サパティスタ密林の夜明け 第3回 | |||||
ギオマル・ロビラ=著 柴田修子=訳・解説 |
【翻訳者による解説】今回は、『とうもろこしの女たち:チアパス先住民女性の声と
サパティスタの反乱』(ギオマル・ロビラ著)第七章を紹介する。この章では、「サ
パティスタ支持基盤」を形成する女性たちに焦点があてられ、その生活ぶりが描かれ
ている。「サパティスタ支持基盤」とは、マルコス副司令官の説明によると、反乱軍
兵士のために、食料等の調達と兵站業務、情報提供などの〈後方支援〉を行なう人び
とのことであり、「市民生活や政治のための組織と同じようなやり方で作られた」と
あるが、その組織がどのように構成されているかは明らかにされていない。チアパス
高地のサン・ペドロという村で調査を行った人類学者クリスティン・エバーによれば
、この村では蜂起のあとにサパティスタのグループがやってきて支持基盤の形成をう
ながし、共感した村人たちによって、支持基盤が作られたとされている(注1)。
この村では全員で何名なのかは不明だが、女性の参加は八〇名ほどであり、八名の
代表者のうちの三名が女性だという。彼女によれば、女性には家事労働、子どもの世
話があるため代表者として活動する時間が取れず、本来四人選出しようとしたものの
結局、独身や離婚者の女性しか引き受け手がいなかったため三名しか代表者をだせな
かった。すぐになにもかも「男女平等」というわけにはなかなかいかないのが現実で
あろうが、少なくとも女性が社会(村落)のなかで活躍する場を得て、声を出すきっ
かけとなったことは確かである。また村を離れる必要がない分、反乱軍兵士や民兵よ
りは参加しやすいため、支持基盤のなかで女性の果たす役割が非常に大きいことは、
本誌第四号に掲載された翻訳で描かれている通りである。
この章で紹介されているのは、支持基盤の仕事ではなく、支持基盤をなす女性たち
の生活ぶりである。支持基盤の組織や活動というのも非常に興味深いテーマだが、あ
まりに現在的すぎて、明らかにされるには時間が必要なのだろう。さて、支持基盤と
は一般にサパティスタ・シンパであるため、彼女たちの生活とはすなわち、一九九五
年二月の政府軍の軍事侵攻以来続いている低強度戦争に抵抗する日々である。したが
ってこの章は内容的には前回の続きといえる。前回紹介したグアダルーペ・テペヤッ
クだけでなく、ほかの村々での軍との衝突もここでは描かれており、こうした嫌がら
せが日常的に行われていたらしいことが想像できる。
興味深いのは、第二節「兵士たちがラ・レアリダーに出くわす」で描かれている女性
たちの大胆な活躍ぶりだ。彼女たちは「人道的援助」を称して贈り物を口実にやって
くる兵士たちを、口だけで追い返してしまうのである。なぜ兵士たちが出て行ったの
か、裏になにがあったのかははっきりしておらず、また男性がまったく活躍しなかっ
たのかどうかも定かではないものの、なにものも恐れず全身でぶつかっていく女性た
ちの姿、自分たち自身の手で解決しようとする姿勢がよく表れていて、読んでいて痛
快である。なお、本章最後の節「反蜂起の道具としての暴行」は、スペースの都合上
、今回は割愛した。
注1 Christine Eber, "Las mujeres y el movimiento por la democracia
en San
Pedro Chenalh*" in La otra palabra: mujeres y violencia en Chiapas,
antes y
despues de Acteal Cord. Rosalva Aida Hern*ndez Castillo, CIESAS,
1998 参照
第七章 サパティスタ支持基盤
ラ・レアリダー・トリニダーまでは、百キロ以上の道のりを行かなくてはならない
。この村はグアダルーペ・テペヤックの先、セロ・ケマドの反対側にある。グアダル
ーペまで続いていた舗装道路は、そこからセロ・ケマドの険しい山をうねる細い小道
に変わる。密林が圧倒的な豊かさをもって立ち現われ、コンゴウインコ、オウムの群
