ラテンアメリカの民衆運動と解放の神学 | ||||
お話/弘田しずえ |
司会 いくつかの事情でしばらくの間きちんとした活動が出来ずにきました。今年は
機関誌を復刊し、こうしてみんなで討論する機会もときどきつくって、サパティスタ
あるいは世界が問いかける問題と私たち自身の接点がどこにあるかを考える場にした
いと思います。きょうお招きしているのは、ベリス・メルセス宣教修道女会のシスタ
ー、弘田しずえさんです。ふだんはローマのメルセス会本部におられますが、いくつ
かの仕事があって昨年末以来しばらくぶりで日本に滞在されています。以前ボリビア
、ニカラグア、メキシコなどラテンアメリカの国々で修道女会の仕事に携わっておら
れた期間は、解放神学と民衆運動の関わり合いについていろいろと考え、身をもって
現場にもおられた時期だと思います。きょうの報告は、そこでの経験とそれに基づい
ていま考えておられることを中心にしていただくようにお願いしてあります。
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冒頭、弘田さんは参加者に、学習会などというたいそうなものではなく、リラック
スしたおしゃべり会にしましょうと提案し、その「おしゃべり」は始まりました。な
お、文中の( )で括った箇所はテープ起こし原稿に弘田さんが加えた註、また[
]で括った部分は編集部による註です。
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弘田 まずね、解放の神学についてですけれども、「解放の神学は死んだか」とか、
「解放の神学に何が残ったか」とか「いま解放の神学が持つ課題は」などということ
が言われておりまして、確かに解放の神学を取り巻く世界の状況は大きく変化してい
ます。しかし、そもそも解放の神学というのはまず神学があったというよりも、中南
米の貧困や抑圧の現実に対して、信仰から働きかけた宗教者(スペイン出身の人たち
が多い)の生きた体験があり、そういった体験を神学的な言葉で書いたということな
んですね。解放の神学の土壌はそういう中南米の現実なのですから、現実が変われば
変わっていくものなのです。民衆運動や社会変革の仕方が変われば、解放の神学も変
わっていくし、社会主義国がなくなったので解放の神学がなくなったという人たちも
います。
きょうは、まず、解放の神学の土壌である中南米の社会変革の革命、闘争がどうな
ったかということ、特に、私はニカラグアにいましたので、ニカラグアで私が体験し
たものをお話しようと思います。それから、解放の神学者といわれる人はいま何を言
っているのか、そしてバチカンと解放の神学との関係についてと、以上の三つについ
てお話します。
ニカラグア・サンディニスタ革命の経験
ニカラグアのサンディニスタ革命[一九七九年七月]というのは、ソモサという恐
ろしい独裁者を倒して勝利した革命で、宗教者が進んで参加した革命でもありました
。外務大臣のミゲル・デスコト、文化大臣のエルネスト・カルデナル、彼の弟のフェ
ルナンド・カルデナルが教育大臣と、三人の神父さんが大臣になったわけです。それ
でバチカンからは「神父様」が大臣なんてとんでもないと「お叱り」があり、大臣を
とるか聖職停止かと迫るということもありました。八七年にフランスのカトリック組
織から、ニカラグアには宗教弾圧があったかどうかを見て欲しいと頼まれて私は初め
てニカラグアへ行きました。
その時は、識字率があっというまに高くなったことや、予防注射の普及や土地改革
の成功など、革命のすばらしいところばかりを見せてもらいました。それにひきかえ
教会のほうは会う約束を急にキャンセルしたりして、イメージがとても悪かったんで
す。
サンディニスタ革命とバチカンとの出会いは教皇のニカラグア訪問でしたが、これ
が最悪でした。教皇さんはポーランドの方なので、ポーランドの現実とニカラグアを
重ねて見てしまったんですね。政府批判をすれば民衆は喜ぶと思ったので、エルネス
ト・カルデナル文化相が教皇さんにご挨拶に行って膝まづいたところで、教皇さんが
「あんたはだめだね」って振り払うという有名な写真なんかが残っちゃった。教皇さ
んを見たいということでたくさんの人が農村部から炎天下何日も歩いてきたし、コン
トラ戦争[革命後、旧ソモサ政府軍の兵士を中心に反革命武装勢力=コントラが結成
