「発砲無き戦争」下のチアパス | |||||
「マルコス副司令官インタビュー/虐殺の地アクテアル訪問記 | |||||
太田 泉生 |
六月後半、一年半ぶりにチアパスを訪れた。まず、サパティスタ民族解放軍(EZ
LN)の総司令部があるラカンドン密林に入り、マルコス副司令官に会った後、チア
パス高地のサパティスタ支持派先住民の村を訪ねてきた。
ああああああ1.ラカンドン密林/マルコス副司令官インタビュー
サン・クリストバル・デ・ラス・カサスからラカンドン密林のサパティスタ共同体
、ラ・レアリダへの七時間の道のりを走って感じたことは、雨期であるにもかかわら
ず、道の状態が以前よりもはるかによくなっているということだ。メヒコ政府は現在
、「交渉と対話によって平和的に」サパティスタとの戦争を解決しようとしているこ
とを内外にアピールする一方、チアパス州に大規模に軍を展開させ、軍事的圧力をか
けつつパラミリタリー組織(準軍事組織)を支援することで、少しづつサパティスタ
の支持基盤を切り崩す戦略をとっている。道路を整備し、軍用車両の通行を容易にす
ることも、この戦略の重要な一環なのだ。
蜂起の初日にはサパティスタによって占拠されたラス・マルガリータスの街を通り
抜け、舗装されていない山道に入ってから、軍の検問を二ヶ所通過した。普段はこの
他に軍の検問が一つ、入国管理事務所の検問が一つあるそうだ。サパティスタの本拠
地も間近になった二つ目の検問ではパスポートを提示させられ、荷物や自動車も入念
にチェックされた。
最後の検問を通過してから険しい山道を登り、そしてしばらく下ること約一時間、
ラ・レアリダ村に到着した。一九九六年夏の「人類のために、新自由主義に反対する
大陸間会議」の閉会式がこの村で行われたため、私はその時を含め、数回この村を訪
れているが、ここはEZLN総司令部メンバーが山から下りて外部の人間と接触しに
くる場所として知られている。タチョやマルコスなど、外部によく知られたサパティ
スタ指導者とのインタビューはほとんどすべてこの村で行なわれたものだ。
私は事前にマルコス副司令官との会見を申し込んで許可をえており、この村で彼が
現われるのを待つことになった。これもいつものことらしく記者やカメラマンがぼや
くのをよく耳にするが、ラ・レアリダ村で彼を待つ間、外部から来た人間は行動範囲
を厳しく制限され、自由に歩き回ることもできないし、人々と話すこともできない。
当初、唯一私に許可されたのは、村の中央部を横切る道路を一日二回通過する連邦政
府軍のコンボイを撮影することだけだった。
マルコスが山から下りてくるのを待ちながら、毎日少しづつ、こどもたちや村人た
ちの話を聞いた。私が動き回れないので、私の寝泊りしている小屋までやってくる人
や、川に水浴びに行ったとき居合わせた人としか話ができない。
ああああ--- 軍のパトロールと平和キャンプの監視員。ラ・レアリダで。---
大人たちは外部の人間とサパティスタ軍について話すことを禁じられているらしく
(当然のことではあるが)、微妙なテーマになるとなかなか話してくれない。それで
も、数人の若者が自分はサパティスタ軍のメンバーだとを教えてくれた。サパティス
タ軍の兵士の大半はいわゆる「民兵」で、平常時は村に住み、農民として働いている
。「武器は山に隠して」あり、必要になると取りにいくのだと言う。約八百人の住民
はほぼ全員農業に従事しており、基本的に自給自足的な農業を行なっている。一部、
コーヒーなどの換金作物も生産してはいるが、それを街にある市場まで持っていくた
めの輸送手段も無いに等しいし、計りの使い方がわからなかったり、字が読めない人
が多いから、持っていって売ろうとしてもそこで騙されて安く買い叩かれるのだ。ま
た、一人で畑に働きに出ていると兵隊が畑に入ってきて、「お前はサパティスタか」