れ、カエルの大合唱、鷹、熱帯森林の巨木などは、この地が人間の生活にはいじわる
であることを旅人に告げている。山のてっぺんまで来れば、ラ・レアリダーまでの下
り道が始まる。それはほとんど垂直の緑の壁であり、下には大平原、川、小さな家々
、とうもろこし畑、牧草地が見える。
村を二分して道路が走る。家屋は木材と牧草からできているが、屋根にアルミ板を
張っているものもある。各家庭には二棟あり、一つは寝るための場所、もう一つは台
所と女性の作業場だ。
一九九五年春のある日、一人の女性が私たちをコーヒーに招待してくれた。案内さ
れたのはラ・レアリダーのありふれた台所で、その質素な小屋には、決して疲れを知
らない腕で動かされるニクスタマル[とうもろこしの粉に石灰をまぜてやわらかくし
たもの。トルティージャの生地となる:訳註]の粉ひき器と火のついたかまどがある。
ルスは四二歳のトホラバル人で、気丈かつ誠実で、美しい人である。子どもは二人
だが、もう孫もいる。「二家族」とは彼女の弁だ。ルスは長い三つ編みを背中にたら
し、村のほかの女性たち皆と同じような格好をしている。彼女なら「ちょうちょみた
いな」と言うであろうはなやかではっきりした色の衣装、緑のレースでふちどられた
蛍光黄色のワンピースに、白いふちどりのある青い前掛けをしている。足ははだしだ。
私たちにコーヒーのたっぷり入ったピューターのカップが回される。こわれそうな
テーブルの前に置かれた板を椅子がわりにして座る。
質素で私的な場所に入り込み、こうした私心のない暖かなもてなしを受けるといつ
も驚かされる。作りたてのトルティージャがコマル[トルティージャをあたためる鉄
板:訳註]からふきんのかかった器にのせられ、私たちに回された。ここまでは静ま
りかえっていたが、その直後、街のどんなカフェで飲むよりすばらしい、こんなにも
熱くておいしいコーヒーをいただいたことへの称賛が続いた。そして既製品ではなく
手作りの、信じられないくらいおいしい、手で丸くされた大きなトルティージャにつ
いては何も語るまい。
私たちがお礼を言うとルスは微笑む。彼女は黙りこくっているが、のちに彼女自身
が言うところの「あなた方の訪問」に満足しているのだ。
ヘススとマグダレーナというジャーナリストが煙草に火をつけ、ほかの人たちに勧
めた。ルスは近づいて手をのばし、差し出された箱を受け取る。ライターの方に体を
傾けて火をつける。彼女はタバコを吸うのが好きで、煙を一気に吐き出して親指と人
差し指でタバコをつまむ。彼女の雰囲気やカラフルな服装の女らしさとは対照的に、
少し男っぽい感じだ。
わたしたちにとって、これがラ・レアリダーの女性たち、つまりサパティスタ支持
基盤の女性たちとの、おそらく最初の出会いだった。夏のある夜、私の人生において
ほとんど見たことにないほど激しい雨の中、この家族の女性たちがつい最近起きた彼
女たちの手柄について語ってくれた。会話の間にカップのコーヒーは底をつき、明か
りはかまどのおき火とテーブルの上の小さなろうそくだけだ。私は録音機を取り出し
、幸運なことには信頼を失うことなくスイッチを押させてもらった。
● 兵士たちがラ・レアリダーに出くわす ●
一九九五年二月、政府軍兵士たちがラカンドン密林に入り込んだ。グアダルーペ・
テペヤックとアグアスカリエンテスを占領すると、軍用コンボイはラ・レアリダー、
そしてさらに遠くのサン・キンティンまで走っていった。だが集落には誰ひとりいな
かった。
ラ・レアリダーの人びとは全員山に入っていたのだ。「私たちは山に行くように、
山に逃げるようにと言われた。政府軍の兵士たちがやってきていたのだ」とルスが語る。
子どもたちは飢えと渇きに泣きわめき、悪天候下の野宿による胃腸や呼吸系の病気
がトホラバルの人びとの健康をむしばんでいった。ある母親はこう回想する。「山に
はブヨがたくさんいた。それにやぶ蚊、蚊、やっかい事、病気、子どもたちは暑さの
せいで病気になった……」
女優のオフェリア・メディナ[映画『フリーダ』でフリーダ・カーロの役を演じる
など現代メキシコの代表的な女優のひとりだが、サパティスタの蜂起以来、この運動
