■週間読書人 2018年11月30日
■図書新聞 3376号 2018年11月24日 「出版界」コーナー
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週間読書人 2018年11月30日
ヘレン・ガーナー著『グリーフ ある殺人事件裁判の物語』出版記念会
『グリーフ』は私たちに何を語りかけるのか
息子3人殺害容疑裁判を報じたノンフィクションをめぐる豪日作家の対話
ヘレン・ガーナー×中島京子(モデレーター:加藤めぐみ)
『グリーフ』で描かれた事件とは?
11月1日、東京・代官山のヒルサイドバンケットにてヘレン・ガーナー著『グリーフ ある殺人事件裁判の物語』出版記念会「『グリーフ』は私たちに何を語りかけるのか―――息子3人殺害容疑裁判を報じたノンフィクションをめぐる豪日作家の対話」が開催された。
本書は現代企画室が年1回刊行している「オーストラリア現代文学傑作選」の刊行イベントで、シリーズ第6巻の今回は著者ヘレン・ガーナー氏と、ゲストに小説家の中島京子氏を招いて、トークセッションとレセプションパーティが行われた。なお当日のモデレーターは本書訳者で明星大学教授の加藤めぐみ氏が務めた。
本書『グリーフ』は2005年の父の日に別れた妻が親権をもつ息子3人を乗せて運転中に車が貯水池に落ち、元夫だけが助かり子どもたち全員溺死した事件の公判をオーストラリアを代表する実力派作家ヘレン・ガーナーが7年にわたって取材を続けまとめあげたノンフィクション作品。被疑者の咳失神が招いた不幸な事故だったのか、あるいは元妻への「復習」のための故意の殺人だったのか。オーストラリア全土が震撼した事件の判決が下されるまで傍聴席に座り続けたガーナー氏による力作である。
本イベントではなぜガーナー氏は裁判を取材し続けるのか、なぜこの忌まわしい事件を書いたのか、「法へのラブソング」と題したガーナー氏による講演と、ガーナー氏と中島氏による対談を通して解き明かした。
ヘレン・ガーナー講演「法へのラブソング」
講演の冒頭、ガーナー氏が初めて行った裁判の記憶が語られた。その裁判とはガーナー氏の友人の娘カップルがキャンプで薬物中毒の男女の軍人によって殺害された事件であり、死刑廃止論者のガーナー氏でさえも、この被疑者たちには最も暴力的な厳罰を下してほしいと願ったと述懐する。しかしこの裁判の判決で、被疑者の男性を有罪にすることはできても女性は有罪にできないと担当判事から宣告され、大きなショックを受けたという。「黒いローブを羽織った判事からの発言は私にとって衝撃的な瞬間であり、同時に大きな強い力を感じました。この力の正体こそ「法の精神」だったのです。この気づきはある種、宗教的な目覚めに近い感覚でした」と語った。
ガーナー氏がデビューして間もなくの頃に書いた家庭内の話を中心とした作品は扱う対象が小さいと批判を受けた。「そこで私はとある殺人事件の裁判について書きました。しかし扱う対象はあくまで家族の話ですが、このありふれたファミリー・ストーリーに突然死体が現れるのです。こういった要素が加わることによって、私の書く作品が重要なテーマを扱っているとみなされるようになり、以前からの批判は聞かれなくなりました」と語った。
細かいレベルで「観察」をすることができるのが、ヘレン・ガーナーという作家の強みの一つでもある。裁判の当事者という特殊な登場人物たちも彼女が「観察」を施すことによって、一般の人と同じような痛みを抱えていることがわかり、作品の幅を広げたという。彼女の「観察」は本書でも存分に発揮されている。
ガーナー氏は自身が「観察」してきた裁判や法というものに対してこう振り返った。「法律は全てが公正なわけではなく、時には間違いを生ずることもあることは知っています。弱者の救済ではなく、罪深い人たちに手を差し伸べてしまうことがあるように。