された。
コントラは、サンディニスタ政権打倒をめざして、米国の援助を受けて軍事行動を
展開し、農民や識字運動参加者の誘拐と暗殺、家屋と農作物の焼き討ちなどを行なっ
たため、革命後の一〇年間の人力と国費の多くがこれとのたたかいに費やされた]で
亡くなった息子たちを祝福してくださいって、お母さんたちも来たわけですよ。でも
それをまったく無視して、ひたすら司教たちに従いなさいという話をしてるわけです
。それで、みんながガヤガヤしだしたら教皇が「黙れ!」と叫んだんですよ。私はそ
のビデオを見たんだけれども、その「黙れ!」と叫んだところで終わってるわけ。と
ても印象的でした。
その後八九年から九三年まで私はニカラグアに住んで、サンディニスタが負けた九
〇年の選挙に居合わせ、そんなわけでサンディニスタ政権の最後を見たわけです。八
九年から過ごしたのが、エルビエホという、エルサルバドルとホンジュラスに近い北
の町で、七万人くらいの人口の地域で、一二〇くらいの村落があって一〇〇キロ四方
くらいの広さの町です。そこでの友だちはみんな草の根で働いていて、人間的にもす
ばらしいサンディニスタの人たちばかりでした。神父さんはサンディニスタ嫌いで、
ミサで「メルセス会は赤です」なんて言っちゃうような人でした。
サンディニスタ革命が素晴らしいと感じたことはいろいろありましたが、あるおば
ちゃんが、「革命がもたらしてくれたことで一番良かったのは、自分で考えるという
ことをするようになったこと」と言ったのはすごいと思いました。
私は一九八九年八月に行って、翌年の二月に選挙があるんだけど、もちろんコント
ラとの戦争中なので、安全の問題もあって、ダニエル・オルテガ[サンディニスタ政
権の大統領で、この時の選挙にも立候補していた]はいつも選挙運動の待ち合わせ時
間に五、六時間遅れて来るんだけど、みんな文句も言わずに待ってるのね。みんなダ
ニエルのファンだから。ポラロイドカメラ持った二人の女性を連れてダニエルがやっ
て来る。みんなはダニエルと一緒の写真を撮ってもらうために並ぶのよ。
あらっと思って見たら、うちのシスターなんかも嬉しそうに並んでたりして。あま
りにも無批判、手放しにダニエル礼賛であるということがだんだんとても気になりは
じめました。その一方で、首都のマナグアでタクシーの運転手さんや、物売りの人た
ちがサンディニスタには投票しないと言っている。ところが、サンディニスタの人は
絶対に負けないと言い切っていて、すごい自信なのね。サンディニスタが、民衆のサ
ンディニスタ党離れを見抜けなかったということは問題だったと思う。コントラ戦争
や徴兵制がなかったら、当然勝利していたはず。みんな戦争に疲れきってしまったの
ね。
それからソモサ時代の選挙ってのはめちゃくちゃで、一票ソモサに入れたら隣の部
屋でごちそうを食べられるというような選挙だったから、一票の重みなんて実感ない
わけだから、「なんとなくちょっと入れてみた」とか「ちょっと入れるのをやめてみ
た」という人もいたかもしれない。選挙で政府が交代するということすらわからなか
った。問題は選挙の後でね、国家資産の私有化というか、選挙の後で外務大臣になっ
た人が外務省に行ったら、机をはじめ本当に何もなかったとかね、そういう話をいく
つか聞きました。
五月にサンディニスタの女性組織の全国委員会に行ったんだけど、途中でダニエル
・オルテガとトマス・ボルヘ[古参サンディニスタのひとりで、政権時は内相]が入
ってきたら、「コマンダンテ(司令官)万歳!」って総立ちになる。コマンダンテは
それまでの話の流れとは関係なく一時間半演説した。こういう具合にサンディニスタ
党幹部に対する偶像崇拝的ムードがますます気になってきました。エルビエホのサン
ディニスタの友人たちはピニャータ[サンディニスタのリーダーが民衆の資産を自分
たち間で大盤振る舞いしてしまったこと]を全然しないで、失業者になってしまった
のです。
選挙で負けた後も「国家予算の六%は大学教育のために!」とセルヒオ・ラミレス
[作家で、サンディニスタ政権時代の副大統領]が運動を盛り上げたりしていました
が、いよいよ九六年、フレンテ[サンディニスタ民族解放戦線]が分裂して、セルヒ
オがサンディニスタ刷新運動を立ち上げました。選挙ではアレマンとダニエル・オル
テガの一騎打ちになって、結局ソモサ主義者のアレマンが大統領になります。現在は