を外から支える活動に力を注いでいる]とメキシコ市の二人の若い女性監視員が村ま
でつきそい、村人たちが無事自分たちの家に戻れるか見張る役を買って出た。そして
村人たちは戻ってみた。「私たちはもう隠れに行くのはいやだ、あんなふうに苦しん
で、泣いている子どもたちと飢えをしのび、渇きをしのんで……。そして午後に村に
戻ってみると、もう兵士たちはいなかった」。
パラシュートやヘリコプターを阻止するために農民たちがいたるところに打ちこん
でいた杭は、軍によってすべて引き抜かれていた。その日のうちに「打ち直した」と
テレサばあさんは言う。
翌日八台の戦闘車が村を通る道路を走り抜け、夜にまた戻ってきたものの、停車す
ることなく去っていった。三日後にまたやってきたが、数をずっと増やして村に入っ
てきた。人びとのための「人道的援助」なるものを運び込み、村の真ん中で「社会事
業」を行なうつもりなのだ。
ルスが語る。「七、八十人の兵士と十台くらいのトラックだった。礼拝堂の裏から
ここに入ってきた。彼らの車だとわかった。そしてそこで武器を手に、機械(メガフ
ォン)を使って、怖がらずに近くに来るように、自分たちは危害を加えに来たのでは
なく平和のために来たのだと叫んだ。だが平和だかなんだか、わかったもんじゃないよ」
都市部からやってきていた市民キャンプの若い女性たちが彼らに応対した。だが彼
女たちの試みはまったくの失敗に終わった。ルスが続ける。
「二人の女性が彼らとの話し合いに行って、女性や子どもが怖がっているから入っ
てこないようにと言った。私たちは入ってきて欲しくないんだ、と」。でも兵士たち
は答えた。「あなた方が何を知っているというのだ。村の人ではなくて、外から来た
よそ者じゃないか。ここはあなた方がいるべき場所じゃないぞ」
村の女性たちが、自分たちだけで問題の解決にあたる決心をしたのはそのときだっ
た。そう彼女たちは語る。
「私たち女七人たちが集まって彼らと話しに行った。そこで大声を出しながら物を
配ってもらいたくないと言いに行こうとしたんだ。私たちが近づくと、彼らはこう言
った」
「こんにちは! ほら、我々の食料を受け取りにご婦人たちがやってきました」
「いいや、私たちはそのために近づいたのではない、お礼を言いに来たんだが、受
け取るつもりはない。なぜなら、私たちは欲しくないからだ。そんな物を頼んではい
ないよ。施しにやってきてくれたことにお礼を言うが、悪いけど受け取るつもりはな
い。私たちは薬をもらいたいと思っていない。子どもたちが怖がっている、おびえて
いる。女性たちまでおびえて病気になっている」
「なぜですか? なぜ怖がるのです。我々は危害をくわえに来たのではなく、政府
からの贈り物である食料を届けにやってきたのですよ……」
「贈り物だかどうだか。私たちはなにも欲しくないよ」
「ほう、この女性は何も欲しくない、と。さてはサパティスタですな!」
「兵隊さんたち、私たちには何のことだかわからない。うわさぐらいは聞いてるけ
ど、あなた方のサパト(靴)の名前か何かなのかい?」
「はてさて、ではなぜ受け取らないのです? あっちのヌエバ・プロビデンシアや
サン・キンティンは我々と一緒にやっていますぞ」
「そうかもね。でもあっちはあっち、ここはラ・レアリダーだ。私たちは受け取ら
ない、なぜなら、必要としているのはこの村だけではなく、ほかの仲間たちも必要と
しているのだからね。私たちだけに、というのは欲しくない。農民が必要としている
ことを政府が思いやるなら、助けてもらいたい。でも一つ二つの村だけではなく全体
をだ。実際のところ政府は私たちのことを考えていやしない。政府はどんどん兵士や
戦車、軽機関銃を私たちのところに送り込んできている。それが私たちに送りつける
薬なんだ」
ほかの女性が口をはさんだ。
「『あっちがヌエバ・プロビデンシアで、ここはレアリダー・トリニダー、ここは
解放区に作ったエヒード[共有地]なんだ。もう解放区になってるんだよ』と、私は
はっきり言ってやったのさ」
そこで彼女らは私を見つめ、お互いの顔を見やった。
「しかしご婦人、私が話そうとするほんの一言二言すら聞いてもらえないのですか」