などと言ってくるので安心して働きに出られないと言う。
話をした村人の多くは十年以上前から組織にかかわり、サパティスタ運動を作り上
げてきた。この村はいわば、村全体がサパティスタを支持し、それに関わってきたの
だ。しかし、蜂起から五年、抵抗闘争が長期化するなかで、連邦政府は軍を配置して
強力な軍事的圧力をかけつづけると同時に、農業関連省庁を通じて補助金をばらまく
などして親サパティスタ派住民の取り込みを計っている。
サパティスタは一貫して、問題を根本的に解決しようとしないこのような小手先の援
助政策を拒否する姿勢を明らかにしてきたが、ラ・レアリダ村の代表者が私に語った
ところによれば、ついにラ・レアリダ内からも農業補助金を受け取る家族がでたとい
う。村人たちは、彼らが役人に村の情報を売り渡しているのではないかと危惧してい
るが、補助金を受け取ることの是非はともかく、この事実は、戦争が長期化するなか
で、サパティスタ運動の重要な支持基盤であるこの地域でも、それが完全な一枚岩で
はなくなりつつあることを示している。
また、特にこの村には常に複数の外部からの人間が滞在しているが、それが内部に
どのような影響を与えているのかも気になる点である。タチョやマルコスとの面会を
求める人間は私も含めてまずこの村にくるし、軍の動向を監視する平和キャンプもこ
の村にあり、メヒコ人と外国人をあわせて約十人ほどは常にこの村に滞在している。
村の中での行動が制限され、原則的に食料は持参、自炊の私は、いきおいビスケット
とコカコーラで日々を過ごすことになる。
村人の台所を一日三回借りにいくのは気が引ける私の場合、一日二食はコカコーラと
ビスケット、缶詰を食べるくらいしか方法が無いのだが、毎日トルティージャとマメ
に塩をつけて食べる村人たち、特にこどもたちにとって、甘いビスケットと肉や魚の
缶詰は垂涎の的だ。しかし、よってきたこどもや大人たちに自分の食料をわけてあげ
るのも考えものだ。結局、こどもたちの視線を背中に感じながらこそこそとビスケッ
トをかじるしかない。
密林の奥深く、このラ・レアリダ村は、蜂起した先住民世界と、それに連帯し、な
んらかの形で彼らを支援したかったり、共闘したいと願う外部世界との出会いの場だ
。この二つの世界の出会いがわずかながら前者の抵抗の闘いを助けてきたと思うし、
後者の世界に重要な示唆を与えてきたと私は思う。だが、この出会いは同時に、ふた
つの世界が様々な意味でいかに異なった条件を生きているのかということをまざまざ
と見せつける。経済的な格差、物質的豊かさの格差は当然、ここでも歴然としている
。この微妙なバランスを今後どのようにコントロールしていけるか、これはふたつの
世界にとって重要な課題ではないか。
ラ・レアリダで待つこと八日目、マルコスが馬にのって山からおりてきた。軍の動
きを警戒し、なかなか降りることができなかったとのことで、彼は遅れたことをわび
た。外国のジャーナリスト一人も同席し、マルコスに話を聞いた。
「この国で起こっていたことは、世界中のたくさんの国で起こっていたことだった。
冷戦終結後、世界は変容し、アメリカ合衆国による世界の一極支配が確立しつつあっ
た。合衆国は世界の他の地域に彼らの生活のあり方を押し付け、その上、経済のグロ
ーバリゼーションとして知られ、新自由主義という考え方に基づいている経済政策を
も押し付けようとしていたのだ。
あらゆることに市場原理が取り入れられようとしており、購買力か、あるいは生産能
力によって人間の価値が計られるようになった。そのようななかで、市場の求めるも
のを供給できない人間は世界から疎外され始めたのだ。グローバル化した世界で、購
買力を持たなかったり、グローバル世界が必要とする商品を生産できない人間は余計
な者となった。不必要な存在であるばかりでなく、近代社会にとって邪魔者ですらあ