アレマンとダニエルのおかしな同盟関係があります。
エルビエホのサンディニスタの人たちはサンディニスタ党を離れました。かといっ
てセルヒオの刷新運動にも入りません。それでも「私たちはサンディニスタで、その
理念は捨てず貧しい人たちと働く。けれど党派とは関係を持ちません」という姿勢を
とっています。党側からは裏切りとか言われて、そんな風に人間関係が複雑になって
しまいました。それで「サンディニスタ」では区別がつかないから、フレンテは今で
はダニエリスタ(ダニエル主義者)と呼ばれています。
そんななかで、ダニエルの連れ合いの連れ子で、私とも友達なんですが、ソイラメ
リカという三二歳の女性が、十一歳の頃からダニエルに受けた性的虐待について告発
しました。フレンテがダニエリスタと呼ばれるくらいダニエルはフレンテにとって大
事な存在であるので、ダニエル個人の人格に対する告発はフレンテにとって致命的で
す。だから彼女はフレンテ側から脅迫されていますが、それでも頑張ってるわけです
。
「これまでいろんな人に相談してきたけれど、今までは革命のためにという口実で
、語ることが許されなかった。考えた末に、やはり他の同じ思いをしている女たちの
ためにも語ることを決意しました」と言っています。非常に厳しい現実があるわけで
、先日、ソイラメリカは嘘を言っていると思いますか/本当のことを言っていると思
いますかというアンケートの結果を見たら、本当のことを言っていると思うというの
は二五%くらい、嘘だと思うは三〇何パーセントとかあるわけ。本当に厳しい戦いだ
ろうと思います。このことは、今、サンディニスタ党がどうなったかということを見
るためにちゃんと見ていかなければならないことだと思うのね。
まあ、サンディニスタ革命がどうなったかということと重なる部分というのは、そ
れの一部なんだけれども、なんでうまく行かなかったのかという原因は、いろいろあ
ると思います。一つにはサンディニスタは、武装革命組織が突然政権を持っちゃった
のね。革命に勝利した当初の閣僚の写真があるけど、とにかくみんな若い。たったい
ま戦場から駆けつけましたというような格好で、立派な椅子に座りにくそうに座って
るわけ。武装組織の規律で縛られた縦社会から、突然政府になっちゃったというのを
引きずっちゃったのね。それに加えてラテンアメリカ独特の縦社会もあるでしょ。
それから農地改革の問題もあります。サンディニスタは負けるわけがないから証書
なんて要らないと思ったのかもしれないけれど、農地改革で法的な土地の証書をもら
ったのは農民全体の一五%。そして農地改革が農業改革にはならなかったということ
ね。農業大臣だった人にインタビューしたことがあるんだけれど、彼が、「革命に勝
利したとき綿栽培を止めればよかった」って言っています。綿っていうのは農薬使う
から、徹底的に環境破壊する作物なんです。それから農業生産方式が大農園方式から
変わらなかった。今まで大農園の農業労働者だった人は農業組合になったけど、自分
の土地を持ったということではなかった。エルビエホのことで私は言っているんだけ
れど、だから農業組合もうまく行かないのよ。生産物をね、加工したり売る場合には
組合ですることに意味があったかもしれないけれど、農民は自分の土地を持って、何
を植えるか、どういうふうに植えるかということは一人一人考えることが大事だとい
われてるし、本当にそうなんでしょうね。
ベルリンの壁が壊れた今となっては、経済のオルタナティブとか、人間の顔をした
資本主義とか言われてるけど、あの当時そういった考えってのはなかったわけ。それ
でもほんの一握りのサンディニスタの農民組織の人たちはちゃんと有機栽培とかやっ
てた。でもその脇で同じ組織の人たちが化学肥料バンバン売ったりしてたわけだから
。やっぱり経済、生産のオルタナティブがそんなにすぐ出てくるわけはなかったし。
すごく思うのは、「参加」とか「自由」とか「民主主義」とかが個人のレベルで本当
に活かされていたか、ということね。一人一人が自分の連れ合いとの関係とか、親子
の関係のあり方において、「自由とか解放」を据えているのか。その組織に属するこ
とで一人一人が本当に自分になれるか。もちろんサンディニスタに限らず、あらゆる
組識に言えることだと思うのね。例えばジェンダーの問題で、「革命!」なんて外で
