■週間読書人 2017年9月8日 評者:三宅正樹(明治大学名誉教授・ユーラシア外交史)
■建設工業新聞 2017年6月13日
■アナキズム文献センター通信 第39号 新刊紹介
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週間読書人 2017年9月8日
〈どのようにして生き延びたかを語る貴重な記録〉
本書は、ハンガリーをドイツ軍が1944年3月19日に占領して以後、ソ連軍が1945年1月12日に首都ブタペシュトを占領してドイツ軍を放逐するまでの10ヶ月を、そこで最も困難な立場に置かれたユダヤ人のひとりであるティヴァダル・ソロスが、ブタペストの多くのユダヤ人のようにナチス・ドイツの絶滅収容所に送られることもなく、どのようにして生き延びたかを語る貴重な記録である。この著者は、世界屈指の富豪で慈善事業家でもあり、本書ではハンガリー語のジェルジの愛称であるジュルカとして登場するジョージ・ソロスの父である。ユダヤ人の一家が固まって暮らしていては危険だ、という父の判断によって、ジュルカも、兄のポールも、また妻のエルジェーベトも、義母も、別々に暮らすことになる。恐らくこの判断は一家全員を救った。
ジュルカについてのとりわけ印象的な記述は、ジュルカがバラトン湖で泳ぎすぎて風邪をひき高熱を発した時、村の医者が地元の矢十字党員だったために、妻は一家がユダヤ人であるのがばれるのを恐れて、この医者を呼ぼうとはしなかった、という箇所である。場合によっては生命の危険があったこの場合でも、著者がハンガリー版ナチズム(312頁)と呼ぶ矢十字党への恐怖は、これ程大きかったことがわかる。事実、ドイツ軍占領下のこの時期に、矢十字党員がユダヤ人殺戮にいかに大きな役割を果たしたかについての記述は、本書の随処に見られる。
著者は有能な弁護士であり、キリスト教徒であるという偽造の身分証明書を入手出来、ユダヤ人としてアウシュヴィッツなどの絶滅収容所に送られる運命を免れたが、危険はどこに潜んでいるかわからず、住居を転々とすることを強いられた。ほんのちょっとした不注意からユダヤ人であることがばれれば、矢十字党によって殺害されてしたいがドナウ河に浮かぶことになりかねなかった。また、ハンガリーではアドルフ・アイヒマンがユダヤ人狩りに辣腕をふるったが、著者はユダヤ人評議会がナチス・ドイツのユダヤ人狩りに協力したことを強く批判している。著者は第一次世界大戦に従軍してロシアで初めは反革命の白軍の、ついでソヴィエト軍の捕虜となったが、イルクーツクまで逃走し、シベリアを横断してハンガリーに戻った。この7年間の体験が第二次世界大戦中のハンガリーのユダヤ人にとって最も困難な時期を生き延びることを著者に可能にするのに役に立ったと思われる。
著者は強制労働から逃げてきた青年たちに会うと、オペラ座などの観劇券を渡して、幕間にビュッフェで出されるジェルボーの美味しいお菓子を食べるように勧めたが、「これが、彼らに人間的尊厳を少しばかり取り戻してもらうための私なりのやり方だった(207頁)」と著者は書いている。ジェルボーはブダペストに1858年に誕生したカフェで、著者一家がブタペストで合流したあと、最早入手が困難であったと思われるジェルボーのクッキー三箱を親子のゲームの商品にもしている(297頁)。筆者の机の上に、20年位前にブダペストでの学会に参加した折に買ったジェルボーのクッキーの空箱が今でも置いてあるが、この木の空箱は、著者らの苦難の日々を偲ばせる。1945年1月12日にソ連軍がブダペストをドイツ軍の手から「解放」したが、それは新しい苦悩の日々の始まりであった。1956年のハンガリー動乱の時に著者は米国に亡命する。
エスペラント語からの世界で11番目の訳文はわかりやすいが、誤植が散見されるのは惜しい。ウィーンの目抜き通りをケルトネル街と記している(270頁)が、正しくはケルントナー街である。ハンガリー史専攻の山本明代名古屋市立大学大学院教授のすぐれた解説は、本書の理解を大いに助ける。訳者の三田地昭典氏と企画者の安藤紫氏の労を多としたい。
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建設工業新聞 2017年6月13日
投資家、社会事業家として有名なジョージ・ソロス氏の父ティヴァダル・ソロスの自叙伝「仮面のダンス」が今月下旬、現代企画室から刊行される。ナチス・ドイツに占領されたハンガリーの首都ブダペストでユダヤ系の法律家だった彼は、妻と義母、二人の息子や親しい友人たちと生き延びるために「仮面」をつけて生活する道を選択した…。今回の出版では、金沢市内の不動産業者「モンスーン企画」の安藤紫代表取締役が企画・コーディネートを担当している。
極限状態でも冷静さとユーモアを失わず、偽造の身分証や隠れ家を求めて繰り広げられる頭脳ゲーム。結果として家族全員と数多くのユダヤ人の命を救った著者が濃密な1年弱の経験を語った。
安藤氏は約10年前から出版を準備してきたそうで、「次第に浸み込みゆくナチズムにもかかわらず、それまでとあまり変わらない日常の情景から本書は始まる。今の日本にとっても示唆的だ」とコメントしている。
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アナキズム文献センター通信 第39号 新刊紹介
"ジョージ・ソロス一家はいかにしてナチ党支配下のハンガリーを生き延びたのか"。ハンガリー生まれの法律家、著述家で、投資家のジョージ・ソロスの父でもあるティヴァダル・ソロス。本書は、第一次世界大戦従軍中にエスペラントに出会い、エスペラント雑誌『リテラトゥーラ・モンド』の編集長も務めたことのある氏の自叙伝。
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