ったのだ。
このような人々は世界中で、忘れ去られたり、考慮されなかったり、果ては迫害され
たりするようになった。ヨーロッパではアフリカ人やアジア人が、合衆国ではラテン
系が、そしてメヒコでは先住民がそうだった。メヒコ政府は新自由主義導入の過程の
なかで、生産的でなかったり、購買力が低いとみなされた人間をかえりみようとはせ
ず、彼らの生活水準を引き上げるための投資も行わなかった。征服以前からこの地に
生きてきた一千万の先住民民衆が、一九八二年の新自由主義導入以降、国のもっとも
忘れ去られた場所に放置されてきたのだ。」
「このような中、チアパス州の人口の三分の一を占める先住民民衆は極限的な貧困状
態におかれ、インターネットや衛星通信の時代というよりは前史時代のような生産を
続けている。トラクターなどあるはずもなく、動物を使った耕作すらここでは行なわ
れていない。ラカンドン密林の奥では家は土と樹木の葉などでできており、床は土だ
。水はない。電気もない。病院も学校もない。政府が投資をしないから公共サービス
がなにもないのだ。」
「チアパスの貧困は極限状態に達していた。乳幼児死亡率が上昇し、十年間に十五万
人が治療可能な病気で死亡した。戦争が起こったようなものだ。一万五千人が一年で
死んだのだ。同時期のエルサルバドルの戦争における死者数にも匹敵する数だ。この
ような事態のもとで、死は先住民の間であまりにも当たり前のこととなり、とくに五
歳以下のこどもたちにとって、それはまったく不思議なことではなくなっていった。」
「このような戦争的な状況といわゆる「本当の戦争」との大きな違いは、メヒコ、そ
してチアパスの先住民たちが沈黙の間に死んでいっていたことだった。爆弾や弾丸を
使う事無く、先住民の人々の文化、民族、そしてもちろん、生命自体が抹殺されよう
としており、そのことに国の他の地域の人々は気付いていなかった。」
「九三年、先住民共同体は決断する。世界の中で沈黙のうちに忘れ去られた先住民共
同体にとって、沈黙の中、治療可能な病気で死んでいくのか、声を聞かしめ、近代化
のプロセスが一部の人間にいかに大きな負担を強要しているのかを知らしめるために
闘って死ぬのか、二つの死のどちらを選ぶのか、それが与えられた選択肢だった。九
四年の闘いは忘却と沈黙に対する闘いであり、記憶と声のための闘いだったのだ。」
「こうして、先住民共同体は九四年一月一日の蜂起を決定した。この日、メヒコは合
衆国、カナダとの自由貿易協定に参加しようとしていた。」
「NAFTA(北米自由貿易協定)によってメヒコは、一千万人のメヒコ人の血と死
を代償に「近代」に参加しようとしていた。先住民は国中の山の中に忘れ去られよう
としていた。サパティスタ共同体は忘れ去られたままでいることを拒否し、「もうた
くさんだ!」と叫んで立ち上がったのだ。忘れ去られ、軽蔑され、歴史の中で考慮さ
れないのはもうたくさんだ、と。」
「闘いの目的は変わってはいない。我々が求めるのは民主主義、自由、正義だ。そし
てまた、EZLNは社会における新しい関係性を創造することを目指している。EZ
LNが新しい政治モデルを提示するのではなくて、我々は、政党と政治家だけが力を
持つのではない、社会が、人々こそが決定権を持ち、行き先を決めていける、そのよ
うな社会を創造することを目指しているのだ。経済政策や社会政策の変更を求めてい
るのではなく、それらがいかに議論され、いかに決定されるかというその過程を問題
にしているのだ。その結果、人々が決定したことがEZLNの主張と異なっていても
それはかまわない。それを人々が決定できるということが重要なのだ。」
「武器を持って立ち上がったことによって、私たちは言葉をえた。もしEZLNが蜂
起しなければ、メヒコ南東部の山中で人類に対する犯罪が行われていたことに誰も気