「いやだね。私たちは要らないよ、村には軍隊に入ってきてもらいたくない。私た
ちが望んでいるのはここから出ていってくれることだ。いなくなっておくれ、それが
私たちの望みなんだよ」
「ほう、このご婦人方は何も要らないということですね、何も。この人たちは指導
者なんだ。だから何も要らないのです」 「薬も何も私たちは要らない。私たちのこ
とを思いやってくれる人がすでに助けてくれている。つまり市民社会だ。私たちに薬
を少しくれたよ」
「ほう、で、発起人は誰ですか?」
「私たちみんなが発起人だ、私たち全員だよ」
「ああ、わかりました。ここのご婦人方はなにも要らないということですね」
ルスが外に出た。録音機のまわりにはこの家のほかの女性たち、彼女の母親や姉妹
も集まっている。彼女たちもみなこのことの体験者であり、笑いながら喜んであらま
しを語るのに協力してくれる。
「兵士たちはばかにされたとすごく怒っていて、『あなた方は何もほしくないんだ
な』と言った。それから私たちの顔といい体といい、何枚の写真を撮ったことか。彼
らは私たちをひっぱたいて鞭打つぞと言った」
「このご婦人方が望むのは武器を試すことだ、しっかり鞭打ってもらいたいのだ」
「やれるもんならやってみな。そんなことで私たちは死ぬと思わないさ」
そのとき割って入ったのは村の助産婦で、かなりの年齢になっているテレサだった
ようだ。大胆かつ勇敢にも軍人たちに言ってのけた。
「私たちはこんな一握りのものは要らない。こんな一握りでは村全体に行き渡らな
い、私たちは大勢なのだからね。私たちはこれを欲しいけれど、トン単位でだ。チア
パスだけでなく国全体にほしい。もし援助したいなら、うそはつかないでもらいたい
。政府が言うのはうそばかりじゃないか」
兵士たちは、最初に彼らに話しかけた二人のラディーノ娘のことを言い出した。
「いや、この都市部から来たご婦人方があなた方を組織しているのだ。そこの眼鏡
のご婦人たち、その二人が指揮しているのだ。だが彼女たちを信じてはいけない。だ
まされてはいけない、あなた方に言っていることは全部いんちきです。ほかの国から
きたよそ者を信じてはいけません」
「彼女たちが私たちを組織しているわけではない、彼女たちがだれなのか私たちは
知らない。私たちの村から出ていっておくれ、ほかの誰でもない私たちが命令してい
るんだ。そこに道路があるから通りたければ通っていくがいい、でも私たちをいらい
らさせないでもらいたい」
ルスによれば、女性たちが村に戻ることを決めたのはそのときだった。「私たちは
村に戻って、村の女性たち全員、女性たちだけで組織を作った。軍隊が出て行くよう
に私たちは叫ばなくてはならない。それともあなた方は、連中があそこで配っている
ものが必要かい? いや。ならばそれを言いに行こう。私たちは、軍隊が配っている
ものを受け取るつもりはないと言いに行こう。ほんの一握りの米に、一握りの砂糖。
私たちは女性ばかり百三十人くらいだった。十数人が怖がって残った。私たちと一緒
に来た子どもも何人かいた」
全員が一丸となって、車と食料のところにいる兵士たちのもとへ、しっかりとした
足取りで戻っていった。彼女たちがやってくるのを見ると、とうとう助けてもらいに
来たのだと彼らは思った。ルスと姉妹が皮肉を込めて彼らのセリフを口にする。「ほ
ら、我々があげようとする贈り物を受け取りにご婦人方がやってくる」
ルスが説明する。「でも兵隊たちは持ってきた袋を手にしたまま、びっくりしてし
まった。なぜなら私たちは物を受け取らずにこう答えてやったんだ。『そこに持って
いる武器を手に近づいてきたら私たちは驚くさ。子どもたちが近寄って相談するのを
待っているのかい』って」
「いいえご婦人方、我々はあなた方に何もしませんとも」
「でも私たちは、あんたたちにここにいてもらいたくないんだよ」
「それなら、慣れてもらうために毎日やってきましょう。ここラ・レアリダーに一
晩とどまることにしましょう」
「私たちはもうあんたたちに来てもらいたくない、出ていってもらいたいんだ。だ