は言ってて、家へ帰ってきたらとんでもない暴君だったりしてね。
もう一つニカラグアについて言えば、サンディニスタ革命が九〇年の選挙に負けた
というのはものすごいトラウマになっています。革命に関わった当初は、みんな少年
少女だったのが、勝利して一〇年立ったら突然終わったのですから。オルタ・トレー
ド[生産国と消費国の交易関係を、通常の市場原理に委ねず、公正で対等なものにし
ようとして行なわれている民衆貿易をこう総称する]とも関わっているパブロなんか
は、「自分は一四歳から革命してきた。自分から革命をとったら何も残らない」って
言うんだけど、そういう人がいっぱいいるわけ。これだっと思って、すべてを、命さ
え投げ出して頑張った人が何万といるのよ。それが突然サンディニスタが負けて「何
だったんだ」ということになったんです。
サンディニスタ革命が始まった頃にアメリカ系の会社の弁護士をしていた一家でね、
立派なうちに住んで優雅に暮らしてたの。革命の時に、それこそこれだ!って思って
全部投げうってね、軍に入って、トマス・ボルへの側で仕事してたっていう人なんだ
けど。子どもにも、「お父さんとお母さんはもうこれからサンディニスタ革命のため
に命も捧げます。だからおまえたちもそうするんだよ」と言いきかせた。それで子ど
もたちも識字教育キャンペーンで山の中へ行った。その人は「もうサンディニスタと
いう言葉なんて聞きたくない」って、いま言ってます。まあそれは、ダニエルやトマ
ス・ボルへなどリーダーたちに対する気持ちなんだけど、こういう風に恨み・つらみ
しか残ってない人もいます。ホセ・マリア・ビヒルという神父が、こういう敗北のト
ラウマをどうするかという本を書きました。
今まで大事にしてこなかった自分というものを見直そうという感じで、その本がす
ごく売れています。だから、ニカラグアを見ていくのに、サンディニスタ革命はどう
なったか、そしてまだサンディニスタの理想をまだ掲げている人が何を思っているか
、ハリケーンの後なんかになにをしているかなどということをみきわめていくと同時
に、革命でずたずたに傷ついて、人間関係もぐちゃぐちゃになったという人もいるん
だということをおさえる必要があると思います。
解放の神学者たちの、いまの思い
解放の神学者たちがなにを言っているかというと、エルサルバドルの中米大学でイ
エズズ会士が六人殺された時に、たった一人タイへ行っていて助かったヨン・ソブリ
ノという人が、解放の神学で何が残るべきかということを言っています。解放の神学
が教会にとってあまり良いものではないと思ってる人たちは、社会主義がなくなった
ら解放の神学もなくなったって言っています。ソブリノは解放の神学の中心課題は貧
しい人たちと神学あるいは信仰をつなぐということで、本当に現実の傷に手を入れた
神学だったから、不正とか非人間的状況だとか、貧者を排除するようなグローバリゼ
ーションがあるかぎり、解放の神学はあり得るんだということを言っています。
ピエリスというのはスリランカのイエズス会の神父なんですけれども、解放の神学
は、神と抑圧された人々との関係が大切なかぎりありつづけるって言ってます。グス
タボ・グティエレスは解放の神学は他の神学同様、いずれ過ぎ去るだろう、だけど過
ぎ去ることが問題なのではなくて過ぎ去り方が問題なんだ、歴史の中であたかもなか
ったかのように過ぎ去るのか、それとも意味のあるものを残しただろうか。確かに解
放神学は、神学にも教会にも連帯運動にも、共同体にも、キリスト者でない人にも、
キリスト教に対するある見方を残したと言っています。
バチカンが解放の神学はもうなくなったと言っている時に、東京でこれだけの人が
参加しているというのは[当日の集まりには五〇人以上の人びとが参加していた。「
学習会」という地味な設定の集まりでもあったので、たしかにそれは主催者の予想も
上回るものだった]、やはり人間らしい生き方ができないという現状とそれに取り組
もうとする信仰があって、それを体系化していく神学というのは今においても、新し
いキリスト教のあり方を示してるんじゃないかということを今の解放の神学者たちは
言っているわけです。丁寧にその残されたものは何かと言うことを見ていきますと、
バチカン公会議で教会が現代世界に目を開こうという動きがありまして、その時に「
時のしるし」という言葉が出てきました。それはどういうことかというと、現実に目
