現代企画室

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ぼくは書きたいのに、出てくるのは泡ばかり

ペドロ・シモセ/著
細野 豊/訳
2012年10月刊行
定価2200円+税
4-6上製・144頁
ISBN978-4-7738-1215-2 C0098

キューバ革命を背景に、連帯を求める急進的知識人として出発し、
軍政下で亡命を強いられ、「言葉を喪う」哀しみを経て、
遥か遠くの異郷から、故国の風景と人びとを謳う。
そして、命を失いかけた交通事故をきっかけに
生命の根源にある、男女間のエロスを謳い上げるに至る、
ボリビア日系詩人の全軌跡!


「鉱物泥棒の集会」

おれたちは話さない方がいい。
どうせ死ぬのだから
飲もうではないか
そして日が暮れたら、
誰もおれたちを見ていない隙に、
本来おれたちのものである物を
盗もうではないか。
(本書より)

【著者紹介】ペドロ・シモセ(シモセ,P.)

1940年、ボリビア国ベニ州リベラルタ市に生まれる。父は山口県からの移住者、母はリベラルタ生まれの日系人だった。初・中等学校時から詩才を発揮し、数々の賞を受けた。1959年、サンアンドレス大学(ラパス)法学部に入学するも中退。詩とジャーナリズムに専念。第1詩集『亡命における三つのピアノ練習曲』(1959)以来、『サルドニア』(1967)、『民衆のための詩』(1968)など次々と詩集を刊行した。こうして1960年代の激動する政治・社会状況を背景に出発した当初は、民衆的連帯を求める急進的詩人として立ち現れたが、その後軍事政権下の1971年には故国を追われスペインへの亡命を強いられた。亡命先で詩の言葉を失いかねない内面の危機は、第4 詩集『ぼくは書きたいのに、出てくるのは泡ばかり』(1972)のタイトルそのものに現れているが、この詩集はキューバの「カサ・デ・ラス・アメリカス」賞を受賞した。ボリビアという範囲を超えて、広くスペイン語文化圏で最も注目されている現代詩人のひとりと言えよう。その後のボリビア政府は、前政権の下での弾圧に関して詩人に謝罪し、1999年には国民文化賞が授与された。

【著者紹介】細野 豊(ホソノ ユタカ)

1936年神奈川県横浜市生まれ。1958年東京外国語大学スペイン語科卒業。通算17年余りラテンアメリカ諸国(メキシコ、ボリビア、ブラジル)に滞在。詩集に『悲しみの尽きるところから』(1993、土曜美術社出版販売)、『花狩人』(1996、同左)、『DIOSES EN REBELDÍA(反逆の神々)』(1999、メキシコ首都圏大学)、『薄笑いの仮面』(2002、書肆青樹社)、『女乗りの自転車と黒い診察鞄』(近刊、土曜美術社出版販売)。翻訳小説に、オラシオ・カステジャーノス・モヤ著『無分別』(2012、白水社)。

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