れかにめんどう見てもらうことには慣れていないのさ」
その場は、やってきた村中の女性たちであふれかえり、ある者はトホラバル語で、
またある者はスペイン語で、女性たち流に全員がいっせいに話し出した。政府のばか
野郎、平和を望んでいると言わなかったかい? なのにここに機関銃や戦車を送り込
んでいる。政府は私たちに平和をもたらしていない、全部うそだ。
「ほう……あなた方はサパティスタ女性ですね」
「私たちはそんなこと知らない。何だいそれは? 人間、それとも動物かい? 私
たちは知らないね。私たちが知っているのは、あんたがはいている靴(サパト)だけ
だよ」
それで兵士たちは私たちをじっと見ていた。ようやく、メガホンで話していた兵士
が言った。
「いやご婦人、みなさんにわかってもらえるように、私が少し話をしましょう」
「私たちは聞いちゃいないよ。政府は本当の援助を私たちにくれているのではない
のだから。私たちにはなにもくれずに搾取状態においている。私たちが収穫するもの
は何もかも贈り物として持っていってしまう。政府はぬくぬくと肘掛け椅子にすわっ
て、神様みたいにしてそこにいる。富だけを崇拝しながらね、自分の神を持たないの
だから」
「ほう、このご婦人方ときたらなんという話し方をすることやら。つまりあなた方
は組織されていて、ほしいのは鞭打ちなのですな」
「なら私たちも同じようにして、自分たちの鞭を持ってくるからあんたたちも鞭を
持ってくればいい」
ルスが語る。「彼らはただ私たちのことを見ているだけだった。年老いた別の女性
が反撃した」
「私がすすだらけの手でやって来たのをごらんよ。私たちはいつもそうやって食べ
ているんだ。水の時間になれば水を担いでびしょぬれでやってくる。とうもろこしも
担ぐしマチェーテをふるってとうもろこし畑を二倍にもする。あんたたちも私たちみ
たいに働いてごらん。つらくてあんたたちには我慢できないだろうよ。車に乗ってな
ければ居心地よくいられないのだから。私たちが歩いたり薪を運ぶのを邪魔してあん
たたちがここにいるのが、私たちはいやなんだ」
「ほう、でも我々もお手伝いしますよ。薪を割りに行くのに付き添いましょう」
「私たちは軍隊についてきてもらう必要はない。一人で歩くのに慣れているし、誰
かが後をつけてくるのはいやだ」
「ほう、そうですか。誰があなた方を組織したか言ってください」
「誰も私たちを組織してなんかいないさ。あんたたちはわたしたちをいまだに動物
扱いしてるね。攻撃されないよう泥の中を歩く動物だと思っている。人間が何も考え
ないなんてことがあるものか。私たちは単に言葉の言い方がよくわからないだけなん
だ。それをもって、あんたたちは私たちのことを何も知らない、何も考えないと言う
。でも、誰も私たちを組織していない。私たちには必要ないのさ。いつも一人一人が
何をするか考えるんだから」
「もう行きます、もう行きますとも、ご婦人。私たちは行きますよ、さようなら」
テレサによれば、一人の女性が怒り出し、すると彼らが「もう私たちは行きます」
と言ったのだそうだ。「そのときから政府軍は二度と入っては来なかった」
このようにしてラ・レアリダーの女性たちは軍隊を追い出すことに成功した。毎日
村を横切る道路を通行しているが、停車することはない。
● 村人たちの抵抗 ●
すべての始まりの日、すなわちチアパスの生活を一変させた一九九四年一月以来、
先住民女性たちはさまざまな戦いを繰り広げてきた。
一九九四年一月六日、黒ずんだ市庁舎の前に女性たちの長い列ができて、政府軍兵
士から食料袋をもらうのを待っている。砂糖に塩、米、石けん、油、マカロニ、お菓
子などだ。とはいえ、全員がそれをもらえるわけではなく、軍部が提示した条件を満
たさなければならない。それは夫を連れてくるということだ。夫がそこにいなければ
、それはサパティスタだということになる。その烙印を押された女性たち、子どもを
抱えた母たちは食べ物もなく絶望にうちひしがれて去っていく。
一年後の一九九五年二月、もう彼女たちは物品をもらいには行かないだろう。政府
のいかなる援助も拒絶するだろう。一九九五年二月十三日、パトゥイス。ジャーナリ