を向けて、見過ごしてはならないものを理解するだけではなくてそれに応えていく、
行動していこうということなんですね。
現実というのは解釈するものではなくて、変えていくものなんだということなんで
す。その中で女性解放運動というのは「時のしるし」で、見過ごすことはできないも
のであって、それに対して、自分がどう応えていくかということが問われていると捉
える。「時のしるし」というのはバチカン公会議の後、一九六八年のコロンビア・メ
デリン会議に引き継がれ、中南米の現実で見過ごせないということは何かということ
になったわけですが、あくまでも排除されている人を神学の場とすること。キリスト
教の神は父であり母であり、一番愛されにくい人を愛することでみんなが愛されるべ
き存在であることを示す、そういう意味で解放の神学は意味がある。それから神学と
いうのは実践論だということ、行動しない神学から行動する神学へ。
歴史上のイエスを見ると、彼は時の政治権力と宗教権力と闘って殺されるわけです
よね。貧しい、抑圧された人たちと神様は関係があるんだということを言いたいわけ
です。エルビエホの人びとは今まで、抑圧に我慢したら死んだ後に天国で幸福になれ
るんだと思って我慢していたけれど、今ここに自由の国、愛の国を実現しなければな
らないんだ、踏みつけられている現状を変えていくんだ、ということに気づいたって
言うんです。殺されたエラクリアというエルサルバドルの中米大学の学長が「神学と
は、歴史の中で十字架にかけられている民衆の立場からすべてを解釈すること」とい
うことを言いました。つまり十字架にかけられている民衆が原点であるという見解で
す。イエスの神と貧しい民衆とを、イエスの実践の中でつなげていく。
解放の神学者の新しい課題については、グスタボ・グティエレスが南米の教会に関
して「除外と排除のグローバリゼーション」ということを言っています。彼は、二種
類の人間、つまり生きられる人間と生きられない人間がいて、人間の根本的な尊厳と
生きる権利が脅かされているという問題がある、それは階級問題よりもっとラディカ
ルな問題であると言っています。その二つの引き裂かれた世界を解放の神学がしっか
りと受け止めなければならない、と。もう一つ彼が言っているのが、ポストモダンの
個人主義。これはまさに人間が人間らしく生きるためには関わらなきゃ生きられない
というキリスト教とは正反対の考えです。神っていうのは三位一体、父と母と子の聖
霊で、神そのものが関わりであり連帯であり対話であり、そして人間というのがその
似姿ならば、やっぱり関わって、対話して連帯して、もっと人間らしさを助けるよう
な関わり合いが必要、ということなんです。
ところが今、そういった関わりは「クサイ」なんて言われてて、何でもライトで、
連帯こそ貧困の原因なんて言われたりするのね。このごろ教皇が盛んに言うのが「連
帯のグローバリゼーション」。去年キューバに行った時にカストロも教皇もそういう
ことを言っていました。つまり無関心というものに対してきちんと物を言っていかな
ければ、ということなんですね。
解放の神学にとって新しい状況も生まれてきています。移民や難民、刑務所の外国
人、麻薬とか、東欧社会の中央集権社会と資本主義の狭間にいる人々や民族主義とテ
ロの問題などをもう一度信仰の課題として取り上げなければならないだろうというこ
とを言っている人もいます。チリ人でコスタリカにいるパウロ・リチャードは教会の
刷新のために神学の刷新が必要だと言っています。新しい神学、女性の解放の神学、
フェミニスト神学、あるいはブラックや先住民の解放の神学、エコ(ロジーの)解放
の神学、市民社会の解放の神学。そういった所にも解放の神学は必要だろう、政治経
済の抑圧・搾取からの解放だけではなく、文化的疎外からの解放にも必要だろう、革
命だけではなく日常性の中での解放、医学の解放も必要だといっています。今の新し
い状況の中で、新しい課題をもう一回信仰の中から考え直して関わっていくことの大
切さです。
バチカンと解放の神学の関係
この問題については、解放の神学たたきというのがありまして、ブラジルのレオナ
ルド・ボフというフランシスコ会の神父はくたびれ果てて、結局神父を辞めてしまう
んだけど、かえって信徒になったほうが自由に物が書けるということを言っていまし
