彼が力を費やしたのは、ソ連型社会主義に対する批判であった。新しい社会にあっては、競争原理ではない、友愛に満ちた態度を生み出す意識の変化が人間の内部で起こるはずだと彼は主張する。これもベトナムの苦悩に感応する精神のあり方に通じる。現実の社会主義が無残に崩壊した今こそ、ゲバラのこの問題意識は私のなかに残っている。生き残っている私たち/そして新たに生を受けた若い人たちが、真に公正で平等で自由な世界を創りだすことができていない以上、死後三〇年でゲバラの思想を風化させたり葬り去ることはできないと私は思う。 


                ホームページに戻る