ストたちのコンボイが谷にやって来る。軍用車ハンマーと戦車で来ている軍人たちは
メガホンで住民に呼びかけている。十三カ月もの間サパティスタ地区で拒絶されてき
た「社会事業」を果たすため、食料を持ってやってきたのだ。
近づく者はいない。テレビカメラが、嫌われ者の兵士たちの「首尾よくいった様子
」を収める。兵士たちの一人が女の子の腕をつかんでトラックに引き寄せ、袋を渡す
。ツェルタル人の娘がうなずくと、兵士たちの間に笑顔が広がる。やっと彼女は「援
助」を手にしたのだが、二十メートルほど行った所でそれを放ると、カラフルな美し
い衣装と三つ編みを風になびかせて走り去っていく。
一九九五年二月、三月、四月。グアダルーペ・テペヤックの人びとの避難行。密林
でもっとも近代的で、誰もがサパティスタで、何事も総意で決められ、運命を百パー
セント抵抗に賭けていた村、グアダルーペ・テペヤック。二月九日グアダルーペ・テ
ペヤックからすべての住民が避難した。出産したばかりの女性もいれば、初めての子
を山の泥や石のあいだで産んだ十六歳の娘もいた。それから赤ん坊の数は何人も増え
た。寄り集まって眠るようになった最初の日々に産まれたのだ。母親のショックや疲
れから予定より早く生まれた子たちもいる。その後、彼らに数週間の間宿と食事を提
供してくれるどこかの村のフィエスタで洗礼を受けたことだろう。ひどく貧しいその
村は、わずかばかりの食料をすさまじい貧困におかれた者同士でわけあうことに何の
ためらいも感じないのである。グアダルーペの人びとは、お返しに水を引き、いつで
もみんな一緒に、根を張った共同体の心をもって喜んで、踊りでもって逆境を迎え撃
つという誇りを置いていく。
グアダルーペ・テペヤックでは若い女性がときにはズボンをはくこともある。トホ
ラバルのほかの村では考えられないことだ。四月にコマルや平鍋を背負って密林の中
を移動したとき彼女たちはズボン姿だった。母親たちは子どもを抱き、馬がほとんど
いないなか、男たちは荷物に押しつぶされそうになりながら、全員で安全な場所を求
めてふたたび避難したのだ。グアダルーペの若い娘たちを見分けるのは簡単だ。恐れ
も禁欲も知らない視線からも、シンプルなスカートに白い運動靴、ふくらはぎできち
んと折られた靴下、花模様のブラウス、カラフルな髪リボンに「EZLN」とししゅ
うされた目だし帽からも、それとわかるのだ。また特別なときには、グアダルーペの
独身娘たちは口紅やアイシャドウをつけたり頬紅をすることもある。そうやって世間
を挑発して歩くのだ。「すっかり変わったな」とひとが思ったり、トリニ司令官が言
うように、女性たちにとって「道はすでに開かれた」と感じるのは、そんな彼女たち
を見るときだ。
一九九五年一一月、グアダルーペ・テペヤックの逃避行は続いていた。村人たちは
新しいグアダルーペを建設した。ジャーナリストが「どこに?」とたずねたそうだ。
タチョ司令官は動じることなく「密林の真ん中に」と答えた。
男たちは木を切って道を開き、全員のために家を建てた。自分の居場所をすべて失
った女たちは、新しい環境にも、物不足にも、花であふれた中庭と深鍋や土鍋を備え
た台所のあるなじみの我が家の苦い思い出にも慣れなくてはならなかった。グアダル
ーペでもっとも年長のドニャ・エルミニアが言うように、「ふたたび一から始める」
ことになったのだ。
政府軍の二月の軍事進攻は、別なサパティスタ地区にも爪跡を残した。ツェルタル
の渓谷部、エル・プラドの女たち/男たちは、山での飢えと寒さを耐えた後、村に戻
った。彼女たちは自分たちが目にしたものを信じることができなかった。兵士たちは
、彼女たちの世界をむちゃくちゃにしていたのだ。壊されたかまどに、割られた粉ひ
き器、台所で役に立つものはすべてなくなり、ある家は燃やされ、とうもろこしは地
べたにちらばり、わずかばかりのフリホール豆には糞尿がかけられ、衣服はずたずた
だった。エル・プラドの住民たちが自分の家を捜して蟻の列のように徐々に山からお
りてきた朝、嘆きの声が空に発せられた。無傷のもの、役にたつものは何一つ残って