た。それから南米には今年四〇年目になる、南米修道者連盟というのがあります。中
南米で働く男女の修道者が参加していて、解放の神学に沿ったような活動を行ってい
ます。そこが特にこれまでのシスターの活動の掘り起こしをしようと、九〇年初めに
女性プロジェクトをおこしたんですが、そうしたら、本当にカトリック教会というの
はいろいろと変なことが起こるところで、あるシスターからの告発の手紙がバチカン
に届いたんです。その内容は、南米修道者連盟が女性プロジェクトをやっているんだ
けど、それはフェミニズムの無神論的なプロジェクトで、私はとても胸を痛めている
というんですね。ところがその手紙の差出人は記載されている修道会にはいませんで
、偽手紙だというのが判明しました。それで修道者連盟はバチカンまで行って説明、
釈明して、やっとプロジェクトにOKがとれたということでした。
二年前にローマでアメリカ・シノドス[司教が集まる教皇の諮問機関]がありまし
た。それで、シノドスの進行中に密かに(なんて、密かだからこんなに大きい声で本
当は言ってはいけないんだけれど)中南米の解放の神学者がローマ市内に場所を借り
て、シノドスを毎日モニターしました。発言や討議内容を検討して提案を作ったんで
すが、その提案はほとんど受け入れられました。教皇はこの提案を参考にして「使徒
的勧告」を準備するんですが、担当の一二人のメンバー(司教で構成)中、八人まで
こっち側の人を入れることもできました。この勧告は一月に教皇がメキシコ訪問した
際に発表しましたが、バチカン公会議とメデジン会議、プエブラ会議[一九七九年]
の流れの中に位置づけられています。
方法論として現実から出発するのは、メデジン、プエブラまではしっかりしてたん
ですが、サント・ドミンゴであやふやになって、ここでもう一回きちんと現実から問
題分析をしようという提案です。中南米の教会で最も大事な殉教者、貧しい民衆の側
に立って殺された解放の神学者たちが準備した提案の七五%が受け入れられました。
ロメロ大司教[エルサルバドルの軍事政権に抵抗した人物で、一九八〇年ミサ中にテ
ロの凶弾に倒れた]とかイエズス会士、それからグアテマラのエル・キチェのカテキ
スタたちにも言及しています。提案の中には、グローバリゼーションが人間の暮らし
をいかに悪化させているかということ、それに対して連帯と希望のグローバリゼーシ
ョンが大事であるということが書かれています。
個人的な罪だけではなく社会的な罪、社会構造的な罪、自然環境の破壊にも触れて
います。提案で受け入れられなかったのは、信徒の役割に関する部分と、神父や司教
に関する部分。解放の神学の土壌ともいえる教会基礎共同体。信徒と司祭の区別をも
のすごく明確にしています。つまり教会内部についてはあまりきちんと提示されなか
ったということも言えます。
解放の神学という言葉は出てこなかったけれども、解放の神学が示唆した生き方は
活かされているので、それが大事なことだと思います。例えばメキシコのサンクリス
トバル・デ・ラスカサスの教会はまさに実際にそれを生きているんですよね。先住民
の人たちと共に生きてる。信徒の主体的な参加がしっかりしてて、こないだチアパス
から送られてくるニュースレターを読んでたら、そこには「サンクリストバルの教区
が果たしてきた役割は、貧しいものが権力に対抗するもっとも強力な砦でありつづけ
た。野党も農民組織も、地方議会も、権力に立ち向かう力を失った今、サンクリスト
バルの教会だけは対抗する力を持ちつづけてきた。だから今年も政府からの攻撃の対
象でありつづけるだろう」って書いてありました。
サンクリストバルのサムエル・ルイス司教は今年七五歳でおやめになるんだけど、
後継者はドン・ラウル・ロペスというドミニコ会の人[サムエル・ルイス司教は、E
ZLN=サパティスタの蜂起後、サパティスタとメキシコ政府間の政治交渉の仲介役
を担っていた]。メキシコのバチカン大使でプリジョーネという人がいて、メヒコの
PRI(与党)と関係があって、「プリ・ジョーネ」なんて言われたくらいで、ドン
・サムエルを目の敵にしてきた人ですが、その後任が、プリジョーネのお友達といわ
れるドン・ラウルだってことでみんな心配したわけ。
これからどうなっちゃうんだろう、ドン・サムエルは辞めちゃうし、代りにドン・
ラウルが来るってことでね。ところがね、ドン・ラウルは改心しちゃうの。去年ロー