ただし、私は法律そのものが持つ謹厳さには敬意を払っています。なぜなら裁判所という空間は関わる全ての人たちの高い集中力のおかげで阿鼻叫喚一切ない、成熟した思慮深い空間が保たれているからで、その場に足を踏み入れるたびに常に「法の精神」が機能していることを感じるのです。それに野蛮さや苦しみの混じった人間模様に対し法律が極めてドライでクリーンな理由付けを施す場面を見ることができる、このシーンこそ私にとって極めて興味深い瞬間なのです」と語り講演は締めくくられた。
中島京子 × ヘレン・ガーナー
ガーナー氏による熱量の高い講演から間をおかず、中島京子氏との対談に移る。対談の皮切りは中島氏による感想から。「この作品は次から次へと新しい事実が出てくるので、まさに措く能わざる面白さがあります。しかし、同時に現実におきたこの不幸な事件を面白いと感じてよいのだろうか、という罪悪感も芽生えてきました。この相容れない2つの感覚が読書中常につきまとうのですが、この居心地の悪さこそがこの本を読む意味なのではないでしょうか」と述べた。
中島氏は一読者としてこの悲惨な事件を扱う公判の傍聴席に座り、結末を見守る経験をしたと述べる。「結末できちんとした真相が解明されることを期待して読み始めるのですが、導かれる先は混迷です。出てくる証言から答えが見えてきそうになるけれど、次の証言によってその答えが霧散してしまう。近づくと遠ざかっていく、まるで砂漠で水を求めるのに近い感覚がありました」と語った。
この中島氏の指摘に対しガーナー氏は「中島さんが抱かれた感想は、まさに私が裁判所で感じたことと非常に似ています。この裁判は終わりのない混乱に直面していて、どこまでいっても真実にたどり着くことができない状態でした。
同時にこの「混乱」を感じていただくことこそ私が本作を書く上で望んだことでもありました。裁判そのものの方向性も定まらず、傍聴し続けた7年間、私の中でも結論が揺らぎ続けました。その感覚をぜひ読者に感じてほしかったのです」と語った。
続けてガーナー氏はこの事件を取り上げた理由を説明する。
「私は普通の人が日常生活で感じている痛みが急に肥大化してある日予想もつかないような行動を起こす、そういった事件に興味があったのです。翻って私にとって親しみを感じるような人に関心があったといえる。だからこの事件を起こした被疑者である元夫の抱えた苦しみや痛みに同調することもできた。私と同じ普通の人だったから彼の話を書きたいと思ったのです」と述べた。
トークは終盤に差し掛かり、モデレーターの加藤氏から「観察」について質問が投げかけられ。先に中島氏が答えた。
「先程の講演で以前ガーナーさんの書く作品のテーマが小さいと批判を受けたというお話がありましたが、実は私の代表作は『小さいおうち』という題で第二次大戦が舞台背景になっていますが、その時代の小さな家庭の話です。だからガーナーさんの小さいものに着目する姿勢が私との共通点のように感じたのです。私にとって小さいものに焦点を当てることはごく自然な行為で、もしかするとガーナーさんにとってもそれが当てはまるのではないでしょうか」と述べるとガーナー氏は『小さいおうち』に興味を示しつつ「中島さんの発言は全く同意です。私にとっても小さな場所から物語をスタートさせるのはごく自然な行いです。でも一見すると女性ならではの特徴のように思われてしまうかもしれませんが、決してそうではなく、小さいところに注目した上で、作品を膨らませて書くという行為は作家全般にとって求められる要素なのだと思います」と日豪を代表する2人の作家の共通点を見出しながら対談はまとめられた。
二人の対談が終わり、会は第二部のレセプションパーティに移行、オーストラリアワインや食事が供され、会は最後まで盛り上がりをみせた。
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図書新聞 3376号 2018年11月24日 「出版界」コーナー