いなかった。マチェーテ[山刀]も、斧一つも、楽器も本も、破壊されたこの村に電
気をもたらしていた太陽熱発電器も、何もなかった。水道管はこなごなに砕かれてい
た。
泣き叫ぶ子どもを連れた女性たち、彼女たちもまた泣いていた。腕を上げて手を広
げ、「ピシル」と言った。ツェルタル語で「すべて」という意味だ。つまりすべてが
残っておらず、すべてが無であり、すべてが無に帰したということである。そしてス
ペイン語は話さなかったが、私を家の中に案内し、破壊の状況を見せてくれた。カメ
ラがそれを記録し、この苦しみと払わされることになった犠牲のあまりの大きさを明
らかにすることとを望んだのだ。村はずれの灰の中、一人の男と、三人の子を抱えた
一人の女。茫然自失の二人に、子どもは泣こうとすらしない。彼らの家で残っていた
のは灰だけだった。「ここに寝室が、こっちには台所があった」。男は、力をなくし
た腕で示した。
その日の午後、私たちは悲しみのうちに村を後にした。その家族はいままでと同じ
場所、灰の中に呆然と立ち尽くし、子どもたちを抱えた女性が、悲しみをのぞかせる
ことなく、途方に暮れていた。時が経ち、ある日寄り合いの決定によって、村の男た
ち全員が協力して新しい小屋が建てられることになると知ったことだろう。
一九九四年の間じゅう模範となるような自治プロセスに着手し、先祖伝来の決め方
を取り戻し、自分たちの管理・管轄のあり方を「総会」および「古老会議」と名づけ
たアルタミラーノ渓谷部のモレリア、すなわちこの新しい生活の至宝と言うべき村は
、大急ぎの避難行によって放置されることになった。兵士たちが、はだしで歩く村人
から半時間以内の距離まで迫ってきたのだ。
避難行のドラマはほかの場所にも似たような悲劇をもたらした。人びとは集まって
逃げ、女性、子どもたちの足はまめだらけとなり、水不足の結果人びとはどんな水も
飲んだために胃腸の病気が蔓延し、また命が吹き込まれて道中もしくは山の中で母親
となった女性たちもいた。
チアパス高地でも非常事態を経験した。日中はサパティスタと疑われないよう家を
離れて山にこもっていなければならないため、夜に織物をしたと、織物を生業とする
多くの女性たちが語った。一九九五年五月の間、オコシンゴ行政区パトゥイスから数
キロのところにあるバテアトンでは、日常訓練で銃を空中発砲する兵士たちの存在に
苦しめられた。「兵士は出ていってほしい、民間人を苦しめないでもらいたい」。村
人たちは人権擁護委員会で訴えた。
「女性たちはあちこち歩き回ることも畑に出ることもできない。私たちは貧しくて
女性たちはいつも働いているが、今はおびえている。なぜならあんなふうにショート
パンツや軍服を着た人を見たことがなかったし、兵士が毎日ばかげたことをしにやっ
て来るからだ」
●「軍隊は密林から出て行け!」●
一九九五年六月、密林のもう一つの片隅で和平対話の行進についてサパティスタ支
持基盤の意見を出しあう集会が開かれている間、私たちは女性代表の怒りの演説を聞
くことができた。集まった四百名以上のトホラバル人と十四名のジャーナリストたち
(この場所に駆けつけるために二日間歩き続けた)を前に三人の女性が順番に話した
のだ。
まず「軍隊は出て行け!」と女性たちが叫ぶと、全員がこぶしを上げて唱和した。
それからガブリエラという女性が話すことになり、子どもをそばにいた友人の胸にあ
ずけると演台の前まで歩いていった。
ガブリエラはバンダナをしっかり結び、流暢なスペイン語でこの集会のために書い
た原稿を読み上げた。「私たちは、私たちの要求が正しいと考えます。だから政府は
問題を解決してくれるだろうと思ったのです。しかし残念なことに、政府は口で言っ
たような解決を望んでいないことがわかりました。なぜなら解決のかわりに、私たち
を挑発するための軍隊を送りつけたからです。だから私たちは、それは貧しい農民の
仲間たちにとって障害になっていると考えます。連邦軍がいるところでは、彼らは私
たちに落ち着いて仕事をさせてくれません。まずすることは、私たちを脅しながら、
攻撃的なやりかたで尋問するのです。彼らがいる村では、住民に『守れ』と厳命する