マにいらした時にみんながどうして改心されたんですかって聞いたら「私は軍によっ
て改心しました」って言うわけね。軍があんまりにも目茶苦茶だからそれで改心した
って言うわけ。ですからドン・サムエルが引退なさっても、サンクリストバルの教区
は、九九年も政府からの攻撃の的になりつづけるけながら、民衆のために活動するこ
とになると思います。
ニカラグアの党派から離れたサンディニスタの人たちのことをさっき話したんだけ
れど、彼らの一人で、パブロというサンディニスタの元幹部から手紙が来たので紹介
しますね。先日のハリケーン・ミッチでポソルテガという地域は火山が崩れまして、
とにかく大変な被害だったんですが、そこで、彼は「民衆自身が復興の主体となれる
ように、組織と精神を固めているところです。このポソルテガが、組織としても、生
産様式にしても、環境保護の視点から見ても、政治的にも有意義なものになるよう努
力しています」というようなことを書いてきたわけです。「住民の意志を中心にしな
がら、持続可能な将来性のある中期的な展望をあらゆる組識に提案しようと思います
、これは美しく、きわめて解放的で、希望にあふれた胸踊る計画です。あらゆる敗北
を春の訪れに変えるという古い言葉に、これまでこれほどまでに助けられたことはあ
りませんでした。個人としても、国としても、地球の住民としても、突き付けられた
課題です」
グアテマラでは国連の究明委員会の調査が証言をもとに集められましたよね、ヘラ
ルディ司教の名前があがったときはみんな立ち上がって二分間拍手が起こった[ヘラ
ルディ司教は軍政時代の人権抑圧・虐殺の真相解明に尽力していたが、一九九八年四
月何者かに惨殺された]。本当に真相が明らかにならなければならないということで
すよね。
ですから、解放の神学に何が書いてあるかということではなくて、大事なのはこう
いう信仰の生き方で、何を生きるかっていうことですよね。何しろ人間が人間らしく
生きていくっていうことのために信仰の取り組みをきちっとしていくってことが大事
で、ジェンダーのことも、経済のオルタナティブというのも大切です。
よく「弘田さんは解放の神学ですか?」なんて聞かれるんだけど、「解放の神学派
です」とか言って動いている人がいるわけではないし、いま言ったようなことは、別
に解放の神学でなくても、人間だったらみんなそうだろうということなんですよね。
そういう意味で、信仰のない人たちとも、それを実践していくにあたって繋がってい
けるところがいっぱいあると思うんですね。例えばいま信仰者として日本にいるのな
ら、憲法九条を祈らなきゃないと思うのね。解放の神学が生きてきたようなことに共
鳴していきたいと思うのなら、日米防衛協力のためのガイドラインに対しても物が言
えなきゃならないと思います。死のグローバリゼーションではなく、下からのグロー
バリゼーションで繋がっていく、意味のあることをやっている人同士で繋がっていく
、大体なぜか左は分断されやすいけれど。
それと私がラテンアメリカで覚えたことは「楽しくやる」っていうこと。歌える、
踊れる、それはとっても大事ですよね。なんか楽しくやれないかなって思うのよね。
エルビエホで、母子家庭が九〇%くらいで、お父さん/お母さん/子どもという家族
は探さなきゃいないくらい。そのくらい無責任男がごろごろしてるってことだけど。
それで考えられないくらいの貧しさですよね。もしこれが日本だったら半分くらい自
殺しちゃうんじゃないかって思うくらい。でも死なないのよ。元気がいい。日本の運
動はすごくちゃんとしてる。徹底的に調べるし、すごい、それは。だから本当にすご
いと思いますよ、だけどなんかみんなニコニコしてないのね。面白いのかな……なん
て思います。面白いんでしょうけど。少し肩の力を抜いてもいんじゃないか、楽しく
面白く生きたいと思います。
いまはローマにいますけど、そこで学んだことは、黙らないっていうことね。それ
で今日も出てきておしゃべりしてるんだけど。
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ここで弘田さんのお話は終わり、会場との質疑応答が始まりました。
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質問 ニカラグアの農民組合のその後は?