づかなかっただろう。私たちが声を上げたり、手紙を送ったりしても、誰も耳をかた
むけなかっただろう。もしEZLNが立ち上がらなければ、治療可能な病気で死んで
いく先住民民衆を誰一人振り返りはしなかっただろう。武器が言葉を与えたのだ。」
ああああああああああああああ--- セイバの木---
「なぜサパティスタが武装しているのかということではなく、なぜひとにぎりの先住
民が、声を聞いてもらうために、武器も食料も訓練も不十分なまま強大な軍隊に立ち
向かわなければならなかったのかということを問うべきなのだ。」
マルコスのズボンと帽子はつぎはぎだらけだが、こげ茶色の長袖シャツだけはきち
んとアイロンがかけられている。頭にはヘッドセットを着用しているが、これはラジ
オで常に軍の動きを把握しているためだという。小機関銃を肩にかつぎ、腰にはピス
トルが一丁。ほとんど絶え間無くパイプをふかす。マルコスに、夢をきいた。
「虹が美しいのは、そこにいくつもの色があり、ひとつひとつの色が自分の場所を持
っているからだ。ひとつの色が他の色を支配するわけでもなく、そこに共にあるから
だ。私たちは、世界もそうなれると信じているのだ。」
「セイバの木はマヤにとって聖なる木だ。世界はセイバによって支えられており、セ
イバが倒れれば世界が崩壊する。だからセイバは重要で、尊重すべきものとされてき
た。」
「私たちは、あらゆる文化がマヤにとってのセイバのような支えを持っていると思っ
ている。もしある文化が迫害され、抹殺され、周縁化され、忘れ去られれば、何らか
の形で世界を支える支えの一つが崩れ、世界は崩壊する。マヤにとってのセイバのよ
うに、どの文化にも独自の支えがあってそれが世界を支えている。我々の要求と闘い
は、この支えを守るためのものなのだ。日本人も自らの文化と支えを持っているだろ
う。私たちはすべての人の文化と生き方が尊重され、自由があり、正義があり、民主
主義がある世界を求めているのだ。」
マルコスは二時間半にわたって語ると、「そろそろ行かなくては」と言って席を立
った。「暑い中、覆面をかぶって大変でしょう」と聞くと、彼は「大変だけど、君を
八日間も待たせてしまったし、これもひとつの罰かな」と言って笑った。
あああああああああ2.チアパス高地/虐殺の地アクテアル
マルコスとの会見を終えた私は、一旦サン・クリストバル・デ・ラス・カサスまで
戻り、サン・クリストバルから車で北に一時間半ほどの、チェナルォ地区アクテアル
村に向かった。アクテアルは、一九九七年十二月二二日、パラミリタリー(準軍事組
織)の襲撃を受け、四五人の先住民村民が殺害される事件が起きた村である。
斜面に張り付くようにして家が点在するアクテアルの村に着いた。もともとの人口
は三百人ほどの村だが、現在は近隣の村から避難してきた人が七百人、この村に住ん
でいると言う。木の板とビニール、トタンなどで作った簡単な家がたくさん並んでいる。
一九九七年後半、チアパス高地のここチェナルォ地区では、いわゆるパラミリタリ
ー(準軍事組織)の活動が活発化していた。与党PRI系の大土地所有者や商人が白
色警備隊とよばれる殺し屋を持っているのは昔からの話だが、この時期、パラミリタ
リーは人数と装備において以前よりもはるかに水準を上げ、サパティスタを支持する
住民への攻撃を強めていた。地区の複数の村で、サパティスタを支持する住民が襲撃
され、家が放火されたり、略奪を受けたりしていたのだ。パラミリタリーの襲撃の波
が激化する中で、危険を感じた住民はPRI支持派住民がいない、より安全と思われ
る村へ避難し始めた。アクテアルも、避難先の村のひとつだったのである。
一九九七年十二月二二日、武装したパラミリタリー数十人がアクテアルを襲った。
その場に居合わせた生存者たちが集まり、語り始めた。