ようなことを言いつけます。それは私たちにしてみれば飽き飽きしたことなのに、武
器で脅しながら言いつけるのです」
ガブリエラの次にはひとりの娘、エルメリンダが立ち上がった。同じようにカラフ
ルな衣装を身にまとい、スカートは密林で流行っているチョウの留め金がついたベル
トでとめられている。エルメリンダはマイクを握り締めて語った。「現状は、軍隊が
私たちの管轄区のいたるところにいます。だから私たちは自分たちの仕事ができませ
ん。私たちがとうもろこしを担いでいると、彼らは道路を行進していて、私たちに恐
怖を与え、私たちを脅します。それで私たちは独りで歩くことができないのです。そ
こには軍隊が歩いてるからです。ときどき薬を求めに行ったり散歩したり、食糧を買
いに行こうとしても、私たちに恐怖を与え脅かすので、それが置いてあるところに入
ることはできないのです。サン・キンティンでもヌエバ・プロビデンシアでもそうで
す。私たち貧しい農民はいつも病気で、軍隊を恐れてどうやって外に出たらいいかわ
かりません。軍隊には出ていってもらいたい!」
三番目の発表者イレネが、問題を地域的な枠組みから取り出して国全体のものにし
ようというはっきりした意図を持って舞台に上がった。「メキシコの女たちの状況と
いうのは、私たち極貧のうちに暮らす女、特に農民女性が、国の発展のためにもっと
もよく働いているというのに、忘れ去られているということです。私たちは畑で働き
、家庭の主婦でもありますが、仕事をやりやすくするために必要なサービスを得てい
ません。政府は私たち女性のことを一度たりとも気にかけたことはありません。おそ
らく私たちがスペイン語でうまく表現できないからでしょう。というのは私たちの母
語はいいものではなく、私たちには機械や道具を使いこなせないのだと彼らは言って
いるからです。でもそれは逆で、私たちには能力があります。欠けているのは助言と
、働く先住民女性としての誇りに対するほんの少しの敬意なのです。私たちは女性と
して、この山の中、そしてメキシコ中のすべての苦しみを感じ取ります。ここで私た
ちが受け取っていないサービスを必要としています。台所での薪火の煙で目もやられ
ています……」
農民女性の家事労働に関する議論が続けられた。目に入る煙のことを心配してくれ
た人はひとりとしていなかったとイレネは力説した。煙が顔にかかり肺に入るのは、
一日一回だけのことではなく、ニクスタマルを調理し、湯を沸かし、トルティージャ
を造り、フリホール豆を調理し、コーヒーの準備をするたびのことなのだ。つまりい
つでもだ。またメキシコは世界有数の天然ガス産出国であるのに、ますます木が減っ
ていくと世間は文句を言うが、もしそうしなかったら、私たちはどうやって火を起こ
せばいいのかと、集まった人びとはコメントした。
「アグア・アスル」と名づけられたこの村に来るためラ・レアリダーから南に二日
間歩いてきたのだが、きっちり組織化された女性たちが私たち疲れ果てた報道陣に食
べ物をふるまってくれた。鶏のスープにフリホール豆、できたてのトルティージャ、
卵。その村に住む子どもたちの大半にとって、私たちは初めて見る訪問者だった。そ
の気前のよさは、驚くほどであり、とくにこの場所の貧しさを目の当たりにすればな
おさらだ。私たちが喜んで味わったやせこけた鶏の骨は、犬ではなく子供たちのとこ
ろへ行ったのだった。
とはいえ、私たちが到着したこと、また意見を出しあう集会が順調に進行している
ことに対する人びとの喜びと、歓待によってむくわれた私たちの疲労は、かつてない
逆のやり方で頂点に達した。「今度は報道機関の皆さんが私たちに話す番だ」。かく
して、私たちは目を皿のようにした男たち、女たち、子どもたちの前で一人ずつ、サ
パティスタが私たちを驚きに陥れた新年のたたかいにまつわる特異な体験を語り始め
た。彼らの闘いは本物だった。それは彼らをも凌駕したことろに存在しており、私た
ちはその生き証人だった。
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