〈ヘレン・ガーナー『グリーフ』出版記念会 現代企画室〉
駐日オーストラリア大使館、豪日交流基金の支援のもと、2012年から現代企画室で刊行されている「オーストラリア現代文学傑作選」。このたび、シリーズ第6巻にあたるヘレン・ガーナーの『グリーフ―――ある殺人事件裁判の物語』の刊行を記念し、ヘレン・ガーナー氏を招いて出版記念会が11月1日(木)、代官山・ヒルサイドバンケットで開かれた。また、ゲストとして迎えた小説家・中島京子氏との対談も行われた。
『グリーフ』は本シリーズ初のノンフィクション作品。2005年の「父の日」の夕刻、ビクトリア州の田舎町郊外でロバート・ファクワスンが運転していた車が道路脇の貯水池に沈没し、同乗していた三人の息子が溺死した。失神による事故だと説明するファクワスン。しかし現場の不自然な状況、前年に妻シンディと離婚し息子たちとも別れて暮らしていた背景などから、父親は殺人の容疑で起訴される……オーストラリア全土を震撼させた事件の過程をガーナー氏が丹念に迫った裁判ノンフィクションである。
ガーナー氏は「法へのラブソング」と題して、裁判への関心と自信の経験について講演した。初めて裁判に関心を持ったのは、30年ほど前に知人の女性が殺人事件に巻き込まれたとき。その裁判で、「懲役刑になると思っていた、犯人のうちの一人の罪が問われないと判事から聞いた瞬間のショックを忘れることができなかった」と語った。それからガーナー氏は継続して裁判を傍聴するようになったが、裁判所で繰り広げられる事件の苦しみや悲しみ、それを支えるドライでクリーンな「法の精神」を目の当たりにし、いかに法に対して「ラブソング」をうたうかということについて考えを述べた。講演者の「ラブソング」は『グリーフ』の書評を書いた弁護士の言葉からの引用――「ガーナー氏は法に対してラブソングを書いている」――とかけていることも明かした。
また、ガーナー氏はこれまで国内で「話の内容が小さすぎる」、「もっと大きな、政治的な要素を含んだ小説を書くべきだ」と批判されてきたが、本人は「そこに関心を持っていなかった」と答え、本書において「家庭内で」起きた事件のなかで「殺人」を描いたことでそうした批判を克服したことも語った。特にガーナー氏は本書を書くにあたってこれまでの小説同様、「観察する」技術の重要性を強調し、「弁護士ではなく小説家としての立場から、裁判所における物語を感じとってほしい」と話した。
中島京子氏は本書の面白さを語った一方、「このような不幸な事件を面白いと感じでいいのか」という罪悪感を持ったという。さらに、本書の事件について、三人の息子を死なせてしまった父親には罪がまったくないのか、自分が陪審員だったらどうするか、ということを考えながら最後まで読み進めていったことも語った。法律を冷静で公平なものと評価したガーナー氏に対し、中島氏は本書から「法律ではこぼれ落ちてしまう、捉えられないなにか」を感じ、作品で印象に残った場面として「ガーナー氏と被害者家族とのなにげない会話や交流」だと述べた。また、ガーナー氏の小説が「小さすぎる」と批判されたことについて、自身の代表作『小さいおうち』となぞらえながら、小さな出来事から細部を描く必要性について意見を交わした。
本会のモデレーターで『グリーフ』の訳者の加藤めぐみ氏から「自分の小説が映画化されることについてどう思うか」との質問に対して、ガーナー氏は自身の「気に入らなかった」エピソードを紹介し、映画監督、俳優たちの原作への無理解について身振りを交え、撮影現場を再現しながらコミカルに語った。一方で中島氏は、『小さいおうち』が山田洋次監督によって映画化されたことに触れて「映画のおかげで小説がすごく売れた(笑)」と話すなど、終始和やかな雰囲気のままトークセッションは締めくくられた。
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