「私は数日前にこの村に逃げてきたばかりでした。自分の住んでいた村にある日パラ
ミリタリーがやってきて家に向けて発砲したため、私は山に逃げたのです。数日間山
の中で過ごした後、この村にやってきました。(アクテアルで)襲撃は予告されてい
ました。だから私たちは襲撃がおこらないように、村の教会に集まって、みなでお祈
りをしていたのです。そこに奴等が発砲しながらやってきたのです。十一時半頃のこ
とでした。」
「発砲が始まったとき、私は奴等が入ってきた方向とは逆の方向に逃げました。弟の
家が奴等に放火され、燃えているのが見えました。」
「たくさんの女たちが小川の方へ逃げていき、パラミリタリーは彼女たちを追って銃
撃をくわえました。銃撃は六時間以上続いたのです。」
教会に集まっていた人のほとんどが、渓谷の下に向かって流れる小川にそって駆け
下りた。しかし逃げ切れず、殺された四五人のほとんどが川の途中で銃弾を受けて倒
れた。
一人の男性が、自分の左腕を深く抉る傷を私に示した。川にそって逃げた彼は、途
中で息子をかばうように地面に伏せ、銃弾を受けた。三歳の息子も右腕に銃弾を受け
、指を四本失い、右腕上部の骨を打ちぬかれた。父子二人は生き残ったが、連れ合い
と娘二人が同じ場所で殺された。
あああああ--- 右腕を負傷した男の子。母親は殺された。アクテアルで。---
七歳の女の子は銃弾により頭部に複数のかすり傷を負い、両目の視力が極度に低下
した。ぼんやりと、明かりが見えるだけだと言う。
小機関銃による銃撃が断続的に六時間も続いたというのに、現場から二百メートル
の場所に駐屯していた治安警察部隊は一切介入しなかった。当日の部隊の日報には一
行、「特記事項無し」と記されただけだったという。
四五人が折り重なるようにして殺害された場所のすぐ上には、死者をまつった共同
墓地が建てられた。
襲撃後、村にいた人々は全員山に逃げたが、事態を重く見た人権保護団体などが監
視団を派遣し、村の安全が確保されたため、アクテアルの住民と、脅迫を受けて自分
の村に帰れなくなった人々合わせて約千人がこの村に戻り、今も住んでいる。
何軒かの家を見てまわったが、木の板で作った簡単な家ばかりだ。八畳一間ほどの
大きさのバラックに、一家七人が住んでいたりする。飼っている動物も出入りし、衛
生状態が心配だ。
村人も避難民もその大多数が農民だが、避難民は自分の村から離れているし、村人
たちもパラミリタリーに出くわす可能性があるため、畑にでることができない。食料
を得る手段を失った彼らは現在、NGOや国際赤十字の支援のみで生き延びている。
最大の援助元はヨーロッパ連合(EU)で、人道支援担当のスペインとドイツが、自
国の赤十字を通じて国際赤十字とメキシコ赤十字に物資を提供しているのだ。アクテ
アルの入り口には、EUの旗が大書きされた赤十字のトレーラーが止まっていた。彼
らが食料を提供している他、バラックのためのトタン屋根を配るなどしており、また
、トイレは別のNGOが設置した。
アクテアルの生存者の話を聞き終えた私は、アクテアルから二キロ離れた別の村に
向かった。ジープでも苦労するような険しい急坂を登り切ると、道の途中に軍の小さ
な駐屯地が見えた。ちょうど、そこから数十人の女性とこどもたちが鍋を手に出てく
るところだった。どうやら、基地でスープのようなものを配ったらしい。
村に入る前のカーブのところに一人、頭を角刈りにし、ブーツを履いた先住民の若
者が立っていた。同行した現地のジャーナリストによれば、彼もパラミリタリーの一
人だ。村への出入りを交代で監視しているのだ。
ほとんどの家が木造だが、それぞれに「PRI」や「PRD」といった具合に政党
の名前がペンキで殴り書きされている。廃屋がいくつもあり、その多くがPRDと書
かれた家だ。村の中心部近くの家には、扉の鍵の部分に集中して銃痕があった。PR
I支持派とサパティスタ支持派に分裂したこの村では、サパティスタ支持派の家が襲
撃され、彼らがアクテアルなどの村に逃げたのだ。
村の広場には警察が陣取っていた。ダンス音楽をかけっぱなしにした警察のピック
アップトラックが二台止まっている。村人から話を聞こうとしたが、断られた。泥酔
した男に村でからまれて気づいた事だが、サパティスタ解放区ではアルコールが禁止
されているため、酔っ払いに出会わうことはなかった。
やむをえず引き返そうとすると、村を出たところで道端にいた私服の二人組みに車
を止められた。聞くと、たまたま制服を着ていなかったが警官で、出入りする車と人
を一台一台チェックすることになっているのだそうだ。チェナルォ地区には本当に検
問が多い。二日間動き回る間に一体何回検問を受けたことだろう。決まって「連邦銃
火器規制法に基づく検問です」と言うが、ならばパスポートチェックは必要ないはず
だ。現に、チアパスでこの手の検問でひっかかった外国人が頻繁に、「許可外の活動
に参加」したとして国外追放されている。明らかに、紛争地域での人の動きを管理し
、人々を脅かすための検問である。
軍・警察の多さも尋常ではない。アクテアル周辺には小規模の軍・警察基地が多数
設置され、パトロールが通過するのも、ほぼ二十分おきという頻度だ。
ああああああああ3.低強度戦争、または「発砲無き戦争」
マルコスが会ってくれたラ・レアリダは密林地帯にあり、そこでは蜂起の数年前か
らたくさんの村がEZLNに参加し、運動を支えてきた。EZLNの最も重要な支持
基盤は密林地帯に位置しているのだ。それに対し、チェナルォをはじめとするチアパ
ス高地では、一九九四年一月一日以前はサパティスタの影響は強くなかった。高地の
先住民民衆が大挙してサパティスタの闘いに合流したのは、一九九四年一月以降のこ
となのだ。
一九九六年二月にEZLNと連邦政府の間で結ばれた、先住民の権利と文化に関す
る、いわゆる「サン・アンドレス合意」の実行を政府が拒否しつづける中で、サパテ
ィスタは既存の行政組織と平行する「先住民反乱自治行政区」を設置し、チェナルォ
地区でもポルォと名づけられた反乱自治行政区が機能し始めた。これに、一九九二年
に結成されたチェナルォ地区の先住民組織「市民社会ラス・アベハス」も参加したの
だった。
アクテアルの犠牲者はこのラス・アベハスのメンバーだった。ラス・アベハスはE
ZLNが選んだ暴力という手段を否定しつつ、彼らと要求を共有していることを明ら
かにしていた。チェナルォ地区で一般に「サパティスタ」と呼ばれる人たちについて
、私も例にならってこの文章では「サパティスタ」と表記したが、彼ら自身はサパテ
ィスタと要求を共有してはいるが、EZLNを支持してはいないと断言する。言って
みれば、この地域の「サパティスタ」は組織としてのEZLNを構成しているのでは
なく、EZLNに共感し、広義のサパティスタ運動を支えているのだ。
一九九四年の蜂起以降、パラミリタリー組織が急速に拡大したのは、チアパス高地
や北部など、人々が蜂起の後に運動に加わった地域であった。果たして、パラミリタ
リーの拡大は連邦政府の計画の結果なのか、それとも連邦政府の無能さの現われなの
か、正確なところはわからない。マルコス自身、あるインタビューの中で、「計画さ
れてのことと言うよりは、政府の手が回らなくなった結果だと思う」と述べている。
しかし、少なくとも政府は、パラミリタリーが大規模に拡大し、サパティスタ派住
民に対する攻撃を強めている実態を正確に把握しているはずである。また、軍と警察
が軍備や訓練などを与え、また、彼らの自由な通行を保証していると信じるに値する
証拠も提示されている。チアパスで活動する複数のパラミリタリー組織が政府によっ
て完全に計画されたものであるとは断言できないが、政府は事態を放置すればパラミ
リタリーの暴力が拡大するであろうことを知りながらなんの対策も取らず、拡大を助
長すらしてきたのだ。
このことには、次のような背景がある。EZLNは現在特別立法によって法的に保
護されている。相手は反政府ゲリラではあるが、EZLNが攻撃を仕掛けない限り、
法的には政府軍もEZLNを攻撃できない。しかし、高地の先住民はEZLN構成員
ではないし、武装もしていない。もし、パラミリタリーとサパティスタ支持派が衝突
すれば、両者とも正規軍ではないから、問題を「先住民同士のいさかい」ということ
で片づけることができる上に、それを名目に軍と警察を介入させることができるのだ。
この点に政府は注目した。地域の昔からの支配秩序を受け入れる村には軍と警察が
駐屯し、前述のスープ配給の例のように、そこの村人にはわずかな施しを与えつつ、
そこを足場にしてサパティスタ支持派住民の村に圧力をかけると同時にパラミリタリ
ーを支援し、暴力的混乱を拡大しようとしているのだ。
low intensitywar(低強度戦争)とも表現されてきたが、それは、「発砲無き戦
争」とでも言うべき事態だ。毎日激しい銃撃戦や爆撃が行なわれる戦争ではないが、
正規軍にくわえ、パラミリタリーという非正規軍が活動していることによる大規模な
軍事的圧力が存在し、人々の生命と暮らしが脅かされているのだ。
現在、このチェナルォ地区ではパラミリタリーによる暴力が深刻化し、複数のキャ
ンプで総計一万人の人々が難民生活をしている。パラミリタリーの存在に身の危険を
感じた人々が村を出て、サパティスタ支持派住民のいる村に避難しているのだ。一九
九七年後半に始まったこのような事態はこれまでのところ改善せず、人々は国内・国
外のNGOからの支援、特に赤十字を通じたEUからの支援を頼りに生活している。
避難民がおかれた状況は深刻である。ただでさえ人口の増加によって土地が不足し
ているチアパス高地では、他の村の人間が突然大挙やってきても、その村では耕す土
地もないし、現在の状態ではパラミリタリーの襲撃の恐れから畑に出ることさえでき
ない。食料を自分で手に入れる手段が彼らには無いのである。今のところ、彼らが食
料を手にできる唯一の手段が外部からの援助なのだ。
避難生活を送る人々は、農作業もできず、働くこともできず、外部の支援に頼るし
かない不安定な暮らしを強いられている。このような状況下、人々の肉体的生存が脅
かされているだけでなく、日常生活のすべてから習慣、祭事などまで、農作業と大地
に密着した先住民の人々の生活文化自体が破壊されようとしているのだ。
4.展望
蜂起の十二日後、一九九四年一月十二日には政府とEZLN双方が攻撃停止を宣言
し、以降、両者ともに紛争を「交渉と対話によって解決」することを求めると表明し
てきた。だが、武装・非暴力の姿勢をつらぬくEZLNに対し、政府は一度は総攻撃
をかけてEZLN指導部解体をはかり(一九九五年二月)、その失敗の後には、再開
された交渉において達した合意を反故にする(サン・アンドレス合意)など、平和的
・政治的解決への意志を見せていない。
このような状況の中でサパティスタは、「悪い政府」打倒を目指すのではなく、「
悪い政府」があるにも関わらず平行して存在し、抵抗する独自の社会的空間を創造し
ようとしてきたように、私には思える。それが、既存の行政組織と平行して設置され
た「先住民反乱自治行政区」や、権力を目指すのではなく、別の方法で社会変革を目
指そうとする市民組織「サパティスタ民族解放戦線(FZLN)」結成の呼びかけな
どに具体化されてきたのだ。
短・中期的には、政府が真剣に対話に取り組んだり、合意を実行したりすることは
期待できないだろう。他方、EZLNが譲歩するとも思えない。発砲無き戦争、発砲
無きにらみあいの状態は、悪化するのでなければ、少なくとも、このまま続くだろう
。軍事的圧力と、懐柔・体制内取込み策の波にどう対抗していけるか、それは、もは
や組織としてのEZLNにとどまらぬ広がりを持ったサパティスタ運動が、いかに、
独自の社会的空間を確立し、抵抗していけるかにかかっている。
追記 連邦政府軍密林のサパティスタ共同体に侵攻
この文章を書き上げる数日間の間に、ラカンドン密林の軍事的緊張が急速に高まっ
た。現在も予断を許さない事態が続いているため、これまで起こったことをここに記
しておく。
八月十五日付でメヒコ各紙が報じたところによれば、八月十三日、数百の連邦政府
軍兵士が密林のサパティスタ支持共同体アマドル・エルナンデスに陸と空から侵入し
、共同体内もしくは近くにキャンプを設営した。侵入に抗議した村民に対し、催涙ガ
スを使用した模様である。報道によれば、政府軍関係者は道路建設と森林保護活動が
目的であると説明しているが、部隊は重武装で、内三百人以上が空からパラシュート
で村に侵入していることなどから、行動が軍事包囲作戦の一環であることは客観的に
明らかである。
アマドル村はラ・レアリダから北東方向三十キロ程の場所に位置し、この地域には
これまで連邦軍が侵入したことはなかった。ラ・レアリダの周囲には複数の軍基地が
すでに存在しており、アマドルの方向は、連邦政府軍がラ・レアリダの近くにあると
見られるEZLN総司令部を急襲した場合、軍事衝突を回避するためEZLNが退却
できる唯一の場所であった。アマドル周辺にこのまま軍が駐留し、現段階では車両を
使っての陸路での通行が不可能なこの地域への道路建設が終われば、EZLN軍事総
司令部に対する包囲網はこれまでになく完全なものとなる。
また、付け加えるべきことは、アマドル付近の渓谷にはこれまで手付かずの良質の
森林資源があり、その上、巨大な油田が存在する可能性があるということである。メ
ヒコ紙「ラ・ホルナダ」の報道によると、メキシコ国営石油公社と、他国の石油探査
会社が九十年代前半に数回にわたって調査を行っており、そのうち、フランスの石油
探査会社が行った調査では、アマドル一帯に世界でも有数の規模の油田が埋まってい
る可能性があるとされている。メキシコでは地下資源の開発を国家が独占しているこ
とや、九四年にサパティスタ蜂起が起こったことなどから、これまでこの地域の開発
は進んでいなかったのである。
今回の事態を受けて、これまでもサパティスタに連帯してきた女優のオフェリア・
メディーナや、首都の学生らが集団でアマドル村に向かったが、州政府は現在、彼ら
を「先住民を扇動する集団」として逮捕状を用意している模様である。
また、これと時を同じくして、ラス・マルガリータスとラ・レアリダを結ぶ山道が
途中数箇所で軍隊や警察、パラミリタリー組織によって封鎖された。この内、ラス・
マルガリータスに近いエル・モモン村付近では、数百人のPRI支持派住民とパラミ
リタリーが道路を封鎖し、八月二一日深夜、現場を通りかかったNGOのトラックを
襲撃した。このトラックには、ラ・レアリダで働いていたメヒコ人医師一名と、平和
キャンプに参加していた外国人二名が乗っており、三人は激しい暴行を受けた上、カ
メラや現金などの所持品を奪われた。
現在も封鎖は続いており、密林内部と外部の交通は難しくなっている。EZLN総
司令部は一連の事態に強く抗議する緊急の声明を発表し、その中で、「ラ・レアリダ
」への総攻撃が始まる可能性があるとして、現在、サパティスタ軍が警戒体制に入っ
ていることを明らかにした。州政府は態度を硬化させており、事態は緊迫している。
監視を強めていきたい。
ああああああああああああああああああああああああああああああ(八月二四日記)
サロン・インディアスに戻る