弘田 元の地主たちはソモサの周りにいた人たちで、革命の時にみんなマイアミに逃
げたんですが、九〇年にサンディニスタが負けた時、六千件の土地に対する返却要求
が出されました。ビオレタ・チャモロさんの時代には、まだいろいろゴチャゴチャし
ていて、みんな「取られるのかなあ、どうなるのかなあ」なんて言ってて、何も起こ
らなかったわけです。ところがアレマンが大統領になってからは、彼はそういう人た
ちの支持で当選したわけで、公約ですから、エルビエホでも追い出される人が多くな
ってきました。土地も家も。農地改革どころか、土地返せって言われてる。
農民組合に関しては、エルビエホに限っての話になるけど、やっぱり組合が存続す
るためにはもっと教育が必要だったと思います。もう少し時間があって、コントラ戦
争がなかったら、革命はこうなってはいなかったでしょうね。コントラ戦争は国家予
算の半分以上を消費するし、若者はみんな死んでいくし、アメリカが仕掛けた戦争だ
けど、戦うのはニカラグア人、しかも農民が多かった、それはほんとうに悲劇だった
と思います。
質問 解放の神学とカトリック教会の関係は?
弘田 これはもしこの中に教会の人がいてバチカンなんかに言いつけちゃったら大変
なことになるんだけれど。アルゼンチンやチリでもっとも人権侵害がひどかった頃に
、教会の人間がしなかったこと、したこと、むしろ何もしないよりも権力の側につい
た人たちも教会の指導者の中に多くいたわけです。同時に解放の神学たたきというの
は盛んに行われました。ジェンダーの問題に関してもね、カトリック教会は女性を人
間と思ってるのかな、って思いますよ。同じ人間ならなぜ差別されるのか。女性を差
別するような組織は将来どうなっちゃうのかな、って思いますけどね。
会場のカトリック関係者 社会がそういう風に変わってくれば教会も変わらざるを得
なくなると思うけどね。でもそれがいつ来るかはわからない。
弘田 もう遅いわよ(笑)。そうそう、一つうれしいことがありまして、アジアのシ
ノドスでアジア・キリスト教協議会から二人いらしていて、そのうちの一人はインド
ネシアの女性司教だったの。中央スラウェシ教会っていうのは女司教がいます。彼女
はゲストですから壇に上がって発言をするんですが、そこで「女性は教会と共に歩ん
でいますが、はたして教会は女性と共に歩んでいるんでしょうか。私は司教です。私
の教会では私が女であるということを恵みとして受け止めています。
この点に関してはカトリックとプロテスタントの違いではありますが願わくはいつ
の日か神様が皆様に光をお与えになって、この問題についても対等な対話ができるよ
うに、私は祈ります」と発言しました。その後教皇とも握手をして、どうだったって
聞いたら「ありがとう」っていわれたなんて言ってたけど、その後たくさんの司教さ
んがやってきて「ありがとう」とか「よくぞ言ってくれた、私はそういうことが言え
ないんだ」とか言われたそうです。まあ、教皇や司教が女性の口からこういうことを
直接聞いたのは初めてではなかったかと思いました。
アメリカでは、愛想を尽かして教会から離れていく女性も多いけれど、私たちは踏
みとどまって、発言していこうと思っています。
サロン・